ミナミリョウヘイがソロ・エキシビション「PaRoooLE」を東京・西麻布 CALM & PUNK GALLERYにて開催 ナマスコワンツのパフォーマンスも


 ダンサー、音楽家としてパフォーミングアーツ・コレクティヴ「ANTIBODIES Collective」や、PPTVとの音楽デュオ・ナマスコワンツなどでも活動する現代美術家・ミナミリョウヘイが、ソロ・エキシビション「PaRoooLE」を東京・西麻布 CALM & PUNK GALLERYにて6月16日(金)から7月9日(日)まで開催。

 野々上聡人とのユニット「蚤」では初のエキシビション「ケヌンニアン・プロテピカ」を昨年5月から6月にかけて大阪・粉浜 art gallery opaltimesにて開催して話題となったミナミ。個展「PaRoooLE」には、新作を含む絵画、立体作品、映像、音響装置、インスタレーションが出展されます。また同展内では、ミナミの変名音楽プロジェクト・民族Mの初音源CDを自身が主宰するレーベル「A NiCE FORM」より先行リリース。なお会期中の7月8日(土)には、“音と身体の遊泳”をテーマにしたナマスコワンツのパフォーマンスも実施されます。

言語学に於いて、ある一定の言語集団の中で成立し共有する言語の体系を『ラング』という。(国語あるいは母語のこと)
その言語運用における、一人一人の実際の喋り方や発話の癖、リズム、言語感覚など、生理的・心理的なパーソナルな偏りを『パロール』または『スティル』という。
それに対し、言語活動の第三の層として哲学者・記号学者・批評家のロラン・バルトが提出した「エクリチュール」という概念がある。
これはとりあえず基本となるのは、社会的・集団的に規定された言葉の使い方のことである。例えば、友達といる時、ヤンキーの集会、ビジネス業界、相撲部屋など場や関係に応じた言葉使いや振る舞いのグルーヴのようなもので無意識に属して縛られてしまう共同現象。さらに言語運用に準じて、表情、感情表現、服装、髪型、身のこなし、生活習慣、さらには政治イデオロギー、信教、死生観、宇宙観にいたるまで影響する特性があることにより、私たちは「自分が選択したエクリチュール」の虜囚となるとバルトは言う。(内田樹著:『寝ながら学べる構造主義 第四章――バルトと「零度の記号」』参照』)
文芸評論に於いてバルトは、作品の意味を作者の人格や思想に帰着させるのではなく、多様なエクリチュールによる多元的な「織物」(テクスト)であると表現した。
また、フランス現代思想家のジャック・デリダのニュアンスでは、エクリチュールはとりあえずは「書く」ことを意味する。それを異常に歪曲・拡張させ、我々の人生とか、我々を取囲む世界とかの「現実」は、書かれたものとしての「テクスト」(織物)であり、我々が存在することは「テクストの織り出し」であるという。ものの本体は見えず、世界はものの痕跡から成り立っているというのがデリダ思想のエッセンスのようである。(井筒俊彦著:『意味の深みへ II – 四 「書く」――デリダのエクリチュール論に因んで』参照)
これを踏まえると、私たちは言語に限らず生涯否応なく無意識的に様々なエクリチュールに所属していることになるが、自分のテクストがどのような質感の「織り出し」になるのかを感覚し、それを濾過して煮詰めて結晶化させたものを芸術と呼んでいるのかもしれない。
僕は前々からあらゆる作品に対してこの「織り出し」のような感覚の質感を感知していて異常にフォーカスしている、作者の意図する内容や付随させた意味よりも言葉にすると劣化してしまうような「感覚する何かの質感」に具体的な触り心地を感じていた。
僕は日常的に絵画・立体・映像・音・写真など対象に見境なく制作するのだが、作品にはコンセプトが殆ど無いと言ってもいいくらい演繹的な意図や内容という類のこだわりを持っていない。
作品の言語化は、刺身を電子レンジでチンしたかのような「何か」が劣化してしまうある種の勿体無さを感じていて、作品自体が放つ雰囲気の質感に対する本質的な帰納的興味にのみ強いこだわりがある。
これがまさに「テクストの織り出し」の質感のことであり、作品と鑑賞者が共鳴する感覚の位相を知覚し合うことで普遍的な「説明」が省かれた具体性を憑依させないスライムのような新たなコモンセンス(共通感覚)が発祥すると思っている。
万華鏡のような相互のエクリチュールは常に意志を越境も反転も解体もしていき即興的な熱を育み対話していく。
この「織り出し」を知覚し合うコモンセンスの「ゾーン」は、ある種の非空間的コミュニティーの「場」と呼べるのかもしれない。
そこでは書いても書いても固定した内容を持たない無数の物語が常に変化し現象している。
僕が作り出す空間には絵画・立体・映像・音・写真・照明灯・既製品・ゴミなど様々な要素が渾然一体となり雰囲気というキャラを演出している一方、相互のエクリチュールがもたらす非空間的コミュニティーの「場」にアクセスする装置となることを望んでいる。その「場」を深くディグして「場」の波動でただただスイムする。そこでの接続はエクリチュールを遊泳させ、新たな泳法へとフロウしていく。そしてフィジカルへと電波したフロウの残響が表現行為として現象したその質感は固有のパロールとして立ち上がる。
つまり、エクリチュールの遊泳とはパロールへと導くセレモニーであり、様々なセレモニーを通過してきた今現在の僕のパロールがここにある。

――ミナミリョウヘイ

ミナミリョウヘイ 個展
PaRoooLE

2023年6月16日(金)-7月9日(日)
東京 西麻布 CALM & PUNK GALLERY
13:00-19:00

※ 日-火休廊 | 最終日曜 開廊

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