Column「平らにのびる」


文・撮影 | 小嶋まり

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 何かしらの癖、というのは誰でも持っているものだと思う。小学校低学年の頃、いちばん仲の良かったみっちゃんは授業中に鉛筆をガジガジと齧る癖のある子だった。みっちゃんの筆箱の中にある鉛筆はぜんぶ、先っぽが噛み締められてでこぼこになっていた。ある日、みっちゃんのお母さんはこっそり、みっちゃんの筆箱の中に「みっちゃんが噛むと、とても痛いです。噛むのをやめてくれたら嬉しいな。えんぴつより」というメモを貼り、それを鉛筆からの手紙だと本当に信じ込んでしまうみっちゃんの純真無垢な性格も相まって、みっちゃんは鉛筆を齧る癖から卒業した。

 幼い頃、わたしには趣味に似たような癖があった。それは漫画やドラマ、映画で見つけたお気に入りのヒロインの名前をメモ帳に書き込む、ということだった。その数は手のひらサイズのメモ帳数冊がぎっしり埋まるほどになった。学校から帰ってきてひとりの時間があると、メモ帳の中からその日の気分でヒロインを選んでこっそり演じる、ということもやっていた。憧れの存在を体現できる上に幼い想像力は無敵で、支離滅裂な物語を脳内で躊躇なく展開していける楽しさに没頭した。ちなみにお気に入りのキャラクターは、『のび太の鉄人兵団』に出てくるリルルだった。

 その後も何かしら関心を持ったものをひたすら記録する、という癖は続いた。中高生の頃は映画を1週間に10本以上は見ていたので、そのタイトルを書き連ね、気になった俳優のリストを作り、その俳優たちへのファンレターの宛先も探し出してどんどん羅列していった。褒められたノート、というのもあって、髪がきれいだねとか行動力があるねとか、何か褒められることがあるとそのノートにいちいち書き込んでいた。

 あまり人に言えないこともメモに残していた。それは、今までわたしがキスかそれ以上の関係を持った人を記録する、ということだった。初体験を迎えてからそのアーカイヴは始まり、相手の名前と合わせて、どこまでの関係か、相性はどうだったか、という項目も作っていた。最初はこっそりとノートに書いていたけれど、そのうちExcelでそのリストを管理するようになった。整然とデータ化された性の記録は、手書きの生々しさを失い、甘かったり心地悪かったりといろんな感情が入り乱れる思い出のひとつひとつがただ淡々と無機質に羅列され、その色気のないフラットさが気に入っていた。

 先日、恋の行手に悩む奥手な友人と性について話していたときに、実は今までに関係があった人たちをリスト化して残してるんだよねー、と生まれて初めて暴露したら、ひとしきり盛り上がったので、恋人にもおもしろおかしくその話をしたら、なにそれ気持ちわるっ、言われ、まぁそれはごもっともだと思い、Excelに記されていたわたしの約23年間に及ぶ性の記録は、クリックひとつでこの世から抹消された。

 自分が蓄えたものが可視化され増えていくことは、わたしになんとも言えない満足感をもたらしてくれた。まっさらの状態から文字で埋め尽くされていくメモ帳やノートが束になり厚みを帯びていく度に、自分のアイデンティティが構築されていくような気分になった。自分というぼんやりとした存在が記録した文字によって浮き彫りになっていくような感覚。それは、わたしが一体何が好きで、何に興味があって、何を自信として生きていくかということを明確にしてくれた。長年に亘る性の記録も、いびつな見かたかもしれないけれど、主観では計りきれないわたしの性的魅力を示してくれるバロメータのように捉えていたと思う。何かピンときたことに関してつらつらと記録してしまう癖は、他者に干渉されることはなく、偏っていて、趣旨もはちゃめちゃだったけれど、精神的に満たしてわたしを支えてくれるものだったと思っている。

 ダグラス・クープランドの短編集『ライフ・アフター・ゴッド』に、30歳になる頃には新たな思い出は水いっぱいのコップに注がれて溢れ出る水のようになってしまい、新しい経験は以前と同じような衝撃をもって記憶されることはない、というようなことが書いてあった。たしかにクープランドの言う通り、30歳を超えたわたしは何かを記録することは少なくなってきたし、自分の在りかたについても若い頃に比べて自信を持つようになった。最近は、毎日食べたものをiPhoneのメモ帳に記録している。それは健康面の向上を目的としていて、気づけば6年分も溜まっていた。わたしの記録する、という癖は、自己満足を求めるというところから、いつの間にか実用的な目的を優先するようになっていた。大人になってあちらこちら軌道修正されたような気持ちになる。わたしが大人という括りから逃していたものを受け入れる器を、コップという限られたものから、もっとだだっ広く、海原くらい大きなものにしていきたいな、なんて思っている。

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正編 | トーチ (リイド社) 「生きる隙間
Photo ©小嶋まり小嶋まり Mari Kojima
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ライター、翻訳、写真など。
東京から島根へ移住したばかり。