文・撮影 | 小嶋まり
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最近、朝6時に起きて、家中をくまなく掃除してからお香を焚き、祖母が残したお仏壇のお水を替えてお線香をあげて拝む、というのが日課になった。わたしはなんの信仰も持っていないけれど、この拝むという祈りのような時間が、わりと好きになってきている。
拝むというのは、自分の願いを投げかけるものだと思い40年以上過ごしてきたけれど、どうやら感謝を表すのが流儀らしい。そこで、とりあえずご先祖様に感謝、そして、わたしの家族や周りの大切な人たちが健やかに過ごせるようにお見守りくださいませ、と祈るようになった。不思議なもので、その度に健康でいてほしい、幸せでいてほしい家族や友人たちの顔が浮かんでくるようになった。そういうふうに、わたしも誰かの祈りの中に現れることなんてあればいいなぁ、なんて欲深いことを考えたりする。
そんな欲は、罪なのか。希望というオブラートに包まれた、卑しい心なのか。そんなことを考えていたら、湖面に投げた小さな石が、思いのほか激しい波紋を広げるように、過去の記憶がひとつ、浮かび上がってきた。
アメリカでの学生時代、仲の良かった子が厳格なクリスチャンだった。卒業後も交友は続き、わたしはニューヨークで働き始めたけれど、いろんなことが重なって日本へ帰国することになった。その頃、とんでもない災難続きで心身ともにズタボロで、キリスト教的な価値観において、というより、人として罪深いとされるようなことすら経験してしまった。
帰国直前、最後にその子に会ったとき、本当は黙っていればよかったけれど、わたしの身に起きたことを全て話した。なぜそうしたのか、今でもよく分からない。彼女の信仰心はわたしを拒絶してしまうかもしれない、そう思いながらもどこかで、罪を背負ったわたしを、彼女のまっさらな意思で受け入れてほしかったんだと思う。それが欲望だったのか希望だったのか、よくわからない。
あれから20年近く経ち、当時の細かいことは忘れてしまった。でも、今でも彼女とのやり取りが続いていることは、ひとつの救いだと思っている。彼女はいま、素敵な庭でたくさんの花や木を育てている。
あのときの彼女の祈りのなかに、わたしは現れていたんだろうか、と思う。わたしは赦しのある場所へ、必死に辿り着こうとしていたのかもしれない。