Interview | 君島 結 (ツバメスタジオ)


未知のものと相対する場

 東京・浅草橋にツバメスタジオというレコーディング・スタジオがある。エンジニア、そしてバンドWhenのメンバーでもある君島 結の音や機材へのこだわりと、柔らかだけれど厳しさもある空気感は、多くのミュージシャンから信頼される理由のひとつだろう。筆者のバンドMs.Machineの作品はこのスタジオでも録音している。レコーディング時の会話から垣間見た彼のユニークな考えや、その考えかたが構築された青年時代を紐解きたくなった。

取材・文・撮影 | SAI (Ms.Machine) | 2021年7月


――自己紹介をお願いします。具体的には、名前と肩書き、それともし出来たら何年生まれか教えていただきたいです。

 「名前は君島 結です。ツバメスタジオというスタジオを作って、録音エンジニアだったり、ライヴPAなんかもときどきやっています。1970年生まれです」

――1970年生まれって今年おいくつですか?
 「50歳になったところですね」

――えー!大人ですね……。
 「大人ですね……もうヨレヨレですよ(笑)」

――いやいや……素敵な歳の重ねかたをしていらして憧れます。最近は歳上の先輩に取材することが多いのですが、君島さんのような話しかたの人って、あまりいらっしゃらない気がします。ゆっくりしたペースと言い回しですかね。以前レコーディングの際、気になって質問したらお母様ゆずりかもしれないとおっしゃってっていましたよね。
 「そんな風に何度か言われました。友人を母の家に連れて行くと、母が喋っているのを聞いて“同じ喋りかたするね、あなたたち”と3人くらいには言われたことがあります。……お父さんっぽくないということですかね」

――(笑)。たしかに、お父さんっぽくない気もします。
 「それはあるかもしれませんね。小学2年生くらいのときに父と母が離婚していて。僕は母に育てられたので、父親というものをぜんぜん知らないんです。父親像というものがないので、大人の男はどうするものかっていうロールモデルが完全にない。だから、就職活動して会社に勤めるとか、そういったことをぜんぜん内面化できなくて。大学の同級生で、すごくがんばって就職活動して、ものすごい状態になりながらそれを続けている人って、話を聞いてみるとお父さんがちゃんとしたかたで。たまたま周りにそういう人が多くて……うん、そうか、と思って。僕は諦めが早いので」

――なるほど。昨年Ms.Machineの録音の際に、幼少期の団地のお話を伺って印象的だったので、もう一度お訊きしたいです。
 「はい。僕は愛知県出身なんです。僕の幼少期って人口が多くて、1学年に10クラスあるくらいの規模だったので、団地もものすごい数が建っているわけですよね。遊んだ帰り、外が暗くなってから自分の家のほうを見ると、同じかたちをした窓に灯りがついていて。それぞれカーテンの色は違ったりしますけど。それが無限に続いているような。なんでしょうね、この感じは……怖くはないんだけど、ちょっと怖いところもあるような。必ずしもホッとするというばかりじゃないし。恐ろしいところがありつつのなんとも言えない感情は、未だに言葉にできないですけど……ときどき機材の修理をするんですけど、基板とかを見ていると団地を思い出すんですよ。整然としていて、反復しているような」

Photo ©SAI

――愛知から東京に上京した理由があれば知りたいです。
 「高校生のとき、わりと毎週末、電車で3~40分かけて大須、上前津っていう街に行っていました。中古レコード屋さんやミニシアターもあって、あまりライヴは行かなかったんですけど、ライヴハウスもある界隈。そんなに広い感じはしなくて、歩くと15分くらいで終わっちゃう感覚があるエリアです。マイナーな映画を観に行ったりして。その1エリアでずっと遊んでいて、もっと広いエリアがありそうだな、って思ったから東京に行きたかったんじゃないかなあ」

――東京の大学では何を専攻していたたのでしょうか。
 「外語大っていうところのフランス語学科です」

――なぜフランス語学科を選んだのでしょう。
 「当時、フランスの現代思想というものが流行っていたんです。高校時代がわりとつらかったんですけど、図書室にはそれなりに本がいくつかあって。フランスの哲学者ミシェル・フーコーが書いた『監獄の誕生』『性の歴史』という本とかを借りて読んだりして。理解しようとするのにすごく脳みそを使ったんです。それが自分にとって新鮮だったので、フランス語を学んでみようと思いました。学校の勉強って、脳みその使いかたがそんなに多様じゃないと思うんです。本を読むほうがよっぽどフル活動という感じ。そんなことを思ったんですけど、大学に入ったら音楽の趣味が合う人がいて、バンドが楽しくなって非常にダメな学生になったという(苦笑)」

――そうなんですね。当時から海外の文化にご興味があったんですね。
 「そうですね。ここじゃないところを見がちというか……」

――以前君島さんとお話していて、ツバメスタジオを作ったのは「場所に対して居心地の悪さを感じていて、ここじゃない場所を自分で作る」という気持ちがあったからなのかな?となんとなく感じて。その経緯が知りたかったので、団地や学校のような、自分を押し込めるものに違和感を感じて上京して、フランス語を専攻するという流れはなんだか合点がいきました。
 「なるほど。僕もそれは思いますね。今回のインタビューを機に自分で気持ちを振り返ってみて気付いたんですけど……自分で自分が心地よいと思える場所を作らないと、どこにもそういう場所はない。もちろん、今まで知り合った人たちが楽しそうにしている場っていうのはあるんですけど、僕はそういう場に行って自分も寛ぐということがあまり得意じゃなくて。もっと言うと苦手。だからバンドをやっていたときも、打ち上げとか苦手で。それを同列に語っていいのか?という感じもするんですけど」

――私も似たような状況でそういう気持ちになることが多いのでわかります。大学を卒業して、ツバメスタジオを作るまでにどんなお仕事をしていらっしゃったんですか?
 「大学の最後のほうからいろんなバイトをしていたんですけど、基本はフリーランスでウェブデザインをやっていました。会社勤めは1社だけですね。周りの人たちが就職活動で七転八倒しているのを見て、つらそうだけど、自分はやれるんだろうか?と思って、がんばって1社やってみたら、もう、ちょっと、これ無理だな、って。早々に気づいて」

Photo ©SAI

――ご自身でやっていらっしゃったバンドがどのようなものだったのかも気になっています。
 「一番活動が長かったのはニューウェイヴ、ポストパンク、オルタナティヴみたいなロック・バンド形式のバンド(* 1)かな。あと、ドラムの音を拾ってエフェクトをかけたりしてライヴ・ミックスするユニット(* 2)をドラマーと2人でずっとやっていて、それも楽しかったです。でも、一番最初にやったのは中学校のときの同級生とですね。マイナーな音楽が好きな人は周りにあまりいなかったんですけど、その彼とは、そういう話ができて。自家製のノイズをテープ交換してました」
* 1 GAJI
* 2 THERMO

――自家製のノイズですか……!
 「はい。“こんなノイズ録れたよー!”なんて。当時彼が住んでいた神奈川の家の近所のスタジオに入り浸って、ノイズ・バンドだったり、CURRENT 93とか、そういうイギリスのダークな音楽が2人とも好きだったので、カナダの帰国子女の女の子をメンバーに入れて3人組でバンドをやっていました。そのレコードが20歳の頃に2枚くらい出ています。それが一番最初のバンドかもしれないですね」

――現在は、Whenというユニットで音楽活動もされていますよね。
 「THE NOVEMBERSのギタリスト・ケンゴマツモトくんと大阪在住の音楽家・Velladonさんが2人で吉祥寺のNEPOというライヴハウスで演奏するという機会があって、ケンゴくんから“ライヴのPAやってよ”と依頼されたんですけど、そのときの感じが良かったし、3人で喋ったり食べたり飲んだりしている感じも良かったので、“じゃあバンドってことにしよう”みたいなことだったかな」

――いつ頃ですか?
 「一昨年ですかね」

――けっこう最近ですね。新作リリースのご予定はあるんでしょうか?
 「リリースの話は特にしていないんですけど、つい最近はファッション・ブランドKOZABUROの今年のファッション・ウィークの動画のために曲を提供しました。やたらお坊さんが出てくるっていう」

――ツバメスタジオを作ろうと思ったのはいつ頃ですか?
 「バンドをやめた後です。バンドをやめて、空っぽになったので、スタジオを作ろうって思ったんですよ。そのときの自分の熱や勢いは今ではわからないですけど」

――おいくつのときですか?
 「13年目なので、37歳くらいのときですかね」

――スタジオの名前の由来があれば知りたいです。
 「わりとなんてことない話なんですけど、説が3つあって。ひとつは、つばめグリルというレストランが品川にあって、そこのハンブルグステーキがすごくおいしくて。ふたつ目のは、文房具でツバメノートっていうブランドのノートがあって、その紙が非常に書き易いんです。だから、“ツバメ”っていうのを名前に掲げるのはとてもいいなって思いました。最後のひとつが、このスタジオを作ろうと言っていた発起人が3人いたんですね。それで“3”に関係ある名前にしようよ、と1人が言い出しまして。そういうのって神秘主義的になるのは嫌だから、できるだけお茶を濁そうと思って、“3”といえば“トリ”プルだから“鳥”の名前で“ツバメ”にしようという」

――なるほど(笑)。
 「あともうひとつあるか。ツバメというのは巣を作るんですけど、巣ができた家は人の行き来があって良い家だという伝承があって。そういうのもあってツバメっていいなと思ったんです」

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――縁起がいいモチーフを名前に使うのはいいですよね。なぜ浅草橋という場所を選んだのでしょうか。
 「僕がバンド活動をやっていたとき、東京のライヴハウスだったりってだいたい、西のほうっていうイメージがあって。下北沢や、高円寺とか中央線沿線ですね。街の雰囲気が違いますよね、東と西って。それで東がいいな、って思って」

――大多数がいるところじゃなくて、ちょっと距離を置いた場所に構えるというのが君島さんっぽいですよね。
 「そうですね、そういう立ち位置でいたいというのはあるかもしれませんね。というか、ただ輪に入れないだけなのか……(苦笑)。まあ、でも結果的に良かったと思います」

――良かったと思うのはどのような点で?
 「難しいですけど、他の場所で10数年もやれたかな?っていうのはありますね。大学を卒業後は渋谷区、杉並区、世田谷区あたりでシェアハウスをしていたんです。取り壊しになるような古い一軒家に自分たちでペンキを塗ったり、わりと自由にやらせてもらってました。音楽活動もそっちのほうでやっていたり。それに疲れたとも違うんだけど、なんかこう……同質感みたいなものを感じて。画一的というか、みんなが同じ方向を見て、同じようなものを消費している感じ。それに向かってゆっくりと進んでいるような。その空気から出たいと思って。それで東側に目をつけたというのがあります」

――おっしゃっていることが分かります。私も杉並区、世田谷区に住んでいる友人が多くて、自分が住む場所はあまり友人と会わない場所がいいな、っていうのはずっとありますね。……ツバメスタジオの機材は、ライヴハウスや楽器店で見たことがないレトロなものが多くて、そこも魅力のひとつだと感じるのですが、機材はどこで手に入れたのでしょうか。
 「いろいろなんですが、一番多いのはeBayかな」

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――大きい機材とかも輸入しているんですか?
 「いくつかあります。ミキサーとかも、一番遠くからだと、南アフリカのテレビ局で使われていた70年代のミキサーを買いました」

――ええ~~!すごいですね……!
 「130kgくらいあって」

――何便でくるんですか?船便ですか?
 「船便です。2ヶ月くらいかかったかな。けっこう費用もかかったんですけど、横浜に届いたという知らせが来たときは嬉しかったですね。あとはコンボアンプもアメリカから買ったのはあるし、小さいのはイギリスから買ったのがあります。録音機材だとメインで使っているインターフェイスはカナダのもので、あまり日本で使っている人がいないものなんです。あとは、ヤフオクで買うこともあるし、機材屋さんで買うこともあるし。そんなに特殊なルートで入手した武勇伝はないんですけど、見た目で“これ良さそう”というのは決めちゃいますね」

――それは日本のブランドより海外のデザインのほうがかわいいというのが理由でもあるんでしょうか。
 「それぞれ理由があるんですけど、若い頃は日本の機材より海外のもののほうが音が良いという先入観はあったかもしれません。今は日本のものも音良いなって思います。あと、ミキサーを買ってしまうという病気があるんですよ(苦笑)」

――(笑)。
 「白状すると先週もひとつ買ってしまったんですよ。久しぶりにイギリスの90年代のミキサーでした。去年ふたつ買ってるんですけど、それは日本の古いYAMAHAのミキサーで。それも良いですね。でも録音機材よりも楽器のほうが好きですね。古いアメリカ製だったり、イギリス製だったり。60年代とか」

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――一番お気に入りの録音機材を知りたいです。
 「一番お気に入りの録音機材なんだろうなあ……。見た目が一番かわいいというのはあります。これめちゃくちゃかわいくないですか?デンマーク製の映画用フィールド・レコーディングのミキサー。外にロケしに行くときに、音の設備も必要じゃないですか。だからバッテリーでも動くようになっているんです」

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――ヴィンテージの家具みたいなかわいさがありますね。愛着が持てる機材っていいですね。
 「そうなんですよね。使っていてかわいいって思えるものじゃないと」

――企業秘密かもしれませんが、ミックスのときに使用しているソフトを教えて下さい。使っている理由も知りたいです。
 「マスタリングでも同じのを使うんですけれど、Reaperというソフト。死神の鎌ですね。“reap”って収穫するっていう意味なんですよ。死神が大きな斧を持っているのってよく見ますでしょ?」

――タロットとかでありますよね。
 「あれ“reaper”なんですよ。命を刈り取るみたいなそんな意味があるんだけど。フードかぶった骸骨が。このソフトのロゴマークもそんなものが書いてあるんですけど。もう10年近くそれだけ使っていて。スタジオだとPro Toolsが一番普通っていうか、業界標準なんですけど、苦手で早々に使うのをやめてこれ一本でやってますね」

――Pro Toolsはなぜ苦手だったんですか?使いづらいんですかね。
 「完全に使いづらいですね」

――そうなんですね。
 「使いづらくても標準なんだから使うんだよ、みたいな話はあると思うんですけど、そういうことをしないタチなので。普通の音楽ソフトって、いかにも大きな企業が立派な製品って感じで出してるのが多いと思うんですけど、Reaperってちょっと出自が違って。80~90年代にシェアウェアっていう文化があって、インターネット以前の話ですけど、パソコン通信みたいなものでプログラマー同士が自分たちが作ったちょっとしたプログラムを“こんなのができたから使ってみてよ”みたいな感じでお互いに回しあうみたいな、基本的に無料に近いようなソフト。機能の少ないソフトとかプログラムを無料で使ってもいいんだけど、気が向いたらお金払ってね、お金払ってくれたら全部の機能使えるよ、とか。そういうのってプログラマーの善意で……好きだから作ってるみたいなもので、無料であげてもいいんだけど、お金払ってもらえたら開発にちょっとお金を使うこともできるし。お金があったら普段働かなくてよくなるから、プログラムを使ってくれている人たちをサポートできるとか。そういう、自然発生的なDIYの流通のしかたみたいな側面があって。その一方で、ちゃんとした会社が作った製品の海賊版みたいなのを流すような流通経路と同じチャンネルを使って流れていったみたいな経緯もあって。わりとグレーなところがあるっちゃあるんだけど。そういうところから出てきたWinampっていうWindows用の音楽ソフトがあるんですけど、それを作ったのがReaperを作ったジャスティン・フランケルっていう人。シェアウェアは、どんな機能があったらいいですか?みたいなのを掲示板的なものでみんなでオープンにしているんですよ。音楽のソフトにしては珍しいfeature requestとか、こういうバグがあったとかを報告できるんですけど、すごいペースでアップされたりしていて。使っている10年間、ずっと月2回くらいアップデートがあって、機能が良くなってる。風通しがいいやりかたなんですよね。使っているソフトのバックグラウンドにあるカルチャーも信用できるっていう気持ちがあります」

――Reaperを知ったのはどういうきっかけだったんですか?
 「なんでだろう、最初はLogicっていうソフトを使っていて、それが嫌になって。Macintoshだし(笑)」

――それも理由なんですね(笑)。
 「それもありますね。それで、Pro Toolsをやっぱり習うか~、ってなったんですけど、嫌になって、探したんだと思います」

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――スタジオの壁やお手洗いのドアをご自身で作ったとおっしゃっていましたが、前にもそういう経験があったのでしょうか?
 「ここはもともとL字型のひとつのがらんとした部屋だったんです。それを天井も含めて全部なくして、破壊して掃除して塗って。壁を立てて、家具を作って、ってやってましたね」

――完全に独学だったんですか?
 「そうですね。経験はほぼないです。さっき言ったシェアハウスで居間の壁のペンキを塗ったとか、そんなのはあるけど、壁を作ったり、水道管の配管とかそういうのはないので。一応、防音性能みたいな、音を遮るとか、そういうのがどういう仕組みなのかっていう英語の本は買って。簡単な音響の理屈のところから、壁はこういう風に作るとこれくらいの音響性能がある、っていうのが図解されているような。それを読んで勉強はしました」

――リノベーション可能な物件はどうやって見つけましたか?
 「リノベーション可能かどうかという探しかたではなくて、自分がここにずっと入れそうな物件というので探して。何ヶ月も探して、内見にも行ってましたね。ここいいな、ってなったときに、初めて自分のほうから“音出したいんですけど、大丈夫ですか?”という相談をした感じですね。ネットで探してヒットしたからここで、というより、最初に不動産屋に行きました」

――なるほど。ビルの最上階ですが、地下以外で音を出していい場所っておそらく少ないですよね。
 「そうなんです」

――音って漏れないものなんですか?
 「漏れます」

――(笑)。この増井ビルって他の階は何が入ってるんですか?
 「普通の事務所ですね。だから、あまり音量が大きかったりすると……特にベースの低音が下に漏れたりして、“ちょっと音大きいよ”って言われることももちろんあります」

――そうなんですね。思い返すと、自然光の入る録音スタジオとかライヴハウスって少ないので、ツバメスタジオはそういう意味でも良いですよね。
 「そうなんですよ。そうでないと自分がいられないというのがあって。僕もバンドをやっていたとき、地下に入っていくスタジオに何度か行ったりしましたけど、なんか長くいると疲れるんですよね。それもあって、とにかく来た人がリラックスしてくれる場所を作りたい。とにかくそれに尽きるので。それで最上階のこの物件を見つけたときに“ここだ”ってすごく思いましたね。それまでは“音を出せるのは地下”という先入観もあって、地下の物件を探していたんですけど」

――増井ビル愛ですね。
 「増井ビル愛です。そうそう、“こういうことやりたいんです”って増井社長に言ったら“やってみたら良いんじゃないの~!”って言ってくれて」

――えっ!増井ビルの社長がいるんですか。
 「いますよ。今はもう代替わりしちゃって、あまり見かけなくなったんですけど。内装とかいろいろやりますんで、って言ったら“いいよいいよ”って言ってくれて。それで内装工事が終わりかけのときにまた来ることがあって、“思ったよりやったね~!”って言われて」

――(笑)。
 「“でもいいんじゃない”って言ってたので、よかったな、という感じです」

――ツバメスタジオを作る上で参考にしたお部屋などはありますか?
 「インテリアの感じ的にっていうのは特にないですね。だけど、場所の感じとしてはあります。アムステルダムに中学の頃の友達が住んでいて、20代終わりのときに1ヶ月くらい行ったんです。彼とノイズ・バンドを組んでいたので、向こうでも演奏させてもらったり。その場所というのが、Radio100という名前の海賊ラジオ局。4~5階建ての建物で。ヨーロッパの建物って、ブロックが並んだりしていて中庭があったりするじゃないですか。そういう建物の一角だったと思うんだけど、最上階まで行って廊下を歩くと、謎の階段みたいなのがあって。狭いんだけど、そこを上がっていくと屋根裏部屋みたいなのがあって、そこが海賊ラジオ局。海賊ラジオっていうくらいだから違法電波なんですけど、FM放送のトランスミッターがあって、8畳くらいの部屋にその日のディスクジョッキーさんと事務机、レコード・プレイヤーとCDプレイヤーがあって、音楽をどんどん流していくわけです。その余白みたいなところにリアルタイムで我々ノイズ・バンドが演奏するっていうのをやりました。その、階段を上がっていくと、ふっと全然違う空間が広がっている、みたいなのがすごく楽しかった。ここもそういう感じになればいいなっていうのがあって。増井ビルの1階から上がってきた人は、上がこうなってるとは思わないじゃないですか。その時点でわりと良いんじゃないかな」

――なるほど。そんなエピソードもあるんですね。良いお話をたくさん聞けてよかったです。最後の質問にですが、今後の展望や、やりたいことなどあれば教えてください。
 「ちょっと思ってるのは、8トラック・オープンリールのMTRがあるんですね。あまり使っていないんですけど。テープで録るのって制約があって、ここをちょこっと直すとか、ズラすとか、できないので。ミックスしかけたのを1週間後に続行するっていうのができないからあまり使わないんだけど、そのMTRを使うっていう縛りで1日か2日だけで録音するサービスをやったらおもしろいかな?とはうっすら思っていたりします」

――オープンリールは聞いたことあるんですけど、あまり詳しくないです……。
 「なるほど。テープですよ、テープ」

Photo ©SAI

――テープですね(笑)。
 「テープの音が好きな人はすごく好きなので。音もそうだけど、コンピューターで録音する前は基本的に何らかのテープだったので、そのときとは音楽の作りかたが違うわけですよね。“このフレーズをループして”っていうの、昔はできなかったわけですし。その代わりにサンプラーとかを使ったりしてた。音っていうより、ワークフローっていうか作りかたが新鮮。制約が多いぶん、普段と違うクリエイティヴィティを発揮する必要があるし、発揮すると良くなる。そういう経験は、もしかしたらおもしろいかもしれない。ツバメスタジオは普通のライヴハウスとか楽器屋で見たことがない機材ばかりっていうコメントをSAIさんからいただいているのもそうだけど、逆に言うと普通に置いてあるものがない。ギターアンプだとJazz Chorusとか。知らないもので初めて音を出すときって、すごく新鮮だと思うんですよね。そういう新鮮さを大事に……未知のものと初めて相対したときに使う脳みそってあると思うんですけど、全体的にそういう場になればいいな、という気持ちがあります。それがたまたま、今の時代だと過去のものを使うという方法になるんですかね。古い楽器を今のテクノロジーで、みたいなプロダクションのしかた、そういうことが自然にできるといいな」

ツバメスタジオ Official Site | Instagram

〒111-0053 東京都台東区浅草橋4-10-4 増井ビル7F

君島 結 Twitter | https://twitter.com/yuikmjm