対談『Tashoishi 2』――漠然と受け入れられるより、失敗しても爆発させたほうがいい
本稿では、自身もDJとして活躍する論客・松島広人 aka NordOst(以下 N)とTasho Ishiが、『Dentsu2060』からの7年間を総括。移ろいゆく環境 / 現象をピックアップしつつ、『TashoIshi 2』に編み込まれた本質に迫ります。
なおTasho Ishi(以下 T)は、9月17日(木)に東京・渋谷 WWWにて『TashoIshi 2』のリリース・ライヴを開催。サポート・アクトにTakaoを迎え、DJとしてnano odorineの出演も決定しています。
取材 | TAXIM | 2026年3月
撮影 | Tasho Ishi
序文 | 久保田千史
――まずは7年ぶりにリリースされた新作『Tashoishi 2』について、制作の背景や意図などから話してもらえますか。
T 「1stアルバム『Dentsu2060』がリリースされて、イタリアをはじめとしたヨーロッパにライヴをしに行った直後のタイミングでコロナ・パンデミックになったんです。コロナになる直前に北米ツアーを予定していたんですけど、それがすべてポシャってしまったりもして、明らかに閉塞感が漂う環境に身を置くことになって、その状況からもたらされた影響と“体験”それ自体ができなくなった状態による、悪い意味だけではない内省、でもそのような流れに反逆した、ものすごくエネルギッシュで無軌道なサウンド、それらすべてを今回のアルバムに集約したいということは考えていました。2019年を境に今を比べてみると、シチュエーションやお客さん、受容なんかのすべてが変わったっていうのは間違いなくありますよね。だから逆に言うと、2019年まではメンタル的にはイケイケだったんです。その頃って、それまでにあったエレクトロニック・ミュージックの文脈にヨーロッパのエッセンスが入ってきて、方向性がクラシカルになってデカダンス化したりもしてきて、そのようなシーンの状況下で、自分の技量なんかも含めて(自分は)どこまでやれるかな?っていうマインドだった。メディアにも悪いアルゴリズムがそんなに入ってきていなかったし、みんな音楽にも注力できた時代だったけど、そこにコロナが来たっていうのがあって、それによって一旦すべてが終わってしまった。それと同時にポピュリズム的なヒップホップが台頭してきて、そういったものと一緒にやるような機会が増えていったということがあったんです。エレクトロニック・ミュージックでラップやポップの人たちと一緒にやるっていう場合に、全然(音楽性が)違うからっていうスタンスでステージから立ち去っていくような消極的なライヴを演ったりするミュージシャンもいるとは思うけど、ぼくはそうではなくて、そういった音楽のメソッドをインストゥルメンタルに採用していける技術を使って、ポピュリズム的な音楽をどうやって反転して聴かせられるかっていうテーマを楽しむようになりましたね。文化やリテラシーっていうものがコロナとメディアによって解体されて、全部が横並びに配列されたしょうもない世界になってしまったけれど、それをどうやってドリフトするかっていう発想が、このアルバムには結実してるように思います」
N 「7年前にTashoさんがインタビュー(*1)でおっしゃっていたことが、今、本当に悲しいくらい現実になっているっていう感覚はあって」
T 「そう、だからもっとゆっくり表面化してくるだろうと思っていたんですけど、それがコロナの影響もあって、その現実(情報過多によるディストピア)が早く到来してしまった気がしますね。その現実の渦に飲み込まれて消えていっちゃった人たちも数知れずいたと思うし」
N 「まったくその通りだと思います」
T 「今、みんな本当にその情報の渦の中にいてかき乱されているんで、現状を俯瞰したり、横から斜めから見ることができる人がいないから、何が存続していて何が変わったのか、その中でどう進むべきかっていうことがわかりにくいことになってきていると思う。それと同時に音楽のパフォマーティヴな要素によって、そういった現実を突破しようと試みるミュージシャンやDJが出てきたのが、この数年だとは思うんです。だから、音楽自体にこだわって審美眼や耳を養って、その楽曲性によって人々を動かしていく実質の強化を図るようなアプローチ自体が、世界を見回しても少なくなった気がしてます」
*1: note「FNMNL「Tasho Ishi 『Dentsu 2060』|人間不在のレイヴが行われる東京。その都市空間を音で描く」08.07.2019
――コロナ禍によって、現実社会にいろいろと分断が生まれて、リミナルスペースみたいな世界になって、そこでなくなってしまったものが多かったわけじゃないですか。でも、そのロックダウンが解放されたときに、一気にドバッとリアルに落ちてきた世代というのが存在していて、まさにNordくんまわりはそういう感じだったんじゃないですか?
N 「まさにそうですね」
――だから、TashoとNordくんには真逆の力学が働いているようにも思えるんですけど。
T 「本当にその通り。ねじれ現象みたいな感じで、遅れて20歳前後のお客さんが続々と現れたというか。マーク・レッキーがドゥルーズの格言を引用して言っていたけど、まだ来ていない人々(“Le peuple à venir”)のために何かを作っているという」
――それが今回のアルバムだっていうことですか?
T 「そうかもしれない。でもたしかに、1stを作ったあとのフィードバックを見ていてそう思いましたね。コロナ禍でティーンエイジャーだった子供たちが大きくなっていく段階で、トランスに代表される身体的に新鮮さを感じることができる音楽的潮流に、ぼくはサウンド面で微妙にぶら下がっていて、そこで関与したんだとは思っています」
――Nordくんはどうですか?
N 「コロナ禍に巻き込まれていなくなった人たちとは真逆で、その渦から出てきたのが自分みたいな世代ですよね。ぼくのクラブ的な原体験のひとつは、そこにあります。コロナ以前はバンドを観に行くのが好きだったんですけど、いろいろと通ううちにクラブの匂いが漂ってくるものも発見して、もしかしてこっちのほうがおもしろいんじゃないかっていう期待もあったんですが、(コロナによって)閉ざされちゃって。仕方ないから、ネットに大量に出現していたピーキーな音楽を自宅でひたすら追いかけつつ、(コロナ禍でも)開いてるクラブに足を運んだりしていたんで、そこで大きな価値転換が起こったんです。当時、ぼくは違法集会に近いレイヴや闇営業しているクラブとジャンクなインターネット音楽を同時に享受していて、それはまさにTashoさんが言っていた“全部が並列化した”反面、逆に世界中に誤配が生じているおもしろい状況でもあったというか」
T 「ブロック塀みたい」
N 「瓶の中に入った手紙を届けるような感じで、Tashoさんは7年前のインタビューでああいうことを語っていた気もして、それが数年、流れに流れてコロナ禍以降に現れたゲーム感覚で音楽表現を楽しむ若い世代にも届いたのかなっていう気はしますね」
――たしかに、そうですね。だから、コロナ以降にできた様々な文脈に乗っかっているところがある作品が『TashoIshi 2』だとは思います。ダンス・オリエンテッドな機能性とそれに相反する音による社会学リポートみたいな要素が織り込まれていて、そこはTashoさんの大人っぽい部分なんじゃないかなと。
T 「どちらかというとトリックアートですね。THE FLYING LIZARDSやMichael Nymanがやっていたような、軽音楽、ノベルティ音楽というか、清水靖晃『Music For Commercials』(1987, Crammed Discs)のような、いわゆる時代の副産物としてある“冗談音楽”みたいなものです。その副産物みたいな音楽をサイバネティクス的にポップ・カルチャーと繋げてみたり、実際に起こった具体音や過去の映画にあるセリフなどをサンプルとして組み込むことで、今では“ポエム”と称されるようなものにもなってしまっていると思う。そのような、あまり脚光を浴びてこなかった音の副産物の可能性を模索して、レイヴ的なアウトプットを用意してみたり、ミューザックやミュジーク・コンクレートのような方法論を感覚的に乱暴に使っている感じです。だから音楽技法っていうことよりも感覚重視で、いかに身体や脳味噌にくるものを作るかっていうことが大事。でも、近年の音楽って手段が目的になっているじゃないですか。そこに関しては、Malcolm McLarenが言ったように、せっかく何かを作るんだったら漠然と受け入れられて理解されるものより、失敗しても無様でもいいから爆発させたほうがいいと思う」
N 「すべての生き物が蟹のかたちに近づく(“one of the many attempts of Nature to evolve a crab” cit. Lancelot Alexander Borradaile)みたいな現象が音楽にも起こっているような状況で、そうやってエグみを逐一残していかないとならないのかもと思います。あと、今は並列化の問題というのが顕在化してきているとも思っていて、例えばつやちゃんさんが“ポストジャンル”についてのテキスト(*2)で書かれていた、現在はエステティクス(美学)的なものだけが存在しているよねっていう話だったりとか。つまり、あえて嫌な言いかたをすると全部がクソミソになっちゃっているわけですよね。様々な目的によって作られた音楽も、すべてエレベーター・ミュージックとして利用されてしまう時代というか、TikTokやInstagramのストーリーなどの動画に付ける音楽というフレームができたことによって、あらゆる音楽は切り取って使う“素材”になってしまったような気もします。音楽を作る側もDAW上の編集作業になっているわけだし、(楽曲制作の)捻りかたも民主化してしまって、捻ること自体が自然の行為になっていますよね。例えばRosalíaの『Lux』(2025, Columbia)みたいな作品って、本来そういう使いかたは絶対にされなかったはずなのに、あんなものまで15秒の素材になっちゃうみたいな。そんな楽しみかたを散々してきた自分が言えることじゃないんですけど」
*2: note「2020年代の文化領域におけるPost-Genre Aestheticという波について」08.19.2025
――たしかに、そういった暴力的な風潮にはなっていますよね。すべてが15秒に集約されてしまうみたいなね。でも、そういうところに対する抵抗も、このアルバムには込められているわけですよね。
N 「Tashoさんの作品は抵抗とは別のかたちで、そういう意味合いがあとから発芽されるように仕込まれてるものなのかなとも思いますけど」
T 「それ(15秒的な切り抜き)を意識することはなかったから、脅威ではなかったっていうことを、たった今事後的に自覚しています。ただ、“別にいいよ”っていう感じではあるんです。でもやっぱり(切り抜き的なものを)聴いていても微妙に気持ちよくなれないし、そもそも機能の副次的なことに関心が持てない。多分、ぼくの曲がイビツに聴こえるのは、サウンドデザインやそのフレージングだったりが、リスナーからするとあるジャンルとして認識できる部分もあるんだけど、でも何かが明らかに違って抜けている“ジャンク性”があるからだと思うんです。だから、現代の模範風なもの、“勝者”や“優秀”といった洗練が成されているようなものをつっ突いてみたい気持ちはあるんですよね」
N 「いわゆるロゴドンのような様式美的なものしかウケなくなっているところはありますよね。例えば、Apple製品で身の周りを全部固めるとかもそうですけど、なんか、おすすめメニューの中からしかごはんを選ぶことをしない感性というか。いわば特上至上主義、鉄板至上主義みたいな」
T 「A24から滲み出てくる、ある種の儚さのようなもの」
N 「チームラボの哀しみみたいな(笑)」
T 「インスタント・ブルーズというかね、すぐさま出て、すぐ意味が消失していくっていうのは、自然界にはない現象でもあって、そういう意味ではとんでもないものを編み出してはいるんだけど、でも別にそういうものってあんまぼくには関係ないなって」
N 「人間ってどんなツラいことやどんな素晴らしいことが起きても、そのすべてに慣れていく生物なので、その人間としての“耐性”という作用が重なり合って、すべてが鈍化してる感じがありますね。とにかく今ってプロセスは見えない上に、プロセスを見せていますよっていう作りかたをするものにも作為があって、ザラザラした部分というのは不可視になっているし、受け手にしても興味がないということですから。動画メディアだったら5秒や10秒のスキップ・ボタンがあるし、逆に作る側も大多数がそれに飲まれて、どうせ見られないからっていうところで、どんどん全部が適当になっていってるから、“なんとなくいい”みたいな感覚の先には進みづらいという構図ができてしまっている。発表する側もその構図に甘んじてしまう共犯関係が生まれているから、批評みたいなものも通用しづらいし、“そんなん知らんわ”っていうことが簡単に言えてしまう状況がありますよね」
――でも、5秒や10秒の動画を良いとする感性は、それはそれで美学だと思うし、15秒の切り抜きがゴミかと言えば、一概にそうとも言い切れないものがあるんじゃないですか。
T 「その感性に関しては何も思いませんが、みんながそういう些末なところに気を取られて本題に入らないことがどうかと思います。そういったことよりライヴが重要で、リアルで起こる反転現象にこだわっているところがある。いつもそういう(5秒や10秒の動画を良いとする感性の)人たちと一緒にやることになるんですけど、その人たちは質量のない模倣や編集のようなことはできるんです。ただ、あまり意味を持ち得ていないというか、(サウンドは)プロダクトっぽいし優秀ではあるんだけど、平坦で驚きと持続力に欠けることがあるように思いますね」
N 「以前、長年ハコで働いていて20年くらいいろいろ見てきている先輩が、とある若いDJのグループを観て“なんかAIが選んでいるみたいでつまんないね”とバッサリと否定していたことがあって(笑)。なんてひどいことを言うんだろう!っていう気持ちになりつつも、これは現在のポスト・コロナ世代の全員に対して痛いところを突いている言葉でもあるなと思ったんです。今、Tashoさんの話を聞いていて、そのときのことを思い出しました」
T 「体感としてでかい音を誰も作れなくなっている現状があるけど、作るのは簡単だと思っていて、そういう意味で、ぼくはいつもライヴでは反転させています。それに、ぼくは行商っぽいノリなんですよ。豆腐売りとか野菜売りのような。レコードを1枚売ったら3,000円くらい自分に返ってくるわけだけど、ストリーミングで稼ぐとなると数百万回再生とか狙わなきゃならないわけじゃないですか。それであくせくプロモーションするとか、そういうことから貧乏臭くなっているような気がするんです。Bandcampがまだいいのは、アルバム1枚売れると1,000円なんですけど、その1,000円でこうやってお茶だったりケーキがすぐ食べられるところです(笑)」
N 「そういうことで言うと、Tashoさんとも距離が近い、コロナ禍以降に生まれたグループ・みんなのきもち / Minna-no-kimochiのことはどう見ていますか?」
T 「彼彼女らがトランス・ミュージックとしてぼくの音楽を解釈してくれるのはおもしろいなと思ってます。前作『Dentsu2060』をリリースしたレーベル・Presto!?の主催者・Lorenzo(Senni)のフォロワーたちのさらにフォロワーといった世代として認識しています。そういった次世代の彼彼女らと同じ枠組みに入るというのはどういうことなんだろうと思ったりもしましたが、フィジカルに楽しむことに回帰しているように見えるし、それが音楽への入口にもなったりするんでいいんじゃないかと思います。まあ、今の価値観や物事の進行具合というのは、いちから何か作ったとか、計り得ないことには重きを置かない世界になっていますよね。評価やキュレーションが減退して、評判と空気感がなんとなく主流というか。以前はそういった情緒的なルールの混同はどうかと思っていましたが、今は微妙にどうでもいいっていうのもありつつ、日本だしそんなもんかって感じです」
N 「大きなルールが変わっただけというか」
T 「そうですね。でも最終的に遅れてやってくるのは、そっちだから。借金みたいなもんで、人気のツケというか、今はみんな前借りするんだなって」
――元気の前借り。
T 「そうそう。前借りして、上場して、生活を安定させて、生産に勤しむっていう。だから、デジタル・データは出すけど、次にリアルなものを作るわけではないじゃないですか。ぼくの場合はその順序が逆だったので、まずは何かフィジカルがあれば、そこからいくらでもコピーなり、派生物なんかは作れるから、自分が疲れずに長期的にやれるっていうことがある」
――その長期的にやれるっていう感覚は、持つ人と持たない人がいる時代ではあると思うんですが、Nordくんはどうですか?
N 「ぼくはそこがいちばん変わったところです。(コロナ禍で)クラブ・シーン的なものに裂け目ができたから、ぼくみたいな人間が入り込めたわけなんですけど、その後、実態がある物事やキャリアが長いDJなんかを見ていて、(自身のこれまでを振り返って)こんなことしてる場合じゃないなと思って、脳が持続に切り替わったんですよ。転向というか、反転というか」
――それはなんかいい話ですね。
N 「物見遊山で(シーンに)入ったら、恥ずかしながら思いのほかあてられてしまって。それはみんなのきもちもそうだと思います。一見すると賢しらに振る舞ってるように見える人たちこそ、実は意外と真っ直ぐなんですよね。ストレートだしアツいんですが、それは芸術的なものとは対極にある感性でもあるんですよね」
T 「意外とみんな、ちゃんとしてるよね」
N 「そうですね。活動していて、リアル志向というかコンシャスになっていく人ってぼくの世代以降にもいっぱいいるんですけど、でもそれだと本当に超えるべきところは越えづらくなるから、ちょっともったいない気もするんですけど」
――超えるべきところ
って、具体的にはなんですか?
N 「要するに、実体ベースでやってきた人たちを超越することは絶対にできないということです。今からコンシャスを目指しても真っ直ぐにシュッとなるだけで、それはただの収斂進化でしかない。自分が辿ってきた活動を体系化させていくには、軽薄なことも含めてやり続けないと“なんか普通に丸くなったね”で終わってしまう危機感があります」
T 「それとは対照的に、ベッドルームだけに存在しつつフィジカルをどんどん膨らませてるような人もいますよね」
N 「そう、だから今のいわゆるコロナ以降のベッドルーム音楽的な現象が“新しいストリート”みたいなものにすごく奇妙なかたちで根づいちゃっているんですよね。例えば、オタクの人がクラブを使ってやるクラブ・イベントはもう完全にパーティではないんですよね。パーティでもライヴでもない第三軸というか。今や、ベッドルームでベッドルーム音楽を聴いているだけだと見えてこないものがたくさんある。だから、最新の事情をフォローしていますっていう人も、やっぱりそれをナンバリングしてカタログ整理のように管理しているだけであって、それがなぜ発生したのか、なぜそういう結果になっているのかっていうことは、やっぱり見えづらいと思うんです。Tashoさんは、これまでの活動とは異なる環境でライヴをされたりもしているから、新しいシーンの立ち上がりみたいなものもけっこう見てきたとは思うんですけど、やっぱりその裏には全く違うルートからやってきた音楽と人が存在するんですよね」
T 「今でも遊べてるなって思って。遊べてるならまだやろうかなって。遊んでお金も入ってくるようになったから、こんないいことはない」
N 「なるほど。それはたしかに真理かもしれません(笑)。新作『TashoIshi 2』では“パラパラ”、“アニメ声優”、“リアリティ番組”、“広告”、“テクノアミニズム”といったキーワードを切り取っていたと思うんですが、これはどういう感覚に起因して選んだテーマなんでしょうか?」
T 「これは出来事に起因しています。狙ってやったというよりかは、チャンス・オペレーションだったりしますね。たまたま職場に『メタルギアソリッド』(KONAMI)に参加している声優さんがいて、その人の声を使わせてもらったりだとか、そういうことの積み重ねです。レコーディング作業を一緒にしていたエンジニアのオオシマさん(Kazuaki Oshima)という人がいて、この人はAmazon Fire TV Stickで、アメリカの番組を大量に観るのが大好きなんです。その人が“Tashoさん、今世界はね、Drakeの声で埋め尽くされてるんですよ”って延々と言うんです。そんなことをずっと聞かされていたら、『ビデオドローム』(1983, デイヴィッド・クローネンバーグ監督)じゃないですけど、ヤマダデンキにいろんなサイズのモニターが壁のように並んでいて、そのすべてに映る大量のDrakeに囲まれた環境を想像することにもなって、ドリルやトラップのプロダクションが暴走したレイヴ的黙示録がリアルなんじゃないかって思い始めてしまったりするわけですよ。あとはマッチング・アプリとか。ぼくはやらないんですけど、周りの友達がTinderをやっていて、その時々の胡散臭いものに興味を持ってしまうんです。それで友達のTinder画面を見ていたら、これはおもしろいって思った。そういう物事にある、ニュアンスやアトモスフェリックな断片を楽曲の中に入れ込むと音楽が琥珀みたいになるんです」
――昆虫や植物を閉じ込めるように。
T 「そうそう。ほかには、美術作家のジョゼフ・コーネルによるアッサンブラージュの箱みたいに、その時代の特徴となる情報を取り入れることでリスナーへのメッセージや暗号にもなる。Princeだったら『Pop Life』(1985, Paisley Park)には、THE ROLLING STONESのオープニング・アクトをPrinceが務めた際、STONESのファンから実際に浴びせられた罵声が最後に挿入されているんです。曲が終るとフィールドレコーディング的な環境音がワーッと入ってきて、何に対しての“pop life”なのかっていうことがよくわかるような気がするんです。音響で聴く“示唆”みたいなものを楽曲に残しておくと、後々それに貫かれることがあるので、異物混入は重要なんです」
N 「やっぱり『TashoIshi 2』は、未来に向けた作品ですね」
――そういう音楽の作りかたをしている人って、ほかにもいるんですか?
T 「作曲家・野見祐二のプロジェクト・おしゃれテレビですね」
――それは、坂本龍一なんかも参加していましたよね。
T 「映画『ラストエンペラー』の劇伴オーケストレーションをその人は独学で全部やっているんです。過小評価されている、すごく才能のある人だと思うんですけど。おしゃれテレビのニュアンスは近いものがありますね。あとはMichael Nymanの1stアルバム『Michael Nyman』(1982, Piano)やアートコアのAcen『Trip II The Moon』(1992, Production House)とかもいいですね。音楽の中にある音楽といった異なる要素を内包して作っていくと、単なるトラックではなくて、二重三重に楽しむことができるようになってくるから、本当にトリックアートみたいなものなんです。コンテンポラリーで意味ありげなミニマリズムよりも、トリックアート的なものに可能性やおもしろみがあるんじゃないかって思いますけどね」

N 「Tashoさんが共演したMechatokも、1stアルバムのインタビューでまさに同じようなことを言ってましたね。軽薄な感じでTohjiやf5veをフィーチャーする感覚。ぼくは以前Mechatokにメール・インタビュー(*3)をしたんですけど、自分自身はツアー生活が続いていて、その反動によって自宅ではリール動画をスワイプしてるだけみたいなことになっていて、その二極性をアルバムにまとめてみたっていう話をしていたんです。プロセス、アプローチ、やっていることはあらゆる面で違う気がしつつ、なんか感覚だけはTashoさんと近いのかなって思ったんですけど」
T 「Mechatokのような最近のヒップな人たちの話を聞くと、メタでしょうもないことをするとか、メタでポップをやるとかで、そうなるとJ-POPという大きな鉱脈にみんなが行き着くんですけど、それはなぜなら、もうそうやって遊べる素材が枯渇してしまった時代になったからです。そこで何を顧みて、何をアイデンティティとするのかという問題があるんですけど、結局、それは日本の主に1970年から2010年くらいにかけてのドメスティックな生産があった時代のちょっと外れた文化になるんです。ヒップな人になればなるほど、今の洋服なり文化だったり、抹茶ラテでも昆布茶でもいいんですが、そこをどう捉えて扱うかっていう、ある種のセレクトショップ的な感性になっているような気がします」
N 「新しいものが更新されなくなったので、昔のものを化石燃料的に掘り起こす時代に完全になったと思うんですよ。今は2016年のリヴァイヴァルがブーム(“2026 is the new 2016”)として起きていたりして、もう先がない気もしていますけど」
T 「今の状況だと終わりが近いんじゃないかっていうのは思っています。だから、ぼくはそれが終わったとしても、“はい、終わりました”でいいと思っているから、ぼくにはあまり関係がない話ではあるんです。西洋的な考えかたや時間軸もそうだけど、もうある種の限界っていうか。生活や人生と離反した文化というのが、もう難しいんだって、シンプルにそう思う」
*3: AVYSS「虚構の輝きと平凡な日常のコントラスト|Mechatok interview」10.02.2025
N 「そういった状況もある中で、近年、誤配的な動きをしているような、気になるおもしろいアーティストやパーティ、コミュニティって何かありましたか?」
T 「ライヴをしに行っていいなって思ったのは、大阪の地下一階(南船場)っていうところ。東京ではあまり感じ取れない、食事や遊びといった生活の延長に存在していて、ユニークな“細菌”があるような気がしたかな。別に深く考えていないようなラフな雰囲気があって、なんかおもしろかったですね」
N 「地下一階の人たちはおもしろいですよね」
T 「フォームが自然だったのがよかった」
N 「東京だと競争が入ってきますからね」
T 「たしかに、東京はみんな選手っていう感じがありますよね」
N 「東京だとドライな半グレになっちゃいますけど、大阪には昔ながらのヤンキー性が残っている気がするんですよ。温かみがあって」
T 「大阪のあのような場所で音楽が機能している地下一階っていうのはすごいなって思っちゃいましたね」
――都市ということで言うと、自身で書かれた新作用のセルフ・ライナーノーツというものが今回はありますが、そこには、このアルバムはTasho Ishiの幻視的な都市とその観察を追ったもので、街をドライヴし、スペクタクルと戯れ、やがて街から脱出する、といった作品コンセプトのようなものが記されていますよね。そこからイメージすると、このアルバムって「加速主義(社会)ツーリズム」とも言えるのではないかと思ったんですが。
T 「初めから決めているわけではなく、たまたまそうなった感じです。やっていくうちにエスカレートして、現実世界に接点を持って、音でちょっかいを出し始めるというか。そもそも単なる純粋音楽、踊るためだけのトラックにはあまり興味がないし、常に外の世界に興味があるんです。東京で過ごしていると、つっ突いてみたくなるきな臭いものや集団現象やモノなどがワンサカあり、それが頭のどこかに蓄積されて、あるとき作っている音楽のサウンドとイメージが合わさってこれだ!という感じで降ってくるといいますか。そしてこさえた曲をクラブ環境に投下すると、ダンスをしながらある人は恍惚としてギョッとなったり、不気味なリアリティと楽しさが同時に押し寄せて何これ?ってなったり、自分らを覆っている環境への挑発芸術というか、グラフィティみたいなアートフォームと通ずる部分はあるのかなと思っています」
――わかりやすく言うと、『TashoIshi 2』は、プロテストレイヴ的な価値観では否定されるもので構成されている作品でもあって、でもそこに批評性があるっていうことですよね(取材当日の2026年3月29日は東京・新宿駅東南口広場でプロテストレイヴが開催されていた)。
T 「そういった価値観や表象を使って逆噴射させる / 無意味化させるということに興味はあります」
N 「もはやそういうやりかたじゃないと勝ちようがないんじゃないですかね」
T 「いや、キレイな表現の仕方もあるんだけど、ただ、ぼくが生きている今の時代ではこうなると思う。先日、パンスくんの新書(『「いまどきの若者」の150年史』筑摩書房)が発売されたんで書店まで見に行ったんですけど、そうしたらコーナーで面陳されてるのは“殺人”、“詐欺”、“強盗”、“ヤクザ”といったトゥルークライム / 犯罪物ばっかで、まあ疎外物やノイズに行き着くなあと思って。やっぱ今どきの“汚物”にちゃんとフォーカスしないといけないなって。だから単にフォームがキレイなだけの音楽やトラック物を作っていてもつまらないですからね」
N 「Tashoさんは楽曲をハードウェアで作られていますよね?」
T 「ハードとソフトが半々です。だから、基本的にDAW的なグリッドという概念は作風としては無だし、その上で新鮮に感じる素材やモチーフをレイヴ形式にアウトプットするっていうことがおもしろいと考えています。グリッドに縛られるとテッキーで開放感が得られなくなると思うんですよ。現行のテクノやベース系でもグリッド感はあるし、アプリっぽいというか。今やオフィスワークを加速させたり、筋トレをするときに聞く音楽みたいな感じがします」
――最後に、今はもう国際情勢を含めすごいことになっているじゃないですか。そういう不確実性の時代にこのアルバムはマッチするといった感覚はありますか。
T 「マッチするかどうかはわからないけど、ライヴで聴いて解放感とおかしさを感じている人が一定数いて、スマイリー・マークのような顔で“最高っした!”って言いに来てくれるから、自分の感覚と共振する人たちがこの時代にはいるんだなって思いますね。自分が作り出したノイズで自らが楽しくなって狂うのと同時に、リアルな場所で他人にも体験させるっていうフィードバック・ループの実験で遊んできた結果、このアルバムができた。だから単なる音楽アルバムというよりも、リアルとフィクションとフェイクがごちゃ混ぜになったひとつのメディアでもあるとは思うんです。その中には現実のディスやクリティックが埋め込まれつつも快楽的かつレイヴィな体験ができるようになっているから。こういったラフなやりかたでワイルドさを獲得していくことが大事だと思いますね、こと日本においては。音楽が媒介となって、普段使っていない能力を呼び起こしながら、日常でもカジュアルにラディカルになっていけたらおもしろいなって」
NordOst Instagram | https://www.instagram.com/no_nord_ost/
■ Tasho Ishi
performing the 'T2'
2026年9月17日(木)
東京 渋谷 WWW
19:00-
U23 / Early Bird 2,300円(税込 / 別途ドリンク代 / 限定枚数)
一般前売 2,800円 / 当日 3,500円(税込 / 別途ドリンク代)
LivePocket | Resident Advisor
[Live]
Tasho Ishi
Support Act: Takao
[DJ]
nano odorine
[Poster Design]
坂脇 慶
[Photography ]
changsu
■ 2026年3月21日(土)発売
Tasho Ishi
『TashoIshi 2』
T's
https://tashoishi.bandcamp.com/album/tashoishi-2
[収録曲]
01. Window in the sky
02. The Bachelor
03. Harry
04. Helnwein
05. Youth Packing
06. Syukatsu Process
07. Grandia AD
08. Collapse Roppongihills
09. Driftwood
10. Memoria
11. DreamDrakeDrain
12. Get Out
| セルフライナーノート
『Tashoishi 2』は、日本の多様なテクノアミニズムの音楽的翻訳であると同時に、前作『Dentsu2060』の続編である。
パラパラ、アニメ声優、リアリティ番組、叙事詩や広告、そしてレイヴ。
成田空港や虎ノ門ヒルズでのレイヴでアンセムとなったニューウェーブ・パラパラ『Collapse Roppongihills』Drakeの膨大な肉声が張り巡らされたセレブリティ・トラップ・レイヴ『DreamDrakeDrain』ポップ・ユートピアとその暴力的な裏側を描いたジャンク・エンターテインメント『Helnwein』リアリティ番組から着想を得て、ユーロダンスとフィリップ・グラスを融合させた『The Bachelor』といった楽曲を収録。現代的かつポップなサウンドを映し出しながらも、Tasho Ishiならではの鋭い批評的視点を帯びている。
各トラックは単独でも成立する一方で、時系列的に展開する大きな物語の一部でもあり、日本固有のサウンド・イメージによってアニメーション化されている。
このアルバムはレイヴ・トランスレートによって生成された一連の楽曲であり、
Tasho Ishiの幻視的な都市と、そこに生じる現象の観察を追ったルポルタージュであると同時にドキュメントでもある。
またBoomkatのレビューによると、TashoIshi 2のカバーは目を細めて見るとプレイモービル版の「SOPHIE」の滑り台が描かれているという。
――Tasho Ishi





