大切なのは“ルールの破りかた”を知っていること
同グループのギタリスト・Greg Wilkinsonは、BRAINOIL、LAUDANUMといったオークランドを象徴するパンク・バンドの一員としてのみならず、エンジニアとして自らEarhammer Studiosを運営し、ANNIHILATION TIME、HIGH ON FIRE、IRON LUNG、OM、UNDERGANGなどの作品を手掛けてシーンに多大なる貢献をしてきた人物。近年はOSDM伝説・AUTOPSYのベーシストとしても注目を浴びています。本稿では、来日を控えるWilkinsonさんに、これまでのあれこれをたっぷりと語っていただきました。
なお、BLACK GANION + DEATHGRAVEジャパン・ツアーは7月10日(金)東京・新大久保 EARTHDOM、11日(土)愛知・名古屋 Live & Lounge Vio、大阪・難波 BEARSの3公演。東京公演はBAPHOMETY、COFFINS、愛知公演はDEAD-REFORCE、FEROCIOUS X、MÜRMÜR、大阪公演はSLUG、SOLMANIAとの共演が決定しています。
取材・文 | 久保田千史 | 2026年6月
協力 | BLACK GANION

――個人的に(おそらく読者のみなさんも)、カリフォルニア・オークランドのイメージが非常に強いWilkinsonさんですが、お住まいはずっとオークランドなのでしょうか。
「私はオークランドで生まれて、オークランド周辺の様々な場所で育ちました。若い頃は森の中やサンフランシスコに住んでいたんですけど、20代前半になってオークランドに戻ってきました。オークランドではアパートや一戸建て、リハーサル・スタジオに住んだり、バス停やバンの中、倉庫で寝泊まりしたこともあります。ここでは、そういう生活を送るのもけっこう簡単なんです」
――雑な質問で恐縮ですが、オークランドはどんな街ですか?好きなところ、嫌いなところを教えてください。
「“荒削りな美しさを持つ場所”だと言われるオークランドには、麻薬や暴力をはじめ、多くの重苦しい要素が身近にありました。ドアには常に鍵をかけて、うしろに気を付けたり、盗難対策を徹底しておかなければなりませんでした。これがオークランドの暗い側面。でもそういう要素があったからこそ、私たちは騒音を立てても許されたし、生活費を賄って創造性を発揮して生き抜くことができたんです。郊外や大都市に比べて、警察の介入や騒がしい隣人みたいな、創作の妨げになる要素が少ないですから。私たちの多くが街を心から愛する理由は、多様な文化、芸術、自然、手頃な生活費(残念ながらここ10年で状況は変わってしまいましたが)、そして立地条件にあります。30分もあれば海や湖、山、森に行くことができて、数時間あれば砂漠や雪原、大きな川にも辿り着けます」
――ショウに行くようになったりする前の子供時代は、どんな音楽を聴いて育ちましたか?
「クリエイティヴだと感じられるものならなんでも。80年代初頭に音楽を理解し始めて、当時全盛期を迎えていたサイケデリック・ミュージック、ロック、メタル、ニューウェイヴ、パンク、インダストリアル、そしてラップに出会いました。10代になる頃には、攻撃的な性質と、私を取り巻く混沌を象徴するような興味深い音楽的質感に惹かれて、パンク、ニューウェイヴ、メタルにすっかり夢中になったんです。こういったスタイルは、奇妙なかたちで自分自身を理解する助けになりました」
――人生で初めて観たライヴ・パフォーマンスは?そのショウはその後の人生に影響がありましたか?
「よく覚えていませんが、最初は母がチケットを取ってくれたクリスチャン・ロック・バンドのライヴでした。最悪でしたね。自分の意志で行った最初のコンサートで、最も記憶に残っているのは1988年にCow Palace(カリフォルニア・デイリーシティ)で行われたMETALLICAのライヴです。当時私は12歳か13歳で、親を説得して行かせてもらいました。あの空間は、私にとって本当に現実離れしたものでした。そこにいる全員のエネルギーが、ハッピーでヴァイオレントで混沌としていて、他にもたくさんの感情が満ち溢れていました。“これからの人生、ずっとこのエネルギーのそばにいたい”って確信しましたね」
――ハードコア・パンクのシーンに関わるようになったきっかけは?どんなバンドのショウによく足を運んでいたのでしょうか。
「イーストベイ(カリフォルニア州サンフランシスコ・ベイエリア東部 / 中心都市はオークランド)で育ったんですけど、1990年代初頭までに、このあたりではある新しいジャンルが主流になっていきました。それがポップパンクです。アンダーグラウンドのライヴハウスはどこもGREEN DAY、AFI、SCREW32みたいなバンドをメインにブッキングしていました。音楽的には、私はそのシーンのほとんどのバンドが好きになれませんでした(GRIMPLEやFILTHなど、数少ない例外はありましたが)。だから、私が聴いていたのはメタル、パワーヴァイオレンス、ハードコア、パンク、あるいはその中間にあるような音楽でした。当時、私たちはライヴに行くか、レコードを集めることで新しいバンドを見つけていました。お気に入りのレーベルを見つけたら、そのレーベルから出ているLPをさらに買うんです。ある意味、こうしたレーベルが自分たちのメンターになってくれました。“このバンドが好きなら、こっちのバンドも聴いてみなよ!”と教えてくれるわけです。1995年にオークランドを離れて、97年後半にまたベイエリアに戻ってきました。この頃になると、地元のハードコア・シーンがおもしろくなり始めていました。1998年までに、私はBoredom Noiseというレコード・レーベルを立ち上げて、ツアーでやってくる他の街のバンドと連絡を取り合ったり、ライヴのブッキングをしたりするようになりました。シーンを存続させるためには、こうした活動をする人間が1人でも多く必要だったんです。当時は、ライヴを企画すること、レーベルやファンジンを運営することは、自分の“情熱”にお金を費やすことを意味していました。利益が出ても100%すべて還元していましたし、レコードをリリースすれば自腹を切って赤字になるのがあたりまえでした。くだらない最低賃金の仕事と、安い家賃のおかげで、なんとか活動資金をやり繰りしていたんです。得られた見返りは、情報を広めること、そして“同じ志を持った、はみ出し者たちのアンダーグラウンド・カルチャーがここにあるんだ”と人々に示すことでした。この時期を通じて、私は一生の友人を本当にたくさん得ることができました」
――私が初めてWilkinsonさんの存在を認識したのは、たぶんBRAINOILとCRUEVOのスプリットEP(2001)だったと思うのですが、WilkinsonさんにとってはBRAINOILが初めてのバンドだったのでしょうか。それ以前にもバンド経験はありましたか?
「私が最初にバンドを組んだのは1992年頃でした。当時はいくつかのバンドを掛け持ちしていましたね。自分たちでライヴをやったり、出られる場所があればどこでもブッキングを入れたりしていました。サウンドは“バカなティーンエイジャーたちがくだらないことを歌っているBUTTHOLE SURFERS”という感じ。楽しんでいましたし、ミュージシャンとしては大した腕ではありませんでしたが、誰も私たちのジャンルをどう分類していいかわからなかったので、少し目立ちすぎていたかもしれません。当時の地元シーンにおいて、私たちは決してウケるサウンドではありませんでした。さっきも言ったように、当時のパンク・シーンではポップパンクが大流行していたので、イケてるライヴハウスにいくらデモテープを郵送しても、絶対に呼ばれませんでしたよ(笑)」
――BRAINOILは当初、ドラムマシンを用いてWilkinsonさんがおひとりで作曲されていたそうですが、どんな音楽を目指していらっしゃったのでしょうか。当時はドゥーム / スラッジ / ストーナーの黄金期で、CRUEVOとのスプリットEPもたぶんBerserker RecordsやShifty Recordsのレーベル買い(現代においては珍しい行為に思えますが……Wilkinsonさんもそうされていたと知って安心しました笑)で手に入れましたし、オークランドといえばNEUROSISのブレイクは大きかったと思います。バンドを始めるにあたって、そういった背景の影響はありましたか?
「オークランドの人々にとって、90年代初頭のNEUROSISはすでにとてつもなく大きな存在でした。私たちの誰もが、彼らからなにかしらの影響を受けていたんです。だから90年代後半の時点で、私はすでに10年近く彼らの大ファンでした。私がBRAINOILを構想し始めた頃、私はLANA DAGALESというバンドで活動していました。私たちは7"シングルをリリースする予定だったんですけど、マスター音源を持っていた契約先のレーベルのせいで、1年以上も引き延ばされるというトラブルに遭いました。なんと、彼らはレコードのプレス工場に音源を一度も提出していなかったんです。最終的は彼らを説得し、DATとアートワークを返してもらい、自分で7"をプレスすることができました。紆余曲折を経てようやく片付いたと思った矢先にドラマーが引っ越してしまい、LANA DAGALESの活動は完全に停滞してしまいました。そのフラストレーションで、新しいバンドのための曲を書き始めたんです。それは、すべての楽器を自分1人で演奏し、滞りなくアルバムをレコーディングできるソロ・プロジェクトでした。ライヴも自分の好きなときにいつでもできます。私は“MrBrainoil”という名義で活動を始めました。目指したのは、遅くて、耳を突き刺すようなサウンドです。当時、EYEHATEGOD、BUZZOV•EN、WEEDEATER、LEECHMILK、SOCIAL INFESTATIONといったバンドがおもしろいことをやっていました。それらのバンドはすべて南部出身で、独特なサウンドを持っていました。基本的にはテンポが遅く、不気味で、ローファイでありながらBLACK SABBATHのようなグルーヴがあって、CANDLEMASSのようなクラシックなドゥームやCORRUPTED、GRIEF、NOOTHGRUSHといったバンドよりはテンポが速いサウンドでした。BRAINOILはそういう南部のバンドのスタイルを反映しつつ、MELVINS、DYSTOPIAや、当時結成されたばかりだったHIGH ON FIREといった西海岸のバンドのサウンドを融合させる予定でした。あとはクラスト・パンクですね。私は、クラストらしさを保ちながらも自分たちのスタイルを貫いて、他のDビートやクラストのバンドにはないものになっているDYSTOPIAのサウンドがずっと大好きでした。何曲か制作した後、私はドラムマシンとトーンジェネレーターを使って、ベースを弾きながら歌うというスタイルでソロのライヴを数回やったあと、LANA DAGALESのドラマーだったEtay(Levy)を迎えて2人編成で数回ライヴをやりましたね。それから1999年に私たちの別のバンドSQUALORが解散したのを機に、Nate(Nathan Smith | DESTROY!, STORMCROW etc.)を誘いました。彼と一緒にプレイするのは最高でしたね。Etayも含めた3人編成でライヴをやりましたが、やはり地元に住んでいるドラマーが必要だと気付きました。それで1999年の終わりにIra(Harris | GRIMPLE, WATCH THEM DIE etc.)が加入して、その時点で名前から“Mr”を外して新しいバンド“BRAINOIL”になったんです。バンドの方向性は決まっていましたが、新しいメンバーたちがそれぞれのスタイルを加えてくれました。私は、メンバー全員がバンドに貢献し、それぞれの個性を持ち込むべきだと考えています。そうすることで、たとえ同じリフを書いても、参加するメンバーによって曲がどれほど化けるかを実感できるからです。BRAINOILにとって、NateとIraは他に代わりのないかけがえのない存在になりました」
――CRUEVOとのスプリットEPと同年にIRON LUNGとのスプリットEPもリリースされていますが、その後もWilkinsonさんがIRON LUNG作品にクレジットされていたり、PIG HEART TRANSPLANTでもスプリット作品を出していらっしゃったり、関係性の深さが伺えます。彼らとはどんな間柄なのですか?melvins
「Jon(Kortland)とJensenとは、本当に長い付き合いになります。ほぼ30年間、彼らとは絶えず連絡を取り合ってきました。あなたの言う通り、私はIRON LUNGの作品に何度かゲスト・ヴォーカルとして参加していますし、彼らのレコードをリリースしたこともあります。また名誉にもPIG HEART TRANSPLANTのメンバーでもありましたし、今でも彼らとはなんらかのかたちで継続的に仕事をしています。JonとJensenは私にとって家族同然です。正直、彼らとの思い出話や実験的な試み、成し遂げてきたことなどを書き出せば、15ページは簡単に埋まってしまうでしょう。でも、今回は重要なポイントに絞ってお話しします。彼らと最初に接点を持ったのは、彼らがKRALIZECというバンドとして、1999年に行われたフェスティヴァル“Fiesta Grande”に出演した時でした。これは、SPAZZで有名なChris Dodge(DESPISE YOU, INFEST, LACK OF INTEREST, STIKKY, TRAPPIST etc. | Slap A Ham Records)が主催していた、最高にイカしたフェス・シリーズです。彼らは並外れた、普通ではない音楽をやっていたので、私はすっかりファンになりました。それ以前から、(Jonの古いバンドである)GOBの存在は知っていましたが、彼と本当に親しくなったのはこのライヴがきっかけです。それから彼らと電話で頻繁に話すようになって、あるとき“KRALIZECが解散して、GEHENNAのヴォーカルだったMike Cheeseと一緒に新しいバンドを始める”という知らせを受けました。ただ、その編成はたぶん1回のライヴしか続かず、そのあとすぐにIRON LUNGは2人編成のバンドになりました。その一方でGOBはベーシストを探していて、Jonはドラマーの住まいに近いオークランドまでやって来ました。私たちはスタジオ練習に向かったんですけど、なんとドラマーが一度も現れなかったんです。結局、私たちはただ一緒に時間を潰してブラブラしました。それ以降、GOBが練習を再開しようとすることは二度とありませんでした(笑)。その後、私はBart Thurber(WHIPPING BOY | House of Faith Recording Studio)と録音したIRON LUNGの最初の音源を聴かせてもらう機会がありました。その素材が最高に気に入ったんです。それが最終的に、一連のスプリット盤として世に出ることになります。そのスプリットのひとつが、私のレーベルから出したBRAINOILとの作品でした。私は彼らにBoredom Noiseレーベルから7"シングルを出さないか?と持ちかけ、スタジオ代の一部を援助すると伝えると、彼らは承諾してくれました。どういう経緯だったか正確には思い出せないんですけど、その7"の予定は最終的にJonのレーベルSatan's Pimpから出るはずだったLANA DAGALESの7"と物々交換のようなかたちで保管されることになりました。当時、彼のレーベルはいくつか問題を抱えていたんです。お互いに急いでいなかったので、結果的に私は彼らの次の音源を『Life, Iron Lung, Death』(2004)というタイトルで、彼らの1stフル・アルバムとしてBoredom Noiseからリリースすることにしました。その後、私たちはその古い2つの音源を合体させたIRON LUNGとLANA DAGALESのスプリット12"を作って、一緒にツアーに出ました。それから私は2004年にレコーディング・スタジオを設立するため、自分のレーベルをクローズしました。彼らはより大きなレーベルへと移籍していき、最終的には素晴らしいレーベルを立ち上げました。私自身もIRON LUNGや彼らのレーベルにおいての役割が変わり、彼らのバンドのプロデューサーを頻繁に務めたり、彼らのレーベルに所属する様々なバンドのミキシング / マスタリング・エンジニアを担当したりするようになりました。さらに嬉しいことに、彼らは私のソロ活動であるローファイ・ガレージ・パンク・バンドShrinkwrap Killersの作品もいくつかリリースしてくれています。そんなわけで、この頃には私たち3人の間で、レコーディング・スタジオ(Earhammer)とレコードレーベル(Iron Lung Records)が揃っている状態でした。Jonはソロ・プロジェクトであるPIG HEART TRANSPLANTをスタートさせ、私はプロデューサーとしてもミュージシャンとしても、そのアルバムの多くに参加しています。初期のセッションは、野蛮で、混沌としていました。アルバム『Hope You Enjoy Heaven』(2008, Sweat Lung)をレコーディングしていたときは、限界を超えるほどの酒をみんなで飲んでいました。アルバムには総勢7人ほどのミュージシャンが参加していて、私たちは全員で私のスタジオ(Earhammer)に数日間、缶詰め状態になりました。最後の朝を迎える頃には、強烈な二日酔いと、笑いすぎによる激しい腹痛に襲われていました。正直言って、あのレコードはかなり不穏な仕上がりです。今聴いても、アルバムから二日酔いの生々しい空気感が伝わってきます。もうひとつ、Jonと私の2人だけで制作したノイズの作品があります。そのときはひどい熱波に襲われていました。オークランドでは、古いビルやアパートを借りている場合、エアコンのようなものは誰も持っていません。気温は105°F (約40.5℃)ほどまで上がっていました。私たちは“酒を飲めば、この暑さを忘れられるかもしれない”と考えて、安売りされていたイエーガーマイスターを買ってきたんです。安かった理由は、単純にあの酒がまずいからだと思います。1ℓも飲んだのに、私たちは全く酔えませんでした。ひたすら汗として流れ出てしまったからです!もう1本ボトルを買い足しましたが、それでもまだシラフのまま。他の方法も試しました。とにかく暑すぎて、汗だくでどうしようもなかったんです。最終的に、私は部屋に転がっていたはずの古いバイコディンを探し始め、20分ほど探してバイコディンだと思ったものを見つけました。それを服用して数分後、私たちはPCの前で寝落ちしてしまいました……。あとで判明したんですけど、それは1年ほど前に私が不眠を訴えた際、当時のバンド・メンバーがくれた睡眠薬だったんです。今でもあのときの音源を聴くと、冷や汗が吹き出てきます。普段、他のバンドの仕事をするときは常にシラフで臨むんですけど、このPHTのセッションだけは例外でした。あのセッションを成立させるためには、一種の別人格や変性意識状態が必要不可欠だったんです。このプロジェクトはやっていて本当に楽しいものでした。参加メンバー全員で奇妙な精神状態に陥ったり、音楽がどこまで不穏になっていくか突き詰めたり、あるいは最も不気味なインダストリアル・レコードを作るためにどれほど睡眠不足に耐えられるか競ったり。そのすべてが、一種のエクスペリメントだったんです」
――BRAINOILの1stフル・アルバム(2003)はオークランドのLife Is Abuseからリリースされましたが、レーベルメイトだったバンドとは交流がありましたか?特にGRIEFやオークランドのASUNDER、DYSTOPIAは私の友人たちもみんな大好きなので、おもしろいエピソードがあったら聞かせていただきたいです!
「GRIEFはボストンのバンドだったので、私自身は彼らのことをあまり深く知る機会はありませんでした。とはいえ、GRIEFとDISRUPTの大ファンであることに変わりはありませんでした!DYSTOPIA、SKAVEN、NOOTHGRUSHは、私が住んでいるすぐ近くのオークランドにコンパウンドを持っていました。彼らとは幾晩も長居して一緒に過ごしたものです。ライヴのあとには、そこにたくさんのクールなバンドが集まっていましたし、他にも多くのバンド・メンバーが住んでいました。DYSTOPIA、SKAVEN、NOOTHGRUSH、ASUNDER、FIELDS OF SHIT、MEDICATION TIMEなど、挙げればきりがありません。BRAINOILを始める前、Nateと私はDYSTOPIAのMauz(Matt Parrillo | MINDROT, MEDICATION TIME etc.)に、私のカセットテープ8トラック・レコーダーでSQUALORの録音をしてもらったことがありました。その後2年ほど、Mauzと私はJOHN THE BAKER AND THE MALNOURISHEDというバンドで一緒に演奏していました。私が最初にASUNDERを観たのは、彼らのオリジナル・ラインナップのときでした。サンフランシスコでのライヴだったんですけど、当時の彼らはもう少しドゥーム・クラスト寄りのサウンドをやっていて、私はすっかりファンになりました。DYSTOPIAやSKAVENのメンバーがこのバンドにいるのは、音を聴けば一目瞭然でした。Geoff(Evans | SKAVEN)は、彼が通っていた音響専門学校のことを私や友人に教えてくれた人です。もし彼がいなかったら、私はこれほど早くレコーディングの世界に飛び込んでいなかったかもしれません。私はすぐに、次に受講可能な学期に申し込みました。これが1998年頃のことです。2004年にEarhammerを設立したあと、私はASUNDERがGRAVES AT SEAとのスプリット用に提供するトラックの録音を手伝いました。彼らと一緒に仕事をしているとき、何度笑わせられたかわかりません。彼らのほとんどはシリアスな問題を抱えたシリアスな人間ですが、同時に心から笑うことも大好きで、人生の楽しみかたもよく知っています。CORRUPTEDがASUNDERと一緒にUSツアーを行ったとき、Mauzと私は2台のバンを運転し、物販を売り、ツアーの細かな手配を手伝いました。超最高のライヴばかりでしたけど、同時にめちゃくちゃハードワークでもありました。なぜだか理由はわからないんですけど、John Gossardの持っていたギター用キャビネットは、片方は車輪が1つしかなく、もう片方は車輪が3つしかなかったんです。私たちはポートランドにいたんですけど、外は激しい嵐でした。雨が降りしきる中、私はついにドライバー付きの万能ナイフを取り出し、車輪の数を調整して、キャビネットをスタックして2台同時に押せるようにしました。そのとき一緒にいたDino(Sommese | CARCINOGEN, DYSTOPIA etc.)と通りを見上げたら、GeoffとSal(Salvador Raya | LAUDANUM etc.)がバーから千鳥足で出てきて、お互いの上に重なり合うようにしてぶっ倒れるのが見えたのを覚えています。SalがGeoffを押しつぶしている光景は、恐ろしくもあり、同時に爆笑ものでした。Dinoは“Sal、まだ壊さないでくれ! 残りのライヴもそいつが必要なんだから!”と叫んでいました。幸いにも、そんな夜を何度も過ごしながら、私たちは全員生き延びることができました。ASUNDERの友人たちと一緒に行動できたのは光栄なことでした。それだけでなく、あれがChew、Hevi、TalbotがCORRUPTEDとして一緒にプレイした最後の機会だったと思います。Heviはそのすぐあとにバンドを離れてしまったからです。MarkやSOLMANIAに会えたことも、私にとって伝説的な出来事でした!あと長年の間みんな、私とTodd(Kiessling | DYSTOPIA | Misanthropic Records)、 Robert(Collins | ARTIMUS PYLE, BRAINBLOODVOLUME, FUCKFACE, NO STATIK, WHAT HAPPENS NEXT? etc.)の3人を混同して勘違いし続けていたんですよね。キッズたちに“自分はToddじゃないよ”と言ったら、“嘘をつくな”と返されたことさえあります。US国内、ヨーロッパ、カナダなど、どこに行ってもみんなに間違えられました。おもしろいことに私たちは全く似てはいないんくて、ただ“ドレッドヘアで髭を生やしたクラスト系”という共通点があっただけなんです。それから、あるときMauzがNIGEL PEPPER COCKというバンドを始めることになって、ベースの機材一式を必要としていました。そこで彼と私はしばらくの間機材をトレードすることにして、私はDYSTOPIAが使っていた9x10inサイズの巨大なAmpegのキャビネットといくつかのベース・アンプを手に入れたんですけど、そのキャビネットは扱いが本当に大変でした。結局、スペースを確保するためにそのキャビネットは彼に返却したんですけど、それから何年も経ったあと、ロングビーチのハウスパーティで演奏していたとき、Toddのあのキャビネットが庭で雨ざらしになっているを見かけました。あれはワイルドな光景でしたね。あのキャビネットも、大往生だったということでしょう。MauzのバンドNIGEL PEPPER COCKは、いつも大騒ぎでした。私はしばらくの間、彼らのステージに登場する魔法使いを演じるはめになりました。最終的にはただの観客に戻ることを許されたので、本当にホッとしました(笑)」
――GRAVES AT SEAでもプレイしていらっしゃったそうですが、いつ頃のことですか?他にも当時(2000~2010年代)にプレイしたことがあるバンドがあれば教えてください!
「2010年から2012年頃(?)にかけてGRAVES AT SEAでプレイしていました。NickとNathanが一時期オークランドに移住してきたんです。その後Nickはポートランドへ引っ越したんですけど、よく自分たちのところに遊びに来ていました。当時はその2人と私、そしてドラムのChiyo(Nukaga | NOOTHGRUSH)の4人編成でした。続いている間は本当に楽しかったです。このラインナップでレコーディングしたのはわずか1曲だけで、それは何年も経ってから12"のEPとしてリリースされました。当時Nathanはオークランドでの生活で行き詰まり、苦しい時期を過ごしていました。オークランドは、特定のタイプの人間を飲み込んでしまうようなところがあります。Nathanはその犠牲者になってしまっていたんです。Nickと電話で話したときのことを覚えています。Chiyoがバンドを辞め、Nickはポートランドで新しいドラマーを迎えることについて話していました。それを聞いて、私はバンドを脱退するのがベストだと判断しました。そしてNathanがポートランドへ移住して人生を再出発できるように決断する手助けをすることにしたんです。正直、この決断は全員にとって健全な結果をもたらしました。バンドを離れたあと、私はGRAVES AT SEAの録音やミキシングを担当することになりました。2000年代から2010年代にかけては、本当に数え切れないほどたくさんのバンドでプレイしました。その中でも特に有名なものをいくつか挙げますね。I WILL KILL YOU FUCKER(2人編成のエクスペリメンタル・ミュージック)、LIDTOKER(スラッジ / ドゥーム)、CRUEVO(ライヴ限定)、そしてJOHN THE BAKER AND THE MALNOURISHEDです。加えて、Chronicles of Lemur Mutation(アンビエント・ノイズ)、Leather Glove(デスメタル / ドゥーム)、Shrinkwrap Killers(ニューウェイヴ・パンク)といったソロ・プロジェクトもやっていました」
――その後LAUDANUMを結成されましたが、BRAINOILとは違った音楽を求めてのことだったのでしょうか。LAUDANUMのほうがよりエクスペリメンタルな印象がありますが、どちらもパンクが表現のベースにあるという点で共通していると感じています。
「実は、私はLAUDANUMの初代ベーシストではないんです。私が加入する前のLAUDANUMは、もっとテンポが速く、ノイズ要素も少なめのサウンドでした。私が彼らと初めて会ったのは1999年のことで、当時私が卒業した専門学校のスタジオでいろいろなバンドのレコーディングをしていたときでした。私はすでに卒業していたんですけど、学校側が20:00~8:00まで格安の料金でスタジオを使わせてくれたんです。時間帯は最悪でしたけど、機材は素晴らしいものが揃っていました。あるとき、昔のクラスメイトでもあった友人のPaigeから“BRAINBLOODVOLUMEがレコーディングをしたがっている”と電話をもらいました。メンバーはBecky(Hawk | AMBER ASYLUM)、Judd(Hawk | DEADFORM)、Robert、Jen(Jennifer Roberts)の4人でした。私は彼らのことをよく知っていたので、喜んでレコーディングを引き受け、音源を制作しました。そのバンドは数年間続きましたが、最終的にヴォーカルのJenが脱退するかたちで解散してしまいました。その後Becky、Judd、Robertの3人編成で、LAUDANUMとしての1stアルバム『The Apotheker』(2003, Blurred Records)を制作したんです。そのアルバムのあと、彼らはもっと遅い曲をプレイしたいと考えるようになって、Robertがバンドを離れることになりました。ちょうどその頃BRAINOILは他のメンバーの別バンドが忙しくなりすぎて活動休止状態になっていました。そういうタイミングが重なって、私はLAUDANUMに加入して6年間プレイすることになったんです。Juddと私はノイズの要素を追求したり、引き摺るように遅くてヘヴィなリフを書き上げたりすることに、本当に多くの時間を費やしました。私たちは、自分たちの音がBRAINOILやBRAINBLOODVOLUMEに似すぎないように意識して曲作りをしていました」
――LAUDANUMでは2010年にBLACK GANIONとのスプリット作品を発表して、同年にジャパン・ツアーも行いましたよね。素晴らしいショウでした。それから8年後にBRAINOILも観られるなんて思ってもいなかったので、びっくりしました(笑)。いずれもBLACK GANIONの存在があって実現した出来事だったと思うのですが、彼らとの交流がいつ頃から始まったのでしょうか。日本、そしてWilkinsonさんが運営するEarhammer Studiosでのヤバい思い出話があれば聞かせてください。
「ASUNDERとCORRUPTEDのツアーが終わって間もなく、ASUNDERのGeoffから電話がありました。“いつかアメリカに行きたいと言っている日本の友人たちがいる”と言うんです。彼らの音源を聴いてみたところ、私はすっかりファンになりました。そこで私はBLACK GANIONのUnoさんに連絡を取り、当時私がメインで活動していたLAUDANUMと一緒にツアーを回らないかと誘いました。当時のBLACK GANIONは本当にワイルドで、めちゃくちゃにパーティをする連中でした。ツアー中は二日酔いになりながらもみんなで涙を流して爆笑ばかりしていました。計画としては、US西海岸ツアーをブッキングして、その流れでEarhammerで彼らのレコーディングを行うというものでした。私たちはどうにかそれをすべてやり遂げて、それ以上に最高の思い出を作ることができました。サンクスギビングの日に私の妻が、彼女が当時やっていたバンドBIRD(DEATHGRAVEを結成するAndreとFernも在籍)と一緒にサンノゼでのライヴを組んでくれました。とんでもなく大盛況なガレージでのハウスパーティで、庭には150人ものキッズが鮨詰め状態になっていました。翌朝私たちが目を覚ますと、Akiraさんが木の上で眠っているのを発見し、Kondoさんが行方不明になっていました。Kondoさんはベロベロに酔っ払って夜中に散歩に出かけてしまい、翌朝になって戻ってきたことがあとからわかりました。ポートランドにいたときには、Akiraさんが吐き気を催し、バンを路肩に止めてくれと頼んできました。ドライバーをしてくれていたRobertが車を止めてAkiraさんは用を足しましたが、目的地に到着すると、なぜかKondoさんの片方の靴がなくなっていました。なんと、Akiraさんが吐くために足元にあったKondoさんの靴を外に蹴り出してしまっていたんです。私たちが回ったのは、まさにそういうタイプのツアーでした。当時の私たちはみんな若く、無茶苦茶でした。日本に行ったときも、本当にたくさんのワイルドな時間を過ごしました。特に、私たちがまだかなり若かった頃に行ったBLACK GANIONとのツアーは最高でしたよ」
――Earhammer Studiosは2004年設立とのことですが、エンジニアリングのお仕事はしていらっしゃったんですよね?その技術はどのようにして身につけていったのでしょうか。
「1990年代の初頭に、自宅でカセットテープの4トラック、8トラックを使ってレコーディングを始めました。当時は主に友人たちのバンドや自分自身のバンドを録音しているだけでした。その後1998年から音響の専門学校へ通い始め、卒業後も学校側の施設をレンタルさせてもらえるようになりました。学校が閉校してしまったあとは、再び自宅でのレコーディングやリモート・レコーディングを続けつつ、2000年代初頭に伝説的なライヴ会場だったBurnt Ramen(サンフランシスコ・リッチモンド)を拠点にして活動を行っていました」
――この筋の(と言ってよいのかはわかりませんが)エンジニアとしては、Billy Andersonという巨匠がいらっしゃいますよね。彼からの影響ってあるのでしょうか。NIGHTFELLやGRAVES AT SEAの作品で一緒に作業されたこともあると思いますが、どんな印象を持っていらっしゃいますか?
「私はBillyがレコーディングを手がけたNEUROSIS、MELVINS、MR. BUNGLEなどを聴いて育ちましたし、歳を重ねてからはSLEEP、HIGH ON FIRE、OM、ACID KINGといったバンドの音源を聴いてきました。彼は本当に素晴らしい仕事をします。現在、彼はポートランドを拠点に活動していますが、今でも時々お互いが手がけた音源のマスタリングしたり、様々なかたちで協力し合っています。私たちのレコーディング・スタイルはそれぞれ異なりますが、“ヘヴィなサウンドを作るのが好き”という点では共通しています。かつて憧れていたBillyと、今このようにして一緒に仕事ができるようになるなんて夢にも思っていませんでした。これは私にとって本当に特別なことです」

――エンジニアとして影響を受けた作品、人物と、その理由を教えてください!
「本当に挙げればきりがないほど膨大なリストになりますが、特にお気に入りなのはGeoff Emerick, Bruce Swedien, Steve Albini, Billy Anderson, Dan Rathbunなどの仕事ですね。他にもたくさんいます。今挙げたエンジニアたちは全員、自分たちがやりたいことを貫き、数多くの新たなパラダイムやスタイルを切り拓いてきました。現代の基準というテクニカルな視点で見れば、世の中にはもっと綺麗な録音が存在するかもしれません。でも、彼らが成し遂げたのは、単に綺麗な音源を作ることではありません。彼らが作ったのは、歴史に残り続ける“レガシーとなる名盤”なんです!レコーディングというものには、“すべてのルールを知っている”ということ以上に、はるかに大切な要素があります。それは“ルールの破りかた”を知っていて、かつデカくてユニークに仕上げる方法を心得ていることなんです」
――エンジニアリングをする上で、ご自身がミュージシャンであること、ベーシストであることが反映されていると思われますか?
「その通りです!オークランド、そして広くベイエリアという地域は、昔からベースの効いた重低音ミュージックを高く評価してきました。初期のMETALLICA(Cliff Burton在籍時)をはじめ、NEUROSIS、Too $hort、PRIMUS、AUTOPSY、SADUSなどのバンドを挙げるまでもなく、この地には常に独特のサウンドが存在してたんです。私はまさにその環境で、そういう音を聴いて“ベースを弾きたい!”と思って育ちました。バンドにおけるリズム隊(ベースとドラム)は、リード(ギターやヴォーカル)と全く同じくらい重要な要素です。それを踏まえると、現代の音楽の多くはギターやヴォーカルにフォーカスしすぎていて、ドラムやベースの存在を見落としていることがよくあります」
――これまでエンジニアとして手掛けてきた中で、最も印象的だったバンドは?
「私はEarhammerを22年以上経営してきましたが、素晴らしいバンドや忘れられない経験があまりにも多すぎて、どれかひとつだけを特別に挙げることなんて到底できません」
――2021年にWilkinsonさんがAUTOPSYに加入したとの報はかなりびっくりしたのですが、やはりエンジニアとしてアルバムをプロデュースをしたのがきっかけだったのですか?Chris ReifertさんとのSTATIC ABYSSでの活動が先だったのですか?
「理由はたくさんあると思います。Joe(Trevisano | ABSCESS, EAT MY FUK, SIXX etc.)が脱退したとき、AUTOPSYのメンバーたちはオーディションしてみたい人物の名前をいくつか挙げていました。その中に私の名前も浮上したんです。当時の私はJoeが辞めることを知らなかったんですけど、ちょうどその頃Chris(Reifert | ABSCESS, DOOMED, EAT MY FUK, THE RAVENOUS etc.)と“インプロの音源でも作れたらおもしろいね”とテキスト・メッセージでやり取りをしていました。するとChrisが“今度一緒に演奏する予定だから、どうなるか様子を見てみるよ。候補の1人になり得るかも”と他のメンバーに話し、候補者のリストに私を入れてくれたんです。私はAUTOPSY加入前に、『Puncturing the Grotesque』(2017, Peaceville)のレコーディングを担当したことがあっただけでなく、VIOLATION WOUND(Chrisが在籍)や、NECROSIC(Eric Cutlerが在籍)の録音も手がけていました。彼らがゲスト参加してくれたMORTUOUSやUNDERGANG、Leather Gloveのレコーディングを通じても、彼らとはすでにかなり長い付き合いになっていました。私の認識では、彼らは私と一度合わせてみて、加入させてくれたのだと思っています」

――STATIC ABYSSは、AUTOPSYとは違うエピックな感じのデスドゥームですよね。こちらははどんなコンセプトで結成されたのでしょうか。
「コロナ禍の終盤、私はEarhammerを、一時的にオークランドからサンフランシスコにある伝説的なライヴハウスGreat American Music Hallへ移転させました。人々へのワクチン接種が始まっていたものの、会場に観客を集めてイベントを行うことはまだ禁止されていた時期でしたね。友人のDave(Venkman)がその会場のマネージャーを務めていて、格安の料金で私の機材をそこに運び込ませてくれたんです。そこで私はChrisに、計画なしの完全な即興でジャムセッションをやってみないか?と声をかけました。そうして完成したのが私たちの1stアルバム(『Labyrinth of Veins』2022, Peaceville)で、STATIC ABYSSというプロジェクトの始まりになったんです!このプロジェクトでは、Chrisがドラムとヴォーカルを担当し、私がすべての弦楽器(ギターとベース)の演奏とリフの作曲を手がけています」
――そして、ここからがこのタイミングでの本題になるわけですが……DEATHGRAVEについて聞かせてください!そもそもどんな経緯で結成されたバンドなのでしょうか。
「Fern(Lee Alberts | AMBER ASYLUM, RINGWURM)とAndre(Cornejo)はかつてBIRDというバンドで活動していて、素晴らしいバンドでしたけど、解散してしまいました。私は、Fernに新しくバンドを始めないか?と提案して、そのとき一緒にいたアンドレも“自分も入りたい”と言ってきたんです。最初のコンセプトは、SIEGEのようなブラストビートにRUDIMENTARY PENIのようなパンク・リフをミックスさせるというものでした。それからドラマーを見つけて、曲作りをスタートさせたんです。結局、できあがった音は当初のコンセプトとは全く違うものになりました。無理に押し付けるのではなく、ありのままに任せたことで、結果的により良いサウンドに仕上がりました」

――展開がとても複雑な楽曲群ですが、これまでWilkinsonさんがプレイしてきたバンドの中ではかなりキャッチ―な部類になると感じています。DEATHGRAVEではギターをプレイしていらっしゃるということが関係していますか?
「Fernも私も本来はベーシストで、私自身DEATHGRAVEでギターを弾いている今でも、根底はベーシストだと思っています。ベーシストとしての私は、パーカッシヴさと楽器の抑揚にフォーカスするのが好きです。ディストーションはかけすぎないようにしています。歪ませすぎて音が圧縮されすぎてしまうと、楽器が持つ本来の個性が失われてしまうように感じてしまうんです。ベースという楽器は、ドラムとギターの間に位置しています。メロディに深みを与えながらも、パーカッションの要素を加える役割を持っています。これは、ドラムやギターが単体では絶対にできないことです。ギタリストとして曲を書くときも、私はこのような感覚で作曲をしています。だから私たちのサウンドは、メロディよりもリズム的な側面にフォーカスしたものになります。それこそがキャッチーな要素になっているのかもしれません」
――ちょっとBLACK GANIONの影響を感じたりもするのですが、いかがしょう?
「私のサウンドやプレイ・スタイルが彼らとはかなり違うと感じてはいるものの、BLACK GANIONからギタリストとしてものすごく大きなインスピレーションを受けているというのも事実です。彼らがやっているようなことを、私がそっくりそのまま再現できるとは思えません。ただ、両方のバンドが、どこか似たような影響源から音楽性を引き出しているのは間違いありません。ギターに関して言えば、ノイズの領域における私の主要なルーツをいくつか挙げるなら、ZENI GEVA、BIG BLACK、GODFLESH、BUTTHOLE SURFERS、BLACK FLAG、WALL OF VOODOO、RUDIMENTARY PENIといったバンドたちです。BLACK GANIONのメンバーたちがこういったバンドのいくつかに影響を受けていたとしても、私は全く驚きませんね」
――BLACK GANIONとDEATHGRAVEのスプリットEPは、どちらも現時点での最高の楽曲を投入している感じがして、素晴らしかったです!USでの反響はいかがですか?
「反響は素晴らしいです!いつかまた、彼らをまたUSへ呼び戻したいと心から願っています。過去2回のリリースで、彼らは本当に強烈な印象を残していきましたから。DEATHGRAVEについては単に“自分たちのサウンドを見つけた”というだけでなく、それをよりシームレスで一体感のあるものへと融合できた、と実感できました」
――ジャパン・ツアーに向けて、楽しみにしていることがあれば聞かせてください!
「みんなにまた再会できるのがなによりも楽しみです。最後に日本を訪れてから、もう8年も経つんですね!過去2回の日本ツアーのときは、とにかく次のライヴへ、また次のライヴへと常に移動ばかりしていました。でも今回の旅では、ライヴの数を少し抑えているので、何日間かは観光客として過ごす時間が取れそうです。楽器店や寺、ミュージアム、豊かな自然など、日本ならではのユニークなものをたくさん見て回りたいと思っています」
――Wilkinsonさんのこれまでの活動を振り返ってみると、1人の人間がこなせるような仕事量ではないと感じてしまうんですよね……。私のような怠惰な人間からすると……。バンドをたくさん掛け持ちして、エンジニアとしても大忙しで……。しかもどの仕事も手抜かりがないし、楽しそうです。最後に、たくさんのことを気持ちよくこなせる秘訣があれば教えてください!!!
「特別な秘訣なんて何もありません。自分の仕事が大好きですし、長い睡眠が必要な性分でもありません。もし数時間寝てから目が覚めてしまって、そこからどうしても寝付けないようなときは、そのまま仕事に戻るようにしています。1日の中の早い時間帯は、疲労や細かな不安が頭をかすめる前の、人間にとって最もクリエイティヴになれる時間です。この早い時間帯にこそ、自分のエネルギーを世界に向けて一気に放出するのがベストなんです」
――なるほど……!トライしてみます!たくさんの貴重なお話、ありがとうございました!
DEATHGRAVE Instagram | https://www.instagram.com/deathgrave408/
■ DEATHGRAVE / BLACK GANION Japan Tour 2026
| 2026年7月10日(金)
東京 新大久保 EARTHDOM
開場 18:00 / 開演 19:00
前売 4,500円 / 当日 5,000円(税込 / 別途ドリンク代)
TIGET
[出演]
BAPHOMETY / BLACK GANION / COFFINS / DEATHGRAVE
| 2026年7月11日(土)
"DEATHGRAVE / BLACK GANION Japan Tour 2026 名古屋 + FEROCIOUS X 'Ser Ut Som Djävulen' Release Show"
愛知 名古屋 Live & Lounge Vio
開場 18:00 / 開演 19:00
前売 4,500円 / 当日 5,000円(税込 / 別途ドリンク代)
[出演]
BLACK GANION / DEAD-REFORCE / DEATHGRAVE / FEROCIOUS X / MÜRMÜR
| 2026年7月12日(日)
大阪 難波 BEARS
開場 18:00 / 開演 18:30
前売 4,500円 / 当日 5,000円(税込 / 別途ドリンク代)
[出演]
BLACK GANION / DEATHGRAVE / SLUG / SOLMANIA
※ お問い合わせ: info@blackganion.net
■ 2025年9月24日(水)発売
DEATHGRAVE / BLACK GANION
Daymare Recordings | Transylvanian Recordings
CD DYMC423 2,200円 + 税
https://transylvanianrecordings.bandcamp.com/album/deathgrave-black-ganion
[収録曲]
| DEATHGRAVE
01. Species Jumper
02. Stalking Stuffer
03. Chronovore
04. Laidlessness
| BLACK GANION
05. Maurits Snake
06. Limbus
07. End Time
Gallery
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