Review | ヨハン・ヨハンソン『最後にして最初の人類』


文 | ミリ (Barbican Estate)
©2020 Zik Zak Filmworks / Johann Johannsson ©Sturla Brandth Grøvlen

 今年、私が一番楽しみにしていた映画『最後にして最初の人類』(原題『Last and First Men』)がこのたびついに公開された。アイスランド出身の音楽家、ヨハン・ヨハンソンが初めてメガホンを取った作品だ。現代のミニマル・クラシック、アンビエント界の旗手であったヨハンは、彼のオリジナル・アルバムのほか、『博士と彼女のセオリー』(2014)や『メッセージ』(2016)など、映画スコアのキャリアにおいても輝かしい作品を残しているが、2018年、彼が48歳の若さで急死してしまったのは記憶に新しい。ついにヨハンは自身の監督作の完成を見ることはなく、短編映画『End Of Summer』(2015)を除くと皮肉にも彼の“最初にして最後の”長編映画となってしまった。

 『最後にして最初の人類』は、ブルータルでディストピア的、土着的なようで未来的な映画であった。かつて旧ユーゴスラヴィアで建てられた「スポメニック」と呼ばれる巨大モニュメントを舐めまわすように映し出されたどこまでもクリアなモノクロの映像。英国の作家オラフ・ステープルドンが記した同タイトルの壮大なSF小説を朗読するのは、女優のティルダ・スウィントンだ。そしてそれらの要素を縫うように絡めていくヨハン・ヨハンソンによる神秘的な倍音。ミニマルにみせかけて、私にとっては情報の大渋滞であり、この映画ほど恐ろしく、混乱をもたらす映画体験は初めてだった。

『最後にして最初の人類』©2020 Zik Zak Filmworks / Johann Johannsson ©Sturla Brandth Grøvlen
『モスラヴィナ人民革命記念碑』(1967)、通称「ポドガリッチ・スポメニック」。現在のクロアチアにおけるパルチザンの蜂起の中心地であったポドガリッチの「スポメニック」。中心の“目”から、左右にいびつな翼を広げたモニュメントは、映画『最後にして最初の人類』の中では時空を超えて未来人と接触ができる場所、“ワームホール”のような役割を果たしていた。
『最後にして最初の人類』©2020 Zik Zak Filmworks / Johann Johannsson ©Sturla Brandth Grøvlen
多くの「スポメニック」は1970年代に歴史・観光スポットとして高い人気を誇り、子供たちは学校行事で必ず訪れて歴史を学ぶ場所だった。当時の絵葉書を見ると、青空と整備された花壇の中に「スポメニック」がそびえ立つ、現在とは真逆の風景ばかり。90年代初めの国の崩壊、ユーゴスラビア紛争、独立国の誕生によりで人々の関心は失われ、放置されているが例えば「ポドガリッチ・スポメニック」の中心の“目”の部分を成す点字ブロックのようなアルミニウム板はかなり美しい状態だということが映画で発見できた。

ーー「スポメニック」とはーー
 私がこの映画を楽しみにしていた最たるものは、延々と映し出される「スポメニック」である。「スポメニック」とは、セルビア・クロアチア語で“記念碑”の意味を持ち、第二次世界大戦でのナチスドイツによる占領から、カリスマ的指導者であるヨシップ・ブロズ・チトー率いる人民解放軍の独立にいたるまでの活躍の記録として60~80年代にかけて旧ユーゴスラヴィアで建設された無機物で奇妙な形のモニュメントの数々を指す。当時のユーゴスラヴィアは社会主義国家でありながらその親玉であるソ連に屈しない、独自の政治体制を敷いていた。またアメリカとも良好な関係を築くなど他の社会主義国家に比べて比較的自由な政策が構築されていた。1980年のチトーの死後、民族主義の再燃による紛争でユーゴスラヴィアは解体され、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、マケドニア、スロベニア、モンテネグロ、コソボの7つの国々に分裂してしまう。同時に、新たに建設された民主主義政権の思想の対極にあるという理由から、各地に数千とあった「スポメニック」の多くも爆破された。現在でも1,000個以上の「スポメニック」が確認されているが、ほとんどが打ち捨てられ、廃墟と化し、落書きの被害なども含め多くの困難に直面している。

『最後にして最初の人類』©2020 Zik Zak Filmworks / Johann Johannsson ©Sturla Brandth Grøvlen
『英雄の谷スーティイェスカの戦い記念碑』(1971)通称「ティエンティシュテ・スポメニック」。ヨシップ・ブロズ・チトー率いるパルチザン軍が劇的な戦術を駆使してドイツ軍に屈辱的敗戦をもたらした“スーティイェスカの戦い”を称える巨大記念碑は現在のボスニア・ヘルツェゴヴィナに位置する。実際はこの戦いで7,000人以上の戦死者を出し、その自己犠牲と士気の美徳こそがユーゴスラヴィア神話に欠かせない要素となっていた。村には近いようだが広大な山間部に建ち、内部は資料館になっているという。ユーゴスラヴィア紛争により展示品の多くは破壊され、施設は一時放棄されたが、2018年に美化工事が完了し、観光客も戻りつつある。

 トレーラーの時点で想像できなかったのだが、『最後にして最初の人類』の映像のほとんどは被写体に非常に接近したフレーミングが意外だった。十数個の「スポメニック」それぞれの線の流れや、色、風化の過程における質感が明確に分かる。「スポメニック」ファンとしては、長年写真で見続けてきた(最近はスポメニックを巡る冒険系YouTuberも存在するが)遥か遠くの国の奇天烈な巨大彫刻に実際に触れているようで、至高の時間だった。だがそれ故に、全体の造形は最後まで分からないものが多く、焦らされる。画面の中には比較するものも配置されていないから、実際の大きさすら把握できないというわけだ。ヨハン・ヨハンソンは「スポメニック」を「スポメニック」としてではなく、たった今降り立とうとする宇宙船、または未確認生命体の容姿そのものとして見せたかったのではないかと想像した。「スポメニック」の存在理由はおろか、歴史上の惨い事実や、ユーゴスラヴィアの地域性はむしろぼかされていた。

『最後にして最初の人類』©2020 Zik Zak Filmworks / Johann Johannsson ©Sturla Brandth Grøvlen
『花の慰霊碑』(1966)通称「ヤセノヴァツ・スポメニック」。現クロアチア、ユーゴスラヴィアで最も悲惨な歴史を持つ場所のひとつ「ヤセノヴァツ強制収容所」の場所に建つ。ここはもっぱら処刑収容所として機能していた。天に向かって開く鉄筋コンクリートの花は、それ自体も激しい爆破と荒廃に曝されてきた。今日は慰霊碑周辺は公園として整備され、毎年記念式典も行われる。

 例えばクリス・マルケルの『ラ・ジュテ』(1958)は、近未来の荒廃したパリを舞台に主人公の男が過去と未来を行き来する時空を超えた旅の物語を、モノクロのスチル写真の連続で映し出す映画で、ソリッドで目が回るような映画体験は、ダークSF、あらゆるタイムループものの原点だと私は思っていた。しかしはっきり言ってオラフ・ステープルドンの1930年の小説、『最後にして最初の人類』の壮大な叙事詩を前にしては、『ラ・ジュテ』はごく小さなスクリプトだったようだ。

 『最後にして最初の人類』は、20億年後の未来人が現代人に向けて警告とも取れる未来の状勢について語り掛けるという設定で、映画内の朗読は最終章を中心に構成されている。残念ながら原作小説は絶版で価格が高騰しており、私は今図書館で予約待ちをしているが映画の公開に間に合わせて読了することは叶わなかった。劇中の朗読の中に以下のようなものがある。

「宇宙の旅から帰還した探査船の乗組員は、多くの仲間を失い、衰弱し、錯乱状態にあった。彼らは明らかに人間ではない何かに怯え、社会とのつながりも途絶えてしまった」

 前述の全容を決して捉えることができない「スポメニック」は、まさに人智を超えた存在に触れた宇宙からの生還者が、その何かに憑依され作り上げた彫刻、モノリスの如き“見てはいけないもの”の異形のようだ。それらはヨハン・ヨハンソンによる重厚なドローン、多重弦音のフィードバックのカタルシスと相まって洪水となり、脳のセロトニンを刺激し、観客を快楽の渦へ巻き込んでいく。

 次なる「スポメニック」を求め深い霧の中に吸い込まれていくと、突然画面が暗転、無音になる。THE BEATLESの「I want you (She is so Heavy)」を想起させる、突如音が切られる手法はヨハン・ヨハンソンの楽曲でもしばしば用いられるが、それは私たちが突如ブラックホールに投げ込まれるような錯覚に陥らせる。この一連の体験が、どんな恐怖映画よりも悍ましく、絶望的で、私はしばらく動けなくなった。気を失うような長い年月の中で、自分の生活や存在など意味のないものに思え、ふと良くない考えすら頭をよぎる。健全な精神状態で見なければ、簡単にどこかに連れていかれそうになる、映画『最後にして最初の人類』は非常に危険な芸術だ。


サウンドトラックより、上記のシーンで使用される楽曲「The Navigators」。彼らに導かれていった先に待つものを、ぜひ劇場で目撃してほしい。


私が一番恐れた上記シーンでは、霧が深く立ち込めているので、その先に何の「スポメニック」が存在しているのか知っている人でなければわからないだろう。正解は現クロアチアに位置する『コルドゥンおよびバニヤ人民蜂起記念塔』、通称「ペトロヴァ・ゴラ・スポメニック」だ。私はUNKNOWN MORTAL ORCHESTRAの2011年の1stアルバムのカヴァーに使用されていたことでこの存在を知った。多くの「スポメニック」が鉄筋コンクリートのモニュメントであるのに対して、これは会議場、図書館、カフェ、そして戦争博物館などの機能をもつ複合ビルである。現在、波打つようなスチール板のパネルの多くは剥がれ落ち、地下は浸水するなど内部は腐れ果てている。また多くの動物が住みついていて、踏み入るには大変に危険な場所になっている。

 しかしやはり私にはどうしてもこの映画を完全なるSF小説、未来人の啓示として享受するのは困難だった。チトー政権下で彫刻家達の自由な表現がなされたモニュメント、「スポメニック」の造形は単純に偶像崇拝の対象であると同時に、蜂起軍を称え、死者を弔うという本当の存在理由、旧ユーゴスラビア地域一帯の悲しい歴史と紛争による犠牲を切り離すことはできない。この映画を恐ろしいと思うのは、結局宇宙規模の莫大な時間でも未確認生命体でもなく、ごく最近まで人間同士が行っていた殺戮による死臭なのかもしれない。20億年先の人類からの警告。それはヨハン・ヨハンソンの遺言でもあろう。今となっては彼がどのような思いで『最後にして最初の人類』を製作したか、その真意もブラックホールの中だが、私たちも今後の芸術表現においてこの壮大な叙事詩に到達したいと思う。

 最後に、ユーゴスラビアの内情やバルカン半島の歴史について解説してくれた史学科出身のバンド・メンバーKazuki Toneri、そして私たちBarbican Estateのいくつかのアートワーク、ビデオをディレクションしているKeisuke Nakagawaが所属する、今回の『最後にして最初の人類』の配給を担当した映画配給会社シンカの、日本での映画公開に際しての多大なる努力に感謝したい。海外では映画祭や限定上映のみで劇場公開に至った国はほとんどなく、絶対に劇場で観るべき映画である。

Photo ©ミリ
左: 2020年に日本語版が発刊されて以降、「スポメニック」への理解を大きく広げてくれたドナルド・ニービル著『スポメニック 旧ユーゴスラヴィアの巨大建造物』(グラフィック社)は何度読んでも飽きることはない。
右: 映画のパンフレット『最後にして最初の人類ー完全読本ー』には、絶版となっているオラフ・ステープルドンの原作の序章、そしてエピローグが収録されている……!

■ 2021年7月23日(金)公開
『最後にして最初の人類』
ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ
ほか全国ロードショー

https://synca.jp/johannsson/

監督: ヨハン・ヨハンソン
製作: ヨハン・ヨハンソン / ソール・シグルヨンソン / シュトゥルラ・ブラント・グロブレン
原作: オラフ・ステープルドン
脚本: ヨハン・ヨハンソン / ホセ・エンリケ・マシアン
撮影: シュトゥルラ・ブラント・グロブレン
編集: マルク・ブクダール
音楽: ヨハン・ヨハンソン ヤイール・エラザール・グロットマン
ナレーション: ティルダ・スウィントン

原題: Last and First Men
配給: シンカ
2020年製作|71分|アイスランド
映倫区分 G (どなたでもご覧いただけます)
©2020 Zik Zak Filmworks / Johann Johannsson ©Sturla Brandth Grøvlen

ミリ Miri
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ミリ (Barbican Estate)東京を拠点に活動するエクスペリメンタル / サイケデリック / ノーウェイヴ・バンドBarbican Estateのベース / ヴォーカル。ロック・パーティ「SUPERFUZZ」などでのDJ活動を経て2019年にバンドを結成。2020年3月、1st EP『Barbican Estate』を「Rhyming Slang」よりリリース。9月にはヒロ杉山率いるアート・ユニット「Enlightenment」とのコラボレーションによるMV「Gravity of the Sun」で注目を浴びる。同年10月からシングル3部作『White Jazz』『Obsessed』『The Innocent One』を3ヶ月連続リリース。今年3月19日にLana Del Reyのカヴァー「Venice Bitch」をYouTubeとIGTVで公開。4月9日に「The Innocent One」のMVを公開。

明治学院大学芸術学科卒。主にヨーロッパ映画を研究。好きな作家はヴィム・ヴェンダース。