Column「たいやきとわたし ~わたしがたいやきを焼きはじめるまで~」


文・写真 | 村野瑞希

 『みかん絵日記』という作品をご存知だろうか。1990年代前半に白泉社の漫画雑誌『Lala』で連載されていて、アニメも放映していた。1匹(ひとり)放浪していた猫が小学生の男の子、草薙吐夢(くさなぎ とむ)と出会い、猫らしく愛嬌を振りまいて草薙家の飼い猫となる。オレンジ色の毛並みに緑色の瞳。吐夢はそのねこに“みかん”と名付ける。ある晩、いつも横で寝ているみかんがいない。1階に降りると台所から誰かのしゃべり声が聞こえる。そっと台所をのぞくと、そこにはひとり笑い、しゃべりながら晩酌するみかんの姿が……。という始まりかたなのだが、この猫、しゃべるし、2本足で歩くし、酒は飲むし、ハーモニカ吹くし、絵日記描くし……と自由奔放。そしてそんなみかんの大好物が「たいやき」である。

 思い返してみるとそこまでたいやきがフィーチャーされていたわけではなかった気もするが、「お魚くわえたどら猫~」を『みかん絵日記』で表現するならばたいやきだ、ということだったのかもしれない。アニメのオープニングでは吐夢が抱えているたいやきをみかんが奪っていく。“主猫公”みかんの声優は『ちびまる子ちゃん』でお馴染みのTARAKOさんが務め、基本的にはとてもコミカルなのだが、生きていたら誰もが抱くであろう孤独感や寂しさも繊細に描かれている。今観てもほっこり、じんわりするので猫好き、たいやき好き問わずみんなに知ってもらいたい作品である。

 時は変わって2016年、当時在籍していたザ・なつやすみバンドが少しずつ全国に足を伸ばしていた頃。せっかく全国に行けるのならば何かやりたいな、と頭の片隅で思っていたときにKONCOSと京都、岡山、広島を巡るツアーに出た。そこに乗り合わせていたカメラマンY氏。彼は当時、各地のフルーツサンドをおいしそうに撮影し、「#フルーツサンドとわたし」というハッシュタグを付けてInstagramに載せていた。それに便乗して「#たいやきとわたし」をやることにした。車中でその旨を告げたところ彼は快く了承してくれた、だけにとどまらず、次に寄った足柄サービスエリアでたいやきを買ってきてくれたのだ。記念すべき初回の「#たいやきとわたし」。「おめで鯛焼き本舗」のにっこり笑ったたいやき。真ん中には“昇運”の文字。

 まさか数年後に自分がたいやきを焼くことになるなんて、このときは思いもしなかったが、今思えばなんて“おめで鯛”始まりだったのだろう。なぜたいやきを選んだのかというと、特にこだわりがあったわけではない。なんとなくたいやきがいいと思っただけだった。先に挙げた『みかん絵日記』の奥底にある記憶が、無意識に呼びかけていたのかもしれない。ただ、たいやき屋はあるところには集中してあったりする。たいやきはひとつで十分満足感が得られる食べ物だと思う。それが地方となるとこの機会を逃したら次に行けるのはいつになるかはわからない。必然的に1日に2個も3個もたいやきを食べることになるわけである。おまけにツアー中はその土地のおいしいものも食べたい。だいたいお腹の容量を超えるので、たいやきを選んだことをちょっぴり後悔もした。

Photo ©村野瑞希

 自分の中の「#たいやきとわたし」ブームもとっくに落ち着き、時はコロナ禍。ウクレレ奏者であり、めちゃおいしい自家製ラー油「サンラー」を作っている「諸国調味料探訪」を主宰するカミヒラヨウコさんと仲良くなった。話の流れでわたしもたいやき焼けばええやん!となり、ノリでかっぱ橋道具街にいき、ついにマイたいやき器を購入。しかし元来腰が重い性分のわたしはそこから実際焼くまでには少々時間が要った。きっかけをくれたのはSSWの牧野容也さんだった。ご自身の企画で呼んでいたドーナツ屋さんが濃厚接触者者になり、キャンセルになったため、わたしに声をかけてくれたのだった。しかしその時点でまだ一度も焼いたことがなかった。牧野さんも一度も食べていないのに呼んでくれるなんて勇気あるなあと思いながらも、そのときは泣く泣くお断りし、そこから本格的に焼き始めたのだった。牧野さんの1stアルバム『the Odyssey』をかけながらたいやき修行にいそしんだ。

 ありがたいことにイベントやライヴなどに誘っていただき、これまでに9回焼く機会があった。焼きを重ねる毎に“たいやきはあんこ一択!”というこだわりが薄れ、食べてもらうかたにどうすれば喜んでもらえるかに意識が向いてきた。周囲の人の優しさやアイディアに支えられ1年焼き続けることができた。これからもおいしくちょっと楽しいたいやきを焼けるよう研究をしていきたい。そしてどこかで見かけたら、ぜひ1尾、ご賞味ください。

Photo ©村野瑞希村野瑞希 Mizuki Murano
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1989年生まれ。横浜と横須賀の狭間で育つ。「たいやきみかん」という名前で東京・下北沢 BONUS TRACKでの「川開き」、東京・小岩 BUSH BASHでの「People, Places and Things」などのイベントでたいやきを焼いている。かつてザ・なつやすみバンド、現在は牧野琢磨・トリオ・パッカサタン、窪田 渡、横浜のメンタルヘルスに不調を抱える人たちが集う演劇集団「OUTBACKアクターズスクール」などに参加し、ドラマーとしても活動。