文・写真 | コバヤシトシマサ
もうすぐ「デイヴィッド・ホックニー展」が開催される。 東京都現代美術館で2023年7月15日から11月5日まで。わお。大好きなんですよ。
ホックニーの存在を知ったとき、それはすでに現代美術の巨匠としてだった。彼の作品はクラシックな絵画風だったり、イラスト風だったり、あるいはそれらが混ざりあったりしている。代表作の多くは総じてポップな色彩が特徴的で、その色使いがすごくいい。理屈抜きに楽しめるものも多く、かなり親しみやすい画家と言えるかもしれない。しかし彼はあくまで“現代美術作家”だ。
ホックニーの膨大な作品の中には、ピカソやマティスの手法をモチーフとしたものもある。キュビズム風の作品も描いている。複数の写真を重ね貼りしたようなコラージュ作品があるけれども、あれはキュビズムの翻案じゃないだろうか。いずれにせよ彼の作品は美術史への言及を含んでいる。絵画的なものとイラスト的なものを混在させるのも、あるいは描きかけの余白を残すのも、今ではそう珍しくない手法とはいえ、基本的には絵画の領域を拡張するものだ。その意味で彼は至って“現代美術的な”作家だと言える。
しかし他の作家とは異なる資質が彼にはある。ホックニーには描くことの素朴な喜びがあるのだ。画家が絵を描くことで喜びを表すのは至極当然と思うかもしれない。でも実は現代美術に関してはそれが大変に珍しい。
“現代美術”なるものの厳密な定義は他に譲るとして、ごく一般的に言うなら、それは“美術という枠組み自体を問う美術”と言えるだろうか。そんなに間違っていないと思うのだけれど、どうだろう。つまり美術やその成り立ちに自覚的であり、美術や絵画という制度を拡張したり、あるいは疑ってみせる意図が作品に含まれるということ。だから大抵の場合、絵を描く喜びや楽しさという素朴な態度は退けられる傾向がある。
ホックニー以外の作家はどうだろう。たとえばアンディ・ウォーホル。ウォーホルは1928年生まれで、ホックニーの11歳年上ということになる。ウォーホルの作品はよく知られているけれども、彼の作品について絵画の素朴な喜びを見い出す人はほとんどいないだろう。無論スタイリッシュでかっこいいものも多い。しかし彼は絵筆と絵の具を使った絵画的な境地に立ち入ろうとはしない。そもそも彼は“画家”ではないのだ。ところで最初期の『キャンベルのスープ缶』はウォーホル自身によって手でペイントされたそうな。そちらはぜひ一度実物を見てみたいが。
ではゲルハルト・リヒターはどうだろう。リヒターは1932年生まれで、ホックニーの5歳年上。リヒターはキャンバスに絵の具で描いている(絵画以外の作品も多いけど)。ウォーホルと違い、少なくとも彼は画家と言っていいだろう。しかし彼の作品も“描くことの喜び”は表面上には表れない。彼の絵画作品は具象画であっても、人物がうしろを向いていたり、あるいはピンボケ写真のようにぼやけていたりして、どちらかというと“描けない、見えない”ことがテーマになっているかのようだ。いずれにせよリヒター作品でも素朴な絵画の喜びは退けられている。
ウォーホルもリヒターも現代美術界のスターと言っていい。そして両者とも絵画の素朴な喜びを退ける。絵画という制度自体に自覚的であり、時にその枠組みを転倒させるようなやりかたで制作している以上、それは当然だとも言える。彼らは“単に描いている”のではない。
そうした中、ではなぜホックニーは素朴な絵画の喜びを表現してしまうのか。彼はたまたま現代美術界にあわられたひとりの素朴な絵描きなのだろうか。いや、これも事態はそう単純ではない。
ホックニーの著作に『秘密の知識』(2010, 青幻舎)がある。これは美術史をその技術面から扱ったもので、歴史的名画の多くに光学機器(= カメラの原型)がどのように使用されたかが論じられている。発表当時はセンセーションを巻き起こしたという本書は、本来ならば美術研究者が何年もかけて取り組む仕事のように見える。そのような理論的に大きな仕事を、ホックニーは残しているのだ。本書以外にも絵画や美術の歴史について言及した著作は多い。つまり彼は美術やその歴史に精通しており、他の現代美術家と同じかそれ以上に、絵画という制度の成り立ちに意識的だということ。その上で絵画にどう取り組むかという戦略が、彼にはあったはずなのだ。
ホックニーの絵画は喜びに溢れている。描くことの喜びに加え、描くことへの批評もある。双方が両立している。見てきたとおり、これは大変に珍しいケース。ホックニー以外で他に誰がいるかすぐに思いつかない程度には。彼が持っている美術への愛や知的探求心が並外れたものだったからだろうか。だから彼は絵画の喜びと批評とを同時に手に入れることができたのだろうか。
現在の現代美術を眺めると、美術という制度への問いや異議申し立てを先鋭化させるか、あるいは逆に描くことの素朴な喜びや救いを追求するか、そのどちらかに二極化しているように見える。それがいいことなのか、悪いことなのかは、よくわからない。いずれにせよホックニーのように喜びと批評とを両立させることは、時代的に難しい局面なのかもしれない。
ところで近年のホックニーは素朴な絵画に回帰しているようにも見える。今回の展示にはロックダウン中にiPadで制作された新作も含まれるらしく、それはなんと全長90mの巨大な作品だそうな。老齢に達した画家は、自宅で素朴なお絵描きを楽しむ境地に至ったのだろうか。あるいはこれもまた絵画に対する文字通り巨大な問いなのか。いすれにせよ、もうすぐこの目で確かめることができる。
■ デイヴィッド・ホックニー展
2023年7月15日(土)-11月5日(日)
東京 木場 東京都現代美術館
10:00-18:00 | 展示室入場は閉館の30分前まで
月曜(7/17、9/18、10/9は開館)・7/18・9/19・10/10休館
一般 2,300円 / 大学生・専門学校生・65歳以上 1,600円 / 中高生 1,000円(税込)
小学生以下無料
[オンライン限定]
平日限定ペアチケット 4,000円 / グッズ付チケット 4,400円(税込 / 各限定200)
https://www.e-tix.jp/mot/
[2展セット券]
「デイヴィッド・ホックニー展」 + 「あ、共感とかじゃなくて。」
一般 3,200円 / 大学生・専門学校生・65歳 2,100円 / 中高生 1,250円(税込)
※ 本展チケットで「MOTコレクション」もご覧いただけます。
※ 小学生以下のお客様は保護者の同伴が必要です。
※ 身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方と、その付添いの方(2名まで)は無料になります。
主催: 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都現代美術館 / 読売新聞社
特別協賛: Canon
協賛: DNP大日本印刷 / SOMPOホールディングス
協力: 日本航空 / ヤマト運輸 / J-WAVE
助成: ブリティッシュ・カウンシル