Review | 岩手・盛岡「青龍水」


文・撮影 | あだち麗三郎

「青龍水」 | Photo ©あだち麗三郎

 コロナになってから初の旅行に出た。演奏のツアーはあったけど、純粋な旅行は2年以上ぶりか。純粋な旅行って何だという話ですが。

 今回の旅のメインは秋田県の玉川温泉というところで、途中で立ち寄った岩手県盛岡市はライヴ・ツアーでもなかなか立ち寄ることのない街だ。僕もまだ2度しかライヴをしたことがない(と思う)。そんな盛岡市内の繁華街から車で5分くらいの住宅街の真ん中に湧く「青龍水」は、やわらかさ、甘み、のバランスがとてもよく、澄んでいて、非常においしい。さすがの平成の名水百選クオリティで個人的にも殿堂入り。ぜひまた来たい。

 なんと言っても、こんなに整備された規模の街中に、このクオリティのおいしい水が湧いているのはかなり珍しいことだ。もちろん、東京だって大阪だって水は湧いているが、お世辞にもおいしいとは言えない。ある程度の規模の街中にあっておいしい水が湧いている街といえば、愛媛県西条市、長野県松本市くらいじゃないかな。

 不思議なもので、昔はたぶんどの街にも湧き水は湧いていたのだが(もしくは井戸水がある、でないとそこに人が住まないだろう)、今湧き水のない街は、その代わりに公園に噴水が作られているのではないか。噴水(水が上に向かって噴出す様子)は、「ここなら安心して住める」という象徴として人間の本能に刻み込まれているのかもしれない、などと考えた。

 街中の湧き水は、拡大解釈をすると“顕在意識の中の無意識”とも言えるかもしれない。

「青龍水」 | Photo ©あだち麗三郎

 最近夢をよく見る。夢の中での新しい感覚に非常に興味がある。今朝は、まず盛岡で食べて感動した「肉の米内」の冷麺の味覚があった。冷麺の中に、チャーシュー、ナシ、漬物、ネギが入っていて、それぞれの味の方向性が全部違うのに、まさかのそれらがお互いを繊細に引き立たせ合う、という奇跡的な一杯であったのだが、夢の中ではその繊細で複雑な味が、“季節”となって秋の風のように身体中に触感や臭覚も含めて感じる、という夢だった。“味覚”が“季節”になるなんて、現実では想像できないが、夢では実感としてそれが残っている。そしてその“季節”の中で誰かと何かをしていた。

 最近の夢で、そういった現実を超えたような感覚を得られることが多いので、夢を見ている状態がとても楽しいし、音楽の枠を超えた芸術的体験だなと思っている。眠りにつくときに毎晩ワクワクしている。ただ、これを現実の生活に有効に持って来ようとしても、なかなか難しい。言葉で夢を捉えようにも非常に難しいし、本当に真摯に夢に向かい合うというのは、言葉や理解を超えてそれに飛び込む必要があると思っている。伝統芸能を習うような感じで、今までの感性を全部捨てて、正直に正面から向かい合ってみる必要を感じている。

 結果、最近デジャヴが多く、現実と夢の境がなくなっているようにも感じる。初めて人から聞く話なのに、もう知っている気がしてしまう……。この状態、危ないのか、引き返した方がいいのか、まだ進めるのか……。夢を「整備された街中の湧き水」として顕在意識の範囲内に治めておくのか、はたまた街を出て山を登って湧き水を飲みに行くのか。そりゃあ山を登りますわね。湧き水の洪水で街が滅んでしまうかもしれないが。

あだち麗三郎 Reisavulo Adachi
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あだち麗三郎音楽家。からだの研究家。
人類誰もが根源的に自由で天才であることを音楽を通して証明したいと思っています。
1983年1月生まれ。少年期を米アトランタで過ごしました。
18歳からドラムとサクソフォンでライヴ活動を始めました。
風が吹くようなオープンな感覚を持ち、片想い、HeiTanaka、百々和宏とテープエコーズ、寺尾紗穂(冬にわかれて)、のろしレコード(松井 文 & 折坂悠太 & 夜久 一)、折坂悠太、東郷清丸、滞空時間、前野健太、cero、鈴木慶一、坂口恭平、GUIRO、などで。
「FUJI Rock Festival ’12」では3日間で4ステージに出演するなどの多才と運の良さ。
シンガー・ソングライターでもあり、独自のやわらかく倍音を含んだ歌声で、ユニークな世界観と宇宙的ノスタルジーでいっぱいのうたを歌います。
プロデューサー、ミキシング・エンジニアとして立体的で繊細な音作りの作品に多数携わっています。
また、様々なボディワークを学び続け、2012年頃から「あだち麗三郎の身体ワークショップ」を開催。2021年、整体の勉強をし、療術院「ぽかんと」を開業。