Review | ポール・トーマス・アンダーソン諸作


文・写真 | コバヤシトシマサ

 ポール・トーマス・アンダーソン監督(以下PTA)の新作映画『リコリス・ピザ』が公開された。映画的エモーションに溢れた傑作。現代の最も優れたフィルムメーカーであるPTAについて、これまでに多くの讃辞が贈られてきただろうけども、彼の偉業に比してそれはまったく十分とはいえない。ついては熱帯に変性しつつある極東の島国から、愛と讃辞を贈りたい。

 出会いは『ブギーナイツ』(1997)だった。実は当時、この映画にはそれほど熱狂していない。かつての米ポルノ業界が作品の舞台となっており、下ネタあり、お下品もあり。そんな内容に多少のイロモノ感を感じたのかもしれない。70年代のファッションやディスコ音楽が全体に配置され、それらのキッチュなセンスが作品の基調となっている。なかなかセンスのいい映画だな、というのが最初の印象で(なんと失礼な……)、つい最近までその印象は変わらなかった。少し前に見直してみたところ、家族的な連帯とその再生がテーマになっており、下ネタはともかく、意外とシリアスな内容なのを発見して驚いた。PTA映画のトレードマークであるカメラの移動による長回しシーンもすでに用意されている。

 しかしなんといってもPTAの最初のピークは『マグノリア』(1999)だった。人物が交錯し、その誰もが喪失を抱え、エイミー・マンによるテーマ曲が物語をさらなる次元へと導いていく。役者も素晴らしかった。トム・クルーズ、ジュリアン・ムーア、フィリップ・シーモア・ホフマン。彼らの住まう世界があり、生きることはそれだけで法外で、埋めることのできない空無がある。そして神話のクライマックスにあのカエルの大群がいる。あのエンディング。そんなバカな、と笑うこともできないほどバカバカしいエンディング。フィクションの虚構性へとまっすぐ突進し、破壊し、しかし現実をカタルシスで満たすあのシーン。あんな映画を他に知らない。

 そう。あんな映画を他に知らない。破格の傑作『マグノリア』に感激してしばらく、ふと思った。これ以上の映画はない。この作品でPTAの創造は頂点に達したのではないか。

 当然、彼の創造にはさらに続きがあった。彼のフィルモグラフィーはその後『パンチドランク・ラブ』(2002)、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007)、『ザ・マスター』(2012)と続く。それまでとはガラリとスタイルを変えた傑作を連発することになる。自分はこの3作を“第二期PTA”と称して、PTAのキャリアの中でもっとも偏愛している。もちろん“第二期”は『ザ・マスター』に極まる。

 PTAの映画では、何が現実で何が空想なのかが不明瞭になる事態がしばしば起こる。たとえば『ファントム・スレッド』(2017)では、とある男女間の支配関係が実は両義的であり、だんだんそれが反転していく様が描かれた。現実と空想とが錯綜する。そうしたPTAの持ち味が最大限に発揮されたのが『ザ・マスター』だった。見終わった観客はその余韻の中で自問することになる。ホアキン・フェニックス扮するフレディは、いったい何を求めていたのか。彼は単に夢を見ていたのか、あるいは「マスター」こそが彼の夢の投影だったのか、あるいはそもそもはじめから……。見終わった後も心がざわつき、胸騒ぎがする。かつて『マグノリア』のクライマックスで示された現実と虚構の問題が、かたちを変えて引き継がれている。

 ところで“第二期”の『ゼア・ウィル~』と『ザ・マスター』とは作風が似ている。どちらもアメリカの歴史がストーリーの背景にあり、ひとりの人物を通じたアメリカ史の様相を呈す。しかしなによりその映像的な類似がある。伝統的な方法を使ってフィルムカメラで撮影されたという両作の、重厚な画面構成がたまらない。陰影に富んだホアキン・フェニックスの顔。痺れる。“これぞ映画”なその芳醇は、たとえばフランシス・フォード・コッポラ『ゴッドファーザー』(1972)等に匹敵するのではないか。安易な映像効果を排した画面構成は、そうした映画史に連なっているといえば言い過ぎだろうか。

 そんな『ザ・マスター』に感激してしばらく、ふと思った。PTAはもはや巨匠だ。もう昔のようなカジュアルな映画は撮らないかもしれない。

 もちろんPTAはそうした映画を撮った。彼の創造はここから「第三期」に突入する。『ザ・マスター』に極まる重厚路線からシフトチェンジし、『インヒアレント・ヴァイス』(2014)、『ファントム・スレッド』、『リコリス・ピザ』(2021)と撮り続けている。トマス・ピンチョンの原作をさらりと映画化してしまった『インヒアレント・ヴァイス』。虚実があいまいになるトリックを男女関係に援用した『ファントム・スレッド』。そして熱狂的な映画好きが同じく熱狂的な映画好きのために撮ったかのような『リコリス・ピザ』。素晴らしい。

 まったく巨匠らしくない巨匠、ポール・トーマス・アンダーソン。この先、彼はどんな映画を作るだろう。予想はいつでも裏切られてきた。案外この次はSFやホラーを撮るかもしれない。おそらく傑作だ。

■ 2022年7月1日(金)公開
『リコリス・ピザ』
東京・有楽町 TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
https://www.licorice-pizza.jp/

[監督・脚本]
ポール・トーマス・アンダーソン

[出演]
アラナ・ハイム / クーパー・ホフマン / ショーン・ペン / トム・ウェイツ / ブラッドリー・クーパー / ベニー・サフディ

[製作]
サラ・マーフィ / ポール・トーマス・アンダーソン / アダム・ソムナー

[製作総指揮]
ジョアン・セラー / ダニエル・ルピ / スーザン・マクナマラ / アーロン・L・ギルバート / ジェイソン・クロス

撮影: マイケル・バウマン / ポール・トーマス・アンダーソン
美術: フローレンシア・マーティン
衣装: マーク・ブリッジス
編集: アンディ・ユルゲンセン
音楽: ジョニー・グリーンウッド

2021年 | 134分 | PG12 | アメリカ |
原題: Licorice Pizza
配給: ビターズ・エンド、パルコ
©2021 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved.

Photo ©コバヤシトシマサコバヤシトシマサ Toshimasa Kobayashi
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