文・撮影 | 波田野州平
賭する人――富岡さんの場合
「ところでお兄さん、これはいないの?」
そう言って富岡さんは、右手の小指を立てました。
初夏の透き通った日差しの中を、はずれ車券が舞っています。私は競輪場に着くといつものように食堂前の椅子に陣取り、アジフライをかじりながら、話を聞かせてくれそうなおじさんを探します。そこへビール片手にやって来て、向かいに座ったのが富岡さんでした。富岡さんは私にビールを半分わけてくれて、そして今までひと通りやってきた競馬や競艇などの博打のことを話してくれました。その話がひと段落したとき、おもむろに小指を立てて、冒頭の問いを私に向けました。
富岡さんの最初の結婚は27歳のときでした。吉祥寺で声をかけた女性と付き合い、そのままめでたく結婚しました。その女性はある街の税務署長の令嬢で、結婚式はホテルオークラで挙げるというとても華やかなものでした。ふたりの間には子供が生まれ、幸せな暮らしが続きました。
今思うと、ここで「どうもありがとうございました。ビールごちそうさまっす」と話を終えておけば、私の胸中は穏やかだったのかもしれません。
結婚後も富岡さんは、せっせと他の女性に声をかけ続けました。そこで出会ったのが、丸の内の銀行職員の女性でした。富岡さんは妻子がいることを隠して交際を続けました。そのうちに、女性は結婚を求めるようになります。しかし富岡さんは「まあまあまあ」と真剣に取り合おうとしません。ある日、暖簾に腕押しの富岡さんを怪しんで、女性は市役所に富岡さんの住民票を取りに行きます。そこで全てが発覚し、関係はご破算となりました。もちろんそれは家族にも発覚し、奥さんと子供とも別れることになりました。
その後、本人曰く「蒸発」を何度も繰り返したと言います。そのひとつひとつが詳しく語られることはありませんでしたが、それもきっと女性とのいざこざのせいではないかと勝手に推測してしまいます。
ある時、富岡さんは仕事を求めて熱海の温泉旅館に住み込みました。そしてここでも「夏の忙しい時期が終わって、秋になって暇になると、ほら、元気が出てきちゃうじゃない」と独特の理屈をこねる富岡さん。「でさ、地元の後家さんとねんごろになっちゃってさ」と嬉しそうに当時を思い出しながら話します。「でさ、その後家さんには高校生の娘がいたんだよ。その娘が、おじちゃんお小遣いちょうだいって、決まって母親がいないときにおねだりしてくるんだよ。参っちゃうよね」と、少しも参っていない様子で話す富岡さん。漏れなくその娘さんともねんごろになってしまった富岡さんは、熱海にはいられなくなり、温泉旅館を後にすることになります。東京に戻ると、下井草のアパートにひとりで暮らしながら東京無線のタクシーを20年ほど転がしました。そしてそこで2度目の結婚をすることになります。
タクシー会社の同僚から「この女性と結婚するとお金をもらえる」と紹介されたのが、中国人の女性でした。富岡さんと同僚3人は、成田空港で知らない男から中国行きの飛行機に乗るように言われます。そして10万円ずつ手渡されたそうです。中国では、待っていた女性たちがそれぞれ男性を選び、一緒に市役所へ行き手続きを済ませます。「何の手続きなのか全然わかんなかったよ」という、なすがままの滞在を終えて日本へ帰ると、その女性から今度は100万円が手渡されたそうです。
日本でその女性と一緒に暮らすことはなかったと言います。すでに中国にいる子供をふたりの間に生まれた子供ということにして、無事日本国籍を取得すると別れを切り出されました。こうして富岡さん2度目の結婚が成立し、すぐに2度目の離婚も成立しました。そして「新しい女を紹介するから」と、その中国人の元妻が連れてきたのは、同じく中国人の女子大生でした。このとき富岡さんは50歳。そしてまた同じことが繰り返され、3度目の結婚と離婚が成立しました。
ここまで聞いて、私の頭の中には「丸腰」という言葉が浮かんでいました。出会ってまだ5分も経たない若造に、ここまであけすけに自分の女性遍歴を語れるものでしょうか。それも武勇伝を語るときの偉そうな様子ではなく、「自分のどうしようもなさに自分でも参っちゃうんだよ、ほんとにもぉ」と、植木 等のような様子で話しています。まだまだ一向に話が終わる気配はなく、中国人の元妻たちが池袋の違法マッサージ店で働いていたために逮捕されて、さらには強制送還され、富岡さんも参考人として21日間拘留されたことを、まるで楽しい修学旅行の思い出のように話しています。この人は一体なんなんでしょう。一体どこまで丸裸でいるつもりなのでしょう。お次はスナックのママとのねんごろ話が始まって、セルシオを買ってもらっただの、結婚の予定だったがママが癌で亡くなっただのと、一段と楽しそうに話しています。
「今はどうなんですか?」と聞いてみると、富岡さんは少し間を置いて数を数え始め、人差し指、中指、薬指と順番に3本の指を恥ずかしそうに立てました。ここまで来て恥ずかしがるのかとツッこみそうになったのですが、「ひとりは60歳くらいで、でもお兄さんくらいの歳に見えるんだよ、化粧ってのは化けるって書くけど、ありゃもうほんとだね。もうひとりは介護の仕事だから献身的でさ」と現状報告を活き活きと話す富岡さんに呆れて何も言葉が出ません。「最後のひとりは25歳でね、この娘が元気で、もう毎晩で」と告げられたときには、どうぞどうぞもうお好きにしなさい、となせだか私は清々しい気持ちになっていました。
競輪場に集まる人たちは隙を見せないどころか、隙だらけでそれをちっとも隠そうとしていません。だらしがないと一言で片付けられる彼らを、私はどうしても片付けることができません。富岡さんの所業も、「人生一度きりなんだから楽しまなくちゃ」という彼の一言で、そうなのかもしれないと納得させられそうになります。これまで話を聞いてきた人たちもそうでしたが、彼らの発する言葉には、彼らにしか持ち得ない説得力があります。彼らの人生の話を聞いていると、丸腰丸裸で生きる彼らに比べて、私は何枚着込んで、どれだけの武器を隠し持とうとしているのだろう、と自問してしまいます。
初めて立川競輪場を訪れた時、私はこの場所に異様なものを感じました。そして、その異様さに惹かれて、ここに通うようになったのは間違いありません。ただ、それだけが原因ではない気がします。矛盾するかもしれませんが、私はこの場所を初めて訪れた時、異様さと同時に、安らぎも感じていました。
「男は8000回やれるんだから、お兄さんもがんばんなよ」と、全くありがたくもない捨て台詞を残して去ろうとする富岡さんに年齢を聞くと、昭和18年生まれということでした。若々しい外見とのギャップに驚きながらも、どこかで聞き覚えがあるなと思ったその数字は、私の父親と同じものでした。
波田野州平 Shuhei HatanoOfficial Site | Instagram
1980年鳥取生まれ、東京在住。
カメラを携え、各地で出会った未知の歓びを記録し、映画を作っています。
近作に『私はおぼえている』(2021)、『それはとにかくまぶしい』(2023)がある。