文・写真 | sunny sappa
こんにちは。今月は『人間の境界』というポーランドの映画をご紹介します。
ポーランド映画界といえば、アンジェイ・ワイダを筆頭にクシシュトフ・キェシロフスキや、以前の記事で『EO イーオー』(2023)を取り上げたイエジー・スコリモフスキ、ロマン・ポランスキーなど多くの巨匠が輩出しています。本作の監督アグニエシュカ・ホランドさんもそのひとり。経歴を見たら、なんと、『太陽と月に背いて』(1995)と『オリヴィエ オリヴィエ』(1992)を撮っている人なんですね!わーびっくり。というか、この2作が同監督とは知らなかった~。
『太陽と月に背いて』はフランスの詩人・ランボーとヴェルレーヌの愛憎乱れる関係を描いた作品。若き日のディカプリオがランボーを演じていて当時話題になっておました。シネスイッチ銀座で上映されてたっけ?なんか懐かしいなぁ。そして、『オリヴィエ オリヴィエ』は個人的なトラウマ映画として記憶されていましてね……。太陽が燦々としている南仏のすごく綺麗な田園風景が舞台なのに、なんだかやたらと不気味で、すごく怖い映画だったんですよ……。その昔NHKの「BS映画劇場」でたまたま観て、もう1回観直してみたいけど、配信やDVDなどもないから、幻の作品になっています(思い出したらさらに観たくなってきた……!)。最近の作品では、ナチス政権下のポーランドで水道工事をしている普通のおじさんが下水道にユダヤ人を匿って救ったという実話『ソハの地下水道』(2011)や、ロシアとウクライナの歴史を扱った2019年の『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(こちらはまだ観ていなくて、配信待ち)が記憶に新しいです。他にも、少し前にリヴァイヴァル上映されていた『僕を愛したふたつの国 / ヨーロッパ ヨーロッパ』(1991)もありました(こちらも未観ですが……)。こんな感じでアグニエシュカ・ホランドさんは印象深い作品をたくさん撮っていて、ポーランド国内外で活躍する超ベテラン女性監督。なんと現在86歳ですって!
前置きが長くなってしまいたが、本作『人間の境界』は、ぜひ多くの人に、でも心して観てほしい……非情な現実を突きつけられる厳しい作品です。あらすじざっくり↓
「ベラルーシを経由してポーランド国境を渡れば、安全にヨーロッパに入ることができる」という情報を信じて祖国を脱出した、幼い子どもを連れたシリア人家族。しかし、亡命を求め国境の森までたどり着いた彼らを待ち受けていたのは、武装した国境警備隊だった…。
――オフィシャル・サイトより
これはね、ポーランドとベラルーシの間にある森で起こっている実際の出来事についてのお話なんです。2021年というから最近の話なのに全く知らなかった……。悪名高きベラルーシの首相・ルカシェンコが、社会情勢や宗教の問題で自国にいられなくなった中東、アフリカなどのいわゆる難民の人々を“人間兵器”として扱ったEUへの攻撃政策。簡単に説明すると、ヨーロッパへの移住を希望する難民の人たちを騙して集め、国境に連れて行って「はい、ここからヨーロッパだよ、ほら、行きなー!」って有刺鉄線をくぐらせて非合法的にポーランドへ越境させるんだけど、そこにはポーランドの国境警備隊が待機していて、またベラルーシに追い返すという両国での押し付け合い(= プッシュバック)が繰り返されているというのです。そこにはすさまじい暴力や危険が伴っており、命を落とす人がたくさん出ている。もちろん、そもそも悪いのはルカシェンコだとしても、ポーランド側も酷い。ウクライナからの避難民に見せる寛容とは裏腹に、この非人道的で人種差別的な国の対応は、国民に知らされず、国境付近を立ち入り禁止にして完全に隠蔽されていたのです。ホランド監督はこの実情を、徹底した取材を基に映画化して告発。国からの圧力を受ける一方、共鳴した多くの映画関係者や国民からの賛同を得て上映された作品です。
さて、物語は大きく3つの視点で構成されています。1つ目は小さな子供やお爺さんもいるシリアの家族と、そこに同行するアフガニスタンの女性。過酷な寒さ、空腹、不安、そして迫害と暴力の中でなんとか生き延びようとします。2つ目はポーランドの国境警備隊の青年。子供が生まれるので安定した生活のためにこの職に就きますが、現実を目の当たりにして葛藤します。3つ目は難民救済機関の活動家たちと、そこに加わる国境地帯に暮らす医師の女性です。見つかると摘発されるので、法的な限界がある中で食事や医療の提供をしていますが……。ドキュメンタリー・タッチの生々しい表現によって、この3つのパートの登場人物たちに迫られた状況を擬似体験させられる仕組みになっており、どの立場でも感情移入ができてしまう……。決して一方的な見解で語らず、相対的に見せたり、交わったりと多角化することで私たち観客をより一層深い思考へと導きます。
映画は、人々が体験を共有し、未知の世界や恐ろしい世界への共感を育むために存在します。映画は不合理な恐怖を和らげ、個人の経験を超越したある種の感情を育むためにあるのです
とパンフレットに掲載された監督の言葉にありますが、映画の役割と可能性、またジャーナリズムを駆使し、恐ろしい映画体験を生み出すことで、観る人誰もに響く作品になっています。感情を煽るような演出は別段ないのに心が揺さぶられ、終盤に訪れるほんの小さな希望の描写にさえ、大きな感動があります。
公開規模も小さく、映画にこういったキツめの要素や社会的な内容を求めない人も多いかもしれないけれど、私はできるだけたくさんの人が観て、考えてほしいですね。もし自分だったら……?そして、タイトルの『人間の境界』とはどういうことなのか……??
この映画で描かれるのはポーランドとベラルーシの間で起こっている一連の出来事ですが、断片的に砕けば、世界中で(日本でも)何かしら同じような事例や状況って本当にたくさんあるよな……と改めて感じます。都合の悪い事はすぐ隠すしね。比べているわけではないんですけど、アカデミー作品賞を受賞したクリストファー・ノーランの『オッペンハイマー』は、オッペンハイマーという人物の内面に徹底してフォーカスし、かつ監督の作家性も十二分に発揮された申し分のない作りの興味深い作品だったと思います。構造上、広島 / 長崎の描写がないのも断然納得できるし。ただ、“反核”や“反戦”のメッセージを多くの人に分かりやすく伝え、訴えるような主旨のものではないですよね。また、マンハッタン計画の一番の問題である国家的な“隠蔽”についての言及がほとんどなかったことに私は違和感を覚えずにはいられなかったけれど……。皆さんはどうでしたか?
■ 2024年5月3日(金)公開
『人間の境界』
東京・有楽町 TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
https://transformer.co.jp/m/ningennokyoukai/
[監督]
アグニエシュカ・ホランド
[出演]
ジャラル・アルタウィル / マヤ・オスタシェフスカ
日本語字幕: 額賀深雪
配給: トランスフォーマー
2023年 | ポーランド・フランス・チェコ・ベルギー | ポーランド語・アラビア語・英語・フランス語 | 152分 | G | ビスタ | カラー・モノクロ | 5.1ch | 原題: Zielona Granica / 英題: Green Border
©2023 Metro Lato Sp. z o.o., Blick Productions SAS, Marlene Film Production s.r.o., Beluga Tree SA, Canal+ Polska S.A., dFlights Sp. z o.o., Česká televize, Mazovia Institute of Culture
東京の下町出身。音楽と映画、アートを愛する(大人)女子。
1990年代からDJ / 選曲家としても活動。ジャンルを問わないオルタナティヴなスタイルが持ち味で、2017年には「FUJI ROCK FESTIVAL」PYRAMID GARDENにも出演。
スパイス料理とTHE SMITHSとディスクユニオンが大好き。