Interview | 成田圭祐 (IRREGULAR RHYTHM ASYLUM)


“あたりまえ”が揺さぶられる経験

 新宿駅から少し離れた場所に「IRREGULAR RHYTHM ASYLUM」というショップがある。アナキズム、DIYをテーマにした選書に、たくさんのZINEやCD。そしてお店の奥にはリソグラフ・プリンターや作業できるスペースがある。パンクで繋がった少し歳上の友人がこの場所でフライヤーを刷るのを何回かInstagramのストーリーで見かけており、私自身もソロの作品『瑞典春氷』の特典ジンをこの場所で刷った。店主の成田圭祐はどのような経緯でこのショップを始め、どのような青年時代を送っていたのだろう。

取材・文・撮影 | SAI (Ms.Machine) | 2021年7月


――まず自己紹介をお願い致します。最近歳上のかたにインタビューすることが多くて、自分の年齢と比べたりしながらお話を伺うのがおもしろいのですが……。差し支えなければ年齢をお訊きしていいですか?

 「45歳になりました。1976年生まれです」

――では野中モモさんと同世代くらいですね。この間モモさんの取材をしてきたんですけども。自己紹介をと言いましたが、自己紹介って難しいですよね。肩書きで言うとどうでしょう?
 「最近は“IRREGULAR RHYTHM ASYLUM”って書いちゃうことが多いですね。だいたいそれで通ってるかな。お店を運営してるけれど、他にアルバイトもしながら場所を維持している感じです」

――そうなんですね。そこらへんてけっこうつっこみづらいところなので……。
 「たしかに」

――気になるけど場合によっては失礼な質問にもなってしまうので、今教えていただけて「そうなんだ!」と同時に「教えていただいてありがとうございます」みたいな気持ちになりました。
 「こういうお店だとほとんど収益はないので、お店にいながらPCでできるアルバイトをしながら維持しています」

――そうなんですね。PCを使ってのアルバイトって、どういう内容なんですか?
 「フリーランスでデザインをやったり、データの打ち込みとか。コロナで休業している間に、前から興味があった障害者介助の資格を取ったので、その仕事もこれからはやるつもりです」

――そういう経営の裏事情も記事にできると、お店を始めたい人にとって今後の参考になると思いまして。リアルな現場の声ってなかなかネットにも載ってないですし。
 「同じようなやり方で運営してる知り合いの店も多いです。フリーランスで仕事場兼オープンなスペースを持つとか。あとは、共同運営という形で、メンバーが少しずつ家賃を負担して運営されているところもあります」

――お店はいつオープンしたんですか?
 「2004年にスタートしたので、もう17年に」

――長いですね……!始めようと思ったきっかけを教えてください。
 「もともとパンクのジンを作ったり、世界各地のDIYパンクのレコードとかジンを取り扱うディストロをやっていて、ライヴで出店したり、自分で作ったジンを、ライヴハウスで配ったり売ったりしていました。その頃に知り合った人が、ここで会社をやっていたんですよ。その人に、ここのスペースの半分を使って、何かできないかな?って言われて。それで、ディストロで扱ってたものを持ってきてスタートしたのが始まりです」

――なぜこの場所(新宿御苑付近)にお店を開いたかをお訊きしようと思ってたのですが、そういう経緯だったんですね。
 「だから、たまたまですね。でも、ここで良かったと思ってます」

Photo ©SAI

――もし、知人経由のお話がなかったら、どこでお店を開いていたと思いますか?
 「たぶんお店とかはやってないじゃないですかね。長くやるつもりもなかったし。ただ、モチベーションは高かったです。DIYパンク・シーンを通して、そういうバンドがどういう活動をしてるかがだんだん見えてきたんです。音楽だけじゃない、その背景とか。例えばどこでライヴしているのかとか、普段どんな風に生活しているのかとか、そういうことに関心があった時期だったので、シーンの音楽以外の部分がものすごく興味深くて。ライヴをするのが、空き家を占拠して政治 / 文化活動のためのスペースに作り変えた、スクワットとかソーシャル・センターとか呼ばれるところだったりするんですよね。自分たちのスペースをDIYで作り出してしまうってすごいと思ったし、まさにこれは自分が必要としているものだって思いました」

――なるほど。スクワットとかって日本にもあったりしたんですか?
 「特になかったからこそ、モチベーションになったんですよね」

――やっぱり日本にはないですよね。海外だとどのあたりにあるんですか?
 「ヨーロッパはスクワット・ムーヴメントが盛んだったので、大きい街にはたいていあります。アメリカやカナダなどの英語圏の場合は、空き家占拠ももちろんあったけど、2000年代の初め頃はインフォショップが各地に次々できていくみたいな勢いがあった頃で。IRAの場合は、その増殖してゆく波みたいなものに乗っかった感じでした」

――インフォショップというものが海外にあるというのを、当時どういうツールを使って知ったんですか?
 「例えば、パンク・バンドが集まって作ったベネフィット・コンピレーションのカンパ先がどこなのかを見ると、そのバンドのメンバーが普段出入りしているスクワットやインフォショップだったり、FOOD NOT BOMBSというヴィーガンの路上炊き出しグループだったりするんです。そんなふうに、DIYのミュージシャンたちと政治的な活動の繋がりが見えてきて、それがすごく刺激的だったし、これこそがパンクだよなって思いました。あとは、SAIさんも買ってくれたけど、『RIOT GRRRL 自分らしさのポリティックス』を書いた大垣有香さんが、ちょうど2000年代はじめにサンフランシスコに住んでいて」

――おお、そうなんですね!知らなかったです。
 「有香さんがサンフランシスコのクィア / アナキスト・シーンのレポートを自分がやっていたジンに寄稿してくれたり、帰国後にもいろいろ話を聞いて。そういうリアルな経験を聞けたことも励みになりました」

――こういうインフォショップって、日本にあったりするんですかね?
 「“インフォショップ”だと、“アナキストのスペース”と理解されるから、そんなに積極的に使われる言葉ではないですね。でも、IRAと同じようなコンセプトのオルタナティブ・スペースや本屋は日本にもいろいろあって、呼びかたが違うだけで、運営のしかたとか、取り扱うものとか、やっていることも似通ってる。そういうスペースにはいつも刺激をもらってるし、励まされてます」

Photo ©SAI

――成田さんにとってパンクってどういうものですか?
 「社会の中での居心地の悪さみたいなのは、学校にいたときから感じていて、すごく漠然としたフラストレーションとか怒りとかを持っていたんですけど、それに寄り添ってくれたのがパンクだったんだろうと思います。ただ、そのフラストレーションとか怒りの原因とか、それを自分でどう表に出したらいいのかとかは、やっぱりどれだけ音楽を聴いても解決できないし、“どう生きるべきか”ということを悩む時期でもあったので、そういうときに本を読んだり、オルタナティヴな生きかたを実践している人と出会ったりして、ようやく社会の仕組みや、今まで思いもしなかった生きかたの可能性が見えてきたんです。そうすると、海外のパンク・バンドが発しているメッセージも、自然と自分の生活や社会状況に当てはめて考えられるようになったし、自分自身が行動を起こすための支えにもなった」

――なるほど。野中モモさんに取材したときに、モモさんも学生時代から大きな集団の中にいる時に違和感や疎外感がずっとあったのかな?って思ったんですよね。私も学校で違和感があったからパンクにハマって、フラストレーションを音楽にぶつけていたので。世代は違えど、根本にあるものはみんな同じなんだと感じました。それで、疎外感を感じたからこそ自分で場所を作っているというお話、自分のバンドにも通ずることでもあるので、なんだかグッと心にきました。
 「繋がるんですよ。ずーっと」

――IRAのセレクトは、国内 / 国外の差別や社会問題について記した作品が多いですが、そうしようと思ったきっかけはあるのでしょうか?
 「インフォショップをやろうと思ったので、インフォショップにあるべきセレクションにしています。社会的な問題に取り組む草の根の活動家とか、インディペンデントで表現活動をするアーティストとかが、知識や技術をシェアしあったり、情報交換したりできる場がインフォショップです。権威や資本に頼ることなく、DIYで何か表現や行動がしたい、そういう人たちのヒントになるような、後押しができるような場でありたいと思うんです。あとは、資本主義的でなく、もちろん家父長的でもない、自分たち自身の独自の生活や文化を生み出そうと活動している人やグループは、世界のあらゆる場所に存在していて、ゆるいネットワークで繋がっているので、そういう中で流通しているものが集まってきたりもします」

Photo ©SAI

――成田さんはいつ頃から、どのようなきっかけがあって社会問題に興味を持つようになったんですか?パンクを聴いていたからいうのもやっぱりあるんでしょうか。文化服装学院に通われていたというのを友人から聞いて知っているのですが、それもやはりパンクの影響がありますか?
 「ありますね。やっぱりパンクのデザインとかファッションも好きだったので。初期パンクのエネルギーってすごかったと思うんです。すごくクィアだし、アナーキーだし。自分はリアルタイムではないけど、ああいうものに触れると学校制度に従うのは馬鹿らしくなりますね」

――なるほど。では高校生のあたりからパンクに影響されていたんですね。
 「もはや大学に行けるような成績ではなかったし、その頃の自分の関心と近い人に会えるような気がして、文化服装学院を選んだという感じです」

――私の同級生で文化服装に行くのを選んだ友人もユニークな子が多かったです。
 「良い出会いも多かったけど、学校としては……特に僕はスタイリスト科で、学生をやたらと詰め込んで、専門的な技術をしっかり学べるような学科ではないから、卒業したところでまともな就職先も別にないし。業界みたいなものの実態がだんだん見えてくると、ファッションもだんだん嫌になってきちゃって。ファッションの仕事には就こうとは思わなかったですね」

――スタイリスト科を卒業してスタイリストにならなかった人たちって、だいたいどういうところに就職していましたか?
 「販売員をやった人は多かったです。ただ、給料はすごく安いし、長く続けられる仕事じゃないんですよ。憧れを利用して新しい人をどんどん入れては、短いサイクルで使い捨てする」

――わかります。私も実は服飾の学校に通っていたんですよ。
 「本当?どこ行ってたんですか?」

――女子美術大学というところの服飾科なんですけど、同じ学科の同級生で今も繋がっている人ってたぶん1人もいないんですよね。
 「本当!……まあねぇ……」

――やっぱり大学に行っても他のコミュニティ、特に音楽が楽しくて。卒業してから私も服飾の仕事には就かなかったですね。
 「まあそうなりますよね。アシスタントとかはもっと悲惨だしねぇ……」

――そうですね。学校で周りからそういう話を聞くことがやっぱり多かったので。だから、なりたいと思わなかったんですよね。
 「そう!本当そう。自分の場合は、その頃から本を読むことも増えて、パンクではないけど、支配的な価値観に逆らって生きる人たちが、今の日本にもいるんだ、っていうのを知ったんです。例えば、ここの近くにある本屋さん“模索舎”とかで売ってるミニコミとかジンを読んだりして。適当にバイトして、その日暮らしだったけど、まぁ生きていればいいやと思っていたし、そういうミニコミとかジンに触れていたら、自分でも何かを発信したい欲求も出てきたんです。それで、ジンを作るようにもなった。せっかく学校を出ても、その知識とか技術を生かせないまま、路頭に迷う人っていうのは山ほどいて、同級生もほとんど故郷に帰ってしまったし、自分は東京出身だけど、何の技術も知識も身につけないまま、自活していかなきゃならなくなった。それでも、オルタナティヴな生きかたを実践したり、いろいろな社会的な問題と向き合っている人たちと出会えたおかげで、自分なりの人生を生きていけそうって思えた。ラッキーだったと思います」

Photo ©SAI

――お店を経営していて楽しいことを教えてください。
 「そうですね……。やっぱりコロナで一気に雰囲気が変わってしまって。新宿はたくさんの旅人が経由する街というのもあって、前は海外からのお客さんも多かったんですよ。かれらがこんなわかりづらい場所をどうやって見つけるかっていうと、かれらが暮らす街にも似たようなインフォショップ的なスペースがあるからという理由もあるんです。東京みたいな大都市だったら、きっと何かあるだろうと思って探し出して、フラっと寄ってくれる。そこでいろいろお互いのシーンや政治について情報交換もするし、たまたま店内にいた人と新しく出会ったりもする。ここでワークショップをやっていたとしたら、一緒に何かを作ったり、そういう機会がかなり頻繁にあったんですよね。そういうのが一気になくなってしまったので、寂しい気持ちが大きいですね……。店をやっていて、おもしろいと思えるのはそういう時でしたから」

――たしかにショップという側面もありますが、スペースという側面も大きいですもんね。逆に辛いことも教えてください。
 「なんだかんだでお金の計算をしなくてはいけないっていうのが辛いですね。本当はお金の計算なんかしないで、場所を維持できたらいいのだけど、そういうわけにもいかず。いまだにお金の計算はあまり得意じゃないですね」

――オススメの1冊(CDなどでもよいです)と、その理由を教えてください。

『Celebrate People’s History』

 「最近入荷したばかりの本で、ニューヨークのThe Feminist Pressから出版されたポスター集です。日本でも翻訳がたくさん出ているレベッカ・ソルニットと、シャーリーン・カールーザーズっていう黒人のクィア・フェミニスト活動家が序文を書いています。“民衆の歴史を祝福しよう”っていうタイトルで革命と抵抗の歴史をポスターで辿るという内容で、全部で200種類以上あるポスターは、世界各地のいろいろな抵抗運動や革命家をテーマに、アーティストやデザイナーがデザインしたものです。僕は赤瀾会っていう日本最初の社会主義女性団体のポスターを作りました。あと、ここでやってるA3BCという木版画のコレクティヴが制作した米騒動のポスターも、ここには収録されています。この本を編集したジョシュ・マクフィーっていう人は、僕より少し年上で、かれももともとDIYのパンク・シーンでジンを作ったり、ジャケットのデザインをやったりしていた人ですね。いまはブルックリンでデザインやアーカイヴの運営を通して、政治的な活動を続けています」

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――ポスターのデザイン、かっこいいですね。
 「デザインを楽しみながら、世界のいろんな出来事や人物のことを知れるのがいいですね。学校で習ってきたような権力者の視点の歴史ではなく、民衆の側というか、抑圧をはね除けてきた側の歴史を学ぶと、いまの世界の見えかたもだいぶ変わります。それに、今まさに社会的な不正義と闘っている人にとっては、過去に勇気を持って行動を起こした人たちのことを知ることは、大きな励みにもなると思うんです。それがこのプロジェクトの一番の目的だと思いますし」

――さて、インタビュー終盤となってきました。今後の展望や読者の皆さんに伝えたいことがあれば教えてください。
 「いろいろあるけど……こういう状況になってしまって、本当に動きづらい時期だから待つしかないんですけど。A3BCでは、アジアやヨーロッパで活動している仲間の木版画コレクティヴに、自分たちが制作した木版画やポスターを励ましのプレゼントとして送りつけるという企画をこれからやろうと思っています。みんなこの大変な状況で苦労しているのに、SNSで繋がっていても、“繋がってる感じ”がするだけで寂しい気がしていたし、大企業が用意したSNSのような枠組みから自由な、木版画というメディアをせっかく持ってるわけだから、それをちゃんと活かさねばと思って。あと、ここでやっているNU☆MANっていうお裁縫のグループは、去年中国の北京に行くつもりだったんです。日本でもツアーしたことがあるKaoru Abe No Futureっていう実験音楽のバンドが、古着をリサイクルして作ってるものをおもしろがってくれて、北京で一緒に何かやろうという話になっていたんです。いつまた再開できるかわからないけど、海外を含め他の街でのワークショップとかイベントは、今後もやっていきたいことです。SAIさんはまたスウェーデンに行きたいのではないですか?前に行ったときはライヴとかはどこで観たんですか?」

――そうですね。最近は北欧映画祭が中止になってしまったり、スウェーデン大使館でのイベントもなくなってしまって、国内でスウェーデン文化を感じる機会が減ってしまったんですけど、相変わらずSNSでは注目して見ています。ライヴは人の家の部屋みたいな場所で観ました。海外でツアーしているバンドをインスタで見ているとたまに出てくるあれです。キルナという一番北の土地に行ったんですけど、ライヴハウスみたいな場所がないに等しいようなところでした。そのときにフィンランドにも行きましたね。現地のオススメのヴェニュー一覧みたいなのを見て、アー写とかフライヤーのデザインが好きなテイストのライヴに行きました。
 「なるほど、雰囲気でね(笑)」

――はい。フィンランドのアンダーグラウンド・シーンのことに全然詳しくないまま行っちゃって。
 「でもそれは逆にちょっとおもしろいかも。思わぬアーティストと出会いそう。海外でライヴといえば、テンテンコさんは今日ドイツでのライヴみたいですね。羨ましいですね」

――実は、ドイツでのライヴは現地時間20時だから、日本では何時なんだろうって調べながらここに来ました(笑)。
 「この状況で行けたのって本当にすごいですよね」

――やっぱりそうですよね。周りでもコロナ禍のこの時期に海外に行ったアーティストいないなって。成田さんが国内のみならず海外のアーティストとも積極的に関わってるのは、海外の文化や価値観に共感する部分が多いからですか?
 「そうですね。日常の中で直面するいろいろな問題、経済的な格差とか、性差別とか、レイシズムとか、そういうものとどう向き合っているのかっていうのは、やっぱりすごく参考になるんですよね。特に海外の友人たちが、自分たちのスペースを使ってやっている実験的な試みとかは意識的に追いかけています。あとは、観光ガイドに載っていないような日本の社会状況や、抵抗の文化や歴史もちゃんと伝えたいというのもあります。そういう交流を通して得たものを、自分の暮らしや活動の中でも活かしていければ」

Photo ©SAI

――めちゃめちゃアグレッシヴでいいですね。私もそういうスタンスでいきたいです。
 「何か行き詰まりを感じても、ちょっと国外に目を向けるだけで、新しい気づきがあったりしますね。17年やってきた中でも頻繁にあったし、それはやっぱりお店を運営していることのメリットだと思います。最初は、アメリカとか西洋の文化ばかりに触れていて。特にパンクとかを通して受容してたので。でも、お店をやっていると、中華圏の人も、南米の人も、東南アジアの人も来る。日本で暮らす外国人にも、いろんな国から来ている人がいて、そういう人たちとの直接的な交流では、自分の中のあたりまえが揺さぶられることも多くて、それを経験するともっといろんな角度から物事を考えられるようになるんです。今後もそういう機会がたくさんあったらいいし、大事にしていきたいと思ってます」

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