Interview | Tokiyo Ooto + Orhythmo


だって、明日にはもうないだろうし

 実用性のあるものが正しい。音楽だって、一度聴いたらすぐに唄えるポップス、どんなに酔ってても踊れるビート、昼間でも目を閉じれば即寝落ちするアンビエントなんかあれば、それでいいのかもしれない。まあでも、これから紹介するのは、そのどれでもありません。

 ギタリストとしてAnd Summer Clubや豊田道倫 & His Bandなどへの参加、そして自身のリーダーバンド・Otoo Oyikotに於いての歌唱と演奏、それと並行して独自の音感覚と情況詞で歌をつくり続ける、ソロのシンガー / コンポーザーでもあるTokiyo Ooto(大音斗紀世)。大阪・心斎橋から二度の移転を経て、現在は松屋町にあるバー(というか寄り会い処、というか給酔所 etc.……)「atmosphäre」店主であり、REDUCTION、RED、she luv itといった様々なスタイルのハードコア・パンク・バンドのメンバーでもあったFLUX(森 昇平)による、エレクトリック・ベースを使用したドローン演奏ソロ・ユニットOrhythmo。関西を中心に近からず遠からずの場所で活動をしているこの2人のデュオは、2023年にTokiyoの呼びかけによって結成され、散発的にライヴ活動を開始。24年には英国で歌い継がれてきた民間伝承の童謡「ナーサリー・ライム(Nursery Rhyme)」をモチーフにした1stアルバム『If All The World Were Paper』を自主制作で発売した。それは2人がライヴ演奏で行っているそのままがスタジオでシンプルに録音されているだけのものである。極めてローカルでプライヴェートな雰囲気を持ったささやかな商品だったが、手にした者の間では幾度も話題に上った。それはさりげない目配せ、いけない何かの共有。至上の祈りと思いきや、単なる遊びの呪術……。


 それから2年が経った26年の夏、Tokiyo Ooto + Orhythmoの新作が世界でも有数のへんこな大阪のレコード・レーベル「エム・レコード EM Records」から発売される。つまり、小インディから大メジャーまで新旧国籍問わず探究し続けるレーベル・オーナーの江村幸紀(以下 E)も、2人に囚われたうちのひとりだったのだ。件の『Play Nursery Rhymes and Children's Songs (童謡と子供の歌を唄う)』は前作をより緻密に音響化して発展させた作品だという。そこには口承という無形の歌が持つ複雑な歴史が、TokiyoとOrhythmoの思考と身体を通じて、極めて冷静な録音作品として現出している。とくに新録の日本の童謡と児童歌から材を採った2曲には、このデュオの方法論をさらに推し進めた構築と展開がたしかに聴き取れる。


 日本における「童謡」のルーツを辿ると、まず中国の「詩妖」という天変地異など災いの予言を含む暗示詩の呼称から来ており、それが日本に伝わり「わざうた」の読みで広まったのちに「童謡」と字が当てられた。この当て字により子供の歌という意味合いが付けられたのは、神が純真な児童の口を借りて禍いの啓示を与えることがある、という言い伝えからだと見られている。そう、もしかすると、2人は何か人類に対する大きなメッセージをこのレコードに込めているのではないか。急に使命感がほとばしり、私は梅雨の抜けきらぬ7月初頭の昼下がり、阿波座のエム・レコード事務所でTokiyo(以下 T)とOrhythmo(以下 O)のインタビューを行うことにした。なお、2人との縁も深い大阪・難波のライヴスペース「BEARS」のスタッフであり、バンド・KK mangaのメンバーでもあるハマジ(以下 H)も写真係として同席している。


取材・文 | oboco | 2026年7月
撮影 | ハマジ (KK manga)
イラスト | BIOMAN (neco眠る)

| 本編の前に

本作に収録されている「ぶらんこ」のMV撮影が無事終わりました。主演はモデルやダンサーとして活躍されている樋口 碧さんで、監督は前作の「Hey, Diddle Diddle」のMVも制作してくれた小池 茅くんにお願いしました。本当にこれはたまたま偶然なんですけど、ロケ地は芥川(大阪・高槻)の河川敷で、撮影日は芥川也寸志さんの誕生日だったんです。こんなことってあるんですね……。猛暑の中のハードな撮影でしたが、めちゃくちゃいいものになったと思うので、ぜひ観てほしいです。
――Tokiyo Ooto

――まず、Orhythmoというか昇平さんは個人インタビューとしてTHE ACT WE ACTの五味(秀明)さんがやっためちゃくちゃ濃いやつがありますけど、Tokiyoさんが単独で話を訊かれたようなのって、今まで何かありますか。
T 「いや、そんなになかったような。And Summer Clubとかバンドではあるんですけど。憶えているのではネガポジ(京都・西院)のYouTube企画でやったくらいかも」

――バンド単位でのインタビューの場合だと、やっぱバンドの音楽について訊かれて答える。
T 「そうですね。そういうときは、あまり個人の創作とかについて、そこまで話はしないですね」

――じゃあ、最初はTokiyoさんのソロ活動からデュオ結成に至るまでの話を中心に訊いていきます。まずソロに関してからなんですが、Tokiyoさんはプロフィールにソロではエレキギターのループエフェクトを駆使したベッドルーム・ミュージックをやっているとあります。
T 「はい。でも、ベッドルーム・ミュージックって自分で書いておいてよくわかっていないんですけど、なんなんですかね」

Photo ©ハマジ (KK manga)

――宅録で作った音楽のことだと思っています。
T 「たしかに最初の音楽活動自体は宅録で始まっているので、それで合ってはいるのかも。プロフィールに入れたきっかけは、『Outside the Universe』(2017 | guruGURU名義)のときですね。一番初めに作った自主アルバム。それを出したときに、誰かが“ベッドルーム・ミュージック”っていう紹介で書いてくれたことがあって。そのまま自分でも言っている、みたいな」
O 「それは自主で出して、そのあとTani 9 Recordsから出たやつやね」
T 「そうです。あれはけっこう打ち込みで、シンセとかいろいろでかいMTRに入れて作った音源だったんです。それで、“ベッドルーム・ミュージック”って書いてもらって、“あ、(自分がやっていることは)そうなんだ”って思ったっていう」
O 「そうなんや。そのTokiyoちゃんのソロ1枚目を聴いたとき、まさにベッドルーム・ミュージックやな、と思って。プロフィールをあとから見たらそう書いていたから、自覚的にやっていると思ってた」
T 「自覚的には思ってないですね」

――宅録自体は好きなんですか。
T 「宅録は好きですけど、始めるまでがちょっとつらい。ライヴではループ・ペダルを使ってギターをループさせる演奏法でやっていて、そっちのほうがおもしろいと感じる」

――おもしろいというのは、演奏した音を加工するっていうことがですかね。
T 「加工っていうか、何かこう音をダンって弾いたら、それが永遠にダンダンダンってなるんで、そこに重ねたりっていうのが。うん、まあそうですね。加工して音がリアルタイムでできあがって、そのまま演奏していくのがおもしろくて」

――宅録だとまた一から頭に戻って演奏を録る。
T 「はい。今も基本は宅録で音源を作っているんですけど、直感的な演奏ではないので大変だと思う時間が多くて」

――良くも悪くもじっくり冷静になるんですね。それで、家で録るっていうので言えば、TokiyoさんはSNSに毎日ギターを練習したのを映像で録って上げたりとかされていましたよね。ああいう感じでパっと録音して、自分でそれを聴くっていうのは好きですか。
T 「あー好きかもです。あえてこういうの(取材用に持ってきた記者のボロくて汚いテレコ)で録ってみたりして、それを聴き直して、それをもう1回何かに加工したりとか。そこに楽しさは感じます」

Photo ©ハマジ (KK manga)

―― 今回のアルバムには、お子さんとの会話と思しき録音とか普段の生活音、家の外を走るゴミ収集車の音なんかもコラージュ的に使われています。そういった演奏以外を録るようなフィールドレコーディングは日常的にやっているんですか。
T 「たまに持ち歩いて録音していますね」

――日常的に録るっていうのは、もう特に目的なく。
T 「あ、でも本作で使っているのは、江村さんにフィールド・レコーディングを入れてみるのはどうかっていう提案をいただいてから入れたので、ちょっと意図的な録音だったのはあります。コンセプトに向けて音を録ってる」

――Tokiyoさんは近年のソロ作、 2025年のテープ作品(『I miss you』Depth of Decay)でもけっこうフィールドレコーディングを使っているし、さらに最新作のThe Faxとのスプリット・シングル(2026)でも1曲にほぼ丸々生活音が入っている。それが興味深いと思って。フィールドレコーディングをSEのようにアクセントとして使うんじゃなく、詞との関連も含めて楽曲全体の構成を担うように導入している。だからデュオの今作とソロの近作は相互作用しあっていると聴いていて感じました。
T 「ああ、けっこうそうかもしれないですね。あまり今までは意識して(生活音を取り入れたり)は、やっていなかった。それまでは宅録、家で録音したりすると、外からの音、例えば救急車の音が入ったりとかしたときに、そこを切り取るのが面倒臭くてそのまま入れっぱなしにしていたら、聴いた人が“あの音が良かった”って言ってくれたりっていうのはありましたけど」

――録音作品を作る上で歌や演奏から、意識がその背景のほうにもフォーカスしていったような。
T 「そうですね。今回はその良さを改めて感じたっていうか。今まではそこまで意識していなかったけど。前はおもしろいなって思いながらも、意図的にはそっちへのフォーカスはしていなかった」

――自分がコントロールしきれない部分の予測できないおもしろさ。そういうふうに、音を聴き取る意識も変わっていったと。この点はソロやデュオでループを使った即興が演奏の中心になってきたことも影響していそうですね。

Artwork ©BIOMAN

――それで、最初このデュオが始まるきっかけっていうのが、Tokiyoさんが古いイギリスの童謡のテープを聴いて、ということで。
T 「夫がアメリカ人なんですけど、息子を出産してすぐぐらいに“ナーサリー・ライムっていうのがあってね。そういうのを子供に聴かせるといいんだよ”って。ですぐに“メルカリですごいイイのゲットしたから、これちょっと聴いてみよう”っていうのが、そのカセットテープで。それに楽譜も付いていて。聴いてみたらイギリスの子供のめっちゃ訛った英語ですごくシンプルな合唱をしている。そういう1曲が30秒くらいずつしかないようなテープを聴いていたら、すっごいハマって」

――そのテープは今回のアルバムの1曲目で、イントロとして使っているやつですか。
T 「そうそう。それを(直接再生操作をして)使いました」

――前のBEARSでのライヴのときも実際にテレコでやってましたね。そして、そのカセットを聴いていてOrhythmoの音を連想して、実際デュオとして活動し始める。
T 「テープを繰り返し聴いていて、なんかこういうのやりたいなってすごく思ったとき、真っ先にOrhythmoの音が頭の中にゴーって入ってきて、これ絶対合うなって思って。それまでに昇平さんのソロのライヴとかもよく観ていたし、ライヴの企画にも誘っていただいたりしていて、お声を掛けさせていただきました」
O 「最初は俺のBandcampに上がっている『winter / seiren』(2015)っていうアルバムの音に、Tokiyoちゃんが“今、これに歌とかギターを合わせてやってるんです”っていう話をしてくれて。じゃあそれちょっと聴かせてよって。家で録ったデモをもらって聴いて、めっちゃええじゃないですか、ぜひやりましょうよっていう」

――即決と。昇平さんはTokiyoさんと最初に会った時期のことって覚えてますか。
O 「さっきも話に登場していたけど、Tokiyoちゃんの夫・Jamesをもともと知っていて。一番最初はたしかCLUB METRO(京都・神宮丸太町)で平日にやっていた企画“感染LIVE”とかに遊びに来ていて、俺らのライヴのときになんか全然知らん外国人がめっちゃ暴れてるぞ、みたいな。それで、まだ活動したての頃のshe luv itをライヴの企画に誘ってくれたりして」

――それは 2010年くらい。
O 「そうそう。そのちょっとあとくらいから、店(atmosphäre)にもTokiyoちゃんはJamesと一緒に来てくれたりするようになって。まあでも、そもそもTokiyoちゃんが音楽をやっているっていうことは知ってた。And Summer Clubもやし、ソロのライヴもBEARSで観たな。そのときはguruGURUっていう名前で」
T 「私も最初はJamesに誘われてshe luv itを観に行ったんですけど、なんじゃこりゃ、すげーかっこいい!ってなって。そのあとにもひとりでライヴに行きました」

Photo ©ハマジ (KK manga)

――Tokiyoさんは、普段からハードコア・パンクとかけっこう聴いてたんですか。
T 「いや、ほぼ聴かないんですけど、一部の本当に気に入ったのとかは、すごく聴くんです」

――ではOrhythmoがやっているダーク・アンビエントとかドローンとか実験的なノイズは。
T 「そういうのもあまり知らなくて。特定の好きな音源とかはあったりするんですけど。いいと思ったその人をずっと追いかけるっていうか。音が自分の中にハマるとずっとそればかり聴いているみたいな感じで。Orhythmoもそういうニュアンスで聴いています」
E 「今回のアルバムもかなり聴く人を選ぶような気がする。ハマるかハマらないか、どっちかの極端かな」
O 「エンジニアしてくれたLM Studio(大阪・四ツ橋)の(須田)一平さんにも録音してるとき“これ、聴いていてけっこう怖いけど、大丈夫?”って心配された。そやから、本当に聴けない人もいるかもしれんけど」

Artwork ©BIOMAN

――デュオとしての1作目(『If All The World Were Paper』)はスタジオで全曲一発録りということだったんですが、それはその方法がやりやすかったからですか。それとも作品の方向性として一発録りにこだわったのでしょうか。
T 「(1作目の)ベーシックになった録音は確かにアルバム1枚通しで一発です。そっから、ちょっとコーラスを付け足したりするみたいなのは多少あったと思うけど、基本的にはそれを大幅に変えることはなく完成としました」
O 「Tokiyoちゃんからは録音前に、曲順と一緒にこの曲はこの感じ(のアレンジ)でやりますっていうのを教えてもらっていたけど、俺はそれに合わせるし、基本即興やから。それはライヴと同じで、やっぱり一発で録るのが当然みたいな」

――その1作目はけっこうTokiyoさんの唄が作品全体のメインにあるなと思ったんですよ。歌唱がメインにあって、それを軸にギターの演奏をしてエフェクターを操作し、さらにその背後にOrhythmoのベースによるドローン演奏がある。でも、今回のエムからの2作目には明らかに変化があって、基本的に唄は他の演奏と同じくらいの扱いで、もはや音の素材になっている。それこそ、曲によってはフィールドレコーディングとかのほうが存在感があるくらいになっていたり。だから、2作目のほうはかなり編集作業に力を入れてやっているように思ったのですが。録音もそういう編集前提でやったりとか。
T 「そう、今作で最初の2曲は(基本的に)前作の素材をそのまま使っているんです。1枚目の原曲をさらに発展させるっていうことで。唄も歌い直しているわけじゃないんです」

――あ、そうなんですか。じゃあA面の収録2曲は前作のセルフ・リミックスに近いような作りかただったんですね。
O 「そうやね」
T 「そのあと後半2曲は新録です。それも録りかたは(1枚目と)ほとんど一緒ですね。編集も大きく切り貼りとかせず。それこそ、またちょっと声を重ねたりっていうくらいです。フィールドレコーディング音源も、あとから入れたらたまたまうまく収まったという感じで。だから、声が細かく散り散りに聴こえるのとかも、基本になる録りの演奏段階で、もうそういう感じだったんです。3曲目の“ねんねん森の”とか」

――その「ねんねん森の」を含む、LPではB面にあたる2曲の日本の童謡と児童歌を採り上げるに至ったのは、エム・レコード側から提案があったということですが。
T 「たしか1作目をここ(エム・レコード事務所では通常業務と共に、レーベル作品を中心に江村のセレクトした社外の新譜や所蔵の中古盤などの販売も行っている)で販売用に取り扱ってくださったときに、“ところで日本の童謡とか興味ありますか”っていう風にメールでいただいて。あ、たしかにおもしろそうだなって。それで、“じゃあやってみませんか”っていう流れで」

――日本のものをやるにあたって、ナーサリー・ライムのカセットのように参照した録音物とかはあったりしましたか。
T 「江村さんから提案があったときに、“よかったらこれ参考に”って貸していただいた、日本の子守唄で4枚組のレコード・ボックスがあって」
E 「これやね。ドキュメント『にっぽんの子守唄 – 生命の讃歌と流浪の哀しみ』(事務所の奥から重そうな箱を持ってくる)」

Photo ©ハマジ (KK manga)

――でっか。えげつない存在感。
T 「このジャケにも写っている松永(伍一)さんが日本中を渡り歩いて録音してる」

――じゃあ、これもフィールドレコーディングものですね。
T 「そうですね。土地々々でおばあちゃんとかにインタビューをして、この当時はどうだったんですか、みたいな。そして、その場で実際に子守唄を歌ってもらう。ただ、最初のきっかけになったカセットはやっぱ録音物としておもしろかったっていうんで反応したんですけど、これも録音物としては興味深いんですが、どうも題材として扱うには、けっこう重いなっていう」

――見た目だけじゃなく中身も。
T 「その1作目のときはカセットテープを聴いて、単純に音だけで、あっおもしろそう!やってみたい、みたいな軽いノリで始まったんですけど。このボックスセットの音源に関しては、けっこう日本の子守唄の歴史とか、子守りをしている側の人の話がけっこうドロドロしていて」

――たしかに。昔の住み込みの子守って、貧しい家から奉公っていうか、口減らしとかでほぼ身売りされてるような人が多いんですよね。
T 「はい、だからけっこうそれに収録されているような子守唄も、そもそも子供に対して歌うっていうより、子守りをしている側が自分を慰めるために歌っていたっていうことが語られていて。あぁなるほど、だからこういう歌詞なのかと。それで、そういうことを一応頭に入れて作ったほうがいいのかな、とか。だから、録音を始めるまでにちょっといろいろと考える期間が長くなっていって」

Photo ©ハマジ (KK manga)
阿野義知によるカヴァー・アートの原画。

――その中で最終的に曲はどうやって決まったんですか。
T 「それもやっぱりすごく時間がかかって。 1曲はこの日本の子守唄ボックスの中から選ぼうかなと思ったんですけど、どうしても作品として取り上げるには重くて。最終的には自分が生まれた滋賀県の子守唄“ねんねん森の”にしたのと、もう1曲の童謡“ぶらんこ”に関しては甘さが欲しいなと思って」

――曲としての雰囲気が甘いということですか。
T 「江村さんからお話をいただいたときに、1作目の収録曲では“Hey Diddle Diddle”をすごく評価してくださったので、そのちょっと重さというか秘められた残酷さみたいなのを引き継いだ作品にしたいなって思って“ねんねん森の”を選んで、その(対比で)“ぶらんこ”っていう。アレンジを含めて、甘さみたいなのが出せるかなというので」

――「ねんねん森の」って、本来付けられているメロディはけっこう定番の♪ねんねん~ころりよ〜のやつですけど、今回の録音作品ではそのメロディが聴いていてもあまりわからなかったですね。
T 「やっぱりあまりにも有名すぎるメロディなので。そのまま歌うと……」

――詞も英訳と混ぜていますよね。
T 「そうですね。歌詞もかすかに、なんか断片的に。どっちかっていうとメロディよりは言葉として、そのワードをちょっと拾って。そういう歌いかたとか、どういう風にしようか考える時間が長かった」
O 「けっこうだからこの2曲はTokiyoちゃんが選んでから、ライヴでもほぼ毎回アレンジもめっちゃ変わったもん」
T 「いつもアレンジはいろいろ悩みながらなので、けっこう大きく変わることが多い」
O 「“ねんねん森の”もちょっと前のライヴでやったときは、かなりスラッジ的なアレンジやった。重めのギター・リフをガンガン入れてくるっていう。そういうので、アレンジもいくつか候補があったけど、レコードやとこの後半の新録2曲では対比をつけるというのが(共通の意識として)あって。通して聴いてハッとするような。この重い“ねんねん森の”が終わって、次“ぶらんこ”が始まるっていう」

――たしかに「ぶらんこ」は今回の4曲中だと一番前作に近い、唄がメインの作りですね。それは、この曲だけ作者がはっきりしているのもあるからかなと。作曲家は芥川也寸志で作詞家は都築益世。他の3曲はそもそも口頭伝承で今に至っていて、それに付いてる曲も作者不詳ですが、「ぶらんこ」は個人の意図に基づいた歌唱曲として作られているから、そこまで逸脱し過ぎないのかなと思ったんですが。
T 「けっこう“ねんねん森の”とかは自由に、ほぼそのライヴのときのテンションでけっこう変えられる曲だけど、“ぶらんこ”に関してはそういう意味ではちょっと難しい」

――決まったことをやるような感じになってしまうところがある。
T 「そうですね、だからライヴの度に今回はどうしようかなって、ちょっと考える曲ではあります。でも、古い童謡を歌う場合でもアレンジの自由度はあるけど、それを演奏すること自体へのアプローチの正解はまだわからない」

――もともと詞があるところからアプローチが始まっていくと思うんですけど、その詞を解釈するっていうのにすごく時間がかかるんですかね。
T 「解釈とか、この重さをどういうテンションで受け止めたらいいんだろう、みたいな」

――どうしても背景の歴史とかが。
T 「だから、それをあえて全部シャットダウンして、記号的にやれたらいいなとは思うけど、なんか難しいです」
O 「前にTokiyo Ooto x Orhythmoじゃなくて、Orhythmo x Tokiyo Ootoっていう、いつもとは逆に俺の演奏主体で、それにTokiyoちゃんが即興演奏を合わせていくっていうのをやったけど、ちゃんと成立していたし、演っていてめっちゃおもしろかった」
T 「もしかしたら、今の気分的にはそっちのほうがおもしろいかも」

Photo ©ハマジ (KK manga)

――今日の話を聞いているとわかる気がします。
O 「俺が言うのもおこがましいけど、こうやって一緒に演奏をやることによって、どんどんTokiyoちゃんにそういう(即興演奏の)基礎力とか引き出しの中身が増えていっているような気がしてる」
T 「うん、だいぶ影響受けてます」
O 「だから、今回のアルバム作業でTokiyoちゃんが家で録音した確認用のデモを聴いたときに、これは俺が出した音やったっけ?って一瞬思うくらいの感じになってきていて。それは続けた成果っていうか。めっちゃいいやんって思ってる」

――そういうことで言うと、バンドでの演奏はどうですか。最近またTokiyoさんは活発にご自身のバンドでもライヴをされていますが。やっぱりそれはデュオともソロとも違うものですか。
T 「大枠の自分の世界感は分けていなくて、アプローチのしかたがちょっと違う、みたいな考えかたです。でもOrhythmoとのプロジェクトに関しては、子守歌を使ってよりダークな方向性で行こうと最初から決めてやっているという点では、普段の自分の活動のしかたとしては特殊なケースかもしれないです」
H 「バンドはベースをコントラバスとかでやってるやんな」
T 「それも、やっぱりコントラバスではなくて普通にエレキ・ベースでやってみるか?とか、いろいろ試行錯誤していて。実は、2020年にも一度自分のプロジェクトとしてバンドを結成したことがあるんですけど、そのときはわかりやすく“バンド”っていうものをやろうと思っていたんです。でも、今のバンドでは、めっちゃ“バンド”みたいな感じでドカっと音を出すっていうよりは、どこまで静かに、内省的にやれるかという練習をメンバーとはしていて。だから、今ライヴを観てくれているお客さんも、めちゃくちゃ静かに聴いてるなっていう印象」

Artwork ©BIOMAN

――ちなみに前のアルバムでは、こういう取材的なのは特になかったですかね。
O 「なかった。そもそも“取材とは?”っていう感じ」
E 「あれは出たときにBEARSでもライヴの幕間とかに引っきりなしで流してたよね」
H 「流してましたね」

――たしかにお店でもNewtone Recordsとかタラウマラとか、自主盤を取り扱っているところではよくかかっていました。
E 「私、喋っていいなら。あのね、ちょっと突拍子もないこと言うけど、アメリカのジャズ・フルーティストでPaul Hornっていう人が60年代の終わりに出した『Inside』(1969, Epic)っていうアルバムがあってね」

――聴いたことないですね。
E 「それってね、インドまで行ってタージ・マハル廟の地下で録音したものなんやけど、その後、いわゆるニューエイジ・ミュージックのでかいカードの1枚になった。その話をなぜ今ここでするかっていうと、ニューヨーク生まれの白人男性のジャズ・フルーティストが、インドの歴史あるお墓の中で演奏することにどんな必然性があったのかってことなんですよ」

――なんか話のスケール感はすごい気はしますが。でも、胡散臭いハッタリっぽさもすごい。
E 「当時Hornが東洋思想にかなりコミットしていたのは間違いない。でも、だからといって必然性はないんですよ。必然性はないんだけど、これが単なる思いつきを超えた本当のアイディアだったので、それをやって『Inside』だ!って出したら、すごいことになって衝撃を与えた」

――売れたんだ。
E 「それでね、この後からその2匹目のドジョウを狙って、皆さん挙ってフルートを手に取るわけです」

――風が吹けば桶屋が儲かるように、墓の下で横笛吹くと金になる!と。
E 「ジャケは本人の顔のアップで、あの時代特有の、要するに内面のある人間的主体っていうモダニズム的なものを表している。タイトルの“inside 内側 = 内面”もたぶん録音内容と人間的主体の二重写しっていう意味でしょう?それが成功したから(同じようなコンセプトの)続作をHornは出していく」

――タージ・マハル録音からさらに先があるんですね。
E 「この『Inside』路線の究極は『Inside The Great Pyramid』(1977, Mushroom)っていうやつで、エジプトのピラミッドの中でやってるの(笑)。こうなると完全に形骸化した商品になってしまう。でもね、それが私はすっごく好きなんですよ」

――むしろ。
E 「むしろ。それはね、我々は商品社会という決定的なシステムを作ったけど、そこから逃げ場がないのも言わへんけどわかってる。それなら、正面からぶち当たってどこまで行けるか果てのない問いを続けるしかない。それを踏まえて、これは私の勝手な解釈なんやけど、最初にTokiyo x Orhythmoで出した1枚目は『Inside』なのよ。そもそもTokiyoさんと森さんが童謡を演奏することに必然性はない。ところが、やってみたらすごかった」

――Paul Hornにおける東洋思想みたいなのは、いまのところお2人に話を訊いた感じではなかったですね。強いて言うなら、思い付きと意欲の賜物。
E 「そういうことで、今回のエムで出すアルバムは、極端にいうと『Inside The Great Pyramid』で、それは必然的にそうなるしかない。 1回目の衝撃という無垢はね、 もう2回目にはないんだから。でも、それでもこうして問い続けるしかない」

――まずTokiyoさんにお子さんが生まれて、たまたまそのナーサリー・ライムのカセットテープが手に入り……という因果関係のタイミングが合ったっていう感じですかね。さらにTokiyoさんは大阪で音楽活動をしていて、そこに夫のJamesさんを通じて昇平さんとの繋がりもあって。
E 「そう、たまたまのタイミングを掴み取ったのが素晴らしいことだった。“無垢”と言うと意味の取りかた次第で変わるし、“ピュア”というのもなんか違うんですが、ま、言葉はあとで考えるとして、とにかくTokiyo x Orhythmoは“それ”を掴み取ったんですよ」

――なんとなくはわかります。
E 「昔流行ったけど、シニフィアン(表象)とシニフィエ(意味)っていうやつ、今の我々周辺の音楽には、シニフィエとほどよく調和したシニフィアンっていうのはもはやほとんどなくて、手にするのは抜け殻の死骸のようなシニフィアンしかない。でも、そうであったとしても、何かできるんじゃないかって突き進むうちに抜け出てくることがある、と私はこってり信じていて。この2人はその素晴らしい例だったんです。このゲームに気付いていない人は、申し訳ないんだけど、この話に参加すらできていない」

――静かに瀬戸際の闘いをやっているんですね。
E 「ついでに言うとね、マリヲ君のこないだの作品は、そのシニフィアンの死骸がすさまじい量で堆積して、結果的にものすごいものになった。あれも基本的にやっていることに必然性も何もない、でも、その冷めた眼の中に熱いものが残っていて」

――♪冷めた眼で熱く見ろ~
E 「……それであなたがまとまったと思うなら、それでいいけど」
H 「そういうのも踏まえて訊きたいんですけど、なんでエム・レコードはこんなハイペースにすごい勢いでレコードを作っているんですか」

――たしかに異常な勢いですね。
E 「いや、もう命が短いんで」
H 「えっ短いんですか」
E 「20年以上前にひどい交通事故に遭って今もボロボロでやっているので、もう残された時間は何年もないっていう気持ちで連続疾走ですよ」
H 「そういう感覚は2人はあるんですか。命は短いぞ、みたいな」
O 「俺はありますね。いつ死ぬかわからんから、好きなことだけやっていこうみたいな感じ」

――そういえば、昇平さんも新しいバンドでこないだ初ライヴをやってましたね。
O 「新しいバンド(impending civil extinction)はそれこそさっきの江村さんの話と近くて、俺もハードコア・パンクは一度すでに死んでるもんやと思ったうえで、その伝統芸能を俺はもう1回やろうとしてる。だから、新しい試みとかを今のバンドでやるつもりもない」

――その敢えて伝統芸能的なことをやるっていうのは、メンバー全員で考えていることなんですか。
O 「いや、私の趣味です。私の趣味でやってもらっている感じ。まあ、新しいことは別にやらなくていいから、楽しくやろうぜっていうことだけ」
T 「観に行きました。かっこよかったです」
E 「幸せは老後に、なんてないからね。そもそも老後自体ない」
O 「幸せの前借りばっかりしてます」
T 「私も欲望のままに生きてます。欲しい物はすぐ欲しい。だって、明日にはもうないだろうし」

Tokiyo Ooto Instagram | https://www.instagram.com/tokiyoooto/
atmosphäre Instagram | https://www.instagram.com/atmosphare/

Tokiyo Ooto & Orhythmo『Play Nursery Rhymes and Children's Songs(童謡と子供の歌を唄う)』■ 2026年8月21日(金)発売
Tokiyo Ooto & Orhythmo
『Play Nursery Rhymes and Children's Songs(童謡と子供の歌を唄う)』
EM Records
CD EM1225CD 2,500円 + 税 | Vinyl LP EM1225LP 3,500円 + 税
https://emrecords.bandcamp.com/album/play-nursery-rhymes-and-childrens-songs

[収録曲]
01. Hey Diddle Diddle
02. There Was an Old Woman Who Lived in a Shoe
03. ねんねん森の
04. ぶらんこ