Interview | 徳利


完全に“徳利になった”

 福岡出身、現在は拠点を東京に移し活動を続けるラッパー、徳利の1stアルバム『REVOLUTION』が2020年3月に発表された。Yasterize、KOITAMA、Soakubeats、poivre、tofubeats、duct from PSB(以下 ダクト)ら、本人とも親交の深いプロデューサー陣のバックアップにより完成した全7曲からなる本作。2017年、自身のTwitterアカウントでツイートされた「来年アルバム出します」という言葉から3年ののちに発表されたこのアルバムは、作品全体が持つポジティヴかつファニーなイメージからは想像もできない、徳利による長期にわたる自己対峙の末に産み落とされた努力と涙の結晶である。はたしてアルバム制作の3年間は彼にとってどんなものだったのだろうか。インタビューは新型コロナウィルス対策の特別措置法に基づく緊急事態宣言下の4月某日夜、オンラインにて行われた。

取材・文 | 高橋圭太 | 2020年4月
写真提供 | 徳利

――今回のインタビューでは『REVOLUTION』にまつわるお話を中心に訊こうと思っています。まず『REVOLUTION』の制作において、いちばん古い記憶ってなんですか?
 「2018年か2017年だったかな。“来年、アルバム出します”みたいなツイートをしたのは記憶してます。ああ、2017年の8月11日ですね。

これは自分がまだ福岡にいた頃、つどいってお店でON AIRのメンバーのZMURFと飲んでいるときに、“徳利くん、そろそろアルバムとかどうですか?宣言しないと出さないんじゃないですか?”って言われて。ちょっとけしかけられた部分もあるんですけど。酒が入っていたというのもあって、勢いでツイートしちゃって。そしたらけっこうリアクションがあったんですよね。ECDさんやツボイさん(Illicit Tsuboi)も反応してくれたんで、そこから急にリアリティを帯びだしたって感じですね。それがアルバムにまつわる最初の記憶かも。そのときはどんな作品になるかとかはまだ何も見えてなかったんですけど」

――アルバム以前には、2017年にミックステープ『FDH』も発表していますが、徳利さんのなかでミックステープとアルバムの違いはどんなところにあると思いますか?
 「やっぱり自分のなかでアルバムっていうものは“特別なもの”ってイメージがあって。『FDH』はビートジャックというのもあったし、勢いでできるところがあるけど、アルバムはゼロから頼みたい人にお願いして作るみたいなイメージがあって。そういう感じの作り方は、まとまった音源としてはやったことがなかったんで、大変なものを作るってイメージがあったんです。自分自身、アルバムを作るっていうのは活動を始めた頃から願望としてあって、2013年にSoakubeatsさんが福岡に遊びに来たことがあったんですよ。そのときにアルバムの作り方を相談したことがありましたね。そこから7、8年経ってるんで、Soakubeatsさんからは“実質、1年に1曲ずつ作って、やっと完成したんやで”みたいなことを言われてます」

――アルバム制作を宣言した当時は、どんな作品になると想定していました?
 「初めてのライヴから6、7年くらい経つんですけど、これまではしっかりした音源とかがないまま呼んでもらってたわけですよ。そういうのを踏まえて、これまで関わってくれた人たちに頼むことでいったん総括、みたいな。そういうニュアンスのアルバムにしたいというイメージは最初からありました」

――じゃあ当時から根本の部分は変わらず?
 「そこに関してはブレなかったですね」

――実際にアルバムを作るにあたって、どこから着手したんですか?
 「まずは頼みたいトラックメイカーを書き出して、その人たちにメールで連絡していくというのが最初。最終的に形になった今回の7曲以外にも作ってもらった曲はあるんですよ。収録できなかった曲もあって」

――徳利さんが福岡から上京したのはいつでしたっけ?
 「2018年の4月くらいですね」

徳利

――2018年の5月にT.R.E.A.M.(* 1)のイベント(* 2)で上京したての徳利さんに会って“アルバムを作ろうと思ってるんですよね”って話をしたのを覚えてますね。
 「田中面舞踏会とかを通してお世話になった人たちに、アルバムを作ろうと思ってるって話をしましたね。どんなトラックメイカーにやってもらおうかっていうのを相談してたと思います」
* 1 徳利も出演した不定期イベント「田中面舞踏会」を主宰するクルー
* 2 2018年5月18日に東京・渋谷16にて開催された「JUNGLE PLAZA」

――東京には当時やっていた仕事の転勤で住むことになったんですよね。
 「実際のところはそうなんですけど、それは表向きには言ってなくて。みんなは徳利活動をがんばるために上京してきたと思ってた感じだったので、そっとしておきましたね。まあ、その意味合いももちろんあるんで間違いではないんですが。だから東京に出てきて、最初は制作もスムーズにやれると思ってたんですけど、そこからアルバム制作で悩んでいるうちに2018年の年末には仕事もやめることになって。どんどん追い詰められていったという」

――アルバム宣言をしてから、上京して、2018年には仕事を退職。波乱の3年でしたね。
 「2018年末に仕事をやめて、2019年は1年間ずっと『REVOLUTION』のことを考えてました」

――ちなみに制作当初はどのくらいで完成すると思ってたんですか?
 「少なくとも半年くらいでできると思ってましたね。マジで」

――ハハハハハハ!
 「なんかいけるっしょ、みたいに思ってたんですよね。そのときは」

――工程の中で一番ネックだったのはどこだったんでしょう?
 「トラック自体はだいぶ早い段階で揃ってたんですよ、2018年にはほとんどあったので。だからもう手が止まったのは完全にリリックの部分ですね」

――なるほど。具体的に歌詞のどんな部分でつまづいていたんでしょう?
 「これまで自分がやってきた曲の作り方って、“清澄白河”だったり、ああいうもともとあるものをリミックスしたりという感じだったんで。トラックメイカーが作ったものからリリックを考え始めるっていうこと自体ほとんどやったことがなかったんです。しかも基本はネットだけのやり取りになるわけです。綿密なコミュニケーションは取れていなかったかもしれないですね。いただいたトラックで考えなきゃいけない、ここをこうしてくれ、みたいな注文もそもそもしていいかわからなかったですし」

――実際にラッパーとトラックメイカーの作業工程として、ラッパー側からも尺を伸ばしてくださいとか、ここの音を抜いてくださいとか、細かくディスカッションしながら作っていかなきゃですもんね。
 「そうですね。でも当初はいただいたトラックのまんま、尺もそのままで、それをどう埋めようかって考えてたんで。それが十数曲あるわけじゃないですか。もうだだっ広い荒野でどうしようみたいな感じになってたっていうか。そもそもの進め方がわからないというレベルだったかもしれない。しかも自分の性分として同時並行で作業もできなくて。ひとつずつ終わらせていけばよかったんですけど、その最初のひとつをどれにしようか決められない、みたいな感じでしたね」

――停滞していたプロジェクトが改めて動き出したきっかけは「大徳利展」(* 3)
 「そうですね。“大徳利展”に至るまでに、ON AIRのみんなだったり、自分の彼女だったり、“ニクラジ”(* 4)のD山だったり、いろんな人からプレッシャーというか、進捗を聞かれるわけじゃないですか。それをふわっと“いやぁ、やってますやってます”みたく答えてたんですけど。そもそも“大徳利展”は当初、アルバムの発表後にやる予定だったんですよ。でも結局は主たるアルバムができてないまま、イベントの日を迎えて。制作で焦った気持ちを持ちながらイベントの準備もしなきゃいけないという、究極に追い詰められてた時期で。みんなに合わす顔がないというか。前提としてやらないといけないことをやってないのに“イベントに来てください”って言っている自分にすごい罪悪感があって。そんななか、“大徳利展”内でニクラジの公開録音というのがあって、そこにアルバムでも楽曲制作をお願いしていたtofubeatsさん、杉生さん(aka CE$ | tofubeatsマネージャー | she luv it)と、カメラマンのyokochingさんがサプライズで登壇するという企画があって。そのとき、もう終わったなって思って」
* 3 2019年6月14日-6月26日、東京・原宿 トーキョーカルチャート by ビームスで開催された徳利による個展
* 4 徳利が定期更新するポッドキャスト番組「Knee Crisis Radio」

――ハハハ。徳利さんはゲストに関して一切聞いてなかった?
 「はい。もちろんそこでは制作の遅れの話になるわけです(* 5)。まぁ、もとはといえば自分がまいた種なんですが、そんな人前で恥をかくことって、この歳であんまりないと思うんですよ。それに本当に食らって。すぐにちゃんとしようって思えないくらいダメージがデカくって、“生きててすみません”くらいの感じになったんですけど。でも、食らってばっかじゃいられないんで、“大徳利展”の会期中に2曲完成させて。それがtofuさんに提供してもらった曲とダクトさんに提供してもらった曲なんですけど」
* 5 この公開録音の模様は「Knee Crisis Radio」の過去アーカイヴより視聴可能

――「きらめく」と「Birthday」ですね。
 「そうですね」

徳利

――「大徳利展」を契機に改めて制作がスタートするわけですけど、そこから完成まででいちばんハードだったのはどのタイミングですか?
 「“大徳利展”が終わってから、夏が来たんですよ。あれだけ公開録音でケツを叩かれたのに、また悶々とする時期に入っちゃって」

――ハハハハハ!まだ動かない。
 「外は夏だから楽しそうなのに、自分はやっぱりイベントとかにも行きづらいというか。“あれだけ言われたら当然やってるんですよね?”って言われるのもイヤで。まぁ、そういう意味では自意識過剰にもなってたと思いますね。だからその時期がいちばんハードでしたね。今思い返しても記憶があまりないんですよ。ただ、少しでも動画とかを撮ったりして、やってる感を出そうとしてた。ごまかしてる時期。家での作業は行き詰まるから、苦し紛れに作業場所を探したりしてました。しかも、そんななかでもニクラジは更新しなきゃいけないわけで」

――当時のニクラジは明らかに徳利さんのトークのトーンが落ちてましたよねぇ。
 「そうなんです。アルバムのことは絶対しゃべりたくない、本当に聞いてくれるなって雰囲気を出してた。で、定期的にON AIRのメンバーとも会ったりしなきゃいけないから、もうみんな腫れものを触るような感じで」

――フフフ。いよいよという感じになって。
 「いよいよな状況になって。そこから2019年の年末まではずっと辛かったですね」

――そこで思いっきり落ちたメンタルを持ち直すきっかけはなんだったんですか?
 「2019年の11月くらいまでそんな状態がずっと続いてて。そのあいだにダクトさんの家に行って相談したりしつつも、なかなか手が動かないみたいな感じだったんです。で、11月の後半に杉生さんから“ぶっちゃけ進捗どうですか”っていう連絡があって。トラックにも鮮度があるから、そこまで時間がかかると困るっていうのがtofuさん側もあったと思うんで、その連絡が最後通告みたいな感じだったと思います。そこで最後のチャンスをもらって。それがきっかけで本当にケツに火がついて、レコーディングもtofuさんのスタジオでさせてもらうという話になって。それが12月。だから実質1ヶ月で仕上げたって感じですよ。すでにある程度まで完成していた“きらめく”と“Birthday”を100%にして、残りの曲も12月中に仕上げました」

徳利

――ちなみに杉生さんからの最後通告が来た時点でアルバムはどのくらいの完成度だったんでしょう。
 「30%くらいだったと思いますね。だからもうアルバムって形はあきらめて“きらめく”と“Birthday”とあと1曲くらいでリリースしちゃおうって話になってたくらい」

――そうなんですね。
 「とにかく終わらせよう、みたいな。だから残りの曲はほんとに駆け込みで。自分は追い詰められないとできない性格なんでしょうね。最後はそれまで書きためてた歌詞の破片を集中してまとめた感じです」

――手は動いてなかったけど、そこまでに蓄積していたなにかはあったという。
 「そうですね。結局苦しんでた時期にやってたことは最終的には歌詞とかに反映されている気はします」

――素晴らしい。さて、ようやく本題のアルバム『REVOLUTION』の話をさせてもらおうかなと。まず今回の制作でいちばん難産だった曲を教えてください。
 「1曲目の“REVOLUTION”じゃないですかね。今回のアルバムを作るにあたって、自分に関わっていただいたことのあるトラックメイカーに依頼したいというのがあったので、以前“デジタル織田無道”という曲を作ってもらったYasterizeさんにお願いしました。自分が映画『ロッキー』が好きというのもあって、その雰囲気をまとった曲を作りたいなって思ったときに、Yasterizeさんもシルベスター・スタローンが好きなのでぜひお願いしたいと。“どういうトラックにしたいですか?”って訊かれたときに、『ロッキー』みたいな曲にしたいっていうストレートな発注をして。今回の制作で唯一トラックのイメージを自分から伝えて作ってもらった曲ですね」

――『ロッキー』シリーズの後継作『クリード』のサウンドトラックに「ロッキーのテーマ」をサンプリングした楽曲がありましたよね。
 「Futureの“Last Breath”ですね」

――あの曲のイメージがベースにあるのかなと思ったのですが。
 「完全にそうですね。めっちゃ好きな曲で。あの曲が纏っている、自分の内面と対峙するみたいな雰囲気を自分のアルバムでやりたかったというか。徳利のキャラクターってコミカルなイメージがあると思うんですけど、そのイメージを更新するような、もうちょっとシリアスな楽曲を入れたかったんですよね。だからこそ作るのは大変でした」

――では、逆にいちばん時間がかからずできた楽曲は?
 「“Nicolas”ですね。これはSoakubeatsさんのトラックなんですけど、事前に候補の曲をいろいろいただいてて。そのなかでも“Nicolas”のトラックはいい意味で浮いてた。ただ最初はSoakubeatsさんの別のトラックでやろうとしてて。でも、そのトラックではなかなか歌詞が書けなかったりして、そんなときに“Nicolas”のトラックのメロディが自分のなかでよみがえってきた。最初に聴いたときになんとなくメロディが浮かんでたんですが、時間が経って“やっぱあれ間違ってなかったよな”みたいな感じになって。それで改めてそのトラックをキープさせてもらったという感じです」

――それが小袋(成彬)さんに響いた(* 6)というのもおもしろいですよね。
 「いや、ほんとそうですね。いろんな人が言ってると思うんですけど、時間をかければいいっていうものでもないというか。時間をかけていいものを作るのもすごいことだと思うんですけど、反面、短い時間でできた曲の魅力もあるよなと。だってこの曲、ニコラス・ケイジの絵を買ったって話しかしてないですからね」
* 6 小袋成彬がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組「MUSIC HUB」で「Nicolas」をオンエアした

徳利

――ハハハ。実際に買った絵なんですよね?
 「はい。そういえばあの絵、SNSにも上げてないし、まだだれにも見せてないですね。竹内俊太郎さんっていうアーティストの方が描いた絵なんですが。ON AIRがきっかけでつながった縁で、竹内さんにもアルバムの相談とかをしていました。国内外のいろいろな著名人を描かれていて、そのなかにニコラス・ケイジの絵もあって。それがなぜかピンときて買わせていただいたんです。アート作品を買うっていうはじめての経験だったんで、それをリリックにしたっていう」

――なるほど。ほかにも本作にはKOITAMAさんのトラックが2曲チョイスされてますね。KOITAMAさんとの出会いは?
 「2014年ですね。自分が出演した“AMAZON”というイベント(* 7)があったんですが、そのときにKOITAMAさんも出演されてて。2019年の序盤にとあるイベントで久しぶりにお会いして、アルバムを作ってるんですって話をしました。その場でKOITAMAさんが最近作ってる曲をiPhoneで聴かせてもらったらピンときたんですよね。そこから話を進めて、という感じでしたね」
* 7 2014年3月15日に東京・新宿 LOFTで開催

――「あの頃」のトラックを提供したpoivreさんは、どのような経緯で?
 「poivreさんは長崎在住の方で、2017年のアルバム作ります宣言のときにDMで“いつでもトラック作れますんで”みたいな連絡をいただいてて。徳利としての活動をはじめたときからずっとTwitterで相互フォローの状態ではあったんです。一度佐賀でのイベントでお会いしていて。それで2019年の秋くらいにpoivreさんのほうから“アルバム進んでますか?”みたいな連絡があったんです。その連絡といっしょにトラックも送ってくれて。そのなかに“あの頃”のトラックが入ってたんですよね。新しい風が吹いたというか、ちょっと語りっぽい静かな感じの曲が作れそうだなってピンときたんで、急遽お願いしてアルバムに収録しました」

――「あの頃」は過去を顧みる内容のリリックで、アルバムのなかではいちばん“徳利の手紙”に近いニュアンスを感じました。
 「そうですね。フローとかを気にせず、ストーリーテリングの方向でやる、みたいな。“徳利の手紙”とほかのラップ曲の中間というイメージで作った曲です」

――この曲のもうひとつの白眉はアウトロですね。この曲をtofuさんのスタジオで録音したとき、自分も見学しに行ってたんですが、tofuさんがレコーディングを止めずに録ったものがそのまま使われてて笑いました。
 「自分のヴァースを録り終わってトラックも最後まで流れたのに、tofuさんから“いや、もうちょっといけます”みたいな感じに言われて。それでひねりだした苦肉のフレーズですね。自分の彼女からはあの曲のアウトロについて“ほんと聴いてらんない”みたいな感じで言われましたね。追い詰められた人間はああなってしまうっていう」

――ハハハハハ!完全に困ってましたもんね。
 「“メモリー”とか言ってますからね。それもtofuさんのスタジオワークの賜物というか。今回のアルバムってスキットとかはないんですけど、あの部分がスキットっぽく機能してますよね。“緊張と緩和”の緩和があそこに入っているかなって。あれはあれで徳利っぽい」

徳利

――tofuさんのスタジオでのレコーディングはいかがでしたか?
 「tofuさんのスタジオは、よりスタジオ然としてて、なによりボーカル録音用のブースがあるので、なおさら緊張しますよね。スケジュール的にも瀬戸際だったんで、むちゃくちゃ追い詰められてました。今日で絶対終わらせないといけない、みたいな感じで」

――自分は外野として録音風景にお邪魔しただけですが、徳利さんの悲壮感というか、口数の少なさに緊張してるんじゃないかなとは思っていました。レコーディング中に徳利さんのポケットの中でボールペンのインクが漏れだすという謎の事件もあったし。あれ、今考えると“そんなことある?”って感じですよね。
 「録音に際してtofuさんが歌詞をプリントアウトしてくれてたので、そこにメモるためにボールペンをポケットに入れてたんですよ。そしたらペンのインク側の栓が抜けて、全部ポケットのなかでこぼれてたという。それすら気づいていないくらい追い詰められてたみたいで、いつのまにか手がめちゃめちゃ真っ黒になってて」

――怖かったですよ。
 「ハハハハ!いろんな意味で怖いですよねぇ」

――アルバムの話題に戻りましょう。今回のアルバム・タイトルは『REVOLUTION』ですが、このタイトルはどのように?
 「東京のON AIRのスタジオでみんなと話してたときに、タイトルをどうするかって話になったんですよ。自分の異名の“博多のナポレオン・ダイナマイト”から派生して、ナポレオンといえば革命、革命といえば、って考えたときに、Dragon Ashの『Viva La Revolution』が真っ先に思い浮かんで。それなら『REVOLUTION』かなっていう。だから最初はジャケットも『Viva La Revolution』のジャケットみたいな絵画にしようってなってたんですけど、結局その案はなくなりましたね」

――ハハハハ。
 「Dragon Ashはもろに影響を受けてるとかではないんですけど、中学時代とかに当然のように存在してて、みんなが聴いていた音楽だったんで。そのDragon Ashのイメージとナポレオンがシンクロして、『REVOLUTION』ってタイトルになった。自分としても大きな点を打つってイメージがあったんでピッタリだなって」

――無駄に仰々しい感じとか、壮大な感じはすごく徳利さんっぽいなと思いました。
 「今『REVOLUTION』なんてタイトルでアルバムを出すやつなんかいないだろうって思って。だから制作してるあいだに、ほかのアーティストが『REVOLUTION』ってアルバムを出さないかビクビクしてました。タイトルかぶりたくないなと思って。結局大丈夫でしたけど」

――タイトルの妙に負けず劣らず、ジャケットのインパクトも強いですよね。デザインとコンセプトはREOKIさんが担当されてます。
 「REOKIの最初のイメージでは“大徳利展”のときに自分のへその緒を展示してたことから、へその緒をジャケットにしようとしてましたね。でも、それだとシリアスすぎるなと思ったんですよ。それで、もう1回考えようみたいになって、そこからひねりだしたのが映画『マトリックス』で主人公のネオが飛んでるイメージだったんですよね。“突き抜けたイメージがいいかなと思いました”って連絡があって、自分もそれがいいなと思ったので、こういう直球なビジュアルになったという。REOKIはREOKIでインタビューしたらおもしろい話があるかもしれません。そういえば彼からネオと徳利のシンクロについて熱いメールが来たりもしましたね。“ネオ(NEO)という名前はワン(ONE)のアナグラムから名付けられたとされている、Twitterのアカウント名のleetokから徳利という名前が生まれたように”みたいな感じの」

徳利

――ハハハハ。
 「こじつけっていうと言い方が悪いですけど、こういう話は自分も好きなんで。無意識でやっていることや選んでいることが実際は意味があって、みたいな話には感じるものがあるし、そういう意味でも彼に頼んでよかったなって思います。いいジャケットができたから、アルバムのリリース予告とジャケット画像をツイートした時点で、もうリリースしたくらいの満足感がありました。そこでいいリアクションがあって、いったんホッとしたのが正直なところです」

――加えて今回のアルバムで重要なポジションを担っていたダクトさんの関わり方についても教えてください。ダクトさんとはどういったやり取りを経てアルバム作りを進めていったんでしょう。
 「ダクトさんは“THE END”(2013年6月30日 東京・代官山 SALOON)での最初のライヴからバックDJをお願いしていて。曲でも“OVER THE END ~終わりの向こう側~”を作ってもらったりという経緯もあり、今回のアルバムでもアドヴァイス含め、全体を見てもらいたいということを当初からお願いしてました。基本的には監督みたいな存在。トラックメイカーの人選から全部報告して、その都度アドヴァイスをもらって、という感じでしたね。制作の早い段階からエクセルで進行表を作ってくれたりして。徳利がそういうのを作って仕事みたいにしないとできない人間っていうのがわかってるんでしょうね。とはいえ、それもけっこう途中で頓挫してしまっているんですけど。それが2018年くらい」

――いろいろあってリスケの嵐になって。
 「リスケしまくって。ふつうの案件ならもうとっくに終わってるというか、なしになってますよね。それがいろんな人の寛大な心によって形になり」

――ダクトさんも途中で見放さずに最後までずっと付き合ってくれたということですね。
 「そうですね。アルバム制作が止まってる時期にもライヴのオファーとかをいただいてて、ダクトさんにバックDJをお願いするわけですけど、会うのも気が重いなっていうのがあって。でも、ダクトさんも気を使ってくれて“どうなってんの?”みたいなことは言われなかったんですけど」

――ダクトさんからのアドヴァイスで印象に残っている言葉はありますか?
 「けっこうありましたね。“徳利がやりたくてはじめたことだから、徳利のタイミングで進めていったらいいんじゃない”っていうのはよく言ってくれてましたね。カッコつけようとしてる部分があったら“自分に正直に、まじめに向き合って出した言葉で作ったほうがいいんじゃない”って言ってくれたり。ダクトさんから催促みたいなのはほぼなかったかもですね。プロデューサーとしてのサポート、監督としてのサポート、メンタル的な部分のアドヴァイスとか、多角的にサポートしてくれる存在でした」

――ある意味でメンターでもあった。
 「そうですね」

徳利

――今回のアルバムはいろいろな人に支えてもらってできているなと話を聞いて思っているんですが、表向きにクレジットされてない影の功労者、アルバムに大きな影響を与えた人を挙げるなら?
 「そうですね。母親と彼女ですかね」

――お母さまはどういった面で?
 「アルバムができないってなってるあいだ、いろんな人に迷惑をかけてるわけじゃないですか。でも、ふと自分の人生ってこういうことの連続だったんじゃないかって思いだして。自立する前まであきらめずに面倒を見てくれてたのがやっぱり母親だったなって思って。徳利になるまでも、こういうダメな部分があたりまえのようにあったと思うんですけど、それを教育しようとあきらめなかったのは母親だったわけですよね。いろんな人に迷惑をかけ続けて生きているんだけど、それをいちばんかけてたのは母親だったなぁ、みたいな」

――彼女さんに関しては?
 「彼女であり、自分に対していちばん広い心で接してくれてる存在ですね。彼女は自分が徳利として活動してから出会っていて。最初のきっかけはニクラジで。だから徳利のことも理解しつつ、徳利のなかの人のことも理解しつつ、どっちに対してもあきらめずに叱咤激励し続けてくれてますね。具体的に“この曲、こうしたほうがいいんじゃない”みたいに言ったりするわけじゃないけど、でもいてくれたら助かる、みたいな」

――徳利さんが追い詰められているタイミングに、彼女さんはどんな言葉をかけてくれましたか?
 「気を使って、あえてアルバムの話はそんなにしてこなかったんじゃないかな。けど、“やっぱりわたしが言わないと”みたいなところはあって、彼女に対していろんな悩みを話してたときに“でも、やっぱりアルバム出すしかないっしょ”みたいなことをことあるごとに言ってくれてましたね」

――彼女さんは『REVOLUTION』を聴いてどんな感想を持ったんでしょうね。
 「なんかサラッとしてるのがいいなと思うんですよね、彼女に関しては。“わたしは曲とかはよくわからないから”みたいな感じ。すごくフラットな感じでいてくれて」

徳利

――お母さまにもアルバムが完成したことは報告しましたか。
 「言ったんですけど“CDじゃないからわからない”みたいなことを言われて」

――フフフ。ふたりともサラッとした感じの反応という。
 「なんかそういうレベルじゃないところで支えてくれている感じがしますね」

――今後の音楽生活を考えたら1枚目だし、これからまだまだ続けるじゃん、みたいなことでもあるかもしれないですね。
 「そうですね。まだまだっしょ、みたいなところがあると思うんですよね。うん」

――なるほど。素晴らしいですね。
 「むちゃくちゃ迷惑かけてますからね、ほんとに」

――ところで、ニクラジもずっと更新を続けてたわけじゃないですか。ニクラジがアルバムに与えた影響はありますか?
 「ありますね。そんなに頻繁に来るわけじゃないですけど、リスナーからのメールで“アルバム楽しみにしてます”とか、そういうのをメールを通して伝えてもらってたし、D山も“アルバムどうなってんの?”ってあきらめず確認してくれるというか。D山は“大徳利展”の公開録音とかもあったので、その後の進捗をリスナーに説明するのも義務なんじゃないかって思ってたんじゃないですかね。だから、ラジオを通してD山だから聞けるってこともあったと思うし、それを担っていたと思うんですね。リスナーと徳利の間に入っている人というか」

徳利

――ニクラジを聞いてて、D山さんの徳利さんへの愛情も深いなというのは毎度思っていて。もちろん学生時代からの腐れ縁というのもあるし、なかなかラジオでストレートには言わないとは思いますが。
 「憎まれ役を引き受けてくれてると思いますよ。ラジオのなかではあえて優しさゆえに言ってくれてるイジリみたいなのも、こっちはほんとにイラついちゃったりしてたんで、なんというか、申し訳ないですね、今思うと。徳利になる前の自分も知ってて、今も関わってくれてる人はD山くらいですけど、あんまり徳利のよさとかわかってないんじゃないかなとも思うし、本人からしたら“知らんし”みたいに思ってる部分もあるだろうなと思ってて。けど、やっぱり腐れ縁でもあるし、いざとなったらバックDJもやってくれる。D山も、さっきの母親と彼女の話じゃないですけど、徳利についていい意味で距離を取ってくれてるっていうか。なんか不思議な関係だと思うんですよね」

――もちろんダメなところも知ってるだろうし。
 「うん。D山といっしょに入った高校のボクシング部でも、自分はキャプテンなのに途中でやめちゃう、ってことをやってますんで。それでもD山だけは残って最後までやりきったっていう」

――ハハハ。尻拭いですかね。
 「そういうことをいっぱいやってきてるんです。もう迷惑をかけ続けてるっていうか。だからアイツは徳利がワーワー言ってるのをちょっと高いところから見てる感じだと思いますよ」

――いい友達関係だと思いますよ、ほんとに。ところで、客観的に分析して徳利っていうラッパーはどんなキャラクターだと自分で思っていますか?
 「客観的に見て……自分で言うのもあれなんですけど、唯一無二というか」

徳利

――ハハハハハ。でも実際そうだと思いますよ。
 「いろんな意味で前にも後にもいないかなと思う。自分としては一応日本のヒップホップの端っこにいるという自覚があるんですけど、それもはたして正解かわからないっていうか。正直、あんまりジャンルとか意味ないなとも思うし、今回のアルバムも日本語ラップを聴かない人たちも聴いてくれている実感があるんで。これも自分で言うのもあれなんですけど、そういう伸びしろがあるんじゃないかって思ってますね」

――今回のアルバムでいうと、ダメな自分を歌ったり、これまでの紆余曲折がありながら、ポジティヴ・マインド、物事をいい方向に向けたいっていう意識をすごく感じたんですよ、ラッパーとして。
 「結局『REVOLUTION』でやりたかったのは、今までの自分を俯瞰してまとめるっていうより、これまでの自分を踏まえて、より次に向かってズルむけるってことだったんじゃないかなって。最初に制作をはじめたときはカッコつけてた部分もあったと思うんですけど、長い時間がかかったことによって、考え方もだいぶ変わっていったと思うんですよね。それが最終的にそういう雰囲気をまとったんじゃないかと思いますね」

――3年かけて余計な虚飾が抜けていった。
 「そうですね。リリックに関してはだいぶ前から書きためてはいたんですが、時間がかかってるわりにフレッシュさは残せたかなと思ってて。ちゃんと自分の言いたいことをいいタイミングで出せたって感じですね」

――かつ、3年前のアルバム作りをはじめた頃の自分とも矛盾しないという。
 「そうですね。3年前に作っていた素材も絶対生かされてるんで、歌詞のなかに」

――では最後にこれからどうしていこうかみたいなことを訊いて着地に向かいたいと思います。どうしましょうね、今後の徳利活動は。
 「そうですね。とりあえず7曲という曲数でこれをみんなはアルバムって呼ぶのか、ミニアルバム、EPって思うのか、それぞれの感想があると思うんですけど、自分としてはアルバムを出すっていう目標がなんとか達成できたと思ってて。そうなった今の自分の心境として、もっと曲を作りたいっていう意識も全然ありますし、かつ、ほかの人がやっていないことをどんどんしたいなっていう感じです。それは音楽関係なく、インターネットを通しても、通さなくても。これは前からいろんなとこで言ってますけど、有名になるしかないって感じですね。“有名になりたい”ってワード、やばいっすけど」

徳利

――ハハハハハ。
 「ともあれ、やっと名刺代わりの作品ができたんで。自分としては、今がスタートくらいに思ってます。アーティストとして……アーティストっていうのは大げさですけど。だからここからはその道を選んだ以上やっていくしかない。それなりに覚悟は決まったって感じですね。とか言いつつ、またなにもしない時期が続くかもしれないですけど。でも確実にアルバムを出す前と出した後では絶対変わってますね、覚悟の重みが。これまでは“徳利を背負ってる”みたいなイメージがあったんですよ、活動してて。今は完全に“徳利になった”みたいな感じなんですよね。どこで“徳利になった”のか自分でもわからないんですけど、今は背負う苦しみみたいなのは全然感じてない。それより、徳利になった以上どうするか、みたいな。そういう精神になって、出したものが『REVOLUTION』だっていう」

――完全に“徳利になった”というのは大きな変化ですね。
 「それはそれで悲しみもありますけどね。徳利以前の自分はどこ行ったんだ、みたいな。もちろんいるにはいるんですけどね。でもベースが徳利になっちゃってるなって思うんですよね。メールだって最近はほぼ徳利宛のものしかないんで。だから返信の最後も“何卒よろしくお願いします。徳利”って書くことしかないっていう」

――それはアルバム制作の3年間でよりそうなったという感じですかね。
 「そうですね。『REVOLUTION』を作ろうと思ってなかったら、そのアイデンティティの整理みたいなのはずっとふわふわしてたままだったと思います。とはいえ徳利って名乗りだしたのが9年前ですから。徳利が9歳で自我を持ってきた感じですかね。25歳までが純粋な徳利以前の自分だとすると、あと16年くらい徳利をやったら徳利歴が徳利以前の自分に追いつくので、その頃までやれてたらいいなとは思いますね。その頃までやれてたらやばいでしょうね、いろんな意味で」

徳利『REVOLUTION』■ 2020年3月25日(水)発売
徳利
『REVOLUTION』

https://linkco.re/YAfg7u1S

[収録曲]
01. REVOLUTION Prod by Yasterize
02. MORISHIT Prod by KOITAMA
03. Fly Away Prod by KOITAMA
04. Nicolas Prod by Soakubeats
05. あの頃 Prod by poivre
06. きらめく Prod by tofubeats
07. Birthday Prod by duct from PSB

Mixed & Mastered by tofubeats
Except M1 Mixed by Yasterize
M7 Mixed by duct from PSB

Cover Design & Photo Edit by REOKI
Photography by Sonnzinn

Directed by duct from PSB