Review | 鈴木 直『アディクションと金融資本主義の精神』 | 資本主義を批判するには?


文・写真 | コバヤシトシマサ

 「addiction アディクション」は、一般に「依存」と訳されることが多い。ギャンブル依存症、アルコール依存症などの凡例で知られる言葉。ときに「中毒」とも、「嗜癖」とも訳される。このアディクションとのキーワードから話を始めて、目下行き詰まりを見せる資本主義を批判的に検討しつつ、そのさきの展望を開こうとするのが本書、鈴木 直『アディクションと金融資本主義の精神』(2023, みすず書房)だ。

 多分に横断的なこの本。アディクションという言葉の持つ精神医学的な来歴の紹介があり、ヘーゲルやマルクスなどの思想や哲学への参照があり、アクチュアルな現代社会の分析もある。これほどに意欲的な著作を70歳代の著者が書いたという事実に、失礼ながら驚いてしまった。実際のところ、これほどの大風呂敷(失礼!)を広げながら、説得力は一貫しており、議論はまったく散漫になることがない。ここまで大胆かつ精緻な本は、そうはないと思うのだが、どうだろう。ひとつ強調しておきたいのは、この本が非常に平易で読みやすいという点。前述のとおり、マルクスだの、ヘーゲルだの、数多の難解な理論に沿って議論は進むのだが、それらが大変わかりやすい要約とともに整理されているため、スリリングな読み物として楽しめてしまう。

 ところで資本主義への批判となると、今では世に溢れている。行き過ぎた資本主義は人々の尊厳を踏みにじっており、格差を拡大させ、環境破壊を進行させる。地球も社会も最早その限界に達しつつある。であるなら、この社会システムを根本的に変えるべきではないだろうか。そうした議論には誰しも聞き覚えがあると思う。この状況をなんとか是正しなければならないとの見識において、これらの声は一致しているし、まったくその通りだとも思う。では本書もまた、そうしたありがちな資本主義批判の類書のひとつなのだろうか。答えはイエスであり、ノーでもある。

アディクションと資本主義の不健全な共依存状態に警告を発することは、もちろん本書の主要な課題だ。しかし、本書は同時に、アディクション批判が安易な資本主義批判や近代批判と共鳴し、近代市民社会が開いた別の可能性に蓋をしてしまう危険性に対しては、十分に警戒している。
――鈴木 直『アディクションと金融資本主義の精神』p158(2023, みすず書房)

 斎藤幸平のベストセラー『人新世の「資本論」』(2020, 集英社)などにも触れながら、本書はこう警戒する。資本主義を批判するがため、そもそもの近代社会の成果まで批判するような議論――古き佳き時代に戻って持続可能な社会を目指そうといった類のもの――と本書の内容とは、一線を画している(念のため断っておくと、斎藤幸平氏が掲げるヴィジョンは“古き佳き時代に戻ろう”というものではない)。

 では金融資本主義とは一体なんだろう。一義的には、それは投機などの金融市場が肥大化し、ひいてはそれが経済の大半を覆ってしまう状況を指すと言っていい。いわゆる実体経済――生産者が必要に応じて物やサービスを生産し、消費者が必要に応じてそれを消費する――の範疇の外で、大がかりな投機によってマネーが生み出される。そうした現状に対する危機意識が、本書の前提にはある。

 金融資本主義を分析するにあたり、本書はグレーバーによる貨幣の起源に関しての説に注目する。『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(2020, 岩波書店)などの著作で知られる人類学者デヴィッド・グレーバーによるなら、貨幣の起源はこうなる。

物々交換からはじまって、貨幣が発見され、そのあとで次第に信用システムが発展したわけではない。事態の進行はまったく逆方向だったのである。わたしたちがいま仮想貨幣と呼んでいるものこそ、最初にあらわれたのだ。貨幣の出現はそれよりはるかにあとであって、その使用は不均等にしか拡大せず、信用システムにとってかわるにはいたらなかった。
――鈴木 直『アディクションと金融資本主義の精神』p286(2023, みすず書房)

Photo ©コバヤシトシマサ

 同様の見解は多くの経済学者や人類学者によって示されているという。つまり貨幣は、あくまでそのシステムを運用するためのトークンの進化物に過ぎず、先行する負債清算システムに比べると、後発的な派生物でしかない(p287)。なるほど、そうかもしれない。しかしここで鈴木は問う。ではなぜシステムを運用するための後発的な派生物でしかない貨幣が、これほどまでに富と繁栄の絶大なる象徴となったのか。この問いに対して、本書はマルクスによるフェティシズム論を提示する。

この人が王であるのは、他の人々が彼に対して臣下としてふるまうからにすぎないのに、人々は逆に、この人が王だからこそ自分たちは臣下なのだと思いこんでしまう。
――鈴木 直『アディクションと金融資本主義の精神』p304(2023, みすず書房)

 ただのトークンでしかない貨幣が、実態的な価値となってしまう因果の反転を、マルクスはこのように説明した。鈴木もそれに同意する。

私たちはこうして、本来は自分たちの相互作用が生み出した超越的な機能に、実体としてのあり方を付与し、その実体に第一原因としての資格を与えようとする。
――鈴木 直『アディクションと金融資本主義の精神』p305(2023, みすず書房)

 こうした貨幣へのフェティシズムがあり、その結果生産過程の媒体であったはずの貨幣が、ついに自ら商品と化し、デリバティブといわれる商品を生み出した(p333)。1980年代以降の金融資本主義の全面化には、こうした背景があると本書は説く。マネーを投じ、マネーを売り、マネーを得る。生産も消費もない、金融のみで成立する経済体制。

 かように切れ味の鋭い本書において、もっともその妙味に感じ入ったのは、新自由主義とはすなわち階級闘争であると喝破した一節(p319)。鈴木によるなら、新自由主義とは上からの階級闘争だという。通常、階級闘争というと、労働者が資本家に向けて争うものを連想する。しかし資本家の側が、労働者に対してしかけた闘争こそが新自由主義なのだと。この見立てに、なるほどと思わず膝を打ってしまった。が、しかし呑気に関心している場合ではないのかもしれない。ことによると労働者側はすでに資本家によって足元をすくわれている。カール・マルクスがこの状況を見たなら、いったいなんと言っただろうか。

 以上に紹介した議論は本書のほんのごく一部、そのエッセンスに過ぎない。知的な横断と興奮とに満ちた本書、みなさんもぜひ。

Photo ©コバヤシトシマサ

■ 2018年12月14日(金)発売
鈴木 直 文・著
『アディクションと金融資本主義の精神』

みすず書房 | 5,300円 + 税
四六判 | 392頁
ISBN 978-4-622-09604-7

中毒、依存、嗜癖(しへき)などと訳される「アディクション」。スマホ、ギャンブル、ゲーム、飲酒、買い物……その対象は多岐にわたり、今日のネット社会ほどアクセスが容易になったことは人類史上かつてない。短期報酬を追い求めるアディクション化した金融経済は、実体経済を呑み込みながら、資本主義のカジノ化を推進している。
拡大するアディクションと、不安定化する金融資本主義。著者はそこに、人間の認知機能にそなわった特異な能力と脆弱性が深く関与していることを突き止める。そもそも近代化と資本主義の内に、アディクションを生み出す認知的なメカニズムが潜んでいるのだ。本書では、カント、ヘーゲル、ゲーテ、マルクスらの近代思想をふり返りながら、両者の関連をたどっていく。
しかも認知機能には限界がなく、それゆえ現代資本主義は、土地も人口も資源も尽きることがない無限の仮想空間(メタバース)に新たな収益源を求めつつある。
社会の断片化によって孤立した個人がアディクション的行動に走り、それが資本主義をさらに不安定化させる。拠り所を失った個人は、やがて独裁者やカルト集団にも容易に隷従することになるだろう。
アディクションを抑制しながら、民主主義が資本主義をコントロールする社会をつくり上げていくことは可能なのか。広い視野と多様な領域から、共に解決を求める場を開く。

目次
| 序章 拡大するアディクション
1 植木等の時代
2 笑えなくなった現代のアディクション
3 深刻化するネット依存
4 アディクションと金融資本主義

| 第一章 アディクションとは何か
一 定義をめぐる歴史
1 ケル博士の定義
2 薬物依存と行動嗜癖
3 ICD 11の新分類
4 DSM 5の新分類
5 エピジェネティック・ランドスケープ
二 本書の定義
1 重視しない二つの問題
2 自発性・操作性・短期報酬性
3 不本意性

| 第二章 アディクションと認知機能
一 人はなぜアディクションに陥るのか
1 啓蒙主義理論
2 合理的選択理論
3 報酬過敏化理論
4 デュアル・プロセス理論
二 認知機能の生物学的基礎
1 生物学的視点の拡大
2 リードルの実験
3 擬合理的装置のアルゴリズム
4 「あ、そうか」体験
三 ギャンブルと認知機能
1 ツキと実力
2 ドストエフスキーの『賭博者』
3 秩序への期待
4 ギャンブルの魅力
5 擬合理的装置と合理的装置

| 第三章 適応か、介入か
一 アディクションの抑制
1 玉あそびはなぜアディクション化しないのか
2 相互行為による複雑性の学習
3 ルールによるアディクションの抑制
二 人類史の二つの革命
1 適応から介入へ
2 第一の革命──農業革命と世界宗教
3 第二の革命 近代化
三 近代化の二つの顔
1 市民革命と産業革命
2 日本の戦後思想
3 「近代化とは何だったのか」という問い

| 第四章 市民社会の正当化理論
一 主権の正当化──ホッブズ
1 相互行為に紐づけ、さらに再構成する
2 ホッブズの社会契約説
3 ホッブズの二つの難点
二 所有権の正当化──ロック
1 ホッブズとロックの共通点と違い――生存権と所有権
2 所有権の保護
3 リベラリズムの源流
三 道徳規範の正当化──カントとスミス
1 権威をどこに求めるか
2 商工業の発展がもたらす秩序・自由・安全
3 市民革命としての近代の遺産
4 挫折したプロジェクト

| 第五章 選択の自由とは何か──ヘーゲル
一 危機の診断
1 「選択の自由」のどこが問題なのか
2 危機の先見的な批判の重要性
3 ヘーゲルとゲーテ
二 ヘーゲルの自由論
1 ヘーゲルが現代的事例に対応するとしたら
2 自由と意志
3 普遍性としての意志α
4 特殊性としての意志β
5 個別性としての意志γ
三 自由と恣意はどう違うか
1 中間物としての恣意
2 恣意に潜む不自由
3 真の自由とは何か

| 第六章 操作的介入とは何か──ゲーテ
一 ゲーテの色彩論
1 自然観察から介入実験へ
2 ニュートン批判
3 相続すべき遺産
二 客観的理性と主観的理性
1 ホルクハイマーの問題提起
2 よみがえるゲーテの批判
三 主観的理性の自己過信
1 因果律の過大評価
2 産業社会のリスク
3 ダスグプタ・レビュー

| 第七章 金融資本主義とアディクション
一 貨幣とは何か──マルクス
1 近代資本主義の成立
2 フィクションとしての貨幣誕生物語
3 マルクス貨幣論の二つの系統
4 価値形態論
5 棒砂糖と鉄片
6 貨幣問題の核心
二 マルクスのフェティシズム論
1 王と臣下の寓話
2 フェティシズムとは何か
3 貨幣と宗教
三 金融資本主義の誕生
1 民主主義的資本主義の退潮
2 新自由主義の勝利行進──上からの階級闘争
3 ブレトン・ウッズ体制解体がもたらしたもの
4 金融資本主義の成立
5 投機対象となった通貨
6 新自由主義と金融資本主義の二人三脚
四 資本主義の最後の楽園 アディクション
1 均衡か、不均衡か
2 デリバティブの拡大
3 トランプが突きつけた二つの現実
4 認知機能には限界がない──アディクションの解放区へ
5 来るべき社会

| 結語
1 人類史に何が起こったのか
2 残された課題

| あとがき
| 人名索引

Photo ©コバヤシトシマサコバヤシトシマサ Toshimasa Kobayashi
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会社員(システムエンジニア)。