文・撮影 | 小嶋まり
08
大寒波がやってきた。外は吹雪いていてとても寒い。わたしは昨日コロナになってしまい、8日間の自宅療養が始まった。天気予報によるとこれから1週間雪が降り積もるらしく、家の中に籠るのにはぴったりのタイミングだった。症状も軽く、だらだらと仕事をしたりSNSを見たりして過ごしている。しょっちゅう会っていた友人たちや仕事の仲間たちはいたって元気で、どこでコロナにかかってしまったかはわからない。もうここまできたらコロナにはならないだろうという自負も少なからず持っていたけれど、コロナになったらなったで不謹慎ながらも少しワクワクしてしまった。ここ数年間、世界中が恐れをなしていた流行りの病にかかってしまった。未知に出会うような、そんな感覚だ。
幼い頃、肺炎になって入院したことがある。退院すると、議員だった父の選挙が目前に控えていて家では療養できず、祖母の家にしばらくの間泊まることになった。今、わたしが住んでいる家である。祖母の家は天井が高く、手鏡を持って天井を映しながら歩くと、まるで逆さまになって天井を歩いているような錯覚に陥ることを発見した。それがとても楽しくて手鏡片手にうろうろ歩き回り、現実離れした逆さまの世界を彷徨っていた。そんな夢見がちな少女だった当時、リカちゃん人形が流行っていて、わたしももれなく持っていた。手先が器用で絵が上手な祖母にリカちゃんの絵を描いてとおねだりしたけれど、描き上がったものが気に食わなかったので、こんなのいらないと怒ってしまったことをいまだに覚えている。下手でごめんね、と謝る祖母の姿もしっかりと記憶している。そんな未熟で傲慢な自分がしっかりと存在していたことを恥ずかしく思う。
わたしが社会人として働き始めてずいぶん経ってから、祖母は認知症になり、養護施設に入った。施設を訪ねると、机の引き出しの中にはちぎり絵の道具や色鉛筆が入っていた。認知症になっても時間があれば絵を描き、ちぎり絵を貼り、折り紙でかわいらしい飾りを作っていた。新しい作品が出来上がるたびに、とても上手だね、と祖母に伝えた。そんなことないよ、と答えるいつも謙虚な祖母の姿に、幼く無邪気すぎたわたしの振る舞いを思い返して心が痛くなった。
6年前、祖母は新緑がきれいに映える春の終わり頃に亡くなった。家はわたしが移り住むまでそのままになっていたので、去年の冬にようやく遺品整理をした。祖母がこっそり作っていた立派なちぎり絵や描き溜めたデッサンが屋根裏部屋からたくさん出てきた。わたしが幼い頃に描いた絵も残されていた。計り知れない愛で接してくれていた祖母の存在が恋しくなるし、苦しくもなる。
祖母は誰に褒められるわけでもなく、誰に評価されるわけでもなく、人目のつかないところで黙々と制作をしていた。それは、祖母にとって安らぎを求めるものだったかもしれないし、わたしたちには知る由もなかった探究心からかもしれない。わたしの幼い頃の悪意のある言葉はどれほど祖母を傷つけたのだろうと思うと悲しくなる。今となれば祖母が何を思って作品を作り上げていたかはわからないけれど、祖母が残した色とりどりの綺麗で真っ直ぐな作品を額装して飾ってあげるのがわたしの役目だと思っている。