Interview | UNCIVILIZED GIRLS MEMORY | 玉野勇希


感情と身体を徹底的にイコールとする行為としての音楽に対する抵抗

 近年はアパレル・ブラント「SLAVEARTS®︎」のデザイナーも務めるZENOCIDEのヴォーカリスト・玉野勇希を中心に始動し、dotphob(Depressive Dogs, Schedule 1)、nobu(ZENOCIDE)、那倉太一(ENDON | SLAVEARTS®︎ | TOKYODIONYSOS)、西川 聡 aka Dagdrøm / Ovservr(she luv it, I.D., IP | Circles Of Mania)、RIKI(AxVx)が流動的に加わりながら活動を続けてきたUNCIVILIZED GIRLS MEMORYが、初のフィジカル・パッケージとなる新作『EMERALD』を真空包装カセットテープ(+ DLコード)とTシャツのセットというフォーマットでリリース。ライヴ都度にスタイルを変え、Bandcampを中心に発表されているレコーディング・マテリアルもあまりパフォーマンスとの合致を見ないにもかかわらず、煙に巻く、嘲笑うといったトリッキーな態度とは真逆の、誠実なクリエイティヴィティを伴う謎めいた存在について、ファウンダーの玉野さんにお話を伺いました。

 なお『EMERALD』は、新作マーチ各種と併せて特設サイトにて受注販売。予約受付は6月20日(土)まで。


Artwork ©2Ø0ΛA!£ (SLAVEARTS®︎)
取材・文 | 久保田千史 | 2020年6月

――すいません、ベタな質問から…。UCGMって、どういう集まりなんでしょう。“バンド”と呼んで差支えないのでしょうか。
 「始めたきっかけとしては、当時バンド(ZENOCIDE)が動いておらず、ただひたすらにだらしない消費活動だけをしている状況の中で、なにかしら生産的活動をしたいという欲望があって……。2016年に僕の個人的意匠を中心に据えた音楽プロジェクトとして始動しました。少なくとも2017~2018年までは音楽制作を目的としていたので、バンド的であったと言えます。ただ、当初から全員横並びの所謂バンドらしい組織を目指してはいなかった、またバンド的構造を非バンド的な構造に陥れることを目的としていたので、当初から非バンド的であったとも言えると思います。正直言えば、その生産というのは別に音楽でなくともよかったんですが(というより音楽以外のことがやりたいという気持ちすらあった)、ヴォーカルなら10年以上やってきたきたことなので、やればすぐできるという妥協がありました」

――2016年時点での玉野さんの“個人的な意匠”は具体的にどういうイメージだったのでしょう?「別に音楽でなくともよかった」という思考は、以前ZENOCIDEの一員としてお話を伺った際に「別に“スラッジをやる”なんて宣言していない」とおっしゃっていたヴィジョンの延長線上にあるように思えるのですが、“個人的な意匠”とも関係していますか?
 「ZENOCIDEについては、そもそもあのバンドが非常に特異な在り方をした組織というか……まず、10年以上の活動において、中心人物というのを我々の中でも定めたことはありませんでした。ZENOCIDEをZENOCIDEたらしめているものは、そのときのメンバー間における関係性でしかあり得ず、演者である我々がメタ的にZENOCIDEを構築しようという意識のもとでのみ立ち現れる現象と捉えています。でも、話しながら思いましたが、それこそが自分が思うバンド性であって、そもそもバンドというのはそういうものであるとも言えるのかもしれません(笑)。それと対置させるなら、UCGMではある種我儘になってみたかった、ドグマティックな作品作りがしてみたかったと言えるかもしれません。ただし、発足時に僕から声をかけたのはdotphobとnobuの2名のみで、今現在は人員も増えているので、同様ではありません」

――最初にdotphobさんとnobuさんに声をかけた理由は?
 「活動以前に僕の頭の中で想定していたのは、所謂パワエレに近い、ノイズ + ヴォーカリゼーション + ハードコア的ヘヴィネス……みたいなもので、例えばDave phillipsがやっていたDEAD PENIとかをロールモデルとしていました。なので、ほぼこの2名の参加を前提として絵を描いていたというのが実際のところですが。dotphobはトラックメイク / 編集 / マスタリングまでこなす多才さに信頼があったのと、ラップをやっていたときにすでにデータのやりとりで何曲も作った実績があったので、彼がいればとりあえず音楽にはなるという頭ではありました。nobuはZENOCIDEのメンバーで技術やセンスに対して信頼があったのはもちろんですが、何より毎日のように遊んでいたので(笑)。結局ソロ的な活動がしたいとなっても、あまり独りで何かやるっていうのが好きっていうわけじゃないというのはあると思います」

――アパレル・ブランド「SLAVEARTS®︎」の創立も「なにかしら生産的活動をしたいという欲望」の一環なのでしょうか。同ブランドも玉野さんならではの意匠が多分に反映されていると思うのですが、UCGMの活動とリンクする部分があれば教えてください。
 「SLAVEARTSの成り立ちとしては、僕がUCGMを初めてから自分でもグラフィックだったり、それを落とし込んだマーチ的なものを作り始めたタイミングで、たいちゃん(那倉太一)からENDONのシャツのデザインを依頼されたのが最初でした。そのときに作ったのが『ENDON “1995”』と『DESTROY YOUR ENDON』だったのですが、諸々の事情からバンド物販として扱うのが難しくなり、別の形で販売しようということになってSLAVEARTSを立ち上げたという経緯だったと記憶しています。UCGMとのリンク……というか現在は今回『EMERALD』のアートワーク全般を担当してくれた2Ø0ΛA!£もSLAVEARTSに参加しているので、ほぼ表象のしかたの違いであって、構成要素は同一と言えるものです」

――“欲望”の原点についての所見を聞かせてください。玉野さん個人、もしくは人類全体においてでも(笑)。
 「欲望の原点であると言えるかはわかりませんが、やはり僕にとっては、ヴォーカリストとして“声だけになる”というか、音楽を作る要素化するということ自体が自己破壊的であり、タナトス的なものと不可分であるということ。たいちゃんの言葉を引用するなら“自らを記号化する”ということ、自己の感情と身体を徹底的にイコールとする行為としての音楽に対する政治的抵抗もしくは批判としてUCGMは存在しています」

――音楽を作ろうと思い立った具体的なきっかけがあれば教えてください。
 「きっかけ……というか、中学生のときにファッションからSEX PISTOLSを好きになって。当時は裏原系とかも全盛期で、そういう感じが流行っていたっていうのもあると思うんですが。そこからはインターネットを駆使してハードなほうにハードなほうにと掘っているうちに、2001年とか2002年とかなんで、Crust Warとかも超イケイケの時代だったので、順当な流れでクラストになって。当然バンドがやりたくなるんですが、地元にはそういうの好きな奴がいなかったので、ネットのメン募で見つけたメンバーとバンドを組んでみたんですが、たしか1年くらいで解散になっちゃいました。そのときのギターのやつと次に組んだのがZENOCIDEです。たしか17歳くらいのときでした。ちなみにそのギターの彼は今は地元の群馬に戻ってグリッチを作ってるって話を聞いたのが最後なんですが、もしこれを見てたら連絡ください」

――玉野さんはこれまで、多くのエイリアスを用いて活動してきましたが、それも自身の“記号化”の一環だったのでしょうか。戸籍謄本的な属性に同定されないためというか。例えば、昔のレゲエ・ミュージシャンが名前を多く持っているのは、身を守るためという明確な理由がありました。それとはちょっと違うように感じていたんです。グラフィティ・ライターとかは、その中間に位置する気がしますけど。
 「いろんな名義をアルターエゴ的に使い分けて各テクスチャーを名前の中に封じ込めようみたいな気は全くなくて、むしろ正しく名前の元に統合はなされているべきと思っているタイプなんですが……それでもまぁ、結果的に振り返ってみると、幾度も変名をせざる得なかったのはその時々で“何者かに成りたい”という欲望の表象ではあったのかなとは思います。今現在、本名での活動を選択しているのは、“何者かになりたい”と“何者でもないものでありたい”の狭間で、諦めを含めて選ばざるを得なかったというのに近いのかも。そこまで考えていたわけでもないんですが(笑)。去年末にAVE | CORNER PRINTINGで書いた文章でも少し触れたけど、周囲の知人友人から名字で呼ばれる機会が増えたということと、今は仕事も友人たちとやっているので、オンもオフも玉野勇希であるという感覚でいられているというのも理由かもしれません」

――参加している皆さん各々の得意(特異)な技能と役割、もし玉野さんがコンダクトしているのであれば、その際に想定しているそれぞれのアウトプットについて教えてください。
 「ライヴ活動をしていた時期に楽曲や構成においてある程度僕が指示したという側面はあれど、今現在はUCGMを構築するという意味での社会的な役割というのを各個人に振り分けることはしていません。田崎英明が著書『無能な者たちの共同体』の中で“社会的役割を遂行するうちは交換可能なパーツ。何者でもない、いわば無能なものである時にこそ人間は交換不可能な固有の生を生きることが可能となる”的なことを言っていたと思うんですけど。大仰に言えばUCGMも何者でもない個としての創作が可能となる“場”として機能すればいいなとは思っています」

――先の質問はベタに、どのメンバーが他にどういう形態でどんな音楽をやっているのか、とか、UCGMではどんな楽器や作業を担当しているのか、みたいな紹介的な部分の玉野さんから解説してもらう目論見だったんですけど、その外界で何かしようという試みなんですね。名義に関する質問とも関係してきますけど、実在論的な立場というか。認識論的な視点では、おっしゃっていたようにタナトスに誘惑されているようにも感じます。
 「そういう意味で言えば、“何者かに成る”ことからの解放されることではあるのかもしれない。例えば西川君は、ギターもビートメイクもできるし、ドローン・ノイズも作れるけど、実際何の人かと言うと、良い意味でよくわからないじゃないですか(笑)。そういう人間がそのまま存在できる場であるというのは重要であると考えます。よくわからない人がよくわからないことをよくわからない集団でやっているというアナログ的な解像度の低さというか(笑)。それは反記号化的と言えるかもしれません」

――”ライヴ活動をしていた時期”とおっしゃっていますが、”ライヴ活動”をどう捉えていらっしゃいますか?僕個人としては、現場でフィジカルなムーヴメントを構成するのが唯一の正義として”ライヴ活動”を語る論調に否定的なのですが、UCGMは、現場が重要な位置を占めているのは間違いなくとも、そこのみに表現の重点を置いていない気がしています。”現場主義”の視点が所謂バンドマン的な発想とは異なるというか。
 「当初はむしろ音源制作だけでライヴはしないという方向性だったんですが、西川君とRIKIが参加するという話になったときに“ライヴと音源で内容が全然違う”っていうのがやってみたくなりました。Bandcampでドラムレスのドローン・ノイズの曲をアップした直後のライヴではグラインドコアをやるとか。次回はライヴでドローン・ノイズ1曲のみとか。ライヴだと対バンがいたりするわけで、それも含めた事象として意味を持たせたいとは考えていて、そういう意味ではバンドというよりもDJみたいな音響の扱い方を想定していたと言えます。ちなみにオタク・メソッドで言えば現場の対義語は在宅になりますが(ジャニヲタでいえば茶の間)、バンド界隈的には何になるんですかね?そこらへんにヒントがありそうな気がします」

――う~~ん、バンド界隈的には……フツーにオタクですかね(笑)。でも、僕が言いたいのは、現場 Vs 在宅、録音物 Vs ライヴみたいな二項対立の話ではなくて、ライヴでしか出せない、得られないものがあるのは自明とはいえ、バンドの“ライヴをやらない”という表現形態が否定的に捉える感覚がよくわからないってことなんです。これだけ音楽表現の幅が成熟してきているのだから、普通にあっていいと思う。武満やフェルドマンだって、実地演奏を前提としていないだろう曲はたくさん残していますが、それでもやっぱり音楽です。そういうバンドがいてもいい。我々は“〇〇はそういうもの”という思考形態に抵抗してきたはずにもかかわらず、“バンドは現場でナンボ”という“伝統”めいたものだけは根強くある。そのわりにDARKTHRONEは好きだったりする(笑)。そういうのマッチョだし、意味がわからないんです。ライヴを大前提に活動しているミュージシャンだって、もしかすると、エディットに懲りだしたらすごい音楽を作るかもしれない(菊地成孔がそれに当たるのかも)。だからもちろん、逆もしかりです。ライヴを想定せずに音楽を作っていた人が、現場に出て何かが起こる。蓮沼執太さんとか典型だと思います。そういう点でUCGMいいな、って思っていて。ライヴの本数が少ないという意味ではなくて(笑)、すべてのフォーマットを表現に利用できる機能が備わっているというか。例えば、DOMMUNEでの玉野さんがマイクを持ったまま最後まで発声しなかったライヴ(・インスタレーション)。僕は現場で観ていましたが、現場の観覧者がいるからこそ成立するものだけれど、インパクトはレンズ越しの視聴者に対してのほうが大きいかもな、って思ったり。毎回異なるライヴのスタイルや、音源の発表のしかた、SLAVEARTSのように服飾を含むアウトプットとの関係性などに、音楽の“売りかた”とは違う、新しい表現、やりかたが見える気がするんです。必然的で、“そういうもの”としてやっている部分が見当たらない。長々しちゃいましたが、玉野さんご自身はどう思われますか?
 「ライヴやらないバンドって意外と普通にいないですか?BESTHÖVENとかDEATHSPELL OMEGAとか。ライヴ表現の話で言っても、全パート生演奏のダイナミズムが醍醐味とされているバンド界隈からしたら、ラップとかアイドルのライヴみたいにオケどころかヴォーカル・パートまで含めて音源丸流しのライヴなんて信じられないんだろうし。DOMMUNEでのパフォーマンスは、あれは敢えてネタばらしをすると、完全に後期肉奴隷へのオマージュでした。10年くらい前に肉奴隷・岡田氏がMarshallにマイクを直刺ししては一切声を出さずにフィードバックだけで演奏するというのをよくやっていたんですが、異常な緊張感を放っていたのが印象的で。なのでそのオマージュをあの場でやろうと思ったかと言うと、ちょっと覚えてないんですけど。完全に余談ですが、ももクロのオタクからすると“生歌じゃないとライヴじゃない”らしいので、それに従うならあの日のUCGMは全くライヴじゃないですね(笑)。話が逸れましたが、UCGMがライヴの本数少なくなってきたのは単純にあまりオファーが来なくなったからっていうのが一番大きいです。僕もphobも(今は西川君も)2019年くらいからAVE | CORNER PRINTINGで批評的なテキストの寄稿を始めたり、僕が短歌詠んだりっていうのを実験的にですがUCGMのTwitterアカウントでまとめて発信してしまったので、対外的に見ても“もうこの人たち音楽興味ないっしょ”くらいに思われてても不思議はないかな?とか……(笑)。まぁ、それは被害妄想かもしれませんが、事実そのくらいからUCGMとしてのアウトプットを音楽に絞らずに考え始めたというのはあります」

――そうそう、DEATHSPELL OMEGAとかそうですね。BESTHÖVENはたぶん初期のDARKTHRONEよりもライヴやっていると思いますよ。ブラックメタルは、BURZUMという動かし難い先達あっての”ブラックメタルはそういうもの”という見方があって、アイドルの音源ライヴも”アイドルはそういうもの”という見地に従っていると思うんです。例えば、MADBALLが”レコーディング・バンドになります!”って宣言したら、たぶん誰も納得しないじゃないですか(笑)。そういうのも受け入れられるようになってもいいんじゃないかな?って。バカっぽい発想ですけど。でも、”ライヴをやらなきゃ”っていうのは抑圧的でもあるってやっぱり思うんですよね~。逆説的に、ライヴをやらないバンドがポピュラーになった世界のディストピア感ということでもありますね。コロナ禍下の現在を鑑みても。UCGMはそういう事象に左右されない、ある種の強靭さが備わっているように思います。”何者でもない個として創作が可能となる場”であることが大いに関係している気がするんですけど、いかがでしょう。
 「BESTHÖVENマジか(笑)。適当言ってすいません!CHAOTIC DISCHORDもプロジェクト・バンドだからライヴはやってなかった、みたいな話じゃなかったでしたっけ(エビデンスなし)?でも、こうして“ライヴをやらないバンド”を並べていくと、ジャンルを跨いでも謎の共通点がある気がしてきますね。MADBALLのスタジオ・バンド化(非ライヴ・バンド化)に抵抗を感じるのは、生権力的な意味での暴力の否定とMADBALLのパブリックイメージが相反して見えるからですよね。いずれにせよ、話せば話すほどUCGMとは無関係な話に思えてきますが、仮にZENOCIDEがスタジオワークのみでライヴ表現は一切しないと断言するには私的にも違和感があるので、そこには音楽性以外、関係性的な“バンド”に担保されているように思います」

――UNCIVILIZED GIRLS MEMORYという名称は、これまでお話いただいた内容と関係がありますか?差支えなければ由来を聞かせてください。
 「名称に具体的な意味があるというか、3つの単語が互いに意味を付与しあい、また打ち消しあうようなネーミングにしたいという意図はありました。この構造自体の元ネタがあるんですが、それはここでは非公開にさせてください。気付いた人がいたら是非Twitterにでも書いてください(笑)」

――これまで、Bandcampでの単曲リリースが続いていましたが、その形態を選択した理由は?個人的には、10年前にウィッチハウスやトリルウェイヴをDLしまくっていた頃のたのしさが蘇ってくる感覚がありました。意図は全く異なるでしょうけど、ヴィジュアル面でも。
 「単純に自分自身ほとんどスマートフォンでしか音楽を聴かないので、Bandcampでのストリーミングを選んだのは自然なことでした。スマートフォンの身体性論とかはもう目新しくもないですけど、イヤフォンを耳に差して街を歩く行為自体の自閉性というか、“皆と同じようにiPodの手術を受けたい”コピペ的な感覚にアクセスしたかったというか。これは幻想かもしれませんが、アルトー的な意味でのヴァーチャル・リアリティに近いものになることを期待していました。加えて前述のように、当初はライヴ / 音源の差異による文字通りのグリッチを作り出す目論見があったので、音源を無料公開することによる広告的な意図もあったのと、Bandcampをスマートフォンで表示したときにサムネイルが整列している感じも面白いな、と思っていたというのもあります」

――初期の作品では、Yousuke Yamadaさんによる写真と文章が添付物というよりも作品の一部としてフィーチャーされていて、音のみで作られる表現とは一線を画するスタイルの片鱗が見られました。ヴィジュアルとテキストの扱いは、現在玉野さんが取り組んでいらっしゃるグラフィックや短歌に受け継がれていると思うのですが、当初はどう扱おうと考えていらっしゃったのでしょうか。
 「Bandcampの話の続きにも近いんですが、フィジカルだとまず物質の実在と音響の存在は乖離せざる得ない側面があると思うんですけど、データだと実体がないぶん、アートワークと楽曲がよりシームレスであるという感覚を利用したかったんです。山田さんはもともと仲良くしてもらっている先輩でもあり、彼の写真作品のもつ感傷的というか、ノスタルジア的ムードからはインスパイアされていたので、真っ先に声をかけさせていただきました。山田さんとはまたUCGMで共作できればと思っています。短歌については、めちゃめちゃ舐めた言い方でいえば“できた”からやっているというのに近いです。最初はもう少し尺の長い、現代詩みたいなものを書きたいという願望があったんですけど……短歌は、良し悪しは別にして、あの型に沿えばかたちにはなるじゃないですか。やってみたら周囲からは割と好評だったので、調子に乗って続けているというか。最初は“歌人の詠む短歌”みたいなものを目指していたわけではなかったですが、やっているうちに短歌自体が好きなってしまいました。デザインもそうだし、言ったらバンドでヴォーカルというポジショニングをしたのも“できた”からという言い方が近いかもしれません。とか言うとめっちゃできる人みたいですが、そもそもできることが少ないので……」

――ライヴしかり、音源しかり、UCGMでは玉野さんが“ヴォーカリスト”として存在する時間がどんどん短くなっているように思います(笑)。『EMERALD』でもその傾向が如実に顕在化していますね。同作について玉野さんは“僕はほとんど何もしていない”とツイートしていらっしゃいましたが、逆に『EMERALD』ではどんなことをしていらっしゃるのでしょう?
 「前述のように、別にヴォーカルがやりたいと思ってUCGMを始めたわけではなかったので。最近は短歌を詠んだりで表現欲求はある程度賄えているというのもあると思います。ただ別にやりたくないとかではないので、次作では普通にめっちゃ叫んでるかもしれないし。その時々で最適なかたちを選んでいきたいとは思っています。今作で何をしているかというと……実際、本当に何もしていないに近いんですよ(笑)。ただ中心に立って、みんなが良い作品を作ってくれたのを受け取って、字義通り真空パックして皆様にお届けしているだけです(笑)もちろん今作にもヴォーカル・トラックもあるので、それはぜひ内容を確認してもらえると嬉しいですね」

――カセットテープを真空包装にした理由を教えてください。個人的には直球のかっこよさに加え、ラバー・フェティッシュの連想、シニカルな悪戯、レイシズムへの抵抗など、様々に受け取れます。“開封しなくても再生可能です”の一文にもちょっとした悪意を感じます(笑)。
 「現在、世間で流通しているレコードやカセットのアナログ媒体にお約束で“DLコード付き”が謳われているということ自体が、アナログ・フォーマットのメディアとしての有用性の否定にほかなりません。そうなる前から“CDはデータの乗り物”的言説が流行ったりだとか。乗り物説はiPod全盛期での話ですが、今はもうデータは乗り物すら必要としていないじゃないですか。ジジェクが去年の新刊で電子マネーについて“物的欲望としてのフェティシズムはその実体を喪失したときにこそその真にその性質が現れる”という旨の発言をしていますが、逆説的に近年の“データ付きアナログ・フォーマット”の再興はその欲望を物質に縛り付け直す反動的ムーヴメントに見えます。とは言え、カセットの中に封じ込められているのは当然データです。つまり“データ付きのデータ”が販売流通しているという歪さを、真空パックによってカセット内部のデータを2重に拘束することで戯画的に可視化することが目的でした。結論に飛びますが、つまりは“開封しなくても大丈夫です”。所有者はカセットテープという存在者を介さずともEMERALDという存在にアクセス可能です」

――なぜエメラルドなんですか?“構造的闇黒存在論”との関係は?
 「タイトルについては、楽曲が先行してあって、それを聴きながら僕がロールシャッハ的にその印象近いシニフィアンを捕まえるというのが定石ですが、今回はそれがEMERALDでした。Wikipediaの内容と楽曲を紐づけることも可能だし、ラカンの『症例エメ』に準えて考えたりもしましたが、あくまでも後付けですね。たいちゃんみたいな精神分析主義者にはそれこそ深層だと言われるかもしれないけど(笑)。構造的暗黒存在論は、Dystopia + Ontology = Dystontologyという僕の造語で。アンビエント(環境音楽)という概念自体が非常に人間中心主義的だと考えますが、だとするならそのアンビエントの中にコードのメジャー / マイナーがそのまま印象の明暗になるというのに疑問があって。つまり環境音の明暗のジャッジは思弁性に担保されざるを得ない、環境(的持続音) + 思弁性 = 環境音楽であるなら、この音源を聴きながら街を歩くことでディストピアを可視化、実在させることが可能になると考えました。ちなみにこれはそれこそイヤフォンを耳にさして街を歩くということを想定しているので、カセットというメディアに準じて言えば正に“ウォークマン”になることが可能になるというギミックを持たせました」

――デザインに関して、2Ø0ΛA!£さんと打ち合わせたことなどあれば教えてください。
 「まず剥き出しのカセットが真空パックされているというところからスタートして、グラフィカルであるほうが良い、英語以外の言語表記があるほうが良い、くらいの話はしましたけど、それ以外はほぼ丸投げでやってもらってしまいました。2Ø0ΛA!£もほぼ毎週のように会っているし、仕上がりについては全方位に信頼がありました。案の定というか、これ以上ない仕上がりにしていただけて感謝しています!」

―― “何故か発表するまでとても大変だった”理由を、差支えなければ具体的に聞かせてください!
 「それはもうただただ僕がだらしなかっただけですよ(笑)。ZENOCIDEではリリース時の入稿だとか連絡周りはだいたい前ちゃん(前田佑輔)がやってくれてましたし。最初から最後まで自分で手配して、っていうのはほぼ初めての経験でした。結果としては、自社サービスのホスピタリティの高さに感動しましたけどね(笑)。ほんと誰でも簡単に作れるので、ODD TAPE DUPLICATION(CP)でみんなカセット作ったほうがいいですよ。小ロットから作れるので、ローリスクですし。最後の最後にめちゃめちゃステマみたいになっちゃいますけど(笑)。次作は紙媒体で詩、音楽、グラフィック(アート)がより並列で受け入れられるメディアが作りたいと考えていて、それはそれで動いてはいるんですが、今回やってみてカセットを作るのが楽しくなってきたので、phobや西川君の過去作とか、バンド編成時の未発表音源とかをカセット化するのもありなような気がしてきています」

――次作もテープもめちゃくちゃ楽しみです!UCGMのやりかただと、展示というスタイルもありそうな気がしているのですが、予定あったりしますか?バンド活動での展示スタイルは”SAIGAN TERROR展”に先越されちゃいましたけど(笑)。
 「展示だとしても、やはりそれは臨場性(via 斎藤 環)、ライヴ表現ですよね。言ってみれば、グラフィックが衣類になって着用者が街を歩いているとかも完全に臨場的でライヴ表現そのものです。SAIGAN TERROR展は原宿のど真ん中に高円寺をコラージュしてみせる、例えば正にグラフィティ的タームを用いるならば“上にいく(going over)”的階級闘争をメタ的に再現して見せるという意味で、僕がこうやって批評じみた文言を並べるまでもなく、素晴らしい展示でした。今のところ、そこまでの意味合いを展示というかたちに求められないので予定はありませんが、やりたくなったらやるかもしれません」

わたしたちの『EMERALD』、未確認少女のメモリ


| 「⌘ + Z」

2Ø0ΛA!£ | SLAVEARTS®︎

厭世はどうやら偏狭と恍惚を伴うが、吐き気は拭い去れないらしい。
カーテンが白むだけで憂鬱はとめどなく押し寄せるし、実際にただ泣く。ぐっと喉が詰まるようなあのかんじだ。現実のザッピングで疲弊した思考の痺れが四肢に伝わり、指先も溶けて曖昧になってしまった。下から眺めるのか上から眺めるのか、ゆらゆらと光る水面は緑色のピクセルの集まりで、半分くらいが曇ってしまってぼんやりとしてよく見えない。乖離の心地よさが曖昧を助長し、すこしづつすこしづつ澱んでいく。その澱を避けることもできず、ただ膝を抱え積もり深く沈む。鈍い静寂と形骸がそこいらに散らばり、真空のなかで振動が生まれる前に消えてしまった。発せられなかった言葉の残滓がゆっくりと脳を揺する。返ってくるはずのない木霊がもういちど輪郭線を描いたが、あるのはその輪郭と、あとは仄暗い虚ろだった。
空虚が、洋服を着て横たわっている。

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かなしいかなしいかなしい。

| 「声の不在」
dotphob | Depressive Dogs, Schedule 1

那倉邸にてタコスパーティの最中、玉野から「音楽メディアとしてのUCGMはもう終わりだな!」と言われるも「ああ、そうか。」とその時は妙に納得したのだった。
しかしながら帰宅した2日後に今まで感じた事のない喪失感に襲われてしまう。
発信するプラットフォームが減る悲しさと同時に、お得意の被害妄想が始まってしまった。
周囲の殆どが同棲を開始したり既婚者となった事もあり、独身で精神的童貞の自分だけが社会から取り残された感覚にまで陥る。
現存在としての充足を満たす自慰行為を模索すべく、インターネットで自分探しの旅へ出た。
検索の度が過ぎて“自意識の構造”という疑問が生まれたが、各種哲学等の例はあれど明確な結論が出なさそうなので断念する。
「君は前向きだけどネガティヴだな」と会社の社長からも言われたばかりだった。
だが一番最悪な状況を想定しながら行動する事は職業病でもあるので、社長から言われる筋合いはない。
そんな様子を見かねた玉野から連絡が来る。
どうやら音楽制作活動自体を停止するわけではないという話で誤解が解けた。
「Mr.JUNKO」みたく「Mr.TAMANO」などと服飾ブランドにプロジェクト指針を突然変更されたらどうしよう、という不安もあるが、その時はUCGMでの音楽制作を控えて素人モデルでも目指そうかと思う。
前向きだけどネガティブ、まさにこのことだ。

| 「UCGM『EMERALD』リリースに寄せて」
那倉太一 | ENDON | SLAVEARTS®︎ | TOKYODIONYSOS

このプロダクトには、私たちにとっての「当たり前」がパッケージされています。
これはどこかの誰かの言う「ノリでやりました」という台詞のパラフレーズでないということも、先ずは申し上げておきましょう。

さて、開封に際して喚起させて頂きますと、エメラルドは、その内部に傷を持ち、硬度があるのにも関わらず壊れやすいという特徴を有します。そういった事情を踏まえまして、通例通り取り扱い注意のケアマークを貼付させて頂きました。

この現代のエメラルド・タブレットに記してあるのは、相も変わらず、人間は霊として生じたにも関わらず、この物質界に下降し、幽閉されているということ、そして、見ての通りの体たらくであるこの世界で認識を得て、神界に復帰しなくてはならないということです。

しかし、私たちはアリスの様に、落下しているのか上昇しているのかさえ判らない始末です。
日々繰り返される、“生きながら解放されたもの”になるための実験と祈りは果たして成就するのでしょうか。

折角ですが、そろそろ時間となりましたので、このあたりで痴れ事はお仕舞いにさせて頂きます。
それでは皆様、またお会いしましょう。
入梅の折柄、どうぞお健やかにお過ごしください。

| 「記憶の減衰」
西川 聡 aka Dagdrøm / Ovservr | she luv it, I.D., IP | Circles Of Mania

私にとってUNCIVILIZED GIRLS MEMORYとは、玉野勇希そのものを形容するものだ。
誰が参加していようがいまいが、表現する事に変わりはないだろう。

玉野勇希はスカムだ。

彼が絶叫する姿を初めて見た時、その不道徳を嘔吐した様な声に即座にSeth Putnamが脳裏によぎったのを記憶している。
当時セスは既に亡くなっていたので、こいつはSethの生まれ変わりなのかとさえ思った。

どれだけ彼が文学に傾倒し、幸せな暮らしや安定した仕事を手にしても、玉野勇希とはスカムを可視化した装置であり続けるだろう。

スカムとは才能であり、人種である。
残念ながら、どれだけ血の滴る様な努力をしてもスカムではない人間はスカムにはなれない。
共通言語では会話できないということだ。

数少ない共通言語を話せる友人である彼と、何かを共にする事は極自然なことであり、そこには特に意図もなければ目的もなくて良いと思っている。

「新しいユニットを始めたので、西川君も何かやってください!」と2017年に連絡をくれたときの「何かでいいんかい!」という気持ちは今でもずっとあるので、何かを彼と今後もやっていくのだろう。

UNCIVILIZED GIRLS MEMORY Twitter | https://twitter.com/UNCIVILIZED_GM

UNCIVILIZED GIRLS MEMORY 'EMERALD' UNCIVILIZED GIRLS MEMORY
TOTAL UCGM
https://ucgm.official.ec/

| 『EMERALD』カセットテープ + Tシャツ セット
税込4,500円
5曲入り計28分の真空パック入りカセットテープ + Tシャツのセットです。
DLコード付きとなっておりますので真空パックを開封しなくても音源の再生は可能です。
TシャツはGILDAN XL相当のワンサイズオンリーとなっております。
“U_C_G_M”文字部分のみ蓄光刺繍となっているので暗闇で光ります。

[Side A]
STRAIGHT SORROW #2 (3:30)
EMERALD (3:32)
DARLING (7:00)

[Side B]
BENDING CITY #1 (8:48)
BENDING CITY #2 (6:02)

[参加メンバー]
玉野勇希 / 那倉太一 / dotphob / Dagdrøm
Total Artwork By 2Ø0ΛA!£ (SLAVEARTS)

| INOCCENT” Tee
税込3,000円
Body: Alstyle | Size: S-XL | Designed By 2Ø0ΛA!£ (SLAVEARTS)

| DOQR” Tee #1
税込3,000円
Body: Alstyle | Size: S-XL | Designed By DOQR

| DOQR” Tee #2
税込3,000円
Body: Alstyle | Size: S-XL | Designed By DOQR

| TOTAL UCGM” Tee
税込3,000円
Body: Alstyle | Size: S-XL | Designed By Y. & 2Ø0ΛA!£ (SLAVEARTS)

| HANDLE WITH CARE” Tee
税込3,000円
Body: Alstyle | Size: S-XL | Designed By Y.
初期トレードマークTeeの復刻品となります。
クロームインクプリントなのでギラっとした仕上がり。

UNCIVILIZED GIRLS MEMORY "HANDLE WITH CARE" Tee

| EMERALD” Cap
税込3,000円
Body: United Athle | Designed By 2Ø0ΛA!£ (SLAVEARTS)
カセットのアートワークを刺繍に落とし込んだナイロン素材のキャップです。