文・撮影 | 波田野州平
賭する人――西野さんの場合
西野さんはいつもひとりで競輪場にやってきます。ワンカップとアジフライ、ホルモンの串を買っていつもの席に座ります。出走表を眺めて、ワンカップの蓋をはがし、ひとくちすすると、競輪場に通うようになったあらましを、ゆっくりと話してくれました。
西野さんは中学を卒業した15歳で宮城から上京して、トラックの運転手を始めました。その頃はフォークリフトもクレーンもなく、荷物の積み下ろしは助手とふたり一組でやりました。新潟から出稼ぎに来ていた相棒のオヤジさんが博打好きで、競輪場の近くを通ると、必ず立ち寄って車券を買ったと言います。まだ競輪場にトラック専用の駐車場があった頃の話です。
初めて当てた車券の番号と金額は今でも覚えていると西野さんは言います。初めてなので、どの番号を買っていいのか見当がつかず、花札のカブの組み合わせを買いました。「しんごん」という4と5の2車単の車券を買うと、54,500円が戻ってきました。当時はトラックを1日転がして、1,000円の日給だったので、2ヶ月分以上の給料が一瞬で舞い込んできました。その時、体が震えたことは今でも忘れられない。そのせいで73歳になる今日までずっと、博打を続けていると。
その頃の競輪場には何万人もの人がいました。車券を買う窓口は手売りだったので、大きなレースは混雑して1点しか買えませんでした。行列に並んで、やっと買おうとすると「うちの飲み屋で買いな」、と知らない男に手を引っ張られます。その男のシャツの下からは菊の刺青がのぞいていました。そして予想が当たったので配当を受け取りに飲み屋へ戻ると、男はどこかへ消えていました。
その筋の人たちはレースも仕切っていて、競輪選手は決められた通りに八百長レースを進め、もし守らなければレース後には自転車が壊されました。時にはレース前に、「決まり通りに進めないと帰る頃には冷たくなるぞ」と脅しを受けることもありました。本命を背負って出走したものの、予定通りにレースを進められなかった選手が、レース後に北海道へ逃げて、そのまま当地で競輪を続けたということもありました。
ヤクザだけではなく、お客だって黙ってはいませんでした。本命を背負った選手が4着以下の着外になると、コースに火が投げ込まれることはしばしばで、大きなレースだと窓口に火がつけられました。機動隊が来るまでの30分の間にガラスが割られ、人々はスッた以上の札束を取り返しました。
窓口の行列にはスリもいました。だから金を3ヶ所に分けて隠して来るのが常で、それでもスられることがありました。スリにスられ、レースでもスって、帰る時にはすっからかんのオケラ街道でした。
その頃の選手の賞金は1着と2着の差が倍以上あったので、八百長ではないレースでは本気の勝負が展開されました。相手を落車させても失格ではなかったので、競う相手をレース中にぶん殴る選手もいて、もちろんレース後には喧嘩の続きが行われました。
選手たちは皆、競輪場の近くのアパートに住んでいました。夜になると集まって朝まで賭博麻雀をしていました。そのせいで金がなくなり、「賞金を持って帰んないと、かあちゃんに怒られるんだよ、頼むよ」と選手同士の人情で着順が決められることもありました。
予想通りの着順で、配当金が300円ほどしかつかない、固いレースと呼ばれるものがあります。そういうレースを狙って、大金をかける人たちがいました。本命が370円のレースに1,000万かけて、3,700万にして帰った人を見たことがあると西野さんは言います。関西から来た、やはりその筋の人でした。
そういう買い方をする人は今もいます。特別観覧席の人たちです。「連中は入場料を払って、2階にあるクーラーの効いた部屋へ行く。そしてガラス越しにレースを見下ろして、100万単位で賭けて、儲けてる」。そう言うと西野さんはアジフライを食べ終えた串を、2階の方へ向けました。「入場料を払うくらいなら、その分ひとつでも多く車券を買うよ」。
ある日、西野さんが競輪場からうちへ帰ると、机の上に書き置きがありました。「もうついていけません」。そう書かれた紙だけを残して、女房は姿を消しました。結婚して3ヶ月目のことでした。それでも西野さんは博打をやめることはありませんでした。仲間と競輪場に通い、酒を飲み、金を賭けました。中学を卒業してすぐ、父親がhi-lightを1箱買ってくれました。タバコを吸い、酒を覚えるのと同じで、博打をすることは、大人になるための階段のひとつだと思っていたと言います。「当時の仲間はもういない。みんな酒の飲み過ぎで逝っちまった」。そう言って西野さんは、ワンカップを飲み干します。「今じゃここに知り合いはいない。ひとりで来てひとりで帰るのが気楽でいいんだ。ここにいる人たちはみんな年寄りだから、自我が強いんだ。仲良くなんてなれないよ」。そしてポケットからもうワンカップ取り出して、じりじりと蓋を剥がしました。
波田野州平 Shuhei HatanoOfficial Site | Instagram
1980年鳥取生まれ、東京在住。
カメラを携え、各地で出会った未知の歓びを記録し、映画を作っています。
近作に『私はおぼえている』(2021)、『それはとにかくまぶしい』(2023)がある。