気付かされた日々の生活や日常の大切さ
取材・文 | 小野田 雄 | 2023年9月
撮影 | 久保田千史
――今回、スマーフ男組のアルバム『スマーフ男組の個性と発展』が2007年6月のリリースから16年の歳月を経て、サブスク配信がスタートしました。リリース当時から音楽環境が激変した2023年、作品が改めて世に送り出されたことについて、どう思われていますか。
「活動自体も事実上休止して、長らく年月が経つ中、2017年にメンバーであるマジアレ太カヒRAWこと村松(誉啓)さんが亡くなって、今年が7回忌にあたる年なんです。そういうタイミングでサブスク配信だけでなく、MUSICMINEのおかげで、沖 真秀さん、fukinさん、玉田伸太郎さんのお三方に新たに“Stop, Look, Listen”のミュージック・ビデオも作っていただけるなんて、全く想像していませんでしたし、感謝しかないです。そして、これをきっかけに、今までスマーフ男組の存在を知らなかった方、知っていたけど聞いたことがなかった方、全く知らなかった方々含めていろんな世代の方に聴いてもらえたらうれしいですし、リリース当時から大きく変わった今の時代において、何かが少しでも伝わったら嬉しいな、と思っています」
――スマーフ男組は、“音響派ユニット”と呼ばれていたA.D.S.の解散後、メンバーのマジアレ太カヒRAWさん、COMPUMAさん、アキラ・ザ・マインドさんが1997年に結成。当初はその数年後にリリースされるはずだったアルバム『スマーフ男組の個性と発展』は制作が延びに延びて、10年後の2007年にリリースされたという経緯があります。スマーフ男組が傾倒していたエレクトロは90年代末においても異質な音楽性でしたが、そこからさらに10年を経てリリースされた作品は時代性を超越した異質さがさらに際立っていましたし、さらにさらに16年を経て、スマーフ男組を知らない世代のリスナーが作品をどう聴くのか……
「全くの未知数ですよね。A.D.S.をやって、解散してそのままの勢いでスマーフ男組を始めて、ライブを重ねるなか、DMBQの増子(真二)さんにアルバムを出さないかと声をかけていただき、そこから制作を始めて、当初は順調に進んでいたものの、紆余曲折を超えていろいろあり、活動自体が止まっている時期もあり、結果的には10年かかってアルバムが完成して。最終的にはレーベルも最初に声をかけてもらったMUSICMINEではなく、Lastrumからリリースしていただいたんですけど、作品の完成やリリースはもちろんうれしかったものの、今考えると、バンド / グループとしても結成当初の青春感から時間を経て、どこか成熟を越えたものも感じていて(笑)、時代的にも、制作し始めた頃から一周してエレクトロと時代性のリンクがまた新しくなりつつありましたし、デビュー・アルバムなのに、まあまあ年季入ったバンド、年季入ったバンドなのにデビュー・アルバムという、なんとも不思議な感覚でしたね。それから16年を経て、この2023年にこの作品が新しい世代にどう聴かれるのかは、全くの未知数です(笑)」
――ヒップホップのみピックアップすると、スマーフ男組が結成された1997年はNYヒップホップ全盛の時代。日本では前年に開催された「さんぴんCAMP」や「大LB夏まつり」を経て、ヒップホップが広く聴かれるようになった最初の時代でもあります。そういった時期にスマーフ男組はなぜ時流を逸脱したエレクトロを指向したのでしょうか?
「自分たちはエレクトロが誕生した80年代初頭に多感な中高生だったんですけど、いろんな音楽と出会う中で、初めて触れたエレクトロにはどこか違和感を感じたんです。当時、地元の熊本にいた自分はニューウェイヴやポストパンクが好きで、John LydonがAfrika Bambaataaと組んだTIME ZONEというユニットで『World Destruction』(1984, Celluloid)をリリースしたとき、それまでブラック・ミュージック自体、ほとんど聴いたことがなかったんですけど、“アフリカ・バンバータ”っていう名前のインパクトもすごいし、気軽には観られなかったMVの1シーンを目の当たりにしたら、パンクの格好をして、歌うわけでもなくシャウトしている光景に驚かされて。その後しばらくして、今度はAFRIKA BAMBAATAA & SOULSONIC FORCEの『Planet Rock』(1986, Tommy Boy)を知って、KRAFTWERKみたいな、でも、それとも違う長尺で単調なサウンド、ラップもお祭りのお囃子みたいに感じて、最初は正直なんかダサいと思ったんですよ(笑)」
――はははは。
「でも、その後、ニューウェイヴのなかにも『Planet Rock』に通ずるサウンドの12"シングルやリミックスがあることを知るんです。当時、世界的に大ヒットしていたBruce Springsteenのようなロック・アーティストのシングルにもエディットを用いたリミックスが収録されていて、それを手掛けていたのがArthur Baker。そしてLATIN RASCALSの存在も知って、要はエレクトロがより一般化していく時期だったと思うんですが、続々とリリースされるリミックス含めた作品を聴いているうちに、エディットの過激な手法に惹かれていったんです。そして、方やART OF NOISEとプロデューサーのTrevor Horn、あとMalcolm McLaren。『Duck Rock』(1983, Charisma)は最初聴いたとき、あまり好きではなかったんですよ。よくわからないながらもセンセーショナルな新しさを感じて、ラップはかっこいいと思ったんですけど、当時の自分は耳がまだ若くて、アフリカっぽいテイストに違和感を感じたんです。でも、そのときの違和感が、その後好きになるポイントになっていって、そうした作品を通じて知見を深めながら、エレクトロに魅了されていきました。その後、しばらく時が経ち、エレクトロから離れていくんですけど、PUBLIC ENEMYやDE LA SOULといったヒップホップ、THE KLF、THE ORBなどを聴いている中で出会った、ヤン富田さん、Dub Master Xさん、いとうせいこうさん『MESS/AGE』(1989, Astro Nation | File Records)の音楽を通じて、電子音楽やフリージャズ、Sun Raの存在を知る流れのなかで、ブラック・ミュージックの宇宙観とエレクトロの宇宙観や未来感が自分の脳内でビリビリと繋がっていったんです」
――端的に言うなら、エレクトロをアフロ・フューチャリズムの表現として捉えていたと。エレクトロをアフロ・フューチャリズムで捉えた作品としては、2019年にSoul Jazz Recordsからリリースされたコンピレーション『Soul Jazz Records Presents SPACE FUNK – Afro-Futurist Electro Funk InSpace 1976-1984』が知られていますよね。
「村松さんは音楽の捉え方が共通するものがあったというか、より深く探求していた人でしたので、彼と出会ったことでより“エレクトロでしょ!”ということになっていきました。あと、2人の中でエレクトロ熱が高まっていった90年代前半は時代的にエレクトロが全く流行っていなかったように思うんですけど、とにかく掘りまくって、いろんな盤と出会ってはクレジットを舐めるように眺めて妄想して、“これはこういうことだったんじゃないか?”などと、ああだこうだ語り合ったり、音源を交換したり(笑)。インターネットがなかった時代でしたので、そういうやり取りを通じて、エレクトロへの愛を高め、共有していくのがとにかく楽しかったです」
――ただ、スマーフ男組は80年代のエレクトロを焼き直したリヴァイヴァリストではなく、『スマーフ男組の個性と発展』にはいろんな要素が混ざっています。それらはジャンルを横断して錯綜した90年代のオルタナティヴ・カルチャーの影響が大きいと思いますし、エレクトロと一言で言っても、このアルバムにはサンプリングのコラージュ、カット & ペーストやDouble Dee & Steinskiの『Lesson 1, 2 & 3』に象徴されるメガミックス的なアプローチであったり、アルバム収録曲の「Smurphie's Roll」はエレクトロとハウスの狭間にあるプロトハウス的な楽曲だったりしますし、エレクトロを土台に好き勝手やっているところが今聴いてもフレッシュに響くところなのかなと。
「村松さんはプロトハウスから初期ハウス、シカゴハウスももちろん大好きでしたし、ダンス・ミュージック全般や、ロック、ソウル、ファンクはもちろん、ジャズ、フリージャズ、クラシックから実験音楽、民族音楽にワールド・ミュージック、映画音楽から自然音、効果音までほぼ全ての音楽を独自の視点で愛してましたし、僕もアキラくんもそう。そうしたものが反映されたのが『スマーフ男組の個性と発展』なのではないかと思います」
――そして、この作品はエレクトロを多角的に捉えられるアルバムでもあって、スマーフ男組は、音響系、のちのエレクトロニカの流れを汲むA.D.S.解散を経て結成されたグループということもあり、エレクトロの音響に着目した音楽性でもあったように思うのですが、いかがでしょうか?
「もちろん、A.D.S.でAhh! Folly Jetこと高井(康生)さんと一緒にやらせてもらって、自宅でのDIY制作やスタジオワークも含め、高井さんから音響的なアイデアなど学ばせてもらったことはたくさんあります。そうしたことも制作に反映されていると思われますが、ただ、自分たちの実力ではできないこともたくさんありましたので、スマーフに関しては自分たちにできる範囲のことを試行錯誤でトライしつつ、最終的にはスタジオのエンジニアさんと相談して、自分たちの要望をお伝えしながら作業を進めていきました。だから、殊更に音響を意識したわけではないんですけど、当時の自分たちの理想とする好みの音響や音の鳴りに少しでも近づけるように試みました」
――近年のヒップホップがDTMを駆使して自宅で制作された作品がほとんどであると考えると、全てではないにせよスタジオで制作されたこの作品は、豊かな環境下で生まれたアルバムですし、それが長い歳月を経てなお色褪せない秘密でもあるように思います。そしてもう少し音響としてのエレクトロについて深掘りさせていただくと、スマーフ男組は1997年にムードマンが始めたマイアミベースのパーティ「低音不敗」への出演、そして、パーティから派生したコンピレーション・アルバム『低音不敗 キルド・バイ・ベース』(1997, P-VINE)にも参加されていましたが、マイアミベースはエレクトロにルーツがあって、後のベース・ミュージックの時代に先駆け、その低音音響に着目していたことは特筆すべきかと。
「もちろん、エレクトロからマイアミベース、昔のマイアミベースから現行のマイアミベースまで、ちょうどスマーフが活動を始めた当時は現行のマイアミベースもまだ盛んにリリースされていたので自分たちもハマって、特にCDを買いまくっていました。そして、MOODMANやL?K?O?、KUKUNACKE、宇川(直宏)さんやLOS APSON?周辺の盛り上がりもありつつ、当時avex(90年代にBUDDHA BRANDやECD、YOU THE ROCK、キミドリ、SHAKKAZOMBIEなど、日本のヒップホップの名作を多数リリースしていたcutting edge)の本根 誠さん(現・東洋化成)がマイアミベースのコンピレーション『ベース・パトロール』シリーズを何十作もリリースされていて、そのコンピ・シリーズが地方の車文化ともリンクして大ヒットしていたんですよね。それが当時の日本におけるベース・シーンの中心だったと思うんですけど、車の改造を含め、日本音圧協会の存在や、それらのシーンの勢いがすごい!アツいということで、MOODMANさんを中心に、みんなでイベントを観に行ったりしていたんですよね。その後『低音不敗 キルド・バイ・ベース』で、低音の出し方が難しくて、なかなか思うようにかっこよくできずに歪ながらなんとかかたちにできたことはとても嬉しかったです(笑)。あと、当時“ベース”というと世の中的にはジャングル / ドラムンベースが盛り上がっていたんですけど、そちらには向かわなかったんですよ。シーンの動きを横目にしつつ、そうならないように、自分たちは自分たちでエレクトロやマイアミベース、自分たちなりの音響を追求していこうと」
――スマーフ男組はトレンドに回収されないスマーフ男組らしさを目指したわけですね。
「そうですね。当時はAphex Twinのようなインテリジェント・テクノもかっこよくて好きでしたけど、あくまでも、スマーフ男組としてのMotownのようなポップスを目指したいと考えていました」
――方や、エレクトロはマイアミベースだけでなく、その後サザン・ヒップホップやフレンチ・エレクトロ、ハイフィーやバイレファンキ、ゲットーテック、近年だとトラップにも大きな影響を与える流れに発展していきましたし、コンピューマさん自身、2000年前後くらいの時期にチョップド & スクリュードのスタイルでDJをやられていて、それが現在行われている“悪魔の沼”へと繋がっていきます。
「思い出すと、当時、サザン・ヒップホップを聴いていました。その感覚を取り入れたのが『スマーフ男組の個性と発展』の“Compuma Speaks”でした。2000年代前後は渋谷のタワーレコードで働いていたのですが、そういえば、休憩時間を使ってまで熱心にスクリュー盤をチェックしていました(笑)。そして2007年にアルバムを出す頃には、たしかフレンチ・エレクトロやDiploのようなプロデューサーがエレクトロをわかりやすくモダンなかたちに発展させて、世界的にも人気があったし、新たなエレクトロの再評価時期でもありましたよね」
――でも、スマーフ男組は脇目もふらずスマーフ男組であり続けたという。
「そうですね。そういう流れを横目に見つつ、全くリンクしなかった。そういえば、スマーフ男組はもともと、Pファンクだったり、ヒップホップの〇〇・プロダクションとか〇〇・クルーみたいに、クルーたちがワイワイと集まって、メンバーも入れ替わり立ち替わりしたり何かするイメージも目指して付けたグループ名だったんですけど、結局、自分たちはずっと3人のままだったという(笑)」
――根本的な話として、スマーフ男組の3人はどうやって知り合ったんですか?
「村松さんはA.D.S.を始める前からその存在を知っていたというか、村松さんは当時知る人ぞ知る界隈でのちょっとした有名人だったんですよ。当時、今とは違う運営元で1991年に『i-D JAPAN』が立ち上がって、村松さんはそこで編集者として働いていて、誌面にモデルとして出ていたり、巻末に“おたくDJの冒険”というコーナーがあって、その担当者が村松さんだったんです。たしかそのコーナーに選曲ミックスを送って、賞を取った人は賞金がもらえるということで、当時、自分は埼玉の川越にあるG7というローカル・マニアックなレンタル・レコード店でバイトしてたんですが、そこでのバイト仲間、同僚のひとり(その後A.D.S.初期にも手伝っていただいた永島君)が応募したら賞を取って。彼がそのときにやり取りをしていたのが村松さんだったんです。村松さんは誌面にも出ていたから顔もわかるわけじゃないですか。そうこうするうちに、あるとき、都内でハバナ エキゾチカ / Buffalo Daughterのライヴを観に行ったら、フロアですごく目立ってる人がいて。灰野敬二さんみたいな髪型で、髪を振り乱して踊っていたのが村松さんでした。そうかと思えば、当時、自分は渋谷LOFTにあったレコード・ショップWAVEで働いていたんですが、村松さんがすごくイカしたファッションでレコードを見にくるわけですよ。だから、話したことはなくても、存在は覚えていて。WAVEで自分は若造で、橋本 徹さんの『Suburbia Suite』に関連した売り場を半ば無理やり担当させてもらっていたんですけど、宇川さんが自主リリースしていたムーグ & エキゾチック・コンピレーション、モンド・ミュージック前夜、ヤン富田さん『Music For Astro Age』(1992, Sony)、ストレンジ・ミュージックと出会い始めの頃でしたから、どさくさに紛れて、Joe MeekとかSun Ra、あとMoog物のアルバムを並べていたら、橋本さんに“これは『Suburbia Suite』で紹介した音楽じゃない”と指摘されて(笑)。その流れでBuffalo Daughterのムーグ山本さんを紹介していただいて、そこからBuffalo Daughterのライヴに行ったある日、ムーグさんから“ちょっと紹介したい人がいる”って言われて、紹介されたのが村松さん、高井さん。でも、僕はその前から村松さんのことは知ってるわけですよ(笑)。そして、話してみたら、ヤン富田さんだったり、好きな音楽が共通していたことで意気投合して、自分が当時参加していたイベントに“一緒にやりませんか”と誘ったのが、その後A.D.S.に繋がっていきました」
――イベントが行われていたのは、西麻布のクラブ「M. MATISTE」ですね。
「A.D.S.はイベントとして始まりましたが、DJだけでなく、ブース内に機材を持ち込んでライヴ的演奏パフォーマンスも交えながら、LOS APSON?の山辺(圭司)さんや佐々木 敦さん(HEADZ)、宇川さんに出てもらったり、中原(昌也)くんや(後にスマーフ男組のディレクターを務めるMUSICMINE / Hot-Chaの)小林(弘幸)くんと知り合ったりする中で、佐々木 敦さんから、“UNKNOWN MIXで“A.D.S.ライヴをやってみませんか?”と誘われて。そこで、せっかくステージでライヴをやらせていただけるということであるならば、ギタリストである高井さん、ドラマーでもある村松さんを中心にバンド編成でライヴ演奏を試してみようということで、村松さんが当時別のバンドで一緒に組んでいたメンバー、ベーシストのアキラくんを連れてきてくれて。そのバンド、ULTRA FREAK OVEREATは、DMBQの当時のメンバーだったベースの(渡邉)龍一くんと、村松さんとアキラくんのトリオ・バンドで、変拍子オルタナ・ジャンクロックをやっていたんです。そういったいきさつもあって、当時A.D.S.はその後、DMBQのイベントに頻繁に呼んでいただけるようになり、後にスマーフ男組は、DMBQの増子さんが主宰していたレーベルNANOPHONICAからアルバム・リリースの声がかかったんですよ」
――はははは。DMBQとA.D.S.の組み合わせは、MINOR THREATとTROUBLE FUNKが一緒にやっていた伝説のイベントみたいですね。当時は、「さんぴんCAMP」や「大LB夏まつり」以前の時期だったと思いますが、A.D.S.のイベントに集まったのは、Bボーイではなく、90年代のオルタナティヴ。シーンで活躍される方たち。恐らく松永さんはヒップホップ、エレクトロを聴きつつ、それ以外のオルタナティヴな音楽も聴いていたからこそ、集まっていた方たちだったと思うんです。
「当時のヒップホップ・シーンで活躍されていた方々にもちろん憧れはありましたけど。そんな中で自分は、村松さん、高井さんと出会って」
――文字面ではなかなか伝わりづらいと思いますが、A.D.S.、そしてスマーフ男組が出てきた90年代のオルタナ・シーンは、ロックもノイズもヒップホップも、はたまたレイヴ・カルチャーも渾然一体になっていました。
「渋谷系があって、オルタナティヴな“デス渋谷系”みたいな言葉も作られたりしていて、渋谷CISCOにはオルタナ店ができたり。そこで当時スタッフとして働いていて、今日もこの場に立ち会っていただいている小林くんが恵比寿 みるく、新宿 LIQUIDROOMなどなどでやっていたイベント“Free Form Freak Out”では、メジャーのバンドとアンダーグラウンドのバンドが共存して、ジャンルも錯綜していて。いろんなものが混ざっていた時代ですよね」
――当時、海外ではBEASTIE BOYSのレーベル「Grand Royal」からBuffalo DaughterやCIBO MATTOのサイドプロジェクトBUTTER 08の作品がリリースされたり、ヒップホップとオルタナティヴを繋いだ時代でしたからね。
「BEASTIE BOYSと言えば、あ、そうだ!それで思い出したんですけど、BEASTIE BOYSが来日した際、横浜アリーナでの公演の2、3日前に、前座でライヴをやる話がまさかでA.D.S.メンバー高井さん宛に来たんですね。そのオファーに応えられたらよかったんですけど、A.D.S.は1本のライヴをやるにもすごく準備に時間がかかるバンドだったんです。せーの!で演奏できなくて、非常に残念ながら急には対応できないです、と村松さんの意思も強くあって、お断りしてしまったんです(笑)」
――そんなエピソードから察するに村松さんは降って湧いた話にも浮き足立たない、音楽に対する強い信念やこだわりがあったと思うのですが、長期に及んだアルバムの制作はどんな感じで進んでいったのでしょうか?
「スマーフ男組の結成当時、97、8年の段階で、すぐにある程度のイメージ、作品のタイトルも含む、目指すべきアルバムのなんとなくの設計図は存在していて、それは村松さんそのものであったし、彼の存在なくしてスマーフ男組は成立しませんでした。その後の制作は、それぞれが課せられた宿題に同時進行で取り組んでいました。そしてできたものをスタジオでまとめたりもしつつ、作業ができない時期もあったり、会えていない空白の時期もあったり、あまりに長く時間がかかってしまい、細部に関しては覚えていないところも多々ありまして、そんなこんなで気が付けば、完成までに10年程かかってしまったという」
――敢えて、愚問であることを承知でお伺いしたいのですが、スマーフ男組のコアを担った村松さんは松永さんにとってどんな方だったのでしょうか。
「うーん、難しい質問ですね……。でも、村松さん以降、自分は村松さんみたいな人とは出会えていないというか、なんだろうなただならぬ音楽愛、深い音楽愛があって……優しい人でした」
――村松さんはタワーレコードが発行している「bounce」誌の編集部で編集者 / ライターを務められていて、ライターである自分はそこでやりとりすることもあったんですけど、個人的にぱっと思い出すのは、MadonnaやSONIC YOUTH記事です。エレクトロやヒップホップだけでなく、音楽全般の広く深い知識と独自の視点、それを魅力的に具現化する文章力もあって、20年以上経っても強く印象に残っています。
「そうですね。広く音楽に触れつつ、その時期毎、独自の視点で、深く探求するジャンルやアーティストの分野があって、それをとことんまで追求して自分のものにしながら、現行の音楽との接点も常に意識していて。ライター / 編集者としても尊敬していましたし、さらに、自分はドラマー・村松誉啓としても、クリエイター、DJとしても大好きでしたし、自分自身が彼のファンでもありました。そして、彼の才能を世間に知らせることがスマーフ男組での自分の役割と思っていたところも強くあったと思います」
――アルバムだと「Stop, Look, Listen」は……
「トラックも歌詞も村松さん、自身による朗読、コーラスはOOIOOのAyAちゃんにお願いして。この曲はまさに村松さんを一番象徴している曲ではないかな、と思います」
――この曲には村松さんの知性と表裏一体のエモーショナルな部分が凝縮されているように感じますし、「@西小山 4pm, May 11th, 2002」は、当時村松さんが暮らしていた西小山の商店街のお店でコロッケを買う様子をフィールド録音した音源が用いられていて、日常の叙情感も表現されていたり。
「そうですね。スマーフ男組のデビュー・アルバムが10年という長い期間完成しなかったことも含め、その間、自分たちもどんどん歳を重ねていく過程で、自然な流れの中で、元気いっぱいのエレクトロだけじゃなく、グループを存続していくこと含めた紆余曲折、活動を続けていく中で気付かされた日々の生活や日常の大切さ、身近な街や商店街への思いが、特に制作の後半に完成したこれらの楽曲に反映されたのではないかと思われます」
――日常と共にある音楽の在りかた、その普遍的な佇まいがポップス的なのかもしれないですね。
「西小山駅周辺はその後の再開発で、駅前はだいぶ変わってしまったようで、あのコロッケ屋さんはまだ残っているのかな。ひょっとしたら“@西小山 4pm, May 11th, 2002”に収められている商店街での活気ある音はかなり失われてしまっているかもしれません」
――そういう意味において、制作に10年の歳月がかかったことで、『スマーフ男組の個性と発展』はエレクトロという一言ではとても片付かない何かが宿ってしまっているアルバムなのかなって。
「スマーフ男組は、結果的に1997年の制作開始から2007年のデビュー・アルバムCDリリースまで10年がかかってしまい、その後14年を経て2021年にアナログ化、そして今回のサブスク配信までCDリリースから16年経っていますから(笑)。制作開始からは、まさかの26年が経ってしまっていて……。今年、村松さんの7回忌を迎える中で、残っているDATやカセット、MDに録音されていた初期の様々なデモ音源などが発掘されまして、あ、あと、思い出しましたが、当初はデビュー・アルバムのリリースと同時に、それまでに手掛けたリミックスやコンピレーション参加曲に加えて、A.D.S.時代に高井さんが出演できなくて、村松さんと自分で仕方なくM & M PRODUCTIONSという名義でやった唯一のライヴ、それが後にスマーフ結成に繋がっていったこともあって、そのときのライヴ音源を収録してまとめた『BEST OF スマーフ男組』のCD同時リリースも当初は企画していたんですよね。でも、その計画も結局頓挫してしまい(笑)、それらのアイディアも今回のタイミングでどうにかならないかな、と画策しているところです」
――冒頭の質問を再度繰り返しますと、リリース当時ですら、現行シーンとのリンクがよくわからないことになっていた『スマーフ男組の個性と発展』は、今の時代にどう聴かれるのか。若い音楽家、若いリスナーにとって、今この瞬間を生きることに必死であることは昔も今も変わらないと思うんですけど、今のヒップホップに目を向けると、瞬間的に流行るトレンドやスタイルに追いつくことに精一杯で、しかも、そのトレンドやスタイルの消費スピードがものすごいことになっている。そんな中、KID FRESINOやゆるふわギャングのように、独自性を追求するオルタナティヴなアーティストが増えつつある兆しもあって、ことKID FRESINOに関しては、松永さんが「Youth」のMVに出演したり、先日もKID FRESINOと長谷川白紙の対バン・ライヴでDJをやられていましたが、世代を超えて、松永さんとオルタナティヴ感覚を共有したり、繋がったりしているところがおもしろいと個人的に感じています。
「FRESINOくんたち世代と共演したり、繋がったり、感覚を共有できることは本当にありがたい限りです。今回のサブスク化やMVによって、新しい世代のみなさんにも、ひょんなことからスマーフ男組の存在や音楽を知るきっかけにつながったらおもしろいですね。そして、万が一ですが、こんなことをやっていた変な奴らがいたと、そこからさらにまた何か新しい感覚やセンスにも繋がっていくきっかけとなったら、最高に嬉しく思います」
■ 2007年6月13日(水)発売
スマーフ男組
『スマーフ男組の個性と発展』
| Vinyl 2LP + DL Code JSLP142 4,200円 + 税 | 2021年9月上旬発売 (レーベル完売)
https://www.jetsetrecords.net/i/814005921169/
| Digital | 2023年8月29日(火)配信開始
https://linkco.re/vvgB6pPb
[収録曲]
01. 1, 2 Smurph
02. 2, 3 Smurph
03. Smurph Rock Steady
04. ACR (A Combinate-Phuture Ride) Feat. ZEN-LA-ROCK
05. 3, 4 Smurph
06. @西小山 4pm, May 11th, 2002
07. The Beat Y’all
08. Smurph Rock Steady (Majiaredonnappella)
09. 1, 2, 3 Are You Ready?
10. 遺伝子バップ
11. ロシア人の名前
12. Smurphin'
13. Compuma Speaks
14. Smurphies’ Roll
15. Stop, Look, Listen
16. 1, 2, 3 Smurph Chant
17. Your Fantasy (ruff mix) *
18. Stop, Look, Listen (inst) *
* 2021年アナログリイシューの際のアルバム未収録ボーナストラック