Review | 山梨・南都留「忍野八海」


文・撮影 | あだち麗三郎

 今回の水場は、富士山の麓、山梨県南都留郡の「忍野八海」。忍野八海と書いて「おしのはっかい」と読みます。読めませんよね普通。あまり知られてないのだけれど、ここには8つの綺麗な富士山系湧水の泉があり、あまりにも澄んでいて美しいためにそれだけで観光地になっている場所だ。

 ぼくは毎年新年になるとここに来て、泉を眺める。ただ、新年の寒い中、寒いなあと思いながらぼーっと泉を眺めたり、写真を撮ったりするだけ。すると心と脳がこの泉のように透き通った気分になる。

 不思議なものだ。これが“同調”ということなのかもしれないけれど、人間が身の回りのものにいかに影響を受けているかということを感じる。澄んだ水を眺めているだけで澄んだ気持ちになるなんて。人間って単純すぎて笑えてきますね。笑えるけれど人間のそんな簡単な作用を丁寧に扱うと、とても快適なのかもしれないとも考える。

 この同調を別のことにも当てはめたとして……自分の状況を変えるための一番の近道は、身の回りを自分が望む環境にすることがなんじゃないかというシンプルなことにも泉を眺めていると腑に落ちる。ああ、会いたいと思っていたあの人に会いに行こうとか、ちょっと高いなと迷っていたあれ買っちゃおうとか、そういう気持ちが湧いてくる。

 澄んだ泉を眺めた結果、ポジティヴになっている自分がいる。いやまあ、単純ですよねえ。人間って。こんな空想にふけるのも良いが、単純に泉が美しいのでぜひ一度は観てほしい。パソコンのデスクトップ画像みたいに鮮やかな色と光を。

山梨・南都留「忍野八海」 | Photo ©あだち麗三郎

 とはいえ、ぼくは色弱である。どうやら赤色に対するセンサーが弱いらしい。はっきりと認識したのは高校生のとき。部室に蛍光ピンクのペンで書かれた注意書きが貼ってあったのだが、3年生の夏くらいまで白紙がずっと貼ってあると思っていた。その話をすると、「じゃあ、あの信号の赤はどう見えているの?」とよく聞かれる。「信号の赤はぼくの中ではそれこそが赤だから、赤く見えているよ」と答える。「でもぼくの思っている赤が、あなたの思っている赤とは違うかもしれない。あなたの思っている赤はもっと濃くて色のグラデーションに富んでいるのかもしれない。ぼくにそれを知ることはできないけれど」と付け加える。

 同じ景色、同じ絵、同じ音楽、同じ食事をしていても、全く違うものを見聞きし、味わっている。人間同士、同じ体験を共有することができないのだなと思うと非常に孤独な気分になる。脳みそを取り替えて、人がどう感じているのかを体験できたらなあ(最近知った変な話、宇宙人はそれがパッとできるそうだ)。たとえば、ゴッホにとって色がどう見えていたか、武満 徹にとって虫の声はどう聞こえていたか、土井善晴先生はお味噌汁をどう味わっているのか、桜庭和志が味わうリングの床の触感はどんなものだったか、ちゅーるを食べた猫の快楽とか。たぶん、それぞれにすごい繊細で奥深く感受している世界があると思うとワクワクする。

 同じ体験はできないんだけれど、その人と一緒にいて、“同調”してゆくことはできると思っている。ぼく自身、昨年ゴッドハンドの先生から整体を習い、また別で古武術を習っているが、その人の何かをコピーしようと時間をかけるとその身体性というか感覚がだんだん寄ってくる。粘菌の仕業なのか何の仕業なのかわからないけれど。だから、共有はできないけれど、もっと別の次元で、“同調”“同期”してゆくことはできると思う。この美しい泉と“同調”するようにシンプルに。世の中もそんな風に進んでゆけば良いなと願う2021年の8月。

あだち麗三郎 Reisavulo Adachi
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あだち麗三郎音楽家。からだの研究家。
人類誰もが根源的に自由で天才であることを音楽を通して証明したいと思っています。
1983年1月生まれ。少年期を米アトランタで過ごしました。
18歳からドラムとサクソフォンでライヴ活動を始めました。
風が吹くようなオープンな感覚を持ち、片想い、HeiTanaka、百々和宏とテープエコーズ、寺尾紗穂(冬にわかれて)、のろしレコード(松井 文 & 折坂悠太 & 夜久 一)、折坂悠太、東郷清丸、滞空時間、前野健太、cero、鈴木慶一、坂口恭平、GUIRO、などで。
「FUJI Rock Festival ’12」では3日間で4ステージに出演するなどの多才と運の良さ。
シンガー・ソングライターでもあり、独自のやわらかく倍音を含んだ歌声で、ユニークな世界観と宇宙的ノスタルジーでいっぱいのうたを歌います。
プロデューサー、ミキシング・エンジニアとして立体的で繊細な音作りの作品に多数携わっています。
また、様々なボディワークを学び続け、2012年頃から「あだち麗三郎の身体ワークショップ」を開催。2021年、整体の勉強をし、療術院「ぽかんと」を開業。