Review | デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』 | ブルシット・ジョブって結局なんだったの?


文・写真 | コバヤシトシマサ

 2020年に翻訳が出版され、大変話題になった『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)。この本、相当売れたのではないだろうか。というのも、自分は古本屋をよく覗くのだけれど、この本をあちこちの店で目にする。どこの古本屋にも置いてある本というのは、つまらないから売られてしまったというよりは、単にそれだけ売れた本だということ。ともかく古本屋における本書の発見率は非常に高い。

 自分は発売まもなく入手し、一通り読んだ。物事を反対から捉えるグレーバーの逆説的な視点は、スラヴォイ・ジジェクの論法によく似ている。思わず笑ってしまう皮肉っぽいユーモアも、ジジェクのそれに近い。そんな本書、読み物としておすすめなのだけれども、最近自分が考えていることに関連するのもあり、今回取り上げてみる。

 結局のところ、ブルシット・ジョブとはなんだったのか。

 この本が書かれたきっかけについて、冒頭にグレーバーによる説明がある。あるとき彼は「ブルシット・ジョブ現象について」と題した小論を、とあるウェブマガジンに掲載する。するとその記事は大変な反響を呼び、多くのリアクションを巻き起こした。我こそはブルシット・ジョブの犠牲者だとの多くのメールが彼に舞い込んだそうな。本書は彼に届いたそれらのメールを紹介しながら、この問題に切り込んでいく。

 ところで本書の刊行以降、ブルシット・ジョブという言葉がひとり歩きしてしまった感もある。著者自身、あるいは多くの論者も指摘している通り、それを“労働条件が劣悪である仕事”とする誤用も散見されるようになった。ここでブルシット・ジョブの定義について、改めて引いておく。

ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある雇用の形態である。
――『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』2020, 岩波書店 | p19

 仕事の上での、無意味としか思えないペーパーワーク。あるいはそれ自体には意義のない形式的な手続き。ああした“仕事”は、なぜなくならないのか。なくならないどころか、それは日に日に増えているようにさえ見える。経済学者が言うように、世の中に市場原理なるものが働いているとするなら、そうした意味のない仕事はとっくに駆逐されているはずではないだろうか。

 実はグレーバーは本書に先立って『官僚制のユートピア』(2017, 以文社)という著作を上梓している。この『官僚制~』で彼は、いまや社会は全面的に官僚制化しており、官僚制はわたしたちにとって空気のようなものになった(p4)との前提から議論を始めている。官僚制と、無意味なペーパーワーク。これらは明らかに同じカテゴリーに属する。ブルシット・ジョブを巡る彼の論考には、こうした一貫した問題意識がその土台にある。

Photo ©コバヤシトシマサ

 ここ最近よく考えることがある。なぜブルシット・ジョブが蔓延するのかとの問いは、ブルシット“ではない”仕事についての問題も含んでいないだろうか。例えば今、日本では、介護職の低賃金が社会問題と化している。ブルシット・ジョブが持て囃される一方、必要とされる仕事の賃金が不当に低いのはなぜなのか。他方で、証券会社のトレーダーがモニター上で株や為替を売買し、高給を受け取っている。介護とトレーダーの職能やその意義を一概には比較できないとしても、こうした不均等はなぜ起こるのか。自分にはこれが、長きに亘る疑問だった。ごく素朴に言って、市場原理なるものが働くのだとしたら、こうした不均等はやがて是正されるはずではないだろうか。人手不足を解消するには待遇を上げるしかないわけで、労働市場はそれを徐々に調整し、やがて最適化されるはずではないだろうか。

 グレーバーは本書でブルシット・ジョブ、つまりなんの意義もない仕事にそれなりの賃金が支払われる理由として、いったんの結論を示している。

もしブルシット・ジョブの存在が資本主義の論理に逆らっているようにみえるとすれば、ブルシット・ジョブの増殖に対するただひとつのありうる説明は、いまこのシステムが資本主義ではないからということになる。
――『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』2020, 岩波書店 | p251

 そうなのか。わたしたちが今、資本主義と呼んでいるシステムは、もはやかつてそう呼ばれたものとは異なる原理をもった別のシステムなのではないか。以前紹介した鈴木 直『アディクションと金融資本主義の精神』での金融市場の全面化による経済の機能不全も、これと地続きの問題のように見える。社会の授業で教わった「需要と供給によって価格が決まる」といった素朴な市場原理の機能しない、何か別のシステムへと、この社会はすでに変容しているのではないか。

 ではそうした難局を乗り越えるためにはどうしたらいいのか。ひとつの例として、グレーバーはベーシックインカムの導入を提案している。正直なところ「ブルシット・ジョブの解決方法がベーシックインカム?」と最初は拍子抜けしてしまった。グレーバー自身、政策的な提言をすることを好まないとの断りの上で、あえてそう提案しているのだけれど。彼によるなら、何らかの社会批判をする場合、その評者はで、あなたはこの問題にどのような提言をしてくれるのかな?(p345)といった感じで政策提言を探し出し、その本があたかもこの政策提言を展開した著作であるかのようにまとめてみせる(p345)のだという。当然ながら本書は、ベーシックインカムの意義を説くというような、狭い枠組みには収まる本ではない。

 しかし一方でグレーバーは、もし仮にベーシックインカムが実現したなら、つまり生活と労働とが切り離されたならば、ひとは自分や誰かのための本当の仕事をするようになるだろうと言っている。少なくとも一定数の人たちが、そうするだろうと。彼の主張はユートピア的に過ぎるようにも聞こえる。しかし衣食住の心配がなくなったとして、人はただ怠惰に過ごすだろうか?自分や誰かを満たすための何らかの営みを始めるのではないだろうか。たとえばこの世に芸術が存在するのは、その証左とも言える。芸術なんて例を挙げずとも、人間同士の関係はしばしば損得を超えたものであり、つまりわたしたちはそもそも経済を度外視した感情を持っている。少なくともグレーバーはそうした人間の素性に賭けている。

 人類学者デヴィッド・グレーバーは、本書の翻訳刊行と同年、2020年に亡くなっている。いつでも物事を反対から捉え、皮肉っぽいユーモアで社会を論じていた彼は、その一方で、一貫して人間を信じるヒューマニストでもあった。

■ 2018年12月14日(金)発売
デヴィッド・グレーバー 文・著
『アディクションと金融資本主義の精神』

酒井隆史 / 芳賀達彦 / 森田和樹 訳
岩波書店 | 3,700円 + 税
A5判 | 442頁
ISBN 978-4-00-061413-9

中やりがいを感じないまま働く。ムダで無意味な仕事が増えていく。人の役に立つ仕事だけど給料が低い――それはすべてブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)のせいだった! 職場にひそむ精神的暴力や封建制・労働信仰を分析し、ブルシット・ジョブ蔓延のメカニズムを解明。仕事の「価値」を再考し、週一五時間労働の道筋をつける。『負債論』の著者による解放の書

目次
序章 ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)現象について
第一章 ブルシット・ジョブとはなにか?
第二章 どんな種類のブルシット・ジョブがあるのか?
第三章 なぜ、ブルシット・ジョブをしている人間は、きまって自分が不幸だと述べるのか?(精神的暴力について、第一部)
第四章 ブルシット・ジョブに就いているとはどのようなことか?(精神的暴力について、第二部)
第五章 なぜブルシット・ジョブが増殖しているのか?
第六章 なぜ、ひとつの社会としてのわたしたちは、無意味な雇用の増大に反対しないのか?
第七章 ブルシット・ジョブの政治的影響とはどのようなものか、そしてこの状況に対してなにをなしうるのか?
謝辞
原注
訳者あとがき
参考文献

Photo ©コバヤシトシマサコバヤシトシマサ Toshimasa Kobayashi
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会社員(システムエンジニア)。