Review | Björk『Fossora』


文 | uami
写真 (Main Photo) | mayu yamashita

 自分の作る曲に飽きてきていたところです。聴いていたら好きだなって思って聴いちゃうんですが。作るときの過程で、自分に一番幻滅しているところはやはりレパートリーの少なさ。もう少し引き出しを仕入れないと作曲継続難しいな、という感じがします。ポップばかり作っていると手順がわかってくるというか、熟練度も上がってくるのかもしれないが、作る手癖も自分の中でわかってきてしまったり、アブストラクトな攻撃性を忘れてしまったりする。基本的に同じようなものばかり作るのはあまり良くないと思っているが、コンセプチュアルなひとつの作品群として同系曲を連続して作るのは美しいと思う。ポップ道、極めて、その先に行ってみるのもいいんじゃ?とは思う。プロに……まあ、仮に、なったとして(なれないと思ってるけど、実はもうプロになってしまっているのかもしれない)、長い目で見て、自分の場合は、あまり自分自身が楽しくなくなりそうだな……と思う。一瞬で消費されると思う、聴く人にも自分にも。あたいも永年ポップになりたかったです……いや別になる必要もないですが。

 ここ1年のリリースではキャッチーさとか、自分の聴きたさを求めることにちょっとだけ重きを置いたような気がします。今まで、ほぼ即興で作ったメロディをそのまま完成形としていることが多かったけど、その構成を何度も組み直して自分の中のセンスと声色に頼る的な流れから脱してみた。そうなるとけっこう時間をかけて作ることになるが(まあそれでも早いほう)、自分の中の手順書に沿いつつも、今まで作ったことないもの、私にもできるかなあと、探りながら作ってみた。今っぽいっていうか、早いやつ、自分も通っときたいし、「あたしも、やれまっせ」を否定しないためにも、作ってみたりしたら、けっこうできたような気がします。でも、完全にきれいな商用音楽への反骨心とジェラシーと、低コスト営業かつハイボディステイタスを掲げている身としては、自分の声にエフェクトをかけないことにはこだわってみたりしていた。エフェクトをかけない、マイクすら通さないときの自分の声が一番マシなような気がする。それを経て、自分に幻滅する今に至る。去年(2021年)には、自分の脳内に架空の村を作り、それを1枚のアルバムとしてリリースするというのを、お正月くらいに目標立てていたんだけど、実際その2日後くらいにだいたい作れたな~って感じになったが、なんかそのときすぐにリリースせず寝かせてしまい、夏に達成した。デカ曲(分数がそこそこあって、規模がでかいように聞こえる、ちょっと仰々しいというか華やかさが若干感じられる曲のことを指しています)があまりに少なかったから、即砲撃てなかったんですね。やっぱ路線とかなんとか見ないふりして、やりたい放題とっちらかして不言実行してきて、本っ当によかったな、と思う。ずっと先までの計画や約束をいちいち決めないことですね。決めることって、安心と苦しみの根源。やるって言ってやらなかった自分をバッドにさせないことは大事。毎日バッドだから、これ以上悪化させないのも大事。そんなに永遠に生きるつもりでもありませんが……。

 そういえば、最近、バレエ団の鑑賞チケットを購入できて嬉しかった。バレエは観るのが好きだけれど、映像でしか楽しんだことがない。まさか自分が目の前でバレエが観られるチャンスを手に入れるとは思っていなかった。たまたま、すきなひとのライヴ動画をYouTubeで探していたらバレエ団「神韻 (Shen Yun)」の公演告知が出てきたんですが、電子チケットを取るのは苦手で、しかし今回はうまくできたみたいです。

 Björkを聴き始めたのは曲を作り始めて1年くらい経った頃で、年に1、2回やってくるマイ映画鑑賞ブームの真っ只中、ラース・フォン・トリアー監督の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000)を家のリビ・ング(誤植)で観て、たいそう良いじゃねえかと思ったからだった。帰ってきた家族がラストシーンのみ目撃してしまい、かなり怪伬そうに、わたしを、この映画なんなんですか……という顔で見てきたし、そんなことを実際に尋ねられたような気がする。そしてそのとき、少し自分の死生観について知られてしまったような気がして、恥ずかしかったので、もうリビングで映画なんて観てやるかよと、心に誓った気がするが、そのあと2回くらいまたリビングで『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を、観たと思う。

 実はBjörkとの出会いはもっと昔でして、eryさんというかたから買ったジンの中に描かれていた「フジロックでビョークを聴いていそうなファッションのカップル」を見たときですね。うわあ“ビョーク”ってなに……擬音のようなお名前……と気になって、自力で調べたのがきっかけです。Björkのイラストも描いてあった。おだんごふたつにフェイスギア、なんやこのかっけえ人間のかお……?! という印象。あたしだって、顔なんて晒さなくて良いなら晒したくなんかなかったのに、どう考えても晒す前提みたいな人間というスピーシーズ、人面の設置がパッケージ目的すぎるだろう~!と、ひどく憤慨し、常にニキビと不細工で悩んでいた日々だったから。そんなBjörkのアンナチュラルな人面に、整形以外の方法に、とても勇気をもらったというか、あ、わたしも生きてて大丈夫になる日が来るんかも、と思った。また、顔に物を乗せてカモフラージュすることは、人面のあらゆる悩み、10個飛ばして、ファッショニスタというか、Björkは人間から脱することを願っていそうな格好ばかりしていて、かなり共感した。自分も去年フェイスギア作ったなあ。

 初めて聴いたのはBjörkが『Utopia』(2017)をリリースしたタイミングのすこし後くらいだったと思うが……これって音楽なんすか?という感触。当初のわたしの曲のロジックからすると、うしろのトラックとメロディラインが、あたかもすり合わせたかのようにズレている、妙に浮遊した感覚とか、いまドーン!て鳴らさんでもよくない?その一連のパターンをそのタイミングで切ってくるのは自分の中で紛れもなく事故、もしくは揚げ物をしているときの不意の来客みたいな焦燥感を抱いた。そして結局そのときは、Björkの音楽が、まだ音楽かどうか理解できないまま、でもやっぱこりゃあたしの感性と違うんやないか……と思い、一旦離れた。そして『ダンサー・イン・ザ・ダーク』で再びBjörkの音楽に触れたとき、実際にミュージカルのシーンでビョークが歌ったり踊ったりしていたが、そうでなかったとしても、目を閉じると音楽だけで十分感情を迸らせたシェイプが見える。私の手をゆらゆら、足をたかたか、させてくる。たまに、一定のおおらかなムーブ、赤ちゃんをあやすようなリズム(わたしはこれを勝手に“どんぶらこ”と呼んでいる)。たしかにこれさあ、ミュージカル音楽だと考えたら、こんな構成になるかもしれないよな~。と、ちょっとだけ理解が生まれ始め、というか理解より先に好意を持った。『Selmasongs』を聴いて、ぐちゃぐちゃになって死んだビルに泣きつくセルマを脳内に召喚し、わたしも一緒に大泣きした。『Medúlla』(2004)というアルバムを知って、高校3年のときボーカロイドのカヴァーを全パート声で実現したいと野望を抱いていた頃を思い出したし、『拘束のドローイング9』(Drawing Restraint 9 2005, マシュー・バーニー監督)のサウンドトラックを聴いて、文旦の湯けむりと銭湯の水色タイルが見えたりした。

 少し先述したが、Björkって主にヴィジュアルとかから考えて、もう人間辞めたがってる、というか、人間というプロダクト、パッケージみたいなものを辞めたいのかな、とか勝手に想像していた。人間の内部というか細部、そういったものは好きだけど。というような嗜好なのか思惑なのか印象付けなのかはわからないし、別に本当のところを知りたいわけでもない。興味を持っていそうだな、ということはわかる。わたしは、大勢に知られて、スターになって、とかとか云々よりも、肉体脱して音楽そのものになりたいなと思っているのですが、そのへんとリンクしている気がする。オーケストラを率いたり、人と曲を作ったり、アンチ人間とかでは全くない感じも、なんかわかる。Björkは、時間や、気持ちとか、そういった流動性のある見えないもののうねったかたちや変化にぴったりと沿うことができるものを作っているなあと思う。

 そんなわたしが、『Fossera』を聴いたわけです。朝昼夜深夜早朝、どの時間帯でも聴いてみた。Björkはこれまで私の脳裏に森か天国か体内か消化器の3D絨毛を投影してくることが多かった。だから、今作は「生活から乖離した時間」こと深夜早朝(あんた、夜型でしょ!……)に聴けてすごくよかったです。目を閉じて見えた映像の話をします。

 わたし(= あなたかもしれないね)を先導する森の使者・青いモルフォ蝶。走って追いかけると、まわりに聳える針葉樹たちは後方に流れる翠の濁流みたいになった。見上げると、30mくらいに伸びた樹の葉が空をふちどってまるく切り取られた空があった。灰色で、雨の夕方みたいな色だった。20人くらいのダンサー(けっこうみんな髪が長い。ぼさぼさのひともいてほしい)がアイボリー色のシーツみたいな、切りっぱなしのおおきな一枚の布を纏っている。はだしで中心に駆けて集まって足を地面に叩きつけては散り散りに走って、ふたたび集まって足を踏み鳴らす、そういった感じのリズムがループする瞬間がとっても最高。フルートの音が鳴ったら、じぶんの頬が金色の稲穂に撫でられた気持ちになる。

 『Fossera』では、序盤のうちからバスクラリネットなどウッドボディの楽器をメインに使っているのが聴いてわかっちゃったもんだから、森や土ベースの映像が見えちゃったのかもしれない。けっこういままでの作品たち勢ぞろいな感覚。走馬灯のラインナップが時間を追ってではなく、一度に存在している風合いというのかしら、鉄琴やハープや笛の登場、肉声メデュラ神の登場……絨毛、ウイルスよ駆け抜けろ(血管を通れるほどの小さいドローンで撮影)!踊っている、生きている、と思うのはBPMの揺らぎを感じるからかしら。マットな質感とか、木の内部をくりぬいて中に入って音を鳴らして聞いたときに流れる空気の震えのようなものを感じる。木は水を吸収するし、音のきーんとした部分を緩めるような気がするし、もともと生きていた感じがある。

 真っ暗闇の教会でオルガンを弾いている人がいる。歌いながら歩いていたら、途中から蝋燭がついて、椅子とか、柱とかがクラリネットを吹いたり、コーラスを歌う人型にトランスフォームしたり、教会の床が自動で左右にスライドして土を踏んでいる(雨降って2日後くらい)。

 聴きながら、この曲のタイトルが「Victimhood」なのに気付いてぞっとした。

 森にはもちろん壁もないし、森を抜けてひらけた大草原に出たりすることもないのだが、たまに場面が切り替わって教会の中になる。雑な人面と言えば嫌な言いかたになるかもしれないが、ひとびとを描いたアブストラクトなデザインのステンドグラスがついてる、床がフローリングの、こぢんまりした教会。夕方4時くらい。私が住んでいる地域の教会かも。わたししか居ない。何しに来たかわからないし、たぶんなにも用はない。そしてまた森を進んでいる映像に戻る。わたしとモルフォ蝶は依然走っていく。進行方向に向かって、幹ほどに太い木の枝が、捻れながらスピーディに伸びてゆく。20人くらいのダンサー、もつれ笑いあいながら森を進んで行く。ただ私と並走しているわけではないんだよな、視界に入っているとかそういうところじゃない。私は踊るときはいつもひとりみたいですね。

 『Utopia』では壁のない空間を感じさせながらも、フルートの金属的な空洞がふるえたりだとか、ハープの弦がしっとり、つるっとした質感をあたえていたりしたなあと思い出した。

 「ローザンヌ国際バレエコンクール」のコンテンポラリー部門を観るのが大好きで、ずっと観ていた時期がある。いつからか、いいなあと思う音楽を聴いたとき、踊る人の映像や景色が出てくるようになった。意識していなかっただけで、前から頭の中で見えていたのかもしれないけれど、そういう想像上の世界を話すのって、少し恥ずかしいことだと思っていた。音楽を作っていると、インタビューなどで「どういうときに曲を作るんですか」とか、「この曲聴いてどう思う?」とか。あの、わたし、日記だとか、不安だとか、そういうのを言語化して特定の相手に集中させたらその相手がかわいそうだっていう気持ちがあって、それを言葉にするのを避けるために曲にしたのに……。それをまた言語を用いて説明するんだったら、なんか出力のフォーマットおかしくなぁい?と思う場面にたくさん出会ってきた。その度にすごく抵抗を感じつつも、なんとなく、がんばって言語化してみていたら、ちょっとは音楽から言語への変換ミスみたいなのは、自分の中で少なくなったように思う。文章を書くのは苦ではないと思うけど、話すのは難しいし苦手だ。そして、言語も音楽も、誰に接触するかによって、変換ミスがいとも容易に起こり得るということだ。それを厄介と捉えるか、おもしろいと捉えるか。それすら、人によって違うのだ。Björkの音楽は、私に対して自由選択を与えまくってきた。そもそも聴くか、聴かないかを含めて。そして、聴いているときは、茎や神経が上に生え昇るかんじがする。花がどんどん咲いていって、細胞は呼吸のループを始める。一定のループがズレや事故のように聴こえても、本当は、口裏を合わせたかのように生命維持の一定かつ一定でないリズムを創り上げている、そんなところがBjörkの音楽には、あるかな……と感じました。

Björk 'Fossora'■ 2022年9月30日(金)発売
Björk
『Fossora』

国内盤CD TPLP1485CD1J 2,700円 + 税

[収録曲]
01. atopos
02. ovule
03. mycelia
04. sorrowful soil
05. ancestress
06. fagurt er í fjörðum
07. victimhood
08. allow
09. fungal city
10. trölla-gabba
11. freefall
12. fossora
13. her mother’s house

Björk "orchestral"Björk
orchestral
https://smash-jpn.com/bjork2023/

| 2023年3月20日(月)
東京 有明 東京ガーデンシアター
開場 18:00 / 開演 19:00
SS席 18,000円 / S席 14,000円 / A席 12,000円(税込) Sold Out

| 2023年3月25日(土)
兵庫 神戸 ワールド記念ホール
開場 17:00 / 開演 18:00
SS席 18,000円 / S席 14,000円 / A席 12,000円(税込)
e+ | ローソン (L 55734) | ぴあ (P 227-763)

Björk "cornucopia"Björk
cornucopia
https://smash-jpn.com/bjork2023/

2023年3月28日(火) / 31日(金)
東京 有明 東京ガーデンシアター
開場 18:00 / 開演 19:00
SS席 25,000円 / S席 21,000円 / A席 19,000円(税込)
e+ | ローソン (L 71648) | ぴあ (P 223-102)

uami 'hyper感'■ 2022年10月11日(火)発売
uami
『hyper感』

https://uamicu.bandcamp.com/album/hyper

[収録曲]
01. heart-jinx
02. hlmode66plus
03. hl#4838mini
04. 魔法がきれたら
05. tsugaimini
06. princess
07. 神契
08. li
09. freestyle1008
10. hl#4838
11. tsunaide 1.1
12. ハートのしるし
13. hlmode66

0ffice0ffice
https://kiethflack.net/schedule/0ffice1023/

2022年10月23日(日)
福岡 天神 Kieth Flack
18:00-25:00
前売 2,000円 / 当日 2,500円(税込 / 別途ドリンク代)
| 予約

Release Live
Hitomi Moriwaki

Guest
Rosa (ririn yu rusty)

DJ | Live
Yuki Hata / JanSport / Kukiya Kiya / Kazuki Koga / lilog / qoonel / スポーツガーデンひ / uami

VJ
chanoma / hamasu / syk

uamiuami うあみ
LinkCore | SoundCloud | Bandcamp

宅録。基本的にエアリーな声でうたう。トラック・歌詞・コーラス・ミックス・録音・ラップ・アートワーク。