Interview | RUMINZ + 宮田 信 (MUSIC CAMP, Inc. | BARRIO GOLD RECORDS)


音楽をシェアすることの大切さ ~『ソウル・サーチン』上映記念対談~

 7月3日(金)から東名阪ツアーというかたちで公開となる映画『ソウル・サーチン』。レコード文化、楽曲が紡ぐ話をそのままの視点で描いた同作の公開を記念して、レーベル・オーナー / ディストリビューター / 翻訳者 / DJ / 選曲家・宮田 信(以下 M)と、イラストレーター / ドローイングアーティスト・RUMINZ(以下 R)による対談が実現。情熱を捧げる音楽をそれぞれのかたちで私たちに見せてくれるお二方の“ソウル・サーチン”を、DJ HOLIDAYのナビゲートでお届けします。

 なお、『ソウル・サーチン』日本上映ツアーは7月3日(金)大阪・南堀江 SOCORE FACTORY、4日(土)愛知・名古屋 Gallery & Bar COMMON、5日(日)東京・代官山 晴れたら空に豆まいての3都市3公演。各地でDJ HOLIDAY、宮田、RUMINZをはじめとするDJの出演も決定しています。


進行 | DJ HOLIDAY | 2026年6月
構成・文 | COTTON DOPE(WDsounds | Riverside Reading Club)

――その場所はRUMINZさんのアトリエですか?
R 「そう。仕事部屋ですね。アトリエというか、ただの家の中の部屋の一部」

――簡単で構いませんので、自己紹介をお願いします。
R 「いろんなことをやっているんですけど、絵ですね。絵の仕事をしています。もともとはイラストレーターで、いろんな雑誌の絵を描いたり、フライヤーを作ったりとかしていました。若いときからDJをやっていて、そういう音楽の周りでフライヤーを作ったり。最近はそれだけじゃなくてペインティングっていうか、キャンバスに描いたりするような展示をやったりしています。 私は音楽からのインスピレーションがすごく大きいので、音楽と絵の世界との境目にいるような感じです。大丈夫ですか(笑)?」

RUMINZ

――完璧です(笑)。宮田さんとの最初の出会いは?
R 「宮田さんと生で会ったのはJoe(Bataan)のときが初めてだったんじゃないですかね」
M 「Joeのときって2016年ですよね。たぶん」
R 「そうですそうです。たぶんそのときに初めて会って。それ以前から知り合いだったのかもしれないんですけど、ちょっと最初は覚えていないですね」

――そのJoeさんは晴れたら空に豆まいて(東京・代官山)での公演ですか?
M 「そうです」
R 「“Joeが来るのでぜひ来てください”って宮田さんに言われて、私は自分が描いたJoeの絵を持って行ったんですよ。写真を絵にした『BOOGALOO BAD BOY』っていうタイトルの作品。それで本人に会わせていただいて、渡しました」

RUMINZ

M 「もともとJoe Bataanの音楽はどこでどういう風に知ったんですか?」
R 「たぶん自然と耳に入っていたんだと思います。知り合いが作ったコンピレーションとかミックスに“Young, Gifted And Brown”(1970, Uptite Records)とか“Call My Name”(2005, Vampi Soul)とかが入っていたりしたので、知っていて。でもラテンのイメージだったので、そんなに詳しくはなかったんですよ。詳しく知ったのは、『Wax Poetics』っていう雑誌をもらってから。Joeの特集でインタビューとかを読んで、うわあおもしろい人だな、と思って。それで興味が出て音楽を聴くようになりました。ゆっくりした曲とかもすごく良くて、それで好きになったっていう感じですかね」

Wax Poetics #19 | 2006Wax Poetics #19 | 2006

――DJをされるときにかけたりとかはしていましたか?
R 「“Sad Girl”(1969, Fania Records)を持っているから、それをかけたり……あまりかけることはないですけど、持っていますね。大事に」
M 「Joe Bataanのゆっくりめの曲って、DJするときは使うのが難しいですね。スウィート・ソウルともチカーノ・ソウルとも違うところにあるから、なかなか“このときに!”みたいなチャンスって巡ってこないんですよ」
R 「本当にそうですよね(笑)」
M 「シングル盤を持って行っても、ちょっとどうしようこれ?みたいな感じもあるっていう(笑)。若者とかがかけても、たぶん似合わないと思し。楽曲に見合ったレベルまで自分を持って行ったところでかけないといけないから、けっこう大変な作業だなって」
R 「技量がいるんですね」

――RUMINZさんの絵にフォーカスしてお聞きします。まず対象というか、誰を描くとかって、どういうところから選んだりしていますか?
R 「人物については、レコードを集めているので、そのミュージシャンを描くっていうのは最初からあります。今もそうかな。最近は自由なものを描いたりはするんですけど、そうじゃないとき、誰かを描くときはミュージシャンがほとんどですかね。好きな7"を買ったら、その本人を描くとさらに自分のものになるというか。例えばミュージシャンだったら、その人の曲をカヴァーするみたいな感じで、身体を通してその人を知るっていう感覚が絵にはあるんですよね。もう一段深いところに行けるっていうか。最初は、どういう人なのかな?って調べて描いたりしていましたね。それがそのまま今に繋がっていたり。だから、ブラックの人たちが多いのはたぶんそういうことなんですけれど。そういうレコードをずっと集めていたので」
M 「ブラック・ミュージックへの入口はどのあたりだったんですか?」
R 「アーティストだとGarnet Mimmsとか?最初はブルーズが好きで。若いとき、18とかくらいかな?静かなブルーズが聴きたくて、たぶんRobert Nighthawkを一番最初に聴いて。あとハーモニカの素朴なやつが好きだったので、Charles Clarkとか。だんだんAtlantic、Chessのコンピレーションを聴くようになったり。1960年代のロックとかも好きだったので、自然とそのカヴァーの原曲を求めてMuddy Watersも聴いたりとか。カントリー・ブルーズとかも聴いたりしていって、ついにソウルに辿り着くのが友達から借りたAtlanticレーベルのコンピレーション。それですごいハマって。それからだんだんソウルにハマっていったっていう感じですかね。長くなって申し訳ないんですけど」

――最高です。
R 「もともとDJを始めるきっかけになったのが広島の“MODS MAYDAY”で。大学のときに京都に住んでいて、広島に帰ったときに“MODS MAYDAY”に行ったら財布と携帯を盗られて(笑)。帰るお金も何にもなくなったときにお金を借りたのが、モッズの人たちで。たまたまブラック・ミュージック専門のイベントがあって、そのときからすでにレコードは買っていたので、“ブラック・ミュージックとか好きなら、ちょっと入ってくれないか”って言われて、DJを始めることになったんです。財布をなくした私を励ますために、友達がNina Simoneの“Ain’t Got No, I Got Life”(1968, RCA Victor)を教えてくれて、こんないい曲があるんだ、ってさらにソウル・ミュージックにハマっていく感じでした。モッズの人たちの中でDJをやって、っていう感じでしたね。ブラック・ミュージック専門のイベントだったので、主にサザン・ソウルが多かったんですけど。Hi Recordsの音楽とかStaxとか、そういうの。マイナーなやつとかもあったんですけど、そういうのをかけていましたね。みんなでO.V. Wrightで熱唱するみたいな(笑)。最高でしたね」
M 「イラストレーターという仕事の中から、好きなアーティストたちを描いていこうっていう気持ちになったきっかけって、いったいどんなところだったんですか?」
R 「たぶん大きなきっかけは、Numero Groupってありますよね、シカゴにあるオブスキュア・ソウル発掘レーベル。その人たちが出しているコンピレーションの内容が私の集めているレコードとすごく似ていて、なんなんだこれはと思って。その後Numero Groupの人たちが来日することになったんですけど(2016)、“同じものが好きですよ”っていうのを英語でそんなにうまく言えるわけじゃないし、これは絵で言うしかないなと思ったから『BORN BLACK』っていう冊子を作って渡したんです。Rob(Sevier | ファウンダーのひとり)、今はいないんですけどNumeroのJon(Kirby | A & R)と、こういうの好きなんですよって話をして。すごく喜んでくれて、なんか言葉じゃなくて、そこで通じた。音楽と一緒で、絵は越えるものがあると思うから。一瞬で通じて、ああ、これだ、みたいな感じがした。そのままそれをずっと続けているだけっていう感じですね。今も」
M 「絵を描いたことによって、さらにその音楽、そのアーティストの世界に入っていけるってさっき言っていましたけど、描いている最中に“これはおもしろい世界を持っているアーティストだな”って気が付いたことってありますか?」
R 「描くことによって、ですか?」

M 「例えばJoe Bataanなんかもある意味デフォルメされているんだけど、Joe Bataanのストーリーにあるものをすごく的確に描いてらっしゃるじゃないですか」
R 「かもしれない」
M 「なんか、僕らには見えないものが見えちゃうのかなと思っていたんですけど」
R 「例えば目つきとか、表れているんじゃないかな。もしかしたらそういうのを感じ取って描いているのかもしれないですね。全く意識はしていないんですけど。うまく描くことじゃなくて、その人の心というか、魂的なものを描く感じがあるんじゃないかなって。でも、よく“どうしてこういう風に描けるのか?”みたいには言われますね。あまり意識はしていないんですけど、たぶんすごく好きだから、そこへ入っていけるんじゃないかな?と思うんですけど。興味があって」

――その対象はすでに亡くなったかただったりとかで、実際の情報って限られているじゃないですか。例えばジャケとか写真とか。僕はRUMINZさんの展示に何回も行かせていただいていたんですけど、現存している資料には全くないシチュエーションの作品もあって。それって想像じゃないですか。すごいなって。
R 「そうですね。想像力で補っているところはありますね」

――宮田さんが今おっしゃっていた、そこには写っていないもの、バックグラウンドみたいなものまで含めて作品にしてらっしゃるから、すごいなって思って。
R 「ありがとうございます。たぶんレコードを集めているのも同じ理由なのかもしれないですけど、その時代の空気とかって文章にも残っていないし、若い人がどういうことを、当時音楽をやっていた人たちがどういうことを感じていたかとか、全然残っていないじゃないですか。それを再現して自分も体感したいと思っているし、そのために描いている感じもちょっとあるので、うまく言えないんですけれど、そういうのが含まれているのかもしれない。今でもずっとそういうのを知りたいと思いながら音楽を聴いて、絵も描きながら生きている感じです」
M 「音楽を知りたいっていうのは、その時代の空気を知りたいっていうのと通じることだから、やっぱり音楽を聴き続けることって、そういう好奇心がないとできないんですよね。単にアーティストを追っかけるのではなくて、黒人たちの歴史の、街の中の雰囲気とかファッション、そこにどんな空気があったんだろう?っていうのを想像しないとその音楽に入り込めないじゃないですか。それをみんながそれぞれ表現したくて、DJの人がいたり、もちろん音楽の解説者がいたりとかもすると思うんだけど、RUMINZさんは自分の絵で、描くことによってそれを表現しているっていう。すごく貴重なアウトプット、解釈というか、世界だと思いますよね」
R 「ありがとうございます」

GR Gallery "Purgatory"

M 「最近ニューヨークでも展示(GR Gallery "Purgatory" 2/20-3/21/2026)を行なわれたじゃないですか。あれはどういう展開でそういうことになっていったんですか?」
R 「たぶん、インスタで見つけられたのかな?誰かが繋がっていたんだと思います。“展示しませんか?”みたいなメッセージが来て、たまたまそのグループ展の4人のうちの1人が好きなアーティストだったので、じゃあやりますって言って。ちょうどニューヨークも行きたいなって思っていたので。去年の11月に東京でも展示(東京・神泉 JULY TREE "THESE EYES" 11/22-12/16/2025)をやって、ニューヨークは今年の2月から3月にかけてだったんですけれど、まず短期間で制作しないといけなくて。絵も過渡期で、今までは緻密というか、それこそ描き込むことでその人を表すとか、そういう風になっていたんですけど、それもなんか違うなみたいになってきて、もっと少ない要素で表したいなあというか。ラフで描く絵が一番良くて……。デモ音源がめちゃくちゃ良いってありません(笑)?デモですでに完成されているみたいな。そういうのをやりたかったんですよ、絵で。それで良い機会だと思って、ニューヨークでそういう展示をしたっていう感じですね。東京の展示も少しそういう要素を入れてやりました」

RUMINZ

M 「それは特定のアーティストを描くのではなくて、もっと匿名性のある、ご自身のテーマを決めて制作していったという感じですか?」
R 「特にテーマは決めてはいなかったんですけど、ニューヨークの展示の絵は、音楽と少し離れてやってみたいなと思って。自由なテーマで描きました。けっこう大きい絵だったので、今これ、後ろにある絵と同じくらいのサイズの。なんかだんだん苦しくなって、最後にどうでもよくなって描いた絵が一番良くて。おもしろかったです。そのときちょうどニューヨークでJoe Bataanのライヴがあって、うわあ、これ絶対行けってことじゃん!って思って。すごく楽しすぎて財布をなくしたんですよ(笑)。それも大変でしたね。Joeのライヴの前に、展示初日のオープニングがまずあって。なんていうか食らうというか、ニューヨークだな、みたいなのをちょっと感じたんです。やっぱりみんな、お金にしていくとか、そういうのがすごくあるし。なんだろう、殺伐とした感じが少し感じられて、そこでちょっとダメージを負って。Joeで一度はアガったけど、財布をなくしてさらに落ちるみたいな(笑)。人が体験できないことをニューヨークで体験して、次の日は1日外に出ないみたいな。せっかくニューヨークに来ているのに(笑)」

RUMINZがNYでJoe Bataanに渡した絵
RUMINZがNYでJoe Bataanに渡した絵。

M 「ニューヨークではうろうろしました?」
R 「はい、周辺はいろいろうろうろしていました」
M 「Joe Bataanはどこで観たんですか?」
R 「クイーンズのTV Eyeっていうガレージやソウルのイベントやライヴをやっていたりする会場です。バーがあって、そこでJoeのバンドがワンマンでやっていました」
M 「そこはどんなお客さんが来ていましたか?」
R 「プエルトリカンっぽい人たち。ラテン系の人たちもいて、ニューヨーク在住の若者も来ていたんですよね。12歳とか13歳くらいじゃないかな?っていう子たちが、ちょうど私の右隣で2人で観ていて、左側にはまさかのLAからの人たちがいて。ちょっとLA寄りというか、ローライダー寄りのイベントだったので、LAの人たちが何人か来ていましたね。1人で立っていたら男の人に話しかけられて、日本から来たんだみたいに言ったら“自分のおじいちゃんも日本人なんだよ”って言っていて。アメリカ人だから、まあ英語でバーって喋られて、そうなんですね、すごい縁ですね、“あとでLAの仲間を紹介するよ”みたいな感じで。でも最前列でJoeを観ていたら、紹介されるまでもなく横にLAのチカーノの人たちがいて。みんなすごく嬉しそうにしていて。同じなんですよね、そこがLAであっても、ニューヨークでも、プエルトリカンであっても、みんな同じ。もう子供のように嬉しそうにしていて、クールなチカーノのおじさんもこうやって腕組んでライヴ中も表情ひとつ変えずに観ていたんですけど、Joeが握手するってなったらめちゃくちゃ嬉しそうに握手していて、やっぱそうだよ、大好きなんだよね、みんなそれは一緒だねって思って。それがすごく良かった。DJも、アップテンポなソウルをかけたり、パナマ・ソウルをかけていたり、スウィート・ソウルもあるし、おもしろい感じでいろんなのをかけていて、ニューヨークならではなのかな?ってちょっと思いました。LAは行ったことがないので、現場はわからないんですけど、そういう感じとも少し違って、混ざった感じがおもしろかったですね」
M 「いいっすね」
R 「みんなで盛り上がったりしていました。おもしろい。ニューヨークでそんな混ざり合った空間っていうのが本当におもしろかったです。Joeもそうですよね。ニューヨークなのにLAの人たちにすごく受け入れられているっていうか、愛されているじゃないですか」
M 「そうですね。まあ、それにニューヨークの人たちがようやく気付いたっていう感じですよね。ヒップスターたちが」
R 「そうですね。まさにそうかもしれないです。会場はパンパンだったんですけど、そういうものが好きな人たちも人数は少ないけどいるんだな、と思って。嬉しかったです」
M 「Joe Bataanはすごい。高齢になればなるほど、またいろいろ広がっていて、この間はコロンビアにも行っているし」
R 「そうなんですね。私もずっとニューヨークで観たいなって思っていて、夢が叶ったので。やっぱり日本で観たときよりも、なんか“ボス”って感じ。地元でやるから少し落ち着いた感じでやっていて、それも新鮮でした」
M 「いいですね。羨ましい」

Joe Bataan live at LA | Photo ©宮田 信
Joe Bataan live at LA | Photo ©宮田 信

――向こうでレコード屋さんとか行かれましたか?
R 「A-1 Record Shopに行きました。財布がないとかでそこだけしか行けなくて、一応そのときに Little Johnny Taylorだったかな?普通に有名な曲の7"を買いました。でもラテンが意外と少なくて、あれ?ニューヨークなのにな?みたいな。そういう不思議な感じはありましたね。ニューヨークでYokkoyama Hat Marketっていう帽子屋さんをされている知り合いの横山さんから、“知り合いにお父さんがJoeのレーベルから出したっていう人がいるんだよ”って教えてもらったんですけど」
M 「ええ!」
R 「えー!それなんなんですか?って聞いたら、あの猫のロゴのレーベル……Ghetto Recordsの、Eddie Lebron。その人のパーカッションをお父さんがやっていたって。すごい!って私びっくりして、伝説のレーベルじゃないですか!って言ったら、“でもニューヨークだとそんなの誰も知らないよ。逆に”みたいな。こっちは驚いているんだけど。そういうもんなんですかね?」
M 「そういうもんですね。たぶんね」
R 「っていう感じでした。すみません、何の話だったか(笑)。でもあのイベントは本当に良かったです」
M 「でもアート的にはいろいろ刺激を受けたと思うのですが、これはとてもいやらしい質問ですけど、日本から来ている日本人が黒人のアーティストを描くという世界観っていうのは、非常に好奇心の目で見られたりという雰囲気はありましたか?それとも、そんなことも関係なしみたいな?どんな感じでしたか?」
R 「実は最近そんなに黒人は描いていなくて、黒人とも言えないくらいの肌の色の人を描いたんですけど、意識的に。たぶん昔はすごく好きで描いていたんですけど、展示したやつは1人だけ肌の色が濃いめの人。あとは白人、ピンク色の肌の人とかを描いたりして。日本人、自分がモデルの絵もあったり。ブレンドした感じでしたね。自分の言いたいこと、伝えたいことは別にそれだけじゃないなと思って。まず、自分の物語じゃないし、みたいなことを思ったので」
M 「それはそうですよね。これからじゃあ、そのギャラリーがRUMINZさんの絵をもっとアメリカに広めていくみたいな感じの方向性はあるんですか?」

RUMINZ

R 「どうなんでしょう?ないんじゃないかな(笑)?いつも展示とかをさせてもらいますけど、アートの世界でもたぶん浮いているんだと思います。だってみんな、ニューヨークでも、まず“コンセプトは何ですか?”って聞かれるんですよ。すれ違いざまに聞かれて、それは別に何も考えていない感じの、言葉では言い表せない雰囲気を表したかった絵だったんですけど、何か言わないといけないんだな、みたいな恐怖がありました。でもたぶんそうなんでしょうね。アートの世界。だからどうなんですかね?ギャラリーは私の絵を広めようとは思っていないんじゃないかな?別にそこのギャラリーに属してるわけじゃないですし。そういうのはないのかな?でも、その“日本人が黒人を描く意味”っていうのは、けっこうシビアだと思います。自分もそれを思ったので、何年か前に。それこそ“Black Lives Matter”とかがあったときにいろいろ。それまで歴史をざっとは知っていたんですけど、もっと勉強しようと思って。あたりまえなんですけど。いろいろ調べたり。レイシスト・オブジェクツ、アメリカだと昔は黒人のコックと家政婦のようなステレオタイプなソルト & ペッパーの人形があって、当時は普通に存在していたこととか。そういうのを知って、自分はけっこう際どいことをやっていたんじゃないかな?っていう気持ちになって。ブラック・ミュージックが大好きだから描くんだけど、そこをさらに深めていって、なぜ自分が黒人の絵を描いてるのかな?って、すごく考えた期間がありましたね。たぶん、そこに自分を投影していたんだと思うんですよね。虐げられた感じというか……抑圧された感じ。おそらくそういうのを自分が感じていたので。勇気付けられたこともたくさんありましたし、音楽で。なんなんだろうな、崇拝するじゃないけど、それを描くことによって救われていたなあと思います。今考えたら」
M 「でもそれは何かを表現するにあたって、一番大切な部分だと思う。やはりとても大切なのは、表現する人がマイノリティのほうに向かっているというか。その場所に。それを意識するかしないかは別にしても、やっぱりそういう立場にいて何かを表現するっていうことが。特にこの日本ではそういうものが見えにくいから、とても素晴らしいと僕は思います」
R 「ありがとうございます」
M 「いや、本当に。やっぱりそっち側にいないとダメだと思うんですよ。根本的に」
R 「マジョリティだとわからないこと、っていう感じですかね」
M 「たぶん見えないものとかたくさんあると思うし」
R 「たしかにそうかもしれないですね」
M 「難しい問題ですね。とても繊細だし、そんな簡単に言えるような問題ではないと思うんですけど。僕もいつもチカーノの音楽を海外から仕入れているから、たぶんチカーノ以外のアーティストから見ると逆差別的な、“チカーノしかセレクトしないのか?”みたいな感じに思われているんじゃないかなと思って。いつも気になっているんです、正直に言うと」
R 「やっぱりそういうのがあるんですね、宮田さんにも。それをどういう風に捉えているのかを知りたいですね」
M 「ありますね。かなり。でもやはり、単純に好きだから選んでいるだけの話で、“その音楽に共感する”とか“好き”とか、そこの部分。あとさっきも言いましたけど、“その背景にある街が好き”だとか。そういうものを追っかけているだけの話なので、だしかにある意味非常に逆差別的な感覚にはなっているかもわからないんですけど、“日本人だからできる”っていうようなところもあると思うし。あと、そういうものの意識を深めていくことも、日本の社会ではとても大切かな、という気もちょっとしているので。でも、常にその視点は繊細で、そうやって見ている感じはしますね」
R 「そうなんですね。問い続ける、っていう感じですよね」
M 「そうですね」
R 「やりながら自分の中で、どういうことなのかな?って考えながら。やりながら、っていう」
M 「そうですよね。それが一番大切ですよね。結果や結論を出す、という問題とは別に、問い続けることを諦めたらそれは無責任な話になってしまうので、そこを持ってさえいればたぶん、許されるような気がするんですよね」

大雪後のMarcus Garvey Park | Photo ©RUMINZ
大雪後のMarcus Garvey Park。 | Photo ©RUMINZ

R 「そうなんですよね。ニューヨークで、以前ハーレムに行ったので、今回もと思って行ったときに、大雪のあとだったんですけど、Marcus Garvey Parkの入口とかも以前はWilson Pickettをかけているおじいちゃんとかが座っていて、わかるよ、その曲いいよね、とか思いながらすれ違う、みたいな感じだったのに、大雪で人も全然いなくて。こんなハーレムってあるんだ?っていう感じで人も全然歩いていないし。以前と同じ公園で、たぶん同じ場所かな?っていうベンチに座って景色を見ていたらなんとなく、黒人の音楽が好きでめっちゃ描いたりしていたけど、なんか自分の話じゃなかったな、みたいなことを少し感じて。ちょっと見えかたが増えたっていうか。そういうことが起きました」
M 「それはすごく貴重な体験ですよね」
R 「そうですね。あまり言葉でうまく言えないんですけど。ハーレムもすごく好きな詩人が住んでいたりしたので、本当に憧れっていう感じだったけど、なんかだんだん、じゃあ自分はなんなんだろう?みたいなことを感じるようになってきて……。絵をずっと続けていく中で、たぶん以前行ったときとそれだけ変わったんだなと思います。自分の中で」
M 「だんだん深い話になっちゃいましたね」

――最高です。
R 「でも、宮田さんにこういう話を、Joeのライヴに行ったときの空気とかの話をしたいなってすごく思って。宮田さんなら話ができるかなって」
M 「いや嬉しいです。ありがとうございます。Joeもね。どちらかが正しいとか違うという話ではなくて、ロサンゼルスで観ると本当に違う。日本とはやはり違う。それは今度上映する『ソウル・サーチン』の映画の世界と同じ話なんですけど。聴いている人がそれぞれ自分の人生の歴史の中で蓄積してきた経験を視点に音楽を見ているので、単に“この曲かっこいいから好き”とかだけの話ではなくて、ちょっと浪花節的な話になってしまいますが、歴史の中で継承されているもの、ストリートの中で継承され続けている本物が、目の前で演奏して歌を唄っている、全然違う場所になるんですよね。そういうのが、なかなか伝えきれない」

――解釈の違いが知りたいっていうか、いろいろな人が同じ何かを一旦取り込んでから出すものの違いが見たい、っていうのが自分にはすごくあります。
M 「そうですよね。その解釈が知りたい。解釈におもしろさもあるので。だからチカーノとJoe Bataanの関係はすごくおもしろいし。今ニューヨークにいるプエルトリカンの人たち、ニューヨリカンの人たちの、当時のJoe Bataanを知っている年配のかたも違う感覚で思っている。以前も話したかもわからないけど、Ralfi Paganなんかは英語で歌っているから、プエルトリカンからは“あいつは英語で歌うから”とか当時言われていたみたいなこともあったらしい。たくさんの異なる解釈がそこにあって、その解釈を調べていきたいなっていう気持ちはありますよね」
R 「たしかにそうですね。でもすごく不思議に感じるんです。あのラテン・ソウルの甘いゆっくりしたやつとかとロックステディも似ているし、あの時代の音なのかな?とか思ったりするんですけど、なんで要素が似ているんだろうな?っていう不思議な感じがあります。スウィート・ソウルも似ている部分があるし。ローライダーのコンピレーションとかでそれが再現されていたりして。本当に不思議な感じですよね」

――あれ、すごく不思議です。
R 「ですよね。不思議なんですよね。何か似たものがあるというか、これはなんなんだろうな?って思います。おもしろいなって思いますね」

――単純に使っている楽器が同じとか、そういう問題じゃないですよね。絶対。
R 「そうなんですよ」

――空気とか。
M 「不良の空気というか、心の持ちようみたいなのがすごく似ているところがあるような気がする」
R 「宮田さんが“THEE MIDNIITERSはザ・ゴールデン・カップスだ”みたいなことを何かで書いていて、全く同じことを考えていたから、うわー、すごい!と思って。そんなことを思う人がもう1人いたんだ!と思った。あれも、時代が似ているとか、国が違ってもそれがあるんだなあ、みたいな」
M 「そうですよね。多文化の中にあった横浜とイースト・ロサンゼルスには多くの共通点があるような気がします。多人種で多様な音楽が入って来て、ブルーズもあればUKからのロックも入ってきて、マッシュルーム・カットになっちゃったりとかするんだけど。ちょっと似ているんですよね。ザ・ゴールデン・カップスのバラードとか、ものすごくかっこいいんで。ザ・ゴールデン・カップスの映画(『ワンモアタイム』2004, サン・マー・メン監督)を観たとき本当に、あ、これまさにイースト・ロサンゼルスの60年代と同じだ、って痛感しましたね」
R 「そうですよね。本当に」

『ソウル・サーチン』

――今度の映画『ソウル・サーチン』は、どんな感じの作品なんですか?
M 「これはルーベン・モリーナさんが3年前に来たときに撮影していたので、あの現場にいた人はみんな知っていると思うんですけど、ヘスス・クルースっていう監督が映画を撮ったんですね。ルーベンさんだけではなく、女性のソウレラと若いジョッシュという3人のDJの話なんです。“別にDJじゃないし”みたいなところから始まって、さらに“レコードかけるのなんか誰も聴きに来ねえだろ”みたいな感じだったのに、実はたくさんの人が来てくれて、“同じような思いでそれを聴いてくれる人がいた”っていう、そこに自分たちの次の使命を感じて。音楽をシェアすることの大切さをもう一回見直そうっていう、そういうひとつの運動にもなっていったんです。ソウレラは両親もイーストLA出身で、けっこうタフな環境にいて。映画の中にも出てきますけど、一時期ちょっと施設に入ることもあって、そこで毎週末に流れていたラジオ、それこそ以前に話したフレズノにあるRadio Bilingüe(ラディオ・ビリンゲ)のオールディーズ番組を通してレア・ソウルに出会っている。“こんな素晴らしいものがあるのか”って感動して、彼女はレコード・コレクションを始めて。ルーベンさんはご存知の通り60年代からずっとローライダーっていうか。フロッグタウンっていう、ロサンゼルスのダウンタウンからちょっとだけ離れたところに、小さなヴィレッジのような雰囲気の場所があるんですが、そこへ仲間たちとそういう音楽を、まあ先輩から教えてもらったりして、シェアしていって。音楽なしの人生ではありえないくらい音楽と密な環境を常に保ってきた人が、自分の音楽観を語ってくれるっていう話で、これ、別にソウル・ミュージックが好きでなくても、レコードが好きな人だったら絶対全員観たほうが良い内容になってます。本当に素晴らしい。みんなで音楽をシェアするっていう。各会場で好きな曲をみんなでかけ合って、みんなでこの映画を体験するというのは、とても大切な機会な気がします」

『ソウル・サーチン』

R 「本当に観たいです。実際に大阪に来られたときとか、東京でルーベンさんがDJされたときの映像も入っていますよね?」
M 「そうですね。RUMINZさんも映ってます」
R 「めちゃめちゃ楽しかった。“聴いてくれていたね”ってルーベンさんに言われて。 かけていた曲がすごく好きな曲で、レコードを持っているんですよ、みたいな話をしたときに、あのDimas Garzaの絵を渡して。っていうエピソードがあったんですけど」
M 「素晴らしい。ルーベンさんはDimas Garzaが一番好きなんですよね」
R 「Dimas Garzaはリリックも書いていたんですよね。作詞もしていたのがおもしろいです」

RUMINZ

M 「そうですよね。それ以外にも昔からのムシカ・テハーナを歌ってるリリースもあるんですけど」
R 「そうなんですね」

――同時上映される作品『Why I Love You: Meet The Ultimates』は?
M 「フィラデルフィアの女性グループが60年代後半に録音した曲が1曲だけあって、何100枚しかプレスされていなくて、その後その曲は忘れ去られていたのですが、実はロサンゼルスのローライダー・コミュニティの人たちがその曲を聴き続けていたという興味深い話を短くまとめたドキュメンタリーです」
R 「すごい。なんか本当に夢のある話ですね。みんなが忘れていたのを発掘するって、すごくいい話」

――タイトルの『ソウル・サーチン』はもちろん、ソウル・ミュージックのソウルだけじゃないですよね。
M 「そうですね」

『ソウル・サーチン』

――正しい辿られかたじゃないですけど、楽曲だけじゃねえぞっていう。
M 「その3人のDJのうちの1人で、白人のジョッシュの体験っていうのは、けっこう僕らにも近いところがある。クリスチャンの家族で育ち、若い頃にレゲエ・グループに入って演奏していてAlton Ellisの前座とかもやっていた。それでレコード屋さんに行くようになってオールディーズを知って、“これ素晴らしいじゃん!”っていうことになって。Alton Ellisもオールディーズみたいなものをたくさんカヴァーしているじゃないですか。それも素晴らしいと思って、どんどんバリオ・オールディーズの世界に入っていく。ルーベンさんとソウレラは、もっと全然異なるアプローチがあって、それぞれを取材していて。彼らがUKに行ったときの、ノーザン・ソウルなシーンの人たちの解釈とかも聞けるし。あと現行のソウル・シーン、チカーノ・ソウルの話も出てきて、Joey Quiñones(THEE SINSEERS)らのことをすごく評価したりしています。だから現行の、いわゆる今みんながネオソウルとかヴィンテージ・ソウルと呼んでいるものが好きな人たちにも観てほしいです」

――これは宮田さんに質問なのですが、良いレコードを見つける秘訣みたいなのって教えてもらってもいいですか?例えば、どこかで曲を聴いて「良いな」とか、喫茶店でもいいんですけど、今それって簡単に「この曲何だろう?」って調べられて、それはすごく便利で素晴らしいことなんですけど、それって曲だけで。一方で自分たちは今なおジャケ買いみたいなのをしていて、得体の知れない、絵だけかっこいいレコードを買うって、やっぱり楽しいじゃないですか。まさにRUMINZさんはジャケとかも描いていらして。音楽って別に楽曲だけじゃなくて、例えばアルバムを買ったら裏のクレジット、文字情報を全部見て、どんな人たちが、どこで、どういうスタジオで、どういうことをやって、何年に録音してとか、その諸々も含めて自分は大好きで。宮田さんも、昔LAの雑貨屋さんの裏でボロボロの7"とかを買っていたみたいな話がありましたよね。そういう、前情報が全くない中から、自分の目当てのものを選び出す秘訣っていうのは?
M 「まあジャケットはたしかに重要ですよね。僕がよく覚えているのは、Joe Bataanの『Poor Boy』(1969, Fania Records)を買ったときに、ラテンなのかソウルなのかよくわからないし、あまりにストレートなタイトルで、でもいわゆるソウルでもないし、サルサでもない。だけど、Faniaから出てる。これいったいなんなんだろうっていう。家に帰って針を落としてみたら、もう、盤質悪いんだけど、ラジオで1回だけ聴いて気に入って、ずっと探していた曲が入っていたんですよね。そういう、発見とか感動を一度持つと、たぶんそういうことが一生続いていく」

Joe Bataan 'Poor Boy'

R 「連鎖していくっていうことですね」
M 「そうですね」
R 「楽しいですね」
M 「ええ。だから『ソウル・サーチン』って、そういう“自分がどうやって音楽、魂 = ソウルと出会ったか”ということを先輩たちが語ってくれる映画でもあるんです。ルーベンさんもよく言っているけど、若い頃に出会った音楽に対しての執着がすごくあって、ルーベンさんがこの映画の中で言っていることで、“僕たちチカーノの人たちは古いものにすごく執着する”って、たしかにそういう傾向があるんです。そうやって継承してきたものとの関わりを持つっていう感覚。若い頃にすごく衝撃を受けたものって、たぶんずっと最期まで持ち続けていくと思うんです。だから若い人に伝えたいのは、あまりにも“売れる”あるいは“話題になる”っていうことばかり考えて作られた音楽だけに翻弄されてほしくないです。余計なお世話かもしれませんが」
R 「それは絵と一緒です。魂が入っている感じがしないっていう。私もめっちゃ絵で有名とかではないけど、そういうのを感じます。宮田さんが言われていること、すごくわかります。ルーベンさんが大事にしている昔の音楽、サンアントニオの音楽とかチカーノ・ソウル、それこそDimas Garzaさんの曲、THE ROYAL JESTERSとかSUNNY & THE SUNLINERS。いっぱいありますけど、Little Joeとかもなのかな。たぶんあの土地でしかできなかったであろう魔法みたいなのがかかっていて」
M 「そうですね。やっぱり聴いたらそれをすごく感じるし、実際に古い曲を聴いていくと、この要素がこういう風になったんだ、とか。それと、たぶん当時の若者の文化が混ざってできて、ブラック・ミュージックのドゥワップの要素とR & Bの要素が入ったりとかもして……とか、いろんな要素が混ざっている」
R 「編み物のように、こう編み込まれたようなものを感じますよね。そういうものをちょっとずつ集めていく感じなのかなって少し思いました。しかも、それが自分たちのルーツであるっていうのが。自分はチカーノではないから想像でしかないですけど、それはおもしろいし、自分のルーツを探ることでもあるっていうのが」
M 「そうですよね」
R 「レコードを掘ることがルーツを探っていくことでもある。探していくって気がしますよね。“ソウル・サーチン”ってそういうことか」
M 「本当そうですよね」
R 「そういうことなんですね。自分で言って納得」
M 「でもある意味、 羨ましいですよね。そういうことができるってのは」
R 「そうですね。私たちは日本人ですけど、日本人でもそういうのができる何かっていうのが、あるのかな?とかは思ったりしますけどね。国家がどうとかそういうことじゃなくて、個人的な、人間としてのルーツがあるのを探っていくのって、なんかおもしろいんじゃないかなって思いますよね」
M 「そうですよね」
R 「なんか私、やたらと外国の人に絵が気に入られる。それはアメリカの文化から影響を受けているからというのもあると思うんですけど。でもそれは“外国の人から見たら、どこかにそういう日本人のオリエンタルな要素、アジア人の要素があるからだと思うよ”って一度言われたことがあって。自分は日本人だからわからないけど、そういうものがあるんじゃないかって言われてはっとして。そうなのかもしれないな、って。それは自分だからわからない。たぶん外側の人じゃないとわからないのかもしれない。そういうのを探っていくのも、おもしろいのかなって思います。絵を描きながらすっごいおばあちゃんとかになって、ちょっとだけこれか!ってわかるみたいな。自分の要素はこれだったんだ、みたいな」
M 「長い旅路というか。素晴らしいですね」
R 「でもレコードを探しているのも、そういう要素があるのかな?って、ふと思いましたね。 日本人である自分が探していくのって、何かそういうのがあるのかなあ?とか」
M 「そうですよね、自問自答しますよね。“なんで自分はチカーノの音楽を探し続けてるんだろう”って。本当は民族とかそういうことは関係なし、僕はもう勘違いかもしれないけど自分のルーツだと思っていますから。チカーノの音楽とかは自分のルーツだと」
R 「そこに破片じゃないけど、大事なものがある。それを集めていくっていう感じですよね。ピースを集めていって」
M 「これが完成はしないんですよ(笑)。いつまで経っても」
R 「そうそうそう(笑)」
M 「永遠に続いていくんですよ」
R 「だからさっきのJoe Bataanも、ジャケで買ったらまさかの気になってずっと探していた曲が入っていたっていう。そういうミラクルが起こるっていうことですよ。嗅覚に敏感に生きていけば」
M 「そういうことですよね。でもさっきの、RUMINZさんの絵の中にある意味日本的なルーツがあるのがわかるっていう話は、例えばTHEE MARLOESはやっぱりインドネシアっていうかアジア的な湿り気をすごく感じるんですよね。ものすごくウェットな感じの。感覚だけど、ちょっとBig CrownとかDaptoneから出している他のネオソウル・ミュージックとは全然違う音の質感があって。そこがすごく我々に迫ってくるものがあって、みんなを魅了するのかなっていう気がするんですよね」
R 「たしかに、私も昨日聴いてみたんですけど、そういう曲が数曲ありましたね。すごく東南アジアの感じというか、言語化するのは難しいけど。感じるものがあるっていうのは思いました」

――最後に、宮田さんにレコードの選びかたみたいなのをお聞きしたのと似たような感じでRUMINZさんにお聞きしたいです。先ほど絵を描くときに想像力を使っている部分があるっておっしゃっていて、個人的には想像力って人とか物理的な距離とかもカヴァーするというか、すごく重要だと思っていて。RUMINZさんが絵を描くとき、さっき教えてくれたみたいにすごくイメージを使うと思うんですよ。だから、もしイメージをうまく膨らませる秘訣みたいなのがあったら、教えてほしいです。
R 「秘訣は……例えば、60年代のミュージシャンを描くんだったら、もうその人になりきる。当時生きていた若者に、自分がなる。普段から当時の服も買ったりするし、もう全てがそれになる感じで。憑依するみたいな。入っていく。音楽を聴くときもそういうのないですか?それを絵を描くときにやっているっていう感じなんですかね。私、絵を描くときに、音楽を演奏するのと同じような感じで描いているんだと思うんですよ。おそらく。だから、最初にも言ったんですけど、その人のやっている曲をカヴァーするつもりで絵でやる、というか。なりきる。たぶんそういう成り切ったりするのが……妄想(笑)?想像がすごく緻密なんですよ。たぶん、すごく細かいところまで考えるのが得意なので、そういう風に成り切って描いてるんじゃないかなって思いますね」
M 「亡くなられたイラストレーターの巨匠・河村要介さんと何回か飲んだことがあって、彼はラテンも好きなんだけど、ドゥワップとかもすごい好きなんですよね。ドゥワップの中にあるラテン的な要素とかもすごく好きで、そのへんからサルサのほうに魅了されていった印象がすごく感じられました。“宮田さんならわかると思うんだけど、やっぱり音楽はね、想像力がないとダメなのよ”とおっしゃっていた。想像力があるから、音楽は理解できるんだって。今RUMINZさんがおっしゃっていたことと同じ。有名な『サルサ番外地』(1987, 筑摩書房)はそうしたずば抜けた想像力を源泉にしている。RUMINZさんが言っていることは、まさにそう」
R 「そうかもしれないですね。入り込む。その当時の場の空気に、もう入っちゃうみたいな。時間も超えて、ワープするっていう感じかもしれないです」

宮田 信 + DJ HOLIDAY
宮田 信 + DJ HOLIDAY

SOUL SEACHIN' SCREENING in JAPAN
映画『ソウル・サーチン』日本上映ツアー!

遂に完成!ロサンゼルスのチカーノ・コミュニティ=バリオを拠点に独自の審美眼でソウル・ミュージックの魅力を伝えるコレクター&DJクルー、ルーベン・モリーナ(『チカーノ・ソウル: アメリカ文化に秘められたもうひとつの音楽史』著作他)、ジョシュア・ホイットモア、アーリーン・セプルベーダの3人の音楽観やライフスタイルに焦点を当てたドキュメンタリー映画。

インタビューの他、ローライダーも集まるバリオのパーティなど、音楽をシェアする現地の貴重なシーン、またルーベン・モリーナ氏が日本でスピンした時の模様も収録されている。

日本語字幕を付けた上映の他、各会場では音楽愛溢れるローカルDJも登場する。

またフィラデルフィアで録音された女性ソウル・グループに起きた奇跡的なストーリーを捉えた短編記録映画『Why I Love You: Meet The Ultimates』も同時上映。

SOUL SEACHIN' SCREENING in JAPAN | 映画『ソウル・サーチン』日本上映ツアー!| 2026年7月3日(金)
大阪 南堀江 SOCORE FACTORY

開場 18:00- / 上映 20:00-
前売 3,300円 / 当日 3,800円(税込 / 別途ドリンク代)
MUSIC CAMP, Inc. | SOCORE FACTORY

DJ
BRUMINZ / TAKASHI SHIMADA (PLEASED TO MEET ME) / DOVE (HAVE A BREAK) / THE WEST AGROS / SHIN MIYATA

Food
AZETACO

Shop
BARRIO GOLD RECORDS

| 2026年7月4日(土)
愛知 名古屋 Gallery & Bar COMMON

開場 18:00- / 上映 20:00-
前売 3,000円 / 当日 3,500円(税込 / 別途ドリンク代)
MUSIC CAMP, Inc. | Gallery & Bar COMMON

DJ
ATOS ONE / DJ HOLIDAY / bobkut / SHIN MIYATA

Shop
BARRIO GOLD RECORDS

| 2026年7月5日(日)
東京 代官山 晴れたら空に豆まいて

開場 18:00- / 上映 20:00-
前売 3,300円 / 当日 3,800円(税込 / 別途ドリンク代)
MUSIC CAMP, Inc. | 晴れたら空に豆まいて

DJ
NiNa / TRASMUNDO DJs / DJ HOLIDAY / BE-X / EL SHINGON

Shop
BARRIO GOLD RECORDS

| 『ソウル・サーチン』
監督: ヘスス・クルース / アレックス・ヴィガノ
日本語字幕: 岡本美穂 / 宮田 信
2025年 | アメリカ | 68分

『ソウル・サーチン』は、忘れ去られた音楽を探し出し、保存し、共有することに人生を捧げるソウル・レコード・コレクターたちの情熱的な世界を描いた作品。単なるコレクションを紹介する映画ではなく、文化の保存、コミュニティ、そして情熱の物語として語られる。少数のコレクターたちが、黒人やチカーノのソウル・アーティストによる埋もれた録音を救い出し、忘れ去られた楽曲を生き生きとした歴史へと蘇らせる姿をカリフォルニアとさらに海外にまで追っていく。コレクター3人の他、ヴァネッサ・ロドリゲス(Lady Lost Soul)、ゲイブリエル・ローランド(Los Yesterdays)、エディ・レジェス(Secret Sidewalk Tattoos)、ジョーイ・キニョーネス(Thee Sinseers)、宮田 信(Barrio Gold Records)も登場する。

| 『Why I Love You: Meet The Ultimates』
監督: ションテール・ホーン
2025年 | アメリカ | 16分30秒

1970年代のウェスト・フィラデルフィアの中心部で、幼なじみたちが先見の明のあるエヴェッタ・ヴァレンタインの指導のもと、ザ・アルティメッツを結成した。音楽への共通の愛で結ばれた彼らは、“Why I Love You”というバラードをレコーディングした。この曲は当時のサウンドに深く共鳴する楽曲だった。伝説的なシグマ・サウンド・スタジオでレコーディングされ、ヴァレンタイン自身のインディーズレーベルであるヴァレンタイン・レコードからリリースされたにもかかわらず、この曲はひっそりと人々の記憶から消えていった。数十年後、そしてその誕生地から約3000マイル離れた場所で、“Why I Love You”は思いがけないコミュニティ、カリフォルニアのチカーノ・ローライダー・シーンによって蘇った。豊かな楽器編成と心に響くボーカルが評価され、この曲は文化的な至宝となり、カークラブや音楽コレクターの間で世代を超えて受け継がれてきた。彼らはこの曲に新たな命を吹き込み、ジ・アルティメッツに待望のセカンド・チャンスを与えたのだ。