Review | アジアのヴィンテージ・ポップス | 21世紀のオリエンタリズム


文・写真 | コバヤシトシマサ

 音楽が好きで、とくに古いレコードを集めるのをライフワークにしている。ライフワーク?人生をかけての仕事、などというといささか大仰に過ぎるけれども、自分としてはそう大袈裟な話でもない。音楽がレコードとして販売されるようになっておよそ100年ほど。この100年の歴史と対面し、自分だけのレコード博物館を作るのに心血を注いでいるのだ。と、やはり大袈裟な話にはなるが、偏屈な趣味人の話としてどうかご笑覧いただきたい。

 およそあらゆる音楽を聞いてきた。ロック、ジャズ、カントリー、ヒップホップ、アヴァンギャルド等々。歌謡曲も民謡も好きだし、アンダーグラウンドとメインストリームの区別もない(と言いつつ、実はレゲエだけは少し苦手だったりするのだけれど)。聴いたことのないおもしろい音楽がどこかにあるのではないか、というワクワクがその基本的な動機になっている。そうして様々な音楽を聴くうちに、いわば自分の音楽地図ができあがっていく。しかしどこまでその地図を拡張していっても、まだまだ知らない未開の地がある。

 ところでインターネットとサブスクリプション・サービスの登場によって、そうした音楽の”ディグ”は、未開の地をほぼ整備してしまったかのようにも見える。ネット以降、世界中の音楽ディガーによる発掘と整備は加速度的に進行した。1980年代の日本のニューエイジ音楽が突然注目を浴びたり、あるいはシティポップ・バブルのような現象も起きた。無論、ネット上で配信されていない曲はごまんとあるわけだが、ネットを介した発掘作業により、あらゆる音楽が整然とリスト化されていく様子は、少し寂しい気もする。近い将来、リスニングの世界には未開の地などなくなってしまうのかもしれない。

 との感慨に耽っていた昨今。あるきっかけで全く未知なる異境を発見してしまった。それがアジアのヴィンテージ・ポップスの世界だ。レコード・ショップでたまたま目にしたのをきっかけに、まだ残されていたその秘境に魅了されてしまった。

Photo ©コバヤシトシマサ

 そもそもポップ・ミュージックは、主に20世紀のアメリカをその源流とした音楽文化だった。アメリカのポップスは長きに亘って世界中に伝播し、各地で様々な変異を遂げながら、いまもその生態系を維持している。ここ日本でもそうだし、日本以外のアジア各国でも事情は同じだ。インド、トルコ、タイ、中国、香港。あらゆる場所でポップミュージックは録音されてきた。アジアでも大量の流行歌が吹き込まれ、レコードとして流通してきたのだ。その総量を欧米と単純比較することはできないけれども、アジア圏のポップス文化は膨大と言っていい。

 かくしてそうした国々の音楽、特に古いものに魅了されるようになった。中でもトルコの音楽は特別に興味深い。どの国の音楽も、基本的には英米のポップスの影響を受けており、そこから独自に発展している。国によって言葉のイントネーションが異なり、そうした異国情緒も実に味わい深い。加えてジャケットもいい。英語表記がなく、歌い手や作曲者の名前を判別しづらいものが多いので、お店で買うときは試聴だけが唯一のガイドになるが、試聴できないお店ならば、ジャケットがその判断材料となる。これがまた実に楽しい。歌い手や演奏家の名前も判然としない音楽が山のようにあり、その山脈に踏み入って行くわけだ。

Photo ©コバヤシトシマサ

 ところで前述した通り、アジア各国のポピュラー・ソングは、基本的には西洋のポップスの影響を受けている。各地の伝統文化と西洋文化との折衷がたまらなくスリリングなのだが、しばしば考えることがある。例えば1960年代のインドや香港のレコードには“EMI製”のものも多い。EMIはイギリスのレコード会社で、かつてイギリスの植民地だった名残から、かの国にはその現地法人があったのだろう。そうした国における伝統文化と西洋文化の折衷を楽しむ“異国趣味”は、かのエドワード・サイードが指摘したところの“オリエンタリズム”にあたるのだろうか。サイードはパレスチナ系の批評家で、西洋文化を基準に東洋の異国風情を持て囃す態度を“オリエンタリズム”と定義し、そうした振る舞いが極めて植民地主義的なものだとして批判した。ごく素朴に異国情緒を楽しんでいるつもりでも、そこにはどうしたってそうした歴史的背景が含まれてしまう。たとえば笠置シヅ子のブギウギ歌謡は、ブギウギ特有のシャッフルのリズムが米国のそれに比べて非常に弱い。もともと舶来文化なので本国のようには演奏できなかったわけで、しかしそうしたギャップを楽しむ態度は、どこかサイードのいうオリエンタリズムと地続きとも思える。アジアの古いポップスを楽しむときに、そうした背景がないとは言いきれないのではないか。それが英米文化を絶対視する帝国主義とまでは言えないにしても……。

 おっと、元来の生真面目が出てしまった。話を戻そう。おすすめのアジア音楽はたくさんあるのだけれども、前述の通り、歌い手の名前など読めないものがほとんどで、詳しく紹介ができない。そこでいくつかの素晴らしいレコードのジャケットを掲載して、本稿の締めくくりとしよう。この手のジャンルも一部の好事家によってすでに目が付けられており、ものによってはプレミア価格が付けられているが、まだほとんどが安価に購入できる。この手のジャンルを探すなら、東京は御茶ノ水のディスクユニオンがおすすめ。アジアものがけっこうまとまっており、売れ残りは均一コーナーに移されることも多いので、運がよければお手頃価格で入手することも可能だ。この店の均一コーナーで、手あたり次第にアジアものをディグしている中年がいたら、それは筆者である可能性が非常に高い。ごきげんよう!

Photo ©コバヤシトシマサコバヤシトシマサ Toshimasa Kobayashi
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会社員(システムエンジニア)。