Column「平らにのびる」


文・撮影 | 小嶋まり

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 久しぶりに就職した。2016年からはフリーランスとして仕事をしていたので6年ぶりのお勤めとなる。在宅で必要な時に仕事をこなし、夜遊びも飲みも外食も好きな時に徒歩圏内、自由自在だった渋谷にはもう住んでいない。物事の動きが緩やかな田舎に移り住んでから、久々にやりたい仕事を見つけそれに就くことができたので気分は高まっていたけれど、これまでわたしの生活の長所であった時間の自由が奪われることに恐怖を感じていた。今は、わたしだけではなく世話をしなくてはいけない犬もうさぎもいる。暑くなるにつれ加速して伸び放題になる庭の草刈りもある。畑に植えた野菜とりんごの木の水やりも。一軒家に住み始め、今までになかったタスクが課せられている。そんな中、会社勤めを基盤にした枠組みの中で、はたしてわたしは生きていけるのだろうか。そもそもそれができないから会社勤めを避け、なんとかフリーランスでやってきたんじゃなかったのだろうか。

 そんなことを考えているうちに、就業から1ヶ月以上あっという間に経過した。そして、今までにないほどすっきりと単調に日々を過ごしている。朝は6時に起きてストレッチをする。身体を思い切り伸ばすと気怠さが消える。これは、父が毎朝起きがけにストレッチしているのを真似して始めたところからわたしの日課になった。体を軽く動かした後は、身支度、朝日を浴びながら犬の散歩、生き物の世話、簡単なお弁当作り。それが終わると出勤まで1時間ほど余る。今までは予定の時間ギリギリまで睡眠を取り忙しなく過ごしていたので、朝に余白ができたことはなかった。そもそも、そういったことが自分にはできないと思っていた。今は、慌てふためくことのない朝の小一時間の中で、この文章を書いている。この後は出勤、帰宅は夜7時過ぎ。晩御飯を食べ、犬とうさぎの世話をしてから運動をしてお風呂に入り、本を読んだり好きなことをしてからできるだけ日をまたぐ前に寝る。SNSは1日1時間以上見ないよう制限がかけてある。新たな生活に順応するため、無駄を削ぎ落として生活をシンプルに整えている。

Photo ©小嶋まり

 ここ半年でわたしの生活は驚くほど変化した。流動的だった都会の暮らしを離れ地方に引っ越してきてから孤独を自分の活力へ変換するという作業を黙々と行なってきた。それは、ただ思い耽るのではなく、自分の心身をコントロールして日常に這わせる、というところに行き着いた。日課にかちりとはまるように動くことは、自己の主張を消すような、べったりとわたしにまとわりつくエゴから自身を引き剥がす作業のようである。それと同時に、仕事、家事、生き物の世話など単純作業の繰り返しの中、合間合間に存在する隙間をどれだけ自分のために費やす工夫ができるかを楽しめるようになってきた。隙を見ては縁側にテーブルを置いて、絵も描くようになった。

 決まりきった日々のルーティーンをこなすのは、何の興奮もない。ただ単調にこなしていく寡黙な作業だと思っている。そんな中でもそれをこなす自分を存分に褒めてあげることで有意義に過ごすことができると気付いた。毎朝6時きっかりに起きている。1ヶ月に100㎞走るというわたしの中のルールも達成できている。そういう小さな事柄を全うしたわたしを自ら讃えることで今までになかった自信が少しずつ生まれ始めている。継続できているという事実は、諦めがちなわたしの中に渦巻く不可能という言葉を遠ざけてくれる。

 生活を構築するため日々の決まりきった形をなぞる今の生活は、思いの外しっくりきているかもしれない。ルーティーンをこなすことは、潜在的な能力を肯定できる術なのかもしれないとも思う。以前、わたしにとってイレギュラーとは興奮材料でありそれに依存していた節も大きかった。精神的な疲れがそこから発生していることも多々あったと思う。今も相変わらず夜遊びや冒険は大好きだけれど、今のところは、日々の動きをきめ細やかに捉える視線でわたしの生活を見届けていきたい。

正編 | トーチ (リイド社) 「生きる隙間
Photo ©小嶋まり小嶋まり Mari Kojima
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ライター、翻訳、写真など。
東京から島根へ移住したばかり。