Column「思い出すと思い出す」


文・撮影 | 波田野州平

ごんぞう

 それは私が小学校1年生のときでした。

 その朝もいつものように同じ町のみんなと集団登校をしました。すると下足場の前に生徒が溜まっていて、自分の下駄箱までたどり着けません。なんだろうと思って中を覗き見ると、人だかりの真ん中にはひとりのおじいさんがいました。そしてそのおじいさんはとても大きな声で怒鳴っていました。すると前にいた高学年のお兄さんが振り返って、「ごんぞうだ」と教えてくれました。「ごんぞう」というのはそのおじいさんの名前で、どうやら有名なおじいさんということでした。私にはその「ごんぞうだ」という言葉の響きが、幼心を不穏にさせる響きだったことを覚えています。

 さて、そのごんぞうが怒鳴っている相手がいったい誰なのか、あまりの人だかりで私からは見えません。しばらくするとごんぞうが胸ぐらを掴んでぐいっと引き寄せたのは、なんと校長先生でした。校長先生のスーツを両手で掴んで揺すりながら怒号を浴びせている。怒号だけではなく唾も浴びせ、いやそれはもう涎と言っていい粘着性のある液体でした。ごんぞうの怒鳴っている言葉はろれつが回っておらず、獣が威嚇するように校長先生に喰ってかかっていました。私は見てはいけないものを見ていると思いながらも、その光景から一瞬も目を離すことができませんでした。校長先生という学校で一番偉い権威の象徴がぐらぐらと揺さぶられて倒されようとしている。独裁政権が革命によって打ち倒されたあとに、民衆がその独裁者の銅像をなぎ倒して街中を引きずり回す、あのニュース映像のような感じというか、取り囲む誰ひとりとしてごんぞうの暴挙を止めようとはせずに見つめているというその異様さを、幼いながらに感じていたんだと思います。

 次にごんぞうは、校長先生を飼育小屋の前まで連れて行き、扉を開けると校長先生を中に押し込みました。突然の闖入者に驚いた鶏は小屋の中をけたたましく飛び回っています。するとごんぞうは、あろうことか外から鍵を締めてしまいました。そして振り返り、私たち幼い群衆に向き合うと、握りしめた右の拳を高く掲げて「うおー!」と叫びました。それも何度も繰り返し「うおー!うおー!」と。するとどうでしょう、それまで固唾を飲んで見守っていた、もう聴衆と言って差し支えない子供たちが少しずつ、ごんぞうに合わせて「おー、おー」と拳を挙げ始めたのです。それはさざ波のように広がっていき、最後にはそこにいる皆が拳を突き上げ、うおー!うおー!と叫び始めました。私は恐怖と戸惑いの感情を抱きながらも、その圧力に飲み込まれるしかなす術はなく、小さな声でおー、おーとコールに参加しました。

 涎を撒き散らしながら拳を振り上げるごんぞうを見上げていると、朝の光を浴びて輝く鼻水と、ぷーんと鼻を突く強烈な酒の臭いがしたのをおぼえています。そしてその向こう側で、飛び回る鶏の中で金網に手をかけてこちらを呆然と眺めている校長先生の姿は忘れられません。「哀れ」という言葉を聞くと、今でもこのときの校長先生の姿を思い出します。

 それから10数年後の高校生になったある日、あの日あの場所にいた同級生から「ごんぞうが死んだ」と告げられました。

Photo ©波田野州平波田野州平 Shuhei Hatano
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1980年鳥取生まれ、東京在住。
カメラを携え、各地で出会った未知の歓びを記録し、映画を作っています。
近作に『私はおぼえている』(2021)、『それはとにかくまぶしい』(2023)がある。