文・写真 | コバヤシトシマサ
矢継ぎ早にストーリーは展開する。あぁ、おぉ、とその展開に見惚れていると、あれよあれよという間に終わってしまった。あ、終わった、終わったのか……。見終わってすぐの所感はそんなところ。大ファンであるポール・トーマス・アンダーソン監督(以下PTA)の新作。かなり前評判のいい本作に大いに期待しつつ、しかしあまり期待しすぎても肩透かしの要因になるので、はやる気持ちを抑えてもいた。こんな気持ちになるのは、PTAだけかもしれない。35mmフィルムの2倍の画質で撮影するビスタビジョンなる撮影方法を採用したとの事前情報もあり、画面構成に凝った映画作家的な作品を予想していた。ところがそうではなかったというのが自分の印象。もちろん映像は素晴らしい。最終部のクライマックスも視覚的な要素が鍵となっている。しかしいわゆるシネフィル的な基準から言うなら、旧作の『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007)や『ザ・マスター』(2012)のほうが上ではないだろうか(個人的には2002年の『パンチ・ドランク・ラブ』を推したい)。むしろ本作ではそうした映画作家的な意匠をある程度は排しても、ハリウッド・メジャーによる娯楽大作に徹した感がある。ファンとしてはむしろそちらに感じ入ってしまった。銃撃ありカーチェイスありの娯楽大作を、PTAが撮り上げてしまった。
もちろんただの娯楽映画ではない。かなり直截に政治的なテーマを扱っているし、なにしろ反政府組織による破壊や暴力をともなう政治活動が、冒頭から次々と繰り広げられる。反政府組織「フレンチ75」を巡っての顛末が、この映画の主軸。トマス・ピンチョンの小説『ヴァインランド』(1990)をモチーフに、PTAが脚色したストーリーだそうな。驚くべきは、この映画の舞台が現代のアメリカであること。スマートフォンがあり、Instagramがあり、ベニチオ・デル・トロとレオナルド・ディカプリオは劇中でセルフィに興じる(このシーンは最高)。本作はかつての政治の季節や、ヒッピー的なカウンター・カルチャーを回顧した映画ではない(ヒッピーはSTEELY DANを聴かないのだ)。現代のアメリカを舞台に、反政府組織の興亡を描く。しかも娯楽映画として。一見するに無謀なこの試みは、しかし成功している。これは驚くべきことではないだろうか。本作があまりに傑作なため、この素朴な事実は見落とされる可能性があるので、ここで指摘しておきたい。
ともあれ本作は安易な政治プロパガンダではない。素直に見ればこれは家族のドラマだし、とりわけ父と娘の関係に迫った物語でもある。そもそも政治的なテーマに関しても、当の政治性を皮肉ったようなユーモアに溢れている。左派的な理念を描きながら、それとは裏腹な現実も、同じ重みで描いている。前置きはこれくらいにして具体的なレビューに移ろう。
フレンチ75の一員であるボブ・ファーガソン(レオナルド・ディカプリオ)。彼は長い年月を経て、今では酒とマリファナに溺れるしょうもないおっさんに成り下がっている。かつて革命の理念を背負った彼も、自身の娘にファーストネームで呼ばせ、「愛してる」の挨拶を強要する保守的かつ強権的な父親だ。このくたびれた父親の、二枚目とも三枚目ともつかない振る舞いには愛嬌以上の魅力がある。孤軍奮闘する彼を見ているうち、観客は否応なくストーリーに巻き込まれてしまう、というのが本作の建て付け。笑わせるシーンも多い。こっそりマリファナの力を借りて権威(?)に楯突く彼の姿には、同情を超えた憐れみすら感じてしまった。
ベニチオ・デル・トロ演じる“センセイ”も忘れ難いのだが。しかしもっとも印象的な人物は、チェイス・インフィニティ演じるところのボブの娘、ウィラだろう。本作のハイライトはあきらかに彼女で、この映画を観たなら誰もが彼女のファンになってしまう。逃走劇でもあるこの映画は、彼女が画面右手に向かって走り出すと同時にアクセル全開になる。あのシーンの胸騒ぎよ……。あれだけで元は取れたと言ってもいい。最終部、彼女が自ら車を走らせてハイウェイへと身を投じるに至る一連のシーンもたまらない。バイカー・ジャケットにチュール・スカート。あの着こなしは川久保 玲インスパイアなのだろうか。そんな彼女が走り、蹴り、車を走らせ、クライマックスは限界を迎える。いやはや。
アクション的な見せ場は他にも多い。“トム・ファッキン・クルーズ”ばりの車からの飛び降り。一発の砲撃によってハイウェイから転落するショーン・ペンの車。どのシーンも素晴らしい。そしてクライマックスとなる最後のカー・チェイス。延々と果てまで続くかのような荒野があり、そこに1本のハイウェイが通っている。その1本道を3台の車が走り、相手を追う。思うに、このシーンはかなり奇妙だ。普通カーチェイスというと、対向車をスレスレでかわしたり、急カーブをドリフトして相手の車を巻くような演出が多い。本作にはそうしたカー・アクションもあるのだが、しかしクライマックスはそうではない。長い1本道があり、遠く先をいく相手を追う。いわばアクションなきカー・チェイスとでもいうべき場面。そこでは1本道の坂の勾配が肝になるのだが……それについてはぜひ本編で体験してもらうとして。ニッチなPTAファンとしては(?)、あのクライマックスを目にして以来、ある思いが頭から離れない。あの坂の勾配のトリックを視覚的に可能にするために、PTAは大きなカメラを必要としたのだろうか?だだっ広い砂漠を走る1本のハイウェイを、ビスタビジョンによるロング・ショットに収めてこそ、あの演出は可能になったのか?だとするなら、砂漠やハイウェイをどのようにフィルムに収めるかという、アメリカ映画の伝統に対するPTA流の応答が、あのシーンなのだろうか?
家族のドラマとしては曖昧な含みも残している。母の選択、父の決断、娘の出生について。それらの真実を巡って物語は進むのだけども、完全には詳らかにされない。誰が知っていて、誰が犠牲になり、誰が守られたのか。それらについては解釈の余地を残したまま、娘に希望を託すかたちで、映画はエンディングを迎える。このラストは若干ご都合主義かなとも思ったのだけど。でもしばらく反芻するうち、その考えを改めた。理念があったとて、現実はままならない。「わたしたちは失敗した」と母は語った。でもそうだろうか。次の世代に望みを繋ぐことができたなら、それだけで成功といえないだろうか。
■ 2025年10月3日(金)公開
『ワン・バトル・アフター・アナザー』
全国ロードショー
https://wwws.warnerbros.co.jp/onebattlemovie/index.html
[監督・脚本]
ポール・トーマス・アンダーソン
[出演]
レオナルド・ディカプリオ / ショーン・ペン / ベニチオ・デル・トロ / レジーナ・ホール / テヤナ・テイラー / チェイス・インフィニティ / ウッド・ハリス / アラナ・ヘイム
配給: ワーナー・ブラザース映画
2025年 | アメリカ | 英語 | 162分 | PG12
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