文・撮影 | 波田野州平
賭する人――大沼さんの場合
立川競輪場の遊園地のような入場門をくぐると、そこにはみんなそろって灰色の帽子をかぶって灰色のジャンパーを着たおじさんたちがいました。おじさんたちは手元の競輪新聞を見るためにうつむくか、配当率が映し出された画面を見上げるか、いずれかの姿勢で止まっています。色のある人がいません。おじさんたちは腹が減ったら売店でアジフライの刺さった串を買い、ソース壺にどぶんと漬けて立ち食いします。そして食べ残した尻尾をポイ捨てすると、おじさんたちと同じく灰色の鳩が舞い降りて来て群がります。競輪場に足を踏み入れてまず目に飛び込んできたのは、そんな異様な光景でした。
異様さ。私はその雰囲気に惹かれてこの場所に通うようになったのだと思います。今から10年ほど前の2017年に、初めてここを訪れたときのことを思い出してみようと思います。
競輪場に通い始めて60年以上になる大ベテランの大沼さんは、昭和5年生まれの当時86歳でした。年齢を聞くと「平成天皇の3歳年上だ」と元気に答えてくれました。
大沼さんは、車券は買うがレースは見ません。車券も自分で買うことはなく、仲の良い人が大沼さんの予想した番号をマークシートに記入して、お金を預かって買いに行きます。そしてレースが終わると、いろんな人が結果を教えてくれます。それまで大沼さんは、焼酎を飲んで待っています。
この日は、奥さんの藤子さんが車券を買う役でした。もう1人、あごひげの長いおじさんと3人で談笑していたところに、私も混ぜてもらいました。
あごひげのおじさんは競輪を58年やっていて、大沼さんとはここに通い始めたときからの付き合いだそうです。
大沼さんは魚屋のせがれで、11人兄弟の長男です。ふたりの兄がいましたが、ふたりとも戦争で亡くなられたそうです(なので正確には13人兄弟の三男です)。「兄貴はふたりとも女を知らずに死んだ」と大沼さんが言うと、「あらまあ、私のあそこを貸してあげたのに」と藤子さんが答えて、その場に笑いが広がります。
なんで競輪を始めたのかと尋ねると、「金がなかったからだ」と大沼さんは言います。実家の魚屋を継がず、若くして家を出て、自分の魚屋を始めたそうです。しかしすぐに失敗し、たくさんの借金を抱えました。そして、埼玉のニチイというデパートの魚屋で働き始めました。その頃から競輪場通いが始まったということでした。
競輪で借金は返せたんですかと尋ねると、「そんなわけねぇだろ、この人は家が金持ちなんだよ」とひげのおじさんが横から話に入ってきます。「年金だって郵便局の年金をたくさんもらってるんだ」と。
もしかしたらと思い、競輪をするお金はどうしてるんですかと聞くと、もちろん年金だという答えが返ってきます。今日の競輪場はとても賑わっています。それは今日が16日で、年金支給日の直後だからだそうです。
レースを中継するモニターの前に集まるおじさんたちが、ラスト1周を告げる鐘の音と共に怒号を上げます。Tシャツの袖の下から刺青をのぞかせたおじさんが何度も、「もう一銭も残ってねえからな、もう一銭も残ってねえからな」と繰り返し叫んでいます。ゴール間際で何人かの選手が転倒し、その隙に後ろの集団が先にゴールします。モニターには3車単70万円という高額な配当金が表示されていました。おじさんたちは文句を言いながら外れ車券を破り捨て、散らばっていきます。その向こうで、立ち尽くしていた刺青のおじさんが、頭を抱えて地べたに崩れ落ちました。
最終レースを残し、大沼さんと藤子さん、ひげのおじさんと私は競輪場を後にしました。満員の送迎バスに乗り、立川駅に向かいます。バスから降りると、競輪帰りのおじさんたちは、伊勢丹へ入っていきます。そこは駅までの近道です。日高屋に向かう僕らも、伊勢丹1階のコスメ・コーナーを通り抜けます。その灰色の行列の後ろを歩きながら、コスメ・コーナーの女性たちが目に入ります。彼女たちの顔と、競輪帰りのおじさんたちの顔を交互に眺めながら、「美とは」という問題について、つい深く考え込んでしまいそうになりました。
「遠慮する奴は嫌ぇだ、いいから飲め」と叫ぶように言う大沼さんのわずかに残った歯のすき間から、フライドポテトのかけらが私の顔に着地します。
ウーロンハイを飲みながら、餃子とザーサイをつまむ大沼さんに、どこに住んでいるんですかと尋ねると、「あきる野」と返事が返ってきます。すると「そうなの?」と返すひげのおじさん。え、知らなかったんですか!と驚いていると、「この人とは競輪場の中だけの付き合いだから」と答えるひげのおじさん。60年近く毎週のように顔を合わせていて、そういうことは知らない関係に驚きます。「おとうさん、名前はなんていうの」と今度は藤子さんが大沼さんに質問するので、え、夫婦じゃないんですか!とまた驚くと、「3ヶ月前に知り合ったばっかし」と笑顔で答える藤子さん。今度はてっきり夫婦だと思っていたら、お互いの名前も知らない関係。混乱する私のことなどお構いなく、3人はそれぞれの亡くなった連れ合いの話に夢中です。やがてひげのおじさんが注文した持ち帰りの餃子がやってきたところで、ようやく店を出ます。目の前には空のジョッキが大量に並んでいました。
足元のおぼつかない大沼さんをみんなで立川駅まで送っていると、いつの間にかひげのおじさんの姿が消えています。「餃子持って、女のところに行ったんだよ」と藤子さんが言います。最後まで「遠慮する奴は嫌ぇだ」を繰り返す大沼さんと、改札越しに別れの抱擁を交わします。藤子さんは、足を悪くして実家に戻って来た息子と孫に、晩御飯の牛丼を買うために吉野家へ向かいました。私は酔いを覚ましてこの現実を整理するために、家まで歩いて帰ることにしました。
二日酔いで痛む頭のまま翌日も競輪場を訪れると、あんなに仲の良かった3人は、それぞれバラバラに、昨日とは違う人たちと競輪を楽しんでいました。私は大沼さんの隣に座り、昨夜の熱い抱擁を思い出しながら、今日の調子はどうですかと尋ねると「ん?誰だ、若僧」と躊躇なく言われたのでした。
波田野州平 Shuhei HatanoOfficial Site | Instagram
1980年鳥取生まれ、東京在住。
カメラを携え、各地で出会った未知の歓びを記録し、映画を作っています。
近作に『私はおぼえている』(2021)、『それはとにかくまぶしい』(2023)がある。