Review | ヴァイナルはただの骨董趣味か


文・写真 | コバヤシトシマサ

 ヴァイナルに愛着がある。ヴァイナル・ブームが再燃してるとか、シティポップ・ブームだとか、そうした世の流行にも多少は関係するのかもしれない。でもそうした事情を差し引いても、ヴァイナル盤にたまらなく惹きつけられる。20世紀の初頭、音楽は録音されるようになった。音楽はレコードというメディアによって広く大衆に向け供給されるようになった。そうしたレコードの文化誌的な側面に強く魅了される。

 とはいえ、それもあくまで趣味の話。自分にとって中古レコード屋巡りは、何も考えずに没頭できる唯一の趣味だ。その意味でヴァイナル盤愛好家は、登山やゴルフの愛好家とそう変わらないともいえる。ある種の趣味人には面倒臭いところがあるのも同様。登山愛好家が山登り体験で得た人生訓を語り始めるとか。あるいはゴルフ愛好家がゴルフ・コースを人生にたとえて自分語りを始めるとか。そうした厄介さはヴァイナル愛好家にもある。曰く、他のメディアと比べてヴァイナルの音がいかに優れているか、ヴァイナルだからこそジャケットのアートワークを真に楽しむことができる、人は本当にサブスクやデジタル音源に愛着を持てるだろうか、云々。そういう面倒臭い語りをするにやぶさかではないけども、しかしここではそうした振る舞いをできる限り制したうえで、ヴァイナルにまつわる自分語りをしてみたい。

 今多くのリスナーはサブスクリプション・サービスを使って音楽を楽しんでいる。自分も利用している。音楽を聴くならそれで十分どころか、もはやサブスクなしでは聴取環境が成り立たないとさえ言える。いつでもどこでも聴くことができて、お金もほとんどかからない。単に音楽を楽しむなら、サブスクリプション・サービスがあれば必要かつ十分だと思う。

 一方、ヴァイナルはどうなのか。ヴァイナルを聴くには手間やコストがかかる。聴きたいヴァイナルがあるとして、ならばそれを探し出して入手する必要がある。とはいえ、そもそもすべての音楽がヴァイナルで手に入るわけではない。入手できないものもあれば、入手可能だったとしても中古レコード屋さんでとんでもないプレミア価格が付いていたりもする。そうした状況をネットや店舗で丹念に調べ、うまくいけば手に入る。念願叶わず手に入らないことも多い。こうした一連のやりくりは、サブスクに比べたら面倒なことこの上ない。音楽を聴くのにかかる手間やコストが多すぎるのだ。要するにコスパが悪い。

 それでもなぜヴァイナルなのか。自分に限って言うなら、それは自分で音楽史を編纂するためだ。

Photo ©コバヤシトシマサ

 音楽史を編纂?いったいどういうことか。愛好家なら誰しも多かれ少なかれ自らのコレクションを持っている。せっせと盤を収集しては、日々ライブラリーに加えている。このライブラリーこそが、自らキュレーションした自分だけの音楽史なのだ。音楽という世界を自ら造形しているとも言える。無論、コレクションには当人の好みが多分に反映されているわけで、だからそれは一般的な意味での“音楽史”ではあり得ない。僕個人のコレクションに関して言うならば、レゲエが少なすぎるし、逆に一般にはそう評価されないAORのレコードが多すぎる。まったく公正さに欠けるわけだけれども、当然ながらそんなことに構う必要はない。そもそもあらゆるレコードを所蔵した公正なライブラリーなど作りようがないし、あったとしてもつまらないだろう。あくまで自分の目利きによって音楽史を構築していく。大袈裟な言いかたになってしまうのだけれども、自分はそうした観点から収集している。

 大袈裟に過ぎるだろうか。たとえば盆栽を趣味にする老人がいたとして、彼はひとつの鉢の中に森羅万象を感じ取るかもしれない。ありそうな話だ。だとしたら自らのコレクションを前に、音楽に関するひとつの神話を幻視したとて、そう大仰なことでもないのではないか(いや、大仰な気もするが……)。

 ところで音楽の収集がすなわち音楽史の構築なのだとして、プレイリストではダメなのだろうか。意外な観点、独自の視点を持ったプレイリストは日々たくさん生まれている。それらもまた音楽史の解釈といえる。自分だけのプレイリストを作るのではダメなのだろうか。結論から言うと、自分に関してはプレイリストでは楽しめない。少なくともヴァイナルが主流メディアだった時代の音楽は、その現物を手にしたい。ヴァイナルというメディアの文化誌的な側面を重要視する以上、そうなってしまうのだ。なによりLP盤のあのサイズのジャケットはやはり美しいもので……(と、結局ひとりよがりの妄言になってしまった。骨董趣味の孤独な老人が、茶を飲むためにわざわざ時代物の茶器にこだわるようなものだとご理解いただき、どうかご容赦願いたい)。

 最近1970年代後半から80年代にかけてのレコードが改めて好きになり、買い集めている。あの時代に特有のサウンド、アートワーク共に素晴らしい。そのいくつかを紹介して本稿を閉じたい。

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伊武雅人『Mon-Jah』(1983) | 矢野顕子『いろはにこんぺいとう』(1977)
この時代の日本のクリエイティヴ。
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DEVO『サティスファクション (I Can't Get No) Satisfaction』(1978) | B-52's『ロック・ロブスター Rock Lobster』(1979)
どこか通じるところのある両バンドによる、同じく黄色を基調にしたシングル盤。
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BLONDIE『Eat To The Beat』(1979) | TIMEX SOCIAL CLUB『Vicious Rumors』(1986)
この時代に特有のアートワーク。
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Man Parrish『Man Parrish』(1982) | MANTRONIX『Bassline』(1986)
サウンド、グラフィック、共に美しい。
Photo ©コバヤシトシマサコバヤシトシマサ Toshimasa Kobayashi
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会社員(システムエンジニア)。