Column「平らにのびる」


文・撮影 | 小嶋まり

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 片田舎の一人暮らし。独りでいる時間が増え、ときどき無性に寂しくなる。東京では自分自身を満たすことを他人との会話、他人との遊び、他人との関わりに頼りきり、ただただ人任せにしていたことを実感する。人との交わりは水面に広がる波紋のように細かく忙しなく日々の隙間を埋め尽くしていた。都会を離れ多くの友人たちとのフィジカルなつながりが削がれた今、わたしの日常は漣もたたない滞った水溜まりのように静まりかえる。これを望んでいたはずなのに、満足しきれていない自分がいる。

 今日は朝から図書館へ行ってきた。5年ぶりに訪れた図書館は様子が少し変わっていた。入ってすぐ左手にある広々とした歓談スペースは、パンデミックの影響でびっしりと布がかけられ閉鎖されていた。つるりとした質感の黄緑色のビニール製ソファーが、役目を失いながらも敷き詰められた布の隙間から鈍く安っぽい光を反射させて存在感を放っていた。派手な遊びで誤魔化していた感覚を遮断しつつも懐かしむわたしのようだ。そんな光景を横目に2階へ向かう。

 2階の奥にある窓辺に設置された座席からは、丘の上にある城の周りをぐるりと囲むお堀を眺めながら読書ができる。ここでわたしはとある人と待ち合わせしていた。大学でバイオテクノロジーの研究をしている学生だ。先日ほそぼそと開催された小さなイベントでDJをしたときにたまたま来ていた子で、たわいもない話をして盛り上がった。まだ大学は夏休みということだったので、午前中図書館へ一緒に行ってみないかと誘ってみたのだ。他人と沈黙の時間を共有するということをしてみたかった。少しでも寂しさを紛らわせたいのもあったと思う。

 彼がおはようございますと現れた。右手には薄手のジャケットを持っていた。もう9月半ば、秋になりつつある。お互い沈黙のなか読書をしていたけど、ほぼ初対面の彼との沈黙の共有はなんとなく気まずい。話もできるし城の隣にある洋館へ行ってみようと提案して外に出た。日が昇り始めまた蒸し暑さがぶり返しそうだった。彼はジャケットをリュックの中にしまった。

 彼はまだ20代前半、LINEもInstagramもやっていない子だった。ここの大学にきた理由はたまたま広げた地図上で指差した場所だったから。格好つけてそんなことを言っているのだろうと思ったけれど実際、本当にそんな理由なんだと思う。彼は認知症について研究をしている。その研究のためマウスを使うということは、あまり人に話さないほうがいいと大学で言われているとも教えてくれた。宗教や政治の話と同じで、動物実験の話はセンシティヴである。切り刻まれるマウス。その延長線上にわたしたちの頼る最新医療がある。動物実験がなされていない化粧品を使うようにしているけれど、その程度の浅はかな気遣いに盲点と恥を感じる。生きるということは矛盾や痛みを伴う。マウスに愛着が湧いてしまわないかと彼に聞くと、可愛くなってしまうけど、仕方ないから、と答えた。

 石段を登りながら犬の散歩をしている人を眺める。動物の愛情が好きだ、人間は裏切りがちだと彼は語る。洋館へ辿り着くと2階のテラスへ出て景色を眺めながら話した。友達は数えるほどしかいない、音楽が好きだ、音楽は自ら選択できるし自分の思考と乖離することが少ないから、と言う。

 昼になると彼は、研究用のマウスの世話をするため学校へ向かった。わたしは読みかけの小説の続きを読もうと再び図書館へ戻った。彼との会話を反芻しながら、彼はきっと矛盾の中で安定のある答えを見出そうとしていると感じた。わたしは自らの選択に不満を感じ、過去を懐かしみ、矛盾に飲み込まれ停滞している。裏切らない何か、きっとそれは自分自身であり、静かな時間と向き合う自分との関係性を築き上げていかなくては、と思った。

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正編 | トーチ (リイド社) 「生きる隙間
Photo ©小嶋まり小嶋まり Mari Kojima
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ライター、翻訳、写真など。
東京から島根へ移住したばかり。