THEE MARLOES Japan Tour 直前対談
来日ツアーに先立って10月18日(金)に実施されるTHEE MARLOESとのトーク・セッションで、それぞれの答え合わせも出来るといいな、と思っています。
進行 | DJ HOLIDAY | 2024年10月
文 | COTTON DOPE(WDsounds | Riverside Reading Club)
――おふたりが最初に会われたのって、宮田さんがチカーノ・ソウルのトーク・ショウを神田のmoonshine(現在は閉店)でやったときですよね。道田さんがあまり内容の説明もないままなのに「やりましょう!」ってやらせてくれて(笑)。あれ楽しかったですよね。
宮田 「あのときフィルム流しましたっけ?」
――宮田さんのドキュメンタリー『Our Man in Tokyo (The Ballad of Shin Miyata)』を流しました。あれが何年くらいですか?
宮田 「2017年じゃないですか?コロナ前ですよね」
道田 「5年は神田にいて、去年の1月であそこが終わったんで、2018年くらいですね。moonshineの1発目の音楽のイベントをやりたいって相談させてもらって。チカーノ・ソウルっていうジャンルもそんなにわからなかったんで。けっこうパワーワードじゃないですか、チカーノ・ソウルって。チカーノに対してもいろんなイメージあるし、ソウルに対してもすごくいろんなイメージある中で、チカーノ・ソウルってどんなもんなんだろう?ってそこから調べて、超楽しそうってなった記憶があります」
宮田 「まだあの頃は言葉だけが先行している感じで、どういうものかっていう知識はまだあまり入ってなかったのかもわからないですね」
――あの時期いくつか宮田さんとイベントを企画したじゃないですか、その中でも特に印象に残ってる回です。来てくれていた人とかも含めて、けっこう全てを鮮明に覚えてる。みんなが「チカーノ・ソウルとは?」みたいな時期で。
道田 「みんな探り探りで」
宮田 「まだルーベン・モリーナさんの本(『チカーノ・ソウル~アメリカ文化に秘められたもうひとつの音楽史』2020, THOUSANDS OF BOOKS)もできていなかったから」
道田 「宮田さんはそのときはもう晴れ豆(東京・代官山 晴れたら空に豆まいて)はやってました?」
宮田 「やってましたね」
――あの頃moonshineでいくつかパーティがあって、自分とかも時々レコードをかけさせてもらったりしていたんですが、その中でSUARA DISKOってインドネシアのディスコ・チームが来るっていうのがあって。あれはどういう経緯で?
道田 「あれはもともとすごく仲の良いレオ(Leonard Theosabrata)っていう、インドネシアでカルチャーを牽引している、ビジネスマンでもありカルチャーのオリジネーターでもある友達がいて。インドネシアって(本当の意味での)軍事政権が解けて30年くらいのまだ若い国で、今の40代後半、50代くらいの人たち、教育方針として割とグローバルに向けたかった親がいる人たちって、みんな(国の未来を見据えて)子供を国外に出していて。そういうジェネレーションの一番最初がレオたちなんですけど。サンフランシスコでプロダクト・デザインの学校に通っていて、さらに2000年代前半、BANDAIの何かのアウォードを取って日本に半年インターンで日本に住むっていう経験をしていた人で。世界を見ながら、これから来る新興国の自分の国を見つつ、日本のあの頃のエディトリアル文化の急激な発展を見ながらバランスよく学んでいた友達なんです。moonshineをやるとなって、バー・カウンターをプレゼントしてくれて。50年くらい使っていたインドネシアの漁船を解体して、乾かした木材を使って作ってくれたっていう縁があって。1発目のパーティをやるんだったら、インドネシアのクルーを全員連れて行くって話になって、SUARA DISKOが当時インドネシアで一番イケイケで、彼らを連れて行くってなって。日本側も本気で対抗しないとな、と思って今里さんに声をかけさせてもらいました。海外のアーティストを招聘してやったのは1発目だったんですよね。あれは延べ200人くらい。ちなみにインドネシアの歌姫・Andien(Aisyah Hariadihttps://www.instagram.com/andienaisyah/)も来て、マイクを持って歌ってくれて」
宮田 「入っちゃったんですか?」
道田 「入ってはない(笑)」
宮田 「3フロアくらいありましたよね。屋上もあって」
道田 「すごく自由にやらせてもらって。東京中の早耳インドネシア人全員集合みたいな。わざわざインドネシアから来てくれた人もいて。8対2くらいでしたよね」
――9対1じゃないかな(笑)。ほぼインドネシアの人しかいなくて。以前宮田さんのトークショウをやったりした2FのスペースにDJブースが置いてあったんですけど、階段とかにも人が溢れていて、でも階段だからって休憩してる感じじゃなくて、階段で音楽を聴いて盛り上がってるっていう。建物まるごと盛り上がってるみたいな感じですごかったんですよね。あと、みんなが知っている曲はみんなで歌いまくるっていう(笑)。雰囲気がめちゃくちゃ良くて。全員が楽しんでいて、リトル・ジャカルタみたいな。どんな音楽がかかってたって言えばいいのかな?
道田 「ディスコではありますよね。一番覚えてると思うんですけど、SADEの“Smooth Operator”がタガログ語でかかったみたいな(笑)。なんか良かったっていうところは、“ナイトライフ”が体現されていて。ウンチクどうこうじゃなくて、空気を楽しく支配するDJがいて。インドネシアの人たちも“DJ HOLIDAY”っていう情報はわからないと思うんですけど、かける曲だったり、レコードを乗せるとブースを見に来たりとか。演者に対してリスペクトがある。“どんな曲かかるんだろう?”とか“これ、知ってる”とか、ピュアにナイトライフがそこにありました。神田でインドネシアみたいな(笑)。すごくおもしろかったですよね」
――SUARA DISKO周辺の子で、もともとハードコア・パンクが大好きで、その後スキンヘッズになって、今はレゲエ大好きっていう人も一緒に来ていて。その子とか、昔のSFPとABRAHAM CROSSとのスプリット7"を持って来てくれていて、DJもすごく喜んでくれて。そういうのもありつつなんだけど、先入観なしにとてもフラットに楽しんでいて。勝手にインドネシアの人たちにすごく親しみを覚えたというか。
宮田 「東京にインドネシアの人が固まって住んでいるところってあるんですか?あまり、どこに固まって住んでいるとかが見えないんですよね」
道田 「エリアとしてはないんですよ。強いていうなら目黒周辺で、大使館もあるし、インドネシアの学校もあるんですけど。インドネシアって都市部と郊外があるんで、郊外からジャカルタに出る、みたいな。他の国に行くほど飢えていないのかもしれないですね。島国なんで日本に似ているかもしれない。ちょっと統計とか取ってないんでわからないですけど」
――インドネシアに行ったことがないので、日本に来ているインドネシアの人たちからのイメージしか持っていないんだけど、向こうはどういう感じですか?
道田 「さっき言っていた神田のナイトに近いんですけど、フラットなイメージがあって。自分で紐解くと、あの周辺で唯一のオランダ領だったっていうことがものすごく影響していて。オランダってヨーロッパの中でも薄いじゃないですか(笑)。薄さがニュートラルなバランスを育んできたんじゃないかと思っていて。今里さんに教えてもらった、“ハードコア・パンクがすごく盛んだ”とか“パンクスが多い”とか、“みんなVespa乗ってる”みたいな文化もあれば、全然ハウスばかりかかっているっていう富裕層のクラブもあるし、タイほどじゃないけどヒップホップのカルチャーもあるし。東京っぽい、なんでもあるみたいな。遊び場もいっぱいある。何が一番イケてるみたいなのではない、フラットなシーンだなと思っていて」
――みんな自由に行き来している?
道田 「どうでしょうね。ジャカルタしか知らないから。東京しか知らないみたいな感じですので。もう少し別の都市に行くといろいろあるのかもしれないですよね。割合的には世界で一番ムスリムが多いんですけど、バリ島ってヒンドゥーなんですよ。それでジャカルタを中心に、インドネシア全土に中華系も来ているので、宗教的な背景はエリア毎にあるかもしれないですね」
――宗教上の理由で、アルコールを提供できないクラブとかライヴハウスが多かったりするのかな、とか思って。
道田 「うーん。マレーシアのほうが多いですね。感覚知としては。アルコールの販売も、夜10時以降はコンビニとかで売れないし、そもそも飲食店に置いていないところも多いんですけど、インドネシアでビールが飲めなかったことはない感じ」
――それは観光客だからなのかな?地元の人たちは?
道田 「めっちゃ飲んでますよ(笑)。仲の良い友人の家にも泊りに行ったことあるんですよ。すごく敬虔なイスラム教徒の家庭なんですけど、私はビールを飲んで、彼らは飲まないんですけど、何も言われなかったですね。“どうぞ、飲んで”みたいな感じだから。飲めないんじゃなくて飲まない、っていう感覚があるんだと思って。当時9.11の後だったから(今となっては恥ずかしいですが、当時はイスラム教に対して無知なだけに底知れぬ)ネガティヴなイメージがあったんですけど、その人たちに教えてもらったのは、“1日5回太陽に向かってありがとうって祈るだけだから”って。ラマダンも、“飢えるっていう感覚を忘れないようにやってるだけだからね”って。すごく腑に落ちて。けっこうインディペンデントな、地に足ついた、“生きていることに感謝する”っていう教えなんじゃないかなって思った。ニュートラルな人たちでした」
――何かを律するというのではなくて。
道田 「批判もしないし。敬虔なイスラム教徒の家でずっとビール飲んでました(笑)」
――個人の選択が尊重されてる?
道田 「ちゃんと他者に対してリスペクトがある人たちなんだと思います」
宮田 「THEE MARLOESのライナーでインタビューしたときも、そういうこと書いていて、新作を作っているときに夜中ずっとウィスキーを飲んでいて、(Sinatrya)Dharakaはムスリムだし、ヴォーカルのNatassya(Sianturi)はクリスチャンなんですよ。でもバンドの中で何か問題が起きるわけじゃないし。宗教が違うもなにも、だいたい他人が何の宗教かも気にしない。異なる人たちがうまく競合していくみたいな、“gotong royong ゴトン・ロヨン”って文化があるみたいですね。区別差別みたいなものを乗り越える道徳心、みたいな文化が」
――ジャカルタには、昔からの洋服屋さんとかレコード屋さんとかもある?
道田 「昔からのお店を残そうとする動きがあって。サリナ・モール(Sarinah)っていう国営系の百貨店があって、40年とか経っていると思うんですけど。それこそさっきのレオがプロデュースしてフル・リノベーションしたんですけど、それが素晴らしくて。“百貨店”って百貨、100のコンテンツがある館のことを指すんですけど、全フロア、メイド・イン・インドネシアなんですよ。普通の百貨店みたいに1階に平場があって、化粧品売り場があって2階がレディース、3階がメンズみたいな、ああいう建て付けそのままに、“コンテンツが全部インドネシア”っていうのを改めてやったり、その過程で、ある潰れかけていたレーベルをその企画でサポートして、音楽フロアにはそこのレコード屋さんが入っていたり」
――それはインドネシアのレーベル?
道田 「そうです。あとは籠編みとか銀細工とか、マーケットで買うようなものを上階のほうにマーケット・プライスそのままで持っていったりとか。地元の人たちも楽しめるし、観光客もそこに行けば全部見られるみたいな。仕事柄、わりと世界中のマーケットをよく見るんですけど、世界で一番最新のコンセプトなんじゃないか、ってすごく感動したんですよね」
――大きさでいうと?
道田 「西武渋谷店A館全部みたいな」
――場所的には?
道田 「もうど真ん中です。渋谷西武(笑) 。日本大使館もすごく近いですし」
――みんな音楽って何で聴いてるのかな?
宮田 「そこ知りたいですよね。ラジオなのか、何なのか。インターネットなのか」
道田 「2017~18年もうちょい前からかな、例えばWhiteboard Journal(https://www.whiteboardjournal.com/)っていうメディアがあって。ライフスタイルのコンテンツを扱いながら、ファッションとかいろんなことをやりつつ、そこにプレイリストを付けるみたいなオンライン・メディアがワーって流行ったりしてたんで。基本的には“固定電話より先に携帯持っちゃった”みたいな世代なので、主にはインターネットなんですけど。例えばディーター・ラムスみたいな、往年のデザイン・ドリヴンでJBLとかをカスタマイズする、移住したオランダ人とかもけっこういる。モールでポップアップをやっていたりするんですけど、フィジカルとデジタルが、世代なんでしょうけど、どっちもあって。彼らがやっているBrightspot Marketっていうフェスティヴァルは3日間で8万人くらい来る。デザインから飲食からファッションから音楽からみたいなブースでも、レコード屋さんっていっぱい出てるんで。インスタとかでもみんながディグってる映像はたくさん出てくるので、アナログに対する欲求はすごくあるっぽいですよね」
宮田 「メンバーは、スラバヤのレコード屋さんはつまんないけどって言ってましたね(笑)」
――彼らが欲しいような類のレコードが無いからつまんない、ってことなんですかね?
宮田 「でしょうね。インポートされてるものがあまり手に入らないみたいですよ」
――ローカルの音楽はあまり人気がないっていうことですか?
宮田 「そういうことではないと思うんですけど、今回来るはずだったFEEVERっていうジャカルタのディスコ・グループのDJプレイを見ていると、レゲエとか、我々と同じ感覚だと思うんですけど。レコードはDiscogsとかeBayで集めたんじゃないかな。何が流行ってるとか、持ってなきゃいけないっていう情報は、はっきり言って僕ら以上に持っていると思いますね。見ていると、ラテンとかもすご良いのかけてるんで。アメリカのラテンDJが必ず持っていなきゃいけないようなものを全部かけてるんです。だからフィジカルなものに対する欲求というか、センスがめちゃくちゃいいんですよね」
――欲しいレコードをインドネシアの人が持っていたりすると、希望がレコードとスクーターの部品とのトレードだったりとかもあるんですよ。「これ欲しいか?こういうのある?」って。とにかく詳しいなっていう。
宮田 「めちゃくちゃ詳しいですよ。あれなんなんですかね。ディグする感覚、すごく勉強熱心な感じがして。素晴らしいですよね」
――国外に目当ての物がある、っていう感覚が日本より強いのかなって。「インドネシアにはこれないんだよね」みたいな。それをどこで手に入れてるのか、どうやって知ったのか、それをどう楽しんでるのかをすごく知りたい。
宮田 「これはYouTubeとかを観たりしての推測ですけど、仲間意識がすごく強いですよね。バイクなんかもみんなめちゃくちゃ集団で走っているじゃないですか。Vespaって2サイクルだから集団で走るとすごい煙が出るんですよ。後ろのやつ辛いと思うんですよ。オイルも飛ぶし(笑)。オフロード・バイクもみんなで楽しんでいるんですよね。音楽を聴くのもそういう共通の仲間がいて、コレクターが集まって情報が行き来してて、おもしろいもの、良いものが共有されてるんじゃないかなって思うんですよ」
道田 「インクルーシヴなんだと思います。国の発展するドライヴがかかった時期が、アナログからデジタルの狭間で2000年代からなんで、あんまり引きずるものがなくて。日本だと2000年問題とかあってめちゃくちゃ怖がっていたじゃないですか(笑)。だから我々みたいな世代でも新しいものに対して怖がらないというか、情報経路がいきなりバッと発展したからこそ、受け入れる体制がすごくシンプルになるというか。良いものは良い、というか。日本みたいに利権ばかり抱え込むカルチャーおじさんたちが、まだあまりいないんじゃないですか(笑)?」
宮田 「まだ権威化されてない感じがしますよね。みんなが自由に好きなものをかけてる感じがあって、それがすごい良いっすよね」
道田 「あとはコストがかからないことで、別の視点から行くとスタートアップってすごく多いんですよ。挑戦しやすい世の中っていうのがあるんでしょうね」
――国としての平均年齢も若いんですよね。
道田 「人口統計で言うと、2030年に30代が一番多くなる。しかも人口としては世界第4位なんで」
――どうやっていろんな情報を得てるのかって。例えばコンビニとかで売ってるような雑誌があるのか、とか。
道田 「紙媒体はあまりなくって。2010年代とかに、本当にそれこそグローバル・メディアがどんどん進出したんですよ。海外投資規制(Foreign Direct Investment)っていうのがあって、会社を海外の資本だけじゃ作れなくて、パートナーのインドネシア人が何%か持ってないと作れないんですけど、2010年代くらいにパーセンテージがぐぐっと下がったんですよ。その機会にH & MとかUNIQLOとかが入っていって。丸亀製麺とか」
宮田 「来たんですね。グローバリゼーションが」
道田 「その時期にNYLONとかI-Dとかがガーって入っていったんですけど、ほぼ今は皆無ですね」
――現地の人は、何で情報を得てるの?
道田 「基本は SNS。SNSと、めちゃくちゃフィジカルなアナログのイベントの2本立て」
――仙人掌との対談でも、情報は主にSNSからっていうのは出てきましたよね。(https://ave-cornerprinting.com/shin-miyata-senninsho-05152023/)
道田 「ジャカルタに行くといろんなところに連れて行ってもらうんですけど、そこで“あれ聴いた?”とか“今度あれがあるよ”っていうリアルな場で情報を交換していますね。発信するオリジネーターたちは。一晩で4軒も5軒も行くんですよ」
宮田 「THEE MARLOESって、自分が最初にコンタクトをとった去年の春は誰も知らないんですよ。どこにも呼ばれていないし。去年アルバム作っている最中に何回かライヴをやっているんですけど、フェスの端のほうでやってるみたいな。お客さんもそんなにいない感じだったんですよ。ところが今回夏にアルバムを出してから、あっという間に、すごい勢いで広がってるんですよ。なんでこんなにって。この間もSUNDAYS BESTにインドネシアの男の子たちが服を買いに来たのに、THEE MARLOESのポスターが飾ってあって大騒ぎになっていたらしいですよ(笑)。えー!みたいな感じ。それくらい広まっているんです。今は毎週のようにイベントに出ているみたいですよ。忙しいみたいですね。みんなが共有するスピードがめちゃくちゃ日本より早いんだと思います」
道田 「早いと思います」
――「Big Crown Records」はどうやってTHEE MARLOESを見付けたんですかね?
宮田 「彼らが音を送ったんですよね。まさかこんな大きな話になるとは思わなかったみたいですけど」
――宮田さんがコンタクトしたときは、もうBig Crownからのリリースは決まっていたんですか?
宮田 「シングルをBig Crownが出して、聴いた瞬間にこれはやばいと思って、インタビューさせてもらって。どこよりも早くインタビュー記事を載っけちゃって(笑)。彼らもたぶんびっくりしたと思いますね。あっという間に世界的にも人気が出始めたんですけど。でも、インドネシアでの知名度はまだまだでしたね」
道田 「私の友達もまだ知らなかったですね。たぶん逆輸入的に凱旋でジャカルタでやるんでしょうね。SUARA DISKOは繋がってました」
宮田 「ついこの間ジャカルタでTHEE MARLOESが大きなフェスに出ていたんですよね」
道田 「そこでSUARA DISKOと一緒にやっていましたよね。いろんな興行主がいて、フェスがいろいろやっているんですよね」
宮田 「ジャカルタには有名なジャズ・フェスもありますし」
道田 「K-POPのアーティストもよく出ていますよね」
――THEE MARLOESのバックグラウンドってどういうところなんですかね。メンバーの複合的な環境というか。
宮田 「すごくそれは気になっていたことなので、ライナーを作る際にジャカルタとスラバヤの違いを聞いて。スラバヤは自然がすごく近いところにあるところなのでビーチ文化がある、とか。ビーチ文化でよくありがちじゃないですか、メロウなものを作るって(笑)。そうやって聞いたら、“そういうことは意識したことない、違うと思う。でもおもしろい考察ね”っていうのが向こうから来た返事だったんですよね」
道田 「なんか変な話、お母さんがスタイリストをやっていて、有名なバンドに付いてメイクをやっていたっていう逸話とかがありそうなくらい、完成度高いですよね」
宮田 「今回はサウンド的に言えば、チカーノ音楽に出会ったのが大きい。最初にTHEE MIDNITERS。THEE MARLOESの名前はそこから来てる。たぶんインターネットを経由して、THEE MIDNITERSのガレージロックからスウィートソウルまでやるサウンドに影響を受けたっていうのと、ローライダー・ミュージック、ローライダーの人たちが聴く音楽の中でRalfi Paganのスウィートなラテン・ソウルを聴いて、ものすごい影響を受けたらしいんですよ。インターネットを経由してだと思うんですけど、向こうではそういうのは手に入らないって言ってたんで。その部分はインドネシアの中でもいち早くそいういうものを見つけたっていうところなんじゃないですかね。インタビューによるとローライダーはジャワ島にはいるらしいです。Kid Frostとか聴いているチカーノ・ヒップホップ好きの連中がいるという話です。そういうのが入ったものが彼らのところに良いかたちで伝わって。もともとレゲエとかハードコアも好きだから、そのあたりの感覚もわかったんじゃないすか?、すぐにね。あともうひとつおもしろいのは、ヴォーカルが女性じゃないですか。スラバヤにはコーヒー屋さんがいっぱいあるんですよ。ちっちゃな。Warkopって言うんですけど。そこに行ってのんびりするのが好きだって彼女は言っているんですよ。そういうカルチャー」
道田 「たしかに。たしかにそうかも」
宮田 「夜、友達と一緒に行って、そこで一晩中コーヒーを飲める。それ行ってみたいなと思うんですよね。調べると写真がいっぱい出てくるんですよ。街角の、個人が経営してるような5~6人しか入れない喫茶店みたいなところなんですよ」
道田 「それで言うと、パリに近いんですよ」
宮田 「カフェ文化ですか?」
道田 「そうですそうです。おっしゃる通りインドネシアってコーヒーの産地だし、ジャワティーに代表される茶葉の産地でもあって、お茶を介して時間を共有するっていうのは場としてすごくある」
宮田 「特にクリスチャンの女性だったらそういうの強いかもわからないですよね。酒じゃなくてカフェだったかも」
――やばい(笑)。
宮田 「あと彼女が熱心なクリスチャンの家でゴスペルに子供の頃から参加していたっていうのも、このバンドの特徴の一番大きなところのひとつでもある。ピーター・バラカンさんは一番最初にそこに目をつけたんで。ヴォーカルがゴスペルだって。なるほど。俺全然わからなかったですけどね」
道田 「すごく自分なりに解釈してるということですよね」
宮田 「あとはコーラスですよね。コーラス文化っていうか、それもすごく活かしていると思うんで。あと楽器の演奏がめちゃくちゃうまいんですよ。たぶん、めちゃめちゃいろんなミュージシャンを追っかけているんだろうな、と感じます」
道田 「その話も乗っかっていいですか(笑)?インドネシア人って英語がめちゃくちゃうまいんですよ。耳なんですよ」
宮田 「耳が良い!なるほど、やばいなそれは」
道田 「日本って恵まれ過ぎていて、何でも和訳があるけど、そのまま手に入った子たちはそのまま受け取るしかないから。そのまま聞くから。何のエデュケーションもないのに英語を話せる子がめちゃくちゃ多いんですよ。たびんそういうのもあるかもしれない」
宮田 「学校では英語をちゃんと学ぶ、ってインタビューに書いてあったし。あとおもしろいことを言っていたのは、いろんな機械とかの説明書が全部英語なんですって。英語か日本語。だから英語がわからないと何もわからないらしくて、“僕らは機械の説明書で英語を覚えた”って言ってるいんですよね」
COTTON DOPE 「島によってもそれぞれ言葉が違うんですよね」
道田 「違います。だから公用語がほぼ英語になってるっていうのも大きいかもしれないですね。オランダ語は残っていないんですけど、現地の言葉をローマ字にするとcoffeeがkoffeeだったり、そこらへんは残ってるけど」
宮田 「僕よくひとりで、Google Mapでスラバヤの街をストリートビューで追っかけているんですけど(笑)、正直に言うと一番の繁華街のところにもオランダの影響のある建物が残っているんですよ。ホテルでも。脇のほうの路地に入ると、バラック小屋があったり、あまり豊かではないんですよね。高級住宅地もあるんですけど」
道田 「ジャカルタもそうですよ。Four Seasonsのレジデンスとか持っている人のところにいくと、1階からラウンジがあってワイン庫があって、Opus Oneのワインを年代ごとに並べてたり。エレベーターも62階とかまでなんですけど、その隣の川沿いには川に住んでる人がいて。ジャカルタで貧しい人が一番きつい、って聞きます」
宮田 「ある意味、高度経済成長をやっているときの日本に似ているかもしれないですよね。あの頃は海外のものにはすぐに飛びついていったし。変なバイアスも聞かないで飛びついて、現地に行けるやつは行っちゃったりしていたじゃないですか」
道田 「渋谷系のサウンドにもちょっと通ずるのがおもしろいと思って。いなたいクラシックな感じじゃないですか。日本からも影響を受けていると思うんですけど、たぶん現在の音楽の影響を受けた子たちがデビューするのって、20年後くらいなのかなと思っていて。彼らが影響を受けてきたのは、チカーノ・ソウルだったりシティポップだったり……」
宮田 「山下達郎も好きって書いてますね」
道田 「新興国でちょっと熟成させて自分でアウトプットするのって3~40年かかるんだろうなって思っていて、それでようやくこういうスタイルが出てきて。ちゃんとベーシックな教養というか、圧倒的なインプットがあると、こうやって世界に認められる人たちが出てくるんだろうなって。そこに“懐かしさ”があるのがすごくおもしろくて」
宮田 「たぶん懐かしさの部分はインドネシアの言葉で歌を歌っているのがあると思うんです。ライナーに書いてあるんですけど、“自分たちは伝統音楽とか伝統楽器を弾くことができない。でも、インドネシア人としての誇り。僕らがソウルとかロックやっても真似してもしょうがない。僕らの誇りはインドネシア人としての言葉で歌うことだから、半分はそうしたかった”って」
――それ、宮田さんが紹介している音楽に共通してるものでもありますよね。自分たちのルーツの言葉を使う、みたいなの。
宮田 「そうですよね。自分たちのローカリズムを加味させるっていうのはすごく良いですよね。ある意味ワールド・ミュージックであり、シティポップ的な感覚もあるし。いい位置に彼らは存在してるんじゃないかと思っています。誰でもが飛びついていくことができる」
道田 「誰でも踊れますしね。女の子だってキュンとしちゃうところもあるし」
――メンバーの方々の、日本に対するイメージはどうなんですかね?
宮田 「2回くらい来たことあるみたい。レコード・オタクなんで、今回も“いつレコード屋いくんだ?”って(笑)」
道田 「正しい情報をインプットしてあげたいですね」
宮田 「たぶん、探してるものは同じだと思うんですよ。レアグルーヴ。全体的なレアグルーヴ」
――ギターの人はスキンヘッド・レゲエのバンドをやっていたりとか、セレクターでもあるじゃないですか。けっこう感覚が似ているというか。
宮田 「18日に公開インタビューをやるときに、その話を聞いてほしいんですよ。なんでメロウなものに行ったのかっていう。何に共感できたのか、って知りたいですよね」
――絶対に理由はひとつじゃないじゃないですか。いろんな要素が混ざってるんだろうな、みたいな。夜、カフェで友達とおしゃべりすることとかも影響していたり。
宮田 「スラバヤの仲間みたいなそういうところも。たくさんのミュージシャンが参加しているんだけど、自分たちのローカルの仲間なんですよね。みんなクラシックから今の音楽までできる人たちだって。レコーディングもスラバヤだけでやってるところがすごいなと」
道田 「スタジオって自分たちで建てたんですか?」
宮田 「よくわからないんですけどスラバヤにあるスタジオで録ったみたいです。今は自分たちのスタジオみたいなのがあると思うんですけど」
――Studio Pelikan。
宮田 「録音したところはちゃんとしたスタジオだと思うんですけど。ここまでのクオリティのも作れるって」
――MVを観たら、Studio Pelikanの機材にTrojan Recordsのでかいステッカーが貼ってあって(笑)。
宮田 「スタジオを使っているのはハードコアのバンドが多いって言ってました」
――メンバーの音楽的なバックグラウンドも、それぞれに聞きたいですよね。
宮田 「今回メンバーは3人だけなんで、付随するベーシストとコンガ・プレイヤーが一緒に。スラバヤのセッションしている仲間みたいですよ」
――ヴォーカルのかたもどういう音楽が好きなのか知りたいです。めちゃくちゃオシャレだし。
宮田 「Stevie Wonderが好きとかも言ってましたね」
COTTON DOPE 「歌詞に“SADEのSweetest Tabooをくちずさむ”みたいな」
宮田 「SADEは世界的にチカーノの中では大変な人気になってる。レコードがすごく高くなってます」
――最後に、今回のツアーに関して伝えたいことをお願いします。
宮田 「Joe Bataanから続いてるので、Joe Bataanにも聴かせたんですよ。THEE MARLOESがJoe Bataanの大ファンで、“Ordinary Guy”をカヴァーしているんですよ。でもそのカヴァはあまりうまくないんですよ(笑)。THEE MARLOESが、“Joeに自分たちのことを言ってほしい、日本でやるからシャウトアウトしてほしい”って。好きじゃないのにお願いするのは嫌だし、いつも車で移動してたんで、Joeに車の中で聴かせたんですよ。そうしたら“これはいい、アプローチが変わってる”って。“CD持ってるのか?欲しい”って言われて、あげましたよね(笑)」
道田 「それこそ東京で新旧を繋いでくことができるのが宮田さんしかいない」
宮田 「演出してください(笑)」
道田 「そういうひとつひとつが価値のあることなんで。東京じゃなかったら、JoeもTHEE MARLOESを聴かなかったりしたかもしれないですよね。東京って西洋の人からしたら魔法の街じゃないですか」
宮田 「Joeの頭の中では,東京でやったバンドでアジア・ツアーをやりたいっていう」
道田 「それは手伝いますね」
宮田 「THEE MARLOESを聴かせたときにどこを走っていたかっていうと、Joeはアメ横が大好きで来日する度に連れて行くのですが、御徒町から六本木に戻る途中に聴かせたの。アジアの街を感じる場所でインドネシアの音楽がどう結びつくのかっていうのを、自身もアジア系(父親がフィリピン人)で、そのことに対する意識がとても高い、そして頭もとても良くて、自分が他のアジアの国に知られ始めていることにとても興味を持っているんです。とにかくJoe Bataanが好きでこの間の来日公演に来てくれた人も、今回THEE MARLOESを観に来てほしいですね。幅広くいろんな人に来てほしいなって思っています」
MUSIC CAMP, Inc. Official Site | https://www.m-camp.net/
moonshine cultural boutique Official Site | https://www.mcbtokyo.com/
Lefts, Official Site | https://www.lefts.tokyo/
■ THEE MARLOES Japan Tour
まるでチカーノ・ソウルのような甘いサウンド!
ボビー・オローサ、ブレインストーリーに続いて人気ビッグ・クラウンが贈る、
インドネシア発衝撃のメロウR&Bバンド、ジ・マーローズ、ジャパン・ツアー決定!
今回は地元演奏家2名も加えての5名で来日します。
| THEE MARLOESS
Sinatrya Dharaka (g) / Natassya Sianturi (vo, key) / Tommy Satwick (dr)
w/ Rhesa Filbert (b) / Sandy Kusuma Ridi (per)
| 2024年10月18日(金)
"THEE MARLOES Welcome Party"
東京 代官山 晴れたら空に豆まいて
開場 19:00 / インタビュー開始 20:30
予約 / 当日 1,000円(税込 / 別途ドリンク代)
http://haremame.com/schedule/78117/
[DJ]
DJ HOLIDAY / TRASMUNDO DJs
ほか
[MC]
宮田 信 (MUSIC CAMP, Inc. | BARRIO GOLD RECORDS)
| 2024年10月19日(土)
"Peter Barakan's LIVE MAGIC!"
東京 恵比寿ガーデンプレイス
https://www.livemagic.jp/
| 2024年10月20日(日)
東京 代官山 晴れたら空に豆まいて
開場 18:00 / 開演 19:30
予約 6,800円 / 当日 7,300円(税込 / 別途ドリンク代)
http://haremame.com/schedule/77538/
[Live]
THEE MARLOES
[DJ]
DJ HOLIDAY / TRASMUNDO DJs
[Special Guest DJ]
Ruben Molina (友情出演 | Los Angeles, California)
[Indonesian Food]
SUB store Tokyo
※ お問い合わせ: 晴れたら空に豆まいて 03-5456-8880 / MUSIC CAMP, Inc. 042-498-7531
| 2024年10月21日(月)
東京 代官山 晴れたら空に豆まいて
開場 18:00 / 開演 19:15
予約 6,800円 / 当日 7,300円(税込 / 別途ドリンク代)
http://haremame.com/schedule/77541/
[Live]
THEE MARLOES / TINY STEP "SOUTHSIDE" TRIO
[DJ]
遠井りな (HMV record shop 新宿ALTA)
[Food]
Taqueria ABEFUSAI
※ お問い合わせ: 晴れたら空に豆まいて 03-5456-8880 / MUSIC CAMP, Inc. 042-498-7531
| 2024年10月23日(水) 追加公演
大阪 南堀江 SOCORE FACTORY
開場 18:30 / 開演 20:00
予約 6,800円 / 当日 7,300円(税込 / 別途ドリンク代)
http://haremame.com/schedule/77562/
[Live]
THEE MARLOES
[DJ]
DOVE (Have a Break) / MIKI (TROB rec,co. THE WEST AGROS) / 宮田 信 (MUSIC CAMP, Inc. | BARRIO GOLD RECORDS) / 島田隆志 (Pleased To Meet Me)
※ お問い合わせ: 晴れたら空に豆まいて 03-5456-8880 / MUSIC CAMP, Inc. 042-498-7531