Interview | Toshi Kasai


恥ずかしがる必要なんかない

 トシ・カサイ氏は、米ロサンゼルスに拠点を構え、オルタネイティヴ・ロックの最前線で活動し続けてきたプロデューサー / エンジニア。HELMETやTOOLといった個性的なヘヴィ・サウンドを鳴らすバンドと深い交流を持ち、特にMELVINSに関しては、影のメンバーと呼ばれるくらい重要な役割を長きに亘って果たしている。このインタビューは、2019年11月のMELVINS来日公演にトシさんが同行した際、開演前の会場にて行なわれたもので、興味深い話を山ほど聞くことができた。MELVINSやTOOLのファン以外にもぜひ読んでほしいと思う。

 また、錚々たる顔ぶれの凄腕ドラマーが参加したユニークなコンセプトのソロ作品『Plan D』も、今年5月に米「Joyful Noise」からリリースされている。単なる裏方職人の域を超える彼のセンスが存分に発揮された非常におもしろい内容なので、ぜひチェックしていただきたい。


取材・文 | 鈴木喜之 | 2019年11月


――まずは簡単に、この道へと進まれた経緯を話していただけますか?

 「若い頃は自分で音楽をやっていて、中学生くらいからギターを弾きはじめ、友人たちとバンドを組んだりもしていました。でも、バンドっていうのは、同じような曲ばかりやらなきゃいけないじゃないですか。それが何となくつまらなくなってきて。ちょうど、いろんな音楽をどんどん好きになっていった時期でもあり」

――バンドという形態では、やれる音楽の種類が限られてしまうと?
 「そうそう。そういう感じだったんで、なんか悟ったっていうか、ふとそれに気づいた時に夢が覚めちゃったんですね。18歳くらいの頃でした。音楽に対する希望がちょっと薄れてしまって。ただ、曲はずっと書いていたんですよ、そこはやめずにいて。そうしたら20歳のとき、LAのエンジニア学校に通っていた友達から“絶対に来たほうがいいよ”って言われたんです。それで、“そうか、プロデューサーとかエンジニアになれば、いろんな音楽に携われるじゃないか、じゃあ、やってみよう”と思って。その友人の一声で、まだ漠然とはしながらも、挑戦する気持ちが沸き起こった。自分は野球が好きだったので、野茂(英雄)が初めて大リーグに行ったことにもすごく刺激を受けてました。俺もやるんだったら徹底的にやろうって。あと個人的な話ですが、親父が亡くなったというのもあって、もう家にいる必要もなくなったというか。次男ですから、自由にさせてもらえて。イギリスの音楽が好きだったんで、一瞬イギリスに行こうかとも考えたんですけど、イギリスには野球がない(笑)。野茂も、その気にさせてくれた友人もLAだし、これも何かの導きだと思って、そっちに行くことにしました。イギリスの人もLAまでレコーディングに来るだろうし(笑)。英語の勉強はその前から始めてましたね。若いときからずっと英語の音楽を聴いて、アメリカ映画を見て、これだけは勉強しとこうと思っていたんです」

――現地の学校を出た後は、どのように仕事を始めたのですか?
 「卒業後すぐにスタジオで働けましたよ。“おまえは頑張るやつだから”と学校での知り合いがひいきにしてくれて、“こことここはどうだ?”って推薦してもらえて。インターンシップっていう感じで何件か回ってから、そのうちのひとつ、Hook Studiosに入りました。そこへTOOLが『Lateralus』(2001, Volcano | Tool Dissectional)のオーバーダブをしに来て、彼らと知り合いになったのが2000年のことですね。そのセッションにBuzz Osborneも顔を出していた。そこではあまりBuzzとは喋らなかったですけど、TOOLのギタリストのAdam Jonesと仲良くなったので、彼の家へ遊びに行ったら、Dale Croverと、当時MELVINSのベーシストだったKevin Rutmanisもいて。“おまえ、いいスタジオ持ってるんだってな?”と聞いてきたので、“違う違う、俺はそこで働いてるだけだよ”って答えたら、“そんなこと関係ないよ、そのうち行くからな”なんて言っていて。そんなに信じてなかったんですけど、本当に1年後くらいにやって来ました。それが2001年の終わりくらいですかね。当時はまだスタジオのスタッフでしたから、自分たちのエンジニアを連れてくるだろうと思っていて、“誰がエンジニアやるの?”って聞くと、“おまえだよ!”って。“よし、じゃあ、やるか”ということで。スタジオではなんでもやらされてましたから、それ以前にも専属エンジニアのいない人たちから“スタジオにいるエンジニアが録音してくれるんだろ?”って頼まれることもありましたし、友達のバンドとかもレコーディングして、そこではプロデューサーとしてクレジットされたりもしてたんで、慌てたりはしなかったです。ただ、そのときのMELVINSの仕事をきっかけに、以降は自分がエンジニアもやる仕事しかしなくなりましたね。その前にはMike Pattonが、やっぱりTOOLの紹介で、FANTÔMASのヴォーカル録りで来たりしてました」

――以降20年近く、ずっとMELVINSでエンジニア / ライヴPA、時には演奏においても関わってきたわけですね。
 「はい。一番最初にやったアルバム(『Hostile Ambient Takeover』2002, Ipecac Recordings)でも、いきなりキーボード弾いてくれと頼まれて。“俺はギター・プレイヤーなんだけどな”って言ったんですけど、ギターはみんな弾けるんで、あまり相手にされなかった。そこで、それまであまりちゃんと勉強したことのなかった鍵盤を、もっと練習しようって思いました。姉と兄がヤマハのオルガン教室みたいなのに通っていたんで、家にはあったんですよ。これがドレミでしょう?って感じで楽譜も読めたし。指の動きとかは、ちゃんと学んでないですけど」

――これだけMELVINSと長い付き合いになったのは、やっぱり性格的に合うところが大きいのでしょうか。
 「そうですね。彼らも自分も、当たり前のことが嫌いなんですよ。ただ周りがやってるようなことを自分もやってるだけでは満足できない。“彼らはこうやってるから、俺たちも同じようにやろう”っていう考えがないんです。Kevin Rutmanisは特にそうで、ヒネくれてたほうがおもしろがる。やることなすこと、あまり人がやってないようなこと、いちいち常識外れなことに挑戦しようって言うほど喜んでくれた。(ウマが合うのは)そのあたりだと思うんですよね」

――Kevin Rutmanisは、素行不良でMELVINSを解雇されたという話ですが、大変な人ではなかったですか?
 「Kevinは、自分に対して嫌なことは全然なかったです。まあ、昔は飲むんだったらメチャクチャになるまでっていう感じでしたけど、今はすっかり立ち直っていて、もう10数年は酒やってないんじゃないですかね。それで、彼の方がMELVINSに対して、自分が悪かったと認めて“あの時は本当にごめんな、俺がだらしなかった”って謝ったので。Buzzが最初に許して、次にDaleも許して。立ち直ってくれて嬉しかったですよ。自分がこの仕事を始めた頃に大きな影響を与えてくれた人でしたから。少し変わったことをやると“これだ、これだよ!”って彼が言ってくれたことは、とても励みになったんです」

――MELVINSとの縁があまりに深くなりすぎて、他の仕事を広げ難くなっちゃうかも、みたいことは思ったりしませんでしたか?
 「そう考えちゃうと、嫌な人間になるような気がして。Buzzもよく言うんですけど、あるものに満足できない人間は一生満足できないっていうか。目の前のセッション1回1回について、これだけやってるんだ!って満足できる結果を出していけば、自ずと他の人も寄ってくるという考えかたで昔からやっていました。だから、仕事が少ない時期もあったんですけど、やっぱり徐々に増えてはいますよ。金銭的には、別に億万長者になれてはいなくても、やっていることには満足できているので。だから、MELVINSが毎回いつも声をかけてくれて、他の人には行かずにまた自分に頼んでくれるっていうのは、素直に嬉しいですね。いつクビになるのかわからないですが(笑)、今のところは、それだけ信用されてるのかって」

――では、実際に増えてきたMELVINS以外の仕事についても聞かせてください。まず、LEGEND OF THE SEAGULLMEN。これはTOOLのDanny Careyから呼ばれたという感じですか?
 「そうですね。あのプロジェクトは、リーダーが映画監督なんですよ。 Jimmy Haywardっていう人で、ピクサーで『トイストーリー』か何かのキャラクターを作って成功して、2本くらい自分でも監督してます。それで、Jimmyが作ろうとしていた映画の主題歌を、彼は何でもやりたがるんで、自分で録音してたんですけど、やはり限界があるから誰か雇おうという話になった。そこで(ドラムを任せられていた)Dannyに“誰がいい?”って聞いたら、“トシしかいないだろ!”って言ってくれたらしくて。あの作品では2曲くらい録音して、ミックスは全部やりました。仕事はし易かったです。Dannyはよく知ってるんで、何が欲しいかはすぐにわかる。彼も難しい人なので、最初の頃は理解するのにちょっと時間がかかりましたけどね。ミュージシャンは、裏方の人にうまく説明できない人が多いんですよ。自分が何をやっているかはわかるんですけど、それを伝える言葉がわからないというか。だから当初は苦労したんですけど、その頃にはもう長い付き合いでしたから、“こうやりゃいいんでしょ?”って言えば、“そうそうそう”って感じで。そのへんもあって雇おうと思ってくれたんでしょうね。Dannyはセンスいいですよ。とてもわかっているというか。プロデューサーとかも全然できると思うんですけど、そういうことをしたいとはあんまり思わないみたいですね。お金も持ってるし、面倒臭いことはしたくないんでしょう」

――ANYWHEREというプロジェクトについてはいかがでしたか?
 「サンフランシスコにTRICLOPS!というバンドがいて、そいつらがBIG BUSINESSの前座をやったのをきっかけに仲良くなったんです。そのバンドのChristian Eric Beaulieuって奴が、前からいろいろやっていて知り合いも多いんですよ。ある日そいつが“THE MARS VOLTAのCedric Bixler-Zavalaとやることになったから、トシ録音してくんない?”って連絡してきて。お金もないからって、MELVINSの練習場だったとても狭い場所で録りました。そこから始まって、いろんな人が参加してるのは成り行きです。最初そういうつもりはなかったんですけど、2人きりでやっているうちに、音を増やすのにベースがいるねってMike Watt、歌もいるねってRachel Fannanと増えていって。1枚目はメンバー的には4人。2枚目のときには、AT THE DRIVE-INが再結成したんで、もうCedricはいなくなってましたね。とにかく、やれるときにやったという感じで、あまり集中してできなかった。録音した素材を送ったり戻したりも面倒臭くて、やり難かったです。嫌な思い出ではないですけど」

――では、もう1人のAT THE DRIVE-INがらみになりますが、CRYSTAL FAIRYはどうでしたか?
 「Teri Gender Benderはとてもいい子ですよ。すっごい才能あります。仕事も早くて、あのアルバムもハイペースで作りました。MELVINSと非常に意気投合しているから、Buzzがリフを弾き、Daleがドラムを入れたら、その時点で歌詞とメロディが浮かんでるくらいなんですよ。3回くらい合わせたら、もう歌い始めてた。あのまま続けられていれば、今頃3枚くらい出しているんじゃないかな。もったいないなあと思います。Omar Rodríguez-Lópezは最後に入ってきて、ミックスも自分がやりたいと言うんで、いや俺がやるからって固辞するのもなんだし、彼がバンド・メンバーなので、まあいいかと思って任せました。その時は盛り上がっていて、みんなエキサイトしてたんで、雰囲気を壊すわけにもいかなかったですし。ただ、彼のミックスは音が詰め込まれすぎで、あまり好きじゃなかったですね。自分が好きなのは、スタンリー・キューブリックの映画を観ているような、距離感のあるサウンドなんです。何度も聴いているうちに、色んな音が入っていると気付くような空気感が好きなので。今の人たちって、入れた音は全部いっぺんに聴かせなきゃいけないっていう考えがあるような気がするんですよ。でも、映画の観かたと同じで、深さがあったほうがいいと思うんですけどね。ポップ・ミュージックだって、ある程度そういう表現をしていきたいなっていう気持ちがいつでもあります」

――なるほど。FOO FIGHTERSのベーシストであるNate Mendelのソロ作品(Lieutenant名義での『If I Kill This Thing We’re All Going to Eat for a Week』2015, Dine Alone Records)では、とても楽しくやれたようですね。
 「Nateは、すっごい音楽好きで、いろいろ調べていて詳しいんですよ。あのバンドがいいとか、これは知ってるか?なんて言ってきたり。FOO FIGHTERSの活動だと、基本的にDave Grohlが書いた曲でベースを弾くだけだから、そればかりじゃいけないんだと思ったんでしょうね。最初に2曲デモを聴かされて“これいいな、やるよ”って意気投合しました。彼も変わったことをしたがるという点で、MELVINSと同じなんですよ。FOO FIGHTERSだと、そういうスタッフと働いていないから、どうしても当たり前のレコーディングになってしまうらしくて……まあ、活動規模があのレベルになったら仕方ないんでしょう。それでも、この前のアルバムではポップ畑の人に頼んだりして、少し変えてみようとはしていましたね」

――個性的なアーティストたちと、うまくやっていくコツなどは?
 「やっぱりミュージシャンはエゴが強いので、それにどう対応するかという問題は、エンジニアとしての技術的な部分以上に大きいかもしれません。ある種のセラピーとでもいうか。彼らの気持ちをどうほぐしていくか、それが一番の難関。ただ最近は、向こうから仕事を頼んできて、あなたのこれこれが好きだからと、最初からとても信用してくれていたりもする。時々“こういうふうにしたら?”ってなにか提案するときには、“俺は君をジャッジしようとしてるわけじゃないんだ、ただ、こうした方がいいからなんだよ”っていう言いかたで話すと、“あ、そうか”ってすぐ納得してくれます。会って間もない人は、何か言われると“自分は下手なんだ”って考えちゃう人が多いんですね。そう言われるのが怖い。こちらも、だんだん人を見る目が養われてきて、初対面でも1時間くらい一緒にいれば、ああ、なるほどって、その人がどういう人かがわかるようになってきました。だから、中には難しい奴もいるけれど、そういう時はこうすればいいって、自分的にマニュアルができてます」

――ちなみに、日本人ということで、余計に苦労したようなことはなかったですか?
 「差別の問題は、気にしないです。たまに発音が馬鹿にされたりはしますけど、これは13歳くらいで口の筋肉がついちゃうんで、完全には直せないですね。でも、ある日ディスカバリーチャンネルを観ていたら、スイスの教授かなんかがメチャクチャ強いアクセントで喋っていたので、“こんな天才でもこうなんだから、俺が直せるわけないじゃん”って開き直って気にしなくなりました。馬鹿にされたこと自体そんなにないし、そうする奴には、わざと変な言い方で逆に笑わせてやるとかし始めて、切り換えもできるようになった。“チャイナマン”みたいなこと言って傷つくと思っているような人間がいても、だから何なの?って、何とも思わないし。だから、あんまり差別はなかったというか、あったのに気づかなかったのかもしれない(笑)。それを気にしていたら、どこも行けないというか、本当にやりたい仕事も回ってこない。こっちに来る日本の人は、なんでそんなに気にするのかな?って思うこともありますね。だって、自分が必要とされる人間でさえあれば、どうにでもなるっていうことなんですから。恥ずかしがる必要なんかない、スイスの教授は発音がおかしくても勉強はできてるんだし、説得力もある。だから自分も音楽でそこをなんとかすればいいんだって。ツアーをずっと各地を回ってる時も、馬鹿にされた感じはしなかったですよ」

――わかりました。では、最後になってしまいましたが、先頃リリースされたソロ作品『Plan D』について、解説をお願いします。
 「これは、7、8年越しのプロジェクトになるんですが、挑戦的 / 実験的なアルバムです。要はドラムを先に録音しておいて……自分では演奏しないんですけど、12人くらいのドラマーに、とりあえずこんな感じって指示して叩いてもらって。そのドラムの音ひとつひとつに、ステップ・シーケンサーを基に音を足していく。キックだったらキックをベースにして、スネアをメロディに作っていくような、本当に細かい作業なんですよ。最初はシーケンシャル・サーキットの『Pro-1』っていうのを使ってたんですけど、今はMoogの『Mother-32』っていうのに変えたら、作業のテンポが速くなりました。ソフト・シンセは使っていません。EP4枚組で1枚が30分、トータル2時間。レイ・ハリーハウゼンの映画とかから影響を受けたストーリー性もあります。最初の”Golden Voyage”っていう曲は、要するに何かを探しに旅に出るっていうのがテーマで、そのうち敵が出てきて戦ったりとか。自分が完全に音をコントロールできるわけじゃないので、やっててどうなるかわからない、でもやってて楽しいプロジェクトだというのも、冒険の旅みたいですよね。ジャケットはMackie Osborneに頼んで、4枚を合わせるとひとつの地図になるデザインを作ってもらいました。彼女はちょうどTOOL最新作(『Fear Inoculum』2019, RCA | Tool Dissectional)のアートワークがめちゃくちゃ大変で、おかげでこっちに皺寄せが来て遅れてしまいました(笑)。参加しているドラマーは、DaleとかCoady Willis(BIG BUSINESS)に加えて、Matt Cameron(PEARL JAM)や、Matt Chamberlain、Clem Burke(BLONDIE)とかの大御所にも、彼らのスタイルで叩いてもらってます。実は6年くらい前に、MELVINS LITEの前座で、ライヴもやったことがあるんですよ。その時のドラムは、Trevor Dunn(MR. BUNGLE)と仲がいいTroy Zeiglerに叩いてもらいました」

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