Review | 龍泉窯 ひれ酒カップ


文・撮影 | 梶谷いこ

砥部焼 ひれ酒カップ | Photo ©梶谷いこ

 京都・四条河原町の交差点。髙島屋の北向かいに「ゑり善」という呉服店があって、店先のショウウィンドウにはいつも素敵な季節の装いが飾られています。普段はそれを通行人として眺めているだけですが、一度、勇気を出して買い物をしに入ったことがありました。目的は夏物の帯揚げ。15年ほど前から母のお下がりの着物を着るようになって、少しずつ自分で帯周りの小物を増やしていたのです。

 販売員のかたが付いてくださって、ひらりひらりと1枚ずつ帯揚げを広げて見せてくれます。爽やかな色合いの無地のもの、水玉模様のもの、祇園祭の様子が描かれたものなど、夏らしい柄行の中からわたしが心惹かれたのは、ブルーグレーの絽の生地に、絞り模様でカエルの姿がひとつ描かれたものでした。

 しかし、無地なら夏季を通して使えますが、カエルの模様が入っているだけで梅雨の時期専用になってしまいます。しかも雨の多い梅雨どきに着物を着る機会はそうそうありません。使いこなせるだろうかと悩んでいるわたしに、年配の男性の販売員はこう言いました。
 「ほほほ、お洒落はキリがございませんしねぇ」
 結局、これが殺し文句になって、わたしはカエル柄の帯揚げを買うことに決めました。お洒落は細部に宿る。だから際限がない。汎用性の低さこそお洒落の要になることを知った瞬間でした。

 ところで、寿司屋や居酒屋でフグのひれ酒を注文したことはありますか?わたしは、生まれてはじめて回らないほうの寿司屋でひれ酒を注文したとき、そのあまりに“お洒落”な装いに腰を抜かしました。それ以来しばらく、寿司屋に行く機会があればひれ酒を注文することに夢中になったほどです。そしてとうとう、自宅用にひれ酒専用のカップをインターネット通販で購入してしまいました。

砥部焼 ひれ酒カップ | Photo ©梶谷いこ

 見てください。この、堂々たる「酒」の字を。こんな風に書かれたら、酒以外のものを入れることなど許されないような気がしてきます。またこのリズミカルな描き文字がなんとも言えません。カップをくるりと反対側に回し蓋を裏返すと、今度はひれ酒専用カップとしてのアイデンティティが現れます。先程のリズミカルな“酒”の文字でクラリとするほどやられた、と思ったら、このフグのイラストでもうノックアウトです。なんですかこのビックリ顔のフグは。フグというよりもはやマンボウです。

 カップをひっくり返してその刻印を調べてみると、「龍泉窯」という窯元の品ということがわかりました。また“ひれ酒カップ”で検索してみると、龍泉窯以外にもひれ酒専用のカップを作っている窯元がたくさんあることが確認できます。描かれたフグのイラストも、こうしたデフォルメされたイラスト調ものから写実的なものまで様々あって、“ひれ酒カップ”の画像検索画面はまるでフグのイラスト図鑑のようです。そのほか陶磁器以外に、無地のガラス製のものもありました。

 しかし、なぜそれほどまでに人々はひれ酒に、ひれ酒カップに情熱を燃やすのでしょうか。せっかくなので、ここでひれ酒の歴史を見てみましょう。話は第二次世界大戦直後まで遡ります。戦後の米不足と急激な人口増加により、清酒が圧倒的に不足した時代。代わりに「増醸酒」と呼ばれた、清酒に醸造アルコールや水、糖類などを添加した質の悪い日本酒が市場に出回りました。こうした時代の日本酒は当然味も悪く、今のものとは比べ物にならない代物だったといいます。そこで、フグなどの魚のひれを炙ったものを熱燗に落とし、蓋をして蒸らして飲むとおいしくなるといって、ひれ酒が重宝されるようになったのです。またひれ酒は、最初は漁師の間の思いつきだったともいわれています。

 「少しでもマシな酒を飲みたい」。ひれ酒には、昭和の時代の人々の切実な思いが詰まっていたのでしょう。そんな思いと工夫がいつしか専用のカップを作り、様々なフグのイラストが描かれた焼き物を産んでいったかと思うと、人と食と器のプリミティブな関係性について思いを馳せずにいられません。

砥部焼 ひれ酒カップ | Photo ©梶谷いこ

 さらに驚くべきここに、ひれ酒カップには「はかま」と呼ばれる専用のカゴが存在します。ひれ酒は、通常の熱燗(55度ほど)よりもさらに熱い70~80度まで加熱します。ここまで熱くすることにより、ひれの生臭さが消えるといわれているからです。熱燗よりも更にアツアツになったひれ酒カップを持ちやすくするためだけに誕生した「はかま」。これもまた、“お洒落”やなあ~と思うのです。

 しかし時間もお金も限界がある毎日の生活で、“お洒落”を極めることはそう簡単ではありません。わたしの場合、一旦そのあたりのことはお店に任せて、キリのないものにうまくキリをつけることをしたほうがよさそうです。

梶谷いこ | Photo ©平野 愛
Photo ©平野 愛
梶谷いこ Iqco kajitani
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1985年鳥取県米子市生まれ、京都市在住。文字組みへの興味が高じて2015年頃より文筆活動を開始。ジン、私家版冊子を制作。2020年末に『恥ずかしい料理』(誠光社刊)を上梓。その他作品に『家庭料理とわたし――「手料理」でひも解く味の個人史と参考になるかもしれないわが家のレシピたち』『THE LADY』『KANISUKI』『KYOTO NODATE PICNIC GUIDEBOOK』などがある。