Interview | 長辻利恵


誰にも聴いてもらえなくなっちゃうのは嫌だ

 そもそもGolden Syrup LoversやPONYのことを覚えている、あるいは当時聴いていたという人が、どれだけ今、このアルバムのリリースに気づいているのかはわからない。いや、だからこそ、届いてほしい!と願い、声を大にして伝えよう。長辻利恵の初のソロ名義アルバム『逆光のシルエット』である。昨年秋に配信で先行公開されていたものがボーナス・トラック1曲を加えた上でCDとして改めて発売されることになった。

 90年代に彼女が木村 健、野村大史と組んでいたGolden Syrup Lovers、2000年代前半に三沢洋紀、千住宗臣と組んだPONY……と、大阪を拠点とする彼女が関わってきたバンドは、今となっては簡単に当時の作品を聴くことができない。だが、ノイジーでサイケデリック、攻撃的なギター・サウンドの中に光る宝石のような歌が魅力だったGolden Syrup Lovers、よりさりげなく人の心に訴えかける日本語の響きがバンドの立ち位置を明確にしていたPONY……これらでヴォーカルをとっていた長辻の歌とメロディの表現力は、今なお一聴する限りでは愛らしく透明感があるが、リスニング環境の変化に全く関係なく、今なおゴリっとした手応えを残している。次々とさまざまな旧作音源がサブスクで解禁されてしまう時代、そのシステムからこぼれ落ちてしまう作品やアーティストも少なくないが、しっかりと体を預けて聴くべき音楽がここにある、ということを『逆光のシルエット』は伝えていると言ってもいいだろう。長辻利恵というシンガー・ソングライターは、彼女自身交流ある山本精一らと同様に、音楽に向き合う姿勢と活動の視座に気骨があるアーティストだ。その気骨がゴリっとした人としての太さを形成している。


 nayutaの宮本章太郎と淡路翔子、she says she..のカミジョーリエの協力を得て制作した『逆光のシルエット』は、ポップなメロディを持った曲が揃った歌もの作品ではある。言葉もメロディも決して大仰ではなく、そっと耳のそばで鳴っているようなタイニィなものだ。そしてノイジーな演奏であっても佇まいは柔らかい。けれど、誰がなんと言おうと、どんな時代になろうと、これが自分の歌なのだ、という自負と矜持がドカっと真ん中にある。彼女が関西のシーンに登場しておおよそ30年。ようやく届けられた1stソロ・アルバムについて話を聞いた。


取材・文 | 岡村詩野 | 2023年3月


――正式な流通作品としてはPONYとしてのアルバム以来です。PONYの後、現在に至るまで、リリースこそありませんでしたが、曲はずっと作り続けていたのですか?

 「そうですね。ヴォイス・レコーダーにギターでジャカジャカって弾いて、録音するっていう、それだけのことなんですけどね。歌詞も画用紙にバーっと書き殴っちゃうんです。ただ、時間をかければできる……っていうものでもないっていうか、曲を作っているみなさんそうだと思うんですけど、がんばって出来上がっちゃうときもあれば、すごく時間かかってできたと思っても、次の日聴いたら全然やな、っていうことも多い。それでイチからやり直すとか、そういうのを繰り返し、繰り返しで……あっという間に何年も経っちゃったっていう感じなんですよ。だからアルバムを作るために曲を用意するとかじゃなくて、日々、習慣的にそういう曲作りっていうか、歌作り、歌詞作りっていうのをしていました」

――それまでは90年代だったらGolden Syrup Lovers、2000年代入ってからもPONYなど、長辻さんはバンドでの活動をメインにしてきました。曲を作って、それを共有したり聞かせ合うような関係の仲間がいたわけですが、今はひとりでジャッジすることになっていると思います。
 「そうですね。お誘いをいただいてBEARS(大阪・難波)や雲州堂(大阪・北浜)とかでライヴをやったりするときには、私ひとりでやるのは心もとないな、っていうような感じで島田温泉くんとか、タケヤリシュンタくんとかに一緒にやってもらったりしていたんです。今回アルバム制作を手伝ってくれた宮本章太郎くんとかもいろいろと力になってくれましたし、ほんと、都度都度ですね……。でも、まあ、そうですね……そういうときも私のレパートリーの曲をやるし、彼らに合わせてもらうかたちなので、たしかにバンドのために曲を書くっていう感じではなかったです。ただ、PONYの後も実はバンドをまたやろうと思っていた時期があったんです。でも、メンバーを集めてやるとなると大変だから、遊びとか一度だけとか、それも都度都度で変えていました。“長辻利恵とムードメイカーズ”っていう名前でライヴをやったこともありましたね……あ、今、唐突に思い出しましたけど、riverbedsという名前のバンドを一瞬やりかけたこともありました(笑)。2010年代の最初の頃かな……Jesus FeverのNONちゃんとかと一緒にやろうかってなって。でも、朝の9時とかから京都の出町柳のスタジオに入ったりしていましたけど、そうなると私が朝7時とかに大阪の家を出ていかなきゃいけなくて、けっこう部活みたいになって(笑)。結局ライヴをしないでやめちゃいました。でも、そのときに作った曲もけっこうあるんです。その時代の曲は自分でも好きなので、これからまとめて、ちゃんとやらないとなあって、今となってはそれも自分の宿題です。その頃は、DTMっていうか、GarageBandとかも全然できなかったので、普通にデジタルMTRで作った曲をSoundCloudのプライベートに上げてシェアするみたいなやりかたをしていました。でも、やっぱり難しかったですね……私は本当にジャスト関西、大阪人脈しか知らないし、Golden Sylup Loversのときのようにアナログなやりかたで曲を作ったりするほうだったので、結局ひとりでやることになっちゃったんです」

長辻利恵

――ちなみに、ライヴをやらずに終わったというそのriverbedsでは、どういうバンドを目指していたんですか?
 「曲自体はアコギ1本で作っていたんですけど、シューゲイズみたいなことを当時はやりたかったんだと思います。混沌としたギターを中心に、音が重なっていくような。NONちゃんに歌ってもらうなら、そういうのがいいかなって思ったのもあります。ただ、私のギターが下手過ぎて(笑)」

――もともと長辻さんの嗜好性にはシューゲイズ、ノイズ、サイケデリック・ロックなどがありましたよね。今回の1stソロ『逆光のシルエット』の「ジュピター」なんかもそのスタイルに近いと思います。
 「そうなんですよね。でも、結局ひとりで作業をしていると、締切がないからどんどんのんびりやっちゃう。“ジュピター”とかも歌詞がなかなか完成しなくて。歌い出し2行目くらいまではできたんですけど、そこの続きがなかなか進まない」

――しかも日本語の歌詞です。
 「そうなんですよ。日本語で歌うことにしたのも、英語の歌詞を考えるのが大変だから(笑)。だからもう(日本語で)いいやと思って。次にアルバムを作るときは日本語でやるぞっていう意気込みがあったわけではなかったんです。Golden Syrup Loversも英語だったし、英語で作って歌うのがあたりまえのようなところがあったけど、三沢(洋紀)くんたちと一緒にPONYで日本語で歌ってみて、意外に自分に合っているというか、日本語を自分の声で歌うことが自然に思えたんです。そこからはわりと日本語で作って歌うようになっていました。Golden Syrup Loversのときも一応英語を喋れる人に一度見てもらっていたんですよ。それで自然と日本語で歌うことになったんです」

――そして去年、配信(サブスク)でまずアルバム『逆光のシルエット』をリリースしました。マイペースに曲を作っていた中で、リリースにまでこぎつけたきっかけは何だったのでしょうか?
 「結局そうやって誰に聴かせるあてもなく曲を自分で作ってはいたものの、これをどう発表したらいいのかっていうのがわからなかった時期が長かったんですよ。昔は曲を作ったら、みんなで合わせて録音して、カセットテープに何倍速とかでダビングして、カセットのジャケットのデザインをして……インレタでタイトルをコリコリとプリントして、コピーして、自分たちでセットして、それを作品としてライヴハウスとかで手売りで販売していたんですけど、Golden Syrup Loversもわりと早い段階でレーベルから声をかけてもらって、そういう販売までの作業をやってもらうようになっていたんです。つまり、そういう環境に甘んじていたから、今となっては自分の作品をどうやってみんなに聴いてもらうのがいいのかさっぱりわからない。CDはもう今みんな聴かないのかな?とか、逆にカセットテープは今また聴くみたい、とか。カセットを出して配信もやるのがいいのかな?とか。そこはいろいろ悩みましたね。その時間がけっこう長くて、それでこんなに間が空いちゃったというのもあります。Golden Syrup Loversを一緒にやっていた木村(健)くんにも相談したんです。どうすればいいかな?って。でも、これこれを登録して、これこれで手配して……みたいにいろいろ教えてくれるんですけど、なんだか面倒くさそう、でもみんなそれをやっているんだなあ、って思っていたらまた時間が経っちゃって。YouTubeチャンネルで月に1曲を公開するっていうこともやってはみたんですけど、それも長く続かなくて……でも、そんなこといつまでも言っていられないから、とりあえず配信用マスタリングの音源を納品してもらって。そうしたら、TuneCoreが10周年か何かで無料で配信できるサービスが終わる3日か2日前くらいだったので、これは滑り込まねばいかんと思って慌てて登録して、こっぱずかしいコピーも自分で考えて(笑)、ジャケットも自分の写真のロールから10年くらい前かな、琵琶湖で友人と息子が遊んでいる写真を引っ張り出してきたものを使って。6時に歯医者の予約してるから早く出なくちゃ!みたいな状況だったんですけど(笑)、なんとかギリギリ登録に間に合ってようやく配信できたあ、みたいな感じだったんですよ。そうしたら、早速聴いてくれた(なりすレコードの)平澤(直孝)さんから連絡があって。すごく良いからCDで出しましょう、って言ってくださったんです。それが今回のCD版『逆光のシルエット』です。いや、時間がかかりました(笑)」

――2010年代以降はちょうど音楽制作のシステム、視聴環境が大きく変革したタイミングでもありましたからね……。
 「そうなんですよね……実は、漠然と40歳までにソロ・アルバムを作ろうって思っていたんです。30代前半くらいまでは子育てで時間もなくて、しばらくは子供も小さかったからそれどころじゃなかったというのもあったんですけど、でも40歳までにはやるぞって。結局それも間に合わなかったんですけど、ただ、いろいろと制作作業のしかたを教えてもらったり、楽曲公開をするやりかたを勉強したりしているうちに、ちょっとアクティヴな気持ちになっていくのに時間がかかったっていうことなんだろうな、って思います。それが整ってきたのが2010年代前後くらいなんですよね」

――ただ、長辻さんはフィジカル作品こそ久しぶりですが、大阪を拠点にずっと曲を作り続け、演奏し、歌い続け音楽の現場にいます。その間、音楽の現場の流れとか動きをどのように見てらっしゃったんですか。
 「そもそもやっぱり、私自身がライヴハウスに行くっていうことをあまりできなかったから、ちゃんと見ていたわけではないんですよね。子供がちっちゃかった頃は特に、どこにも行けないから、じゃあ自分で企画すればいいか、っていうことでイベントをやっていたこともあるくらいなので……。でも、そういう中で出会ったタケヤリシュンタくんとか、まだ22、23歳くらいの若いミュージシャンたちには、“音楽やめないでね、ずっと続けてね”って伝えていた覚えはありますね。昔一緒にやったり、どこかで対バンしたりしていた人たちの中には、すごく良い作品を出していたのに、今どうしているのかわからなくなってしまったミュージシャンも多いんです。私は今もそういう人たちが作ったCD-R作品を愛聴していたりします。だから、どこにいてもいいけど、音楽はずっと続けてほしいと、この10年くらいは本当にそう思っていました。それとは別に、例えば4ピースのロックバンドの音の感じが変わってきたな、と漠然と思ったりもしています。町を歩いていても、ギターを担いだ女子高生がみんな綺麗めというか、アイドルかと見紛うようなかわいらしい女の子とかがバンドをやったりしていますよね。バンドをやるタイプの人たちが変わってきましたよね。昔はパっとしないというか、冴えないバンドマンみたいな感じの人が多かったですけど(笑)、そういう、音楽だけが捌け口みたいな、人生破綻したような人たちっていうのは減りましたよね。何が原動力で音楽をやっているのかちょっとわからないような、普通に生活していてもなんか楽しそうなのに、音楽をやる理由ってどういうところにあるんだろうって思えるような人が今はバンドをやっている感じ。極端な何かがモチベーションになっていて、そのアンバランスなところを音楽で補完するみたいな人たち……まあ、私が年齢を重ねたぶん、もう見えなくなっている部分もあるのかもしれないですし、そもそも私、“音楽家”とかって紹介されたら本当に顔から火が出るくらい恥ずかしいんですから、偉そうには言えないんですけどね……。ただ、私もコロナがあって、一昨年の年末年始くらいまで落ち込んだりもして。音楽どころじゃない、みたいな感じで。でも、気がついたらまた曲を作っていて。“あれ?また曲作ってんな私……”ってふと我に返って、ぬるっとまた元に戻っていたので、やっぱり私はこれ(音楽)しかないな、って思ったりしたんですよね」

――長辻さんの曲とメロディにはただ譜面に起こされた旋律を歌って演奏して……っていう作業ではない、隙間から漂ってくる気配みたいなものがあります。そしてそれはたしかに愛らしいヴォーカルではあるんですけど、何かゴリっとした、人としての太さを感じるんです。繊細で愛らしい風合いもあるのに、中心にはゴリっとした太さのある核がある、これが長辻さんが言うところの“極端な何かがモチベーションになっていて、そのアンバランスなところを音楽で補完するみたいな人たち”である矜持の現れなのかな、と思いますね。PONY以降、ずいぶんと間が空いた1stソロ・アルバムではあるんですけど、間が空いているからこそ、その“ゴリっとした人としての太さ”が“この歌を伝えたい”という思いを際立たせているような気もします。
 「ありがとうございます。そうですね、この10年くらいの間の、自分の時間が集約されているところもあるかもしれないです。“ジュピター”は一番古い曲で、“インディゴ”ももともと全然違うメロディだったので、他の曲とかよりも前からあった曲。コロナで在宅ワークになったタイミングで、一度曲を全部総ざらいして整理したのもよかったのかもしれないです。そこで見直した曲のひとつが“インディゴ”で。改めて調整して全く違う曲になりました。そのときに、いつまでも今までのように歌えるわけじゃないし、声が出なくなるかもしれないから、ちゃんと声が出て、歌えて、体力があるうちにやらなきゃって思ったのも、今回のアルバム制作のきっかけになったかもしれないです。もし明日、交通事故とかで死んじゃったら、こうやって作っておいた曲はもう誰にも聴いてもらえなくなっちゃう。それは嫌だ、って思って。だから、言ってくださったように、間は空いたけど“伝えたい”っていう気持ちが高まったのかもしれない。そこで、カミジョーリエさんとか宮本章太郎くん、淡路翔子さんとかに相談して聴いてもらって、一緒に録音の作業を手伝ってもらったんです」

――その時点で曲のストックはどのくらいあったのですか?
 「とりあえずざっと100曲以上はありました」

――それはすごい!
 「そこから3、40曲くらいに絞っていって、さらにここまでに絞り込んで、っていう感じですね。曲はわりとあるんですよ。ギターを手にして“ちょっとこの曲弾いてみようかな”っていう感じで弾くんですけど、すぐに飽きてしまって、でも何か気がついたら別のコードや別のメロディがぱっと思いついて……っていう感じで曲ができる。で、100曲くらいのストックにはなっちゃっていたんです。でも今回、宮本くんたちにお願いしてやるんやったらこの曲かな、っていう風にピックアップしたので、結果としてはこの10年くらいの間に作られた曲で構成することになりました。でもこれが案外カラっとしているんですよね。それ以前の曲っていうのは閉じた感じだったんですけど、意外に開放的な曲が多いっていうことに気付いて。そうやって今回のアルバム用に選んだ曲を、宮本くんたちとアンサンブルで完成させていくことによってさらに開かれていきました。やっぱり私はいろいろと拙いから、3歳からピアノをやっていた祥子ちゃんに弾いてもらって、より広がりが出てきたし。宮本くんにも“ギターは練習しないとね”みたいに言われるんですけど(笑)、練習のしかたとかわからないし、20年、30年やっていて上手くならなかったのに、ここで練習して一気に3年で上手くなるわけないやろ、とか思ったりして、余計に練習しない(笑)。動画とかでギターが上手くなるやりかたとかをチェックしたりもするんですけど、結局続かない。だったら、パート毎に得意な人に任せたらいいかな、とか思って。それで今回は宮本くんたちと一緒にやったというのもあります。宮本くんたちは私と同じ大阪の箕面っていうところに住んでいるんです。だから頼みやすかった。しかも宮本くんが持っているけっこう良いマイクとかを使うことができたんです。それも本当にありがたかったです。宮本くんたちと作業をしながら、何回か歌を録り直したりもしたんですけど、自分の良さを活かしてくれたのも嬉しかったですね。宮本くん、すごく丁寧に音を直してくれて大変やったと思うんですけどね(笑)」

――アレンジや細かな方向性は長辻さんが全て決めてから録音に入ったのですか?
 「そうです。打ち込みの段階でおおかた決めておいて、それを演奏の技術でもっと豊かにしていくっていうような作業をしてもらったんです。祥子ちゃんもコーラスひとつに3パターンくらい用意してくれて。私はそれに対してそっちのほうがいいとか言うだけでよかった。本当にラッキーだったと思います。もしも自分がめちゃめちゃギターがうまくて、もともと才能があったら、今やっているような曲にはならなかったと思いますよ(笑)。さっき話した歌詞のこともそうなんですよ。英語で歌うにしても、日本語で歌うにしても、私は一生懸命に浜辺で貝を集めるように、言葉をかき集めて潮干狩りをしているような感覚で歌詞を書いているんです。でも、だからって自分だけのための歌っていう感じは全然なくて。私が作った曲を他の誰かに歌ってもらっても全然OKみたいなところがあるんですよね」

――ソングライターとして提供することにも興味がある。
 「かもしれないですね。かといってその人様に差し上げるようなクオリティのものをコンスタントに作れるわけでもないんですけど(笑)。でも、この曲書けてよかった、って思えるのが一番いいし、自分の作った曲を褒めてもらえるのが何より嬉しい。それを時間が経っても聴き続けてもらえたらいいですよね。私、山下達郎の『サンデー・ソングブック』(TOKYO-FM系 全国38局ネット)が好きなんですけど、あの番組って2、3年聴かなくても、次に聴いたときにはやっぱりいいな、って思えるんです。その感覚ですよね」

――そのためにも長辻さんにもずっと音楽は続けていってもらわないと!
 「そうですよね。人に言うだけじゃなく、自分も作り続けないと」

長辻利恵 '逆光のシルエット' CD■ 2023年3月22日(水)発売
長辻利恵
『逆光のシルエット』

なりすコンパクト・ディスク
HYCA-8049 2,200円 + 税
https://linkco.re/QqaXxZ4V

[収録曲]
01. インディゴ
02. 逆光
03. スニーカー
04. プロペラ
05. 落ち葉
06. electrolysis
07. ジュピター
08. 魔女とマーブル