Review | 金川晋吾『いなくなっていない父』


文・写真 | コバヤシトシマサ

 親と子の関係はややこしい。

 子供に物心がついて世界をほんの少し見渡せるようになったとき、そこに親はいる。血縁関係としての父や母に限定せず、子供と共に生活し、子を保護する存在をひとまず“親”とするなら、ひとが最初に体験する人間関係はその親とのもの。その最初の人間関係は、良くも悪くもその後の人生に大きく関わることになる。誰もが知っているこのありきたりな事実は、しかしあまりに身も蓋もないため、なかなか飲み込めないとも思う。自分に関してもそんなところだ。

 長く寝食をともにする関係は、必然として特殊なものになっていく。ここでいう“特殊”というのは、学校や職場での“社会一般のそれ”とは大きく様相が異なるということ。親子の関係には、社会一般の基準では測れないような事情がしばしばある。社会一般の公正さで割り切れきない歪みのようなものを孕んでいる。なんとも抽象的な言い方になってしまうのだが、こうした事情は誰しも覚えがあるのではないだろうか。

 親子や家族という形態について、度々考えることがある。たとえば夫婦が離婚の裁判をするケースについて。夫婦関係の解消にあたり、それを社会一般の基準で測り、互いの利害を調停する。そこでは夫婦という“特殊”な関係が、“社会一般”の基準で測られることになる。つまり両者の損得を公平に勘定するわけだけれども、その“両者の損得を公平に勘定する”という行為自体が、まさに夫婦関係の破綻の証しになっていないだろうか。というのも、後に家族とも連なっていく夫婦という関係は、そもそもが公平に割り切れないものだと思う。あるいはこう言い換えてもいいかもしれない。夫婦関係が解消できるのだとして、では親子関係を解消することはできるだろうか。親と子が互いの利害を調停することははたして可能だろうか。

 そろそろ本題へ入る。金川晋吾『いなくなっていない父』(晶文社)。著者が中学~高校生の頃に度々失踪を繰り返したという父について、写真家である著者はその父を被写体にした撮影を始める。本書はその作品制作についての記録だ。

金川晋吾『いなくなっていない父』

 失踪をくり返す父というキーワードが持つざらっとした感触に触発されて本書を読み始めたのだが、そうしたざらつきは読み進めるうち消えていく。きわめて淡々とした散文の形式で父との日々が書き綴られており、この父子にとって失踪それ自体はとくに大きな問題ではないかのようだ。おそらく両者にとっては実際にそうなのだろう。本書を発表する前、金川は失踪をくり返した父を撮影した『father』(2016, 青幻舎)という写真集を発表しており(本書の表紙で父が開いているのがそれ)、この本はその制作の舞台裏のドキュメントでもあるのだが、父に対するあまりにドライな観察眼には正直驚いてしまった。先に述べたように親と子の関係は特殊なものだが、著者にはどこか他人事のような冷めた視点が常にあり、終始一貫したその態度が現実の途方もなさを映し出す。

 それだけではない。金川は父を被写体に写真を撮影し、どうにかしてそれを良い作品にしたいという野心を持っている。日々そのための構想を練り、父親に様々な指示もする。金川自身、そもそも写真撮影のテーマに行き詰まっていた時期にたまたま父の失踪があり、そこで私はこれ幸いとばかりに、父を撮ってみようと思った(p60)のだという。失踪をくり返す父とその息子というフレームを、この事実は大きく踏み外していく。さらに写真集に加え、父との撮影の日々を本書のような散文として書き記すことで、彼はそれをも“作品”にしている。かつて失踪をくり返した父に対する様々な思いとは別に、そうした“野心”もまたあるのだ。本書における父と子との関係は、そうしたいくつかの異なる水準で成立しており、その危ういバランスに読者は引き込まれることになる。

 ときに父に共感し、ときに父を見放し、それとは別に作品の題材としてしたたかに父を利用もする。そうした態度が包み隠すことなくあっけらかんと綴られている。そのさらりとした描写は、しかし無味乾燥なものではまったくない。そのあっけらかんとした書きぶりが親子という捉えがたい関係の根を掴んでおり、こういってよければそれは空恐ろしくもある。小説よりも小説然とした現実がここにはあるのだ。

 そう、本書はノンフィクションでありながら、多分に小説的なところがある。淡々とした記述の内に、所々ぎょっとする現実の光景が差し込まれるのだ。例えば出会って一言目に私、あなたのお父さんとセックスしてるのと言い出すスナックのママ(p115)。例えばNHKのディレクター富士本さんがベッドで吐いた小さな寝ゲロ(p174)。例えば最終部で唐突に告白される、3人で生活しているという著者の近況(p261)。唐突にあらわれるこうした光景に最初はぎょっとしてしまうのだけど、しかし「現実ってこういうものだよな」という妙な説得力がある。ひとの生活はこうした例外的な光景であふれているし、どんな人生も個別であり、他と同じではない。

 本書に描かれているのはひとつの特殊な父子関係である。その当事者である著者の乾いた視線は、当然ながら読者にもはね返ってくる。読者もまた、自らの特殊な在りかたについて思い巡らせることになってしまうのだ。

金川晋吾『いなくなっていない父』■ 2023年4月25日(火)発売
金川晋吾 著・文
『いなくなっていない父』

晶文社 | 1,700円 + 税
四六判 | 266頁
978-4-7949-7354-2

気鋭の写真家が綴る、親子という他人。
千葉雅也氏(哲学者、作家)、小田原のどか氏(彫刻家、評論家)、滝口悠生氏(作家)、激賞!
著者初の文芸書、衝撃のデビュー作。

その後のことを知っている私には、父のことを「失踪を繰り返す父」と呼ぶのはどうしても過剰なことに思える。私がそう思うのは、「父がやっていることなんてそんなにたいしたことではないんです」と謙遜するような気持ちもあるが、本当のところは、「父という人は、『失踪を繰り返す』という言葉で片づけてしまえるような人ではないのだ」と自慢げに言いたい気持ちのほうが強くある。――(本文より)

『father』にて「失踪する父」とされた男は、その後は失踪を止めた。
不在の父を撮影する写真家として知られるようになった著者に、「いる父」と向き合うことで何が浮かび上がってくるのか。
時に不気味に、時に息苦しく、時にユーモラスに目の前に現れる親子の姿をファインダーとテキストを通して描く、ドキュメンタリーノベル。

Photo ©コバヤシトシマサコバヤシトシマサ Toshimasa Kobayashi
Tumblr | Twitter

会社員(システムエンジニア)。