Review | ドトールコーヒー『アイスティー』 / わたしの魂


文・写真 | コバヤシトシマサ

 コーヒーが飲めない。だからカフェや喫茶店の類とはあまり縁のない暮らしをしてきた。自分にはコーヒーが合わない。しかも徹底的に。数年前にその事実に気付くまで、付き合いでよくコーヒーを飲んでいた。付き合いでなくとも、ちょっとした気分転換にコーヒーを買い求めた。いまとなっては本当に不思議なのだけれども、コーヒーが自分の心身に悪い影響を及ぼすこと、その事実に気付くまで10年以上、およそ20年ほどかかった。心身に不調をきたすのなら、すぐにそうとわかりそうなものだけれども。実際にはその症状がコーヒー由来であるとの因果関係に長い間気付かなかった。世界中の人々が心の平穏を求めて愛飲しているコーヒーが、よもや自分にはそのような悪い効果をもたらすとは、全く考えもしなかったのだ。

 自分の場合、コーヒーを飲むとふたつの症状が起こる。ひとつはお腹を下すこと。もうひとつは精神的な不安に襲われること。精神的な不安などと言うと大げさに思われるかもしれないけれども、実際に気持ちが塞ぎ、一点を見つめて考えこむような状態になる。誰かとお茶をしている場合などに、これは大変にまずいシチュエーションを生み出す。無論、そうした場合にはどうにか平静を保つよう努力することになるわけだけど……。お腹の不調と精神的な不調とになんらか関係があるのかは不明。お腹の調子が悪くなるから精神的な不安に陥るのか。あるいは精神の不安がお腹の不調につながっているのか。わからない。それらはコーヒーによって引き起こされる独立したふたつの症状なのかもしれない。いずれにせよコーヒーはふたつの症状を引き起こす。

 そうした経緯があり、一切のコーヒーを断つことにした。もう2年ほどになろうか。不思議なことに、いまもコーヒーの香りや苦みは嫌いではない。外で食事をしたときなど、つい食後のコーヒーが飲みたくなることもある。肉料理でワインを飲んだ後などは、とくにコーヒーが恋しくなる。ここでエスプレッソなんかを飲むといい具合に引き締まるんだけどなあ……だがしかし、コーヒーは永遠におあずけだ。

 コーヒーが飲めない人間は社交に一定の不便を被る。「ちょっとお茶でもしよう」に難儀するのだ。街にあるどんなカフェも、たいていコーヒー以外の飲み物を備えている。備えてはいるけれども、では何を飲めばいいのか。オレンジジュースやジンジャーエールではないし、ミルクでもココアでもない(ちなみに体質的に牛乳も飲めない)。食事の後だったりするとなおさら、それらは外したくなる。ではいったい何を飲んだらいいのか。ドトールのレジカウンターでいつもの思案を巡らせていたとき、なんともなしにオーダーしたのがきっかけだった。「アイスティーをLサイズで」。

Photo ©コバヤシトシマサ

 コーヒーがダメなら紅茶を。“Coffee or Tea”というこのありふれた選択が、生活に大いなる変化をもたらすことになった。

 アイスティー。紅茶に特有の渋みは、口の中や食道を洗い流すような心持ちがある。食事の後のそれはとくに清々しい。食後でなくとも、アイスティーは頭の機能を快活にする。これは自分に限ってのことかもしれないけれども、アイスティーを飲むと言葉が溢れ、相手との会話は飛躍しながらどこまでも続くようになる。これには驚いてしまった。これまでを思い返すに、誰かとお茶していても、コーヒー由来の不調ゆえか、時間が経つにつれてだんだん会話が苦痛になっていくのだ。気分が沈んでいく自分について、相手に申し訳ないと感じていたし、そうした経緯もあって、カフェの類の店にはどこか気詰まりな印象を持っていた。しかしそれは完全に払拭された。お茶をしながらの会話は、思うがままの素描のように自由闊達を描き、新しい視座を生み、思ってもみなかったアイディアを造形する。そのきっかけとなったのが、たまたまドトールでオーダーしたアイスティーだった。以来アイスティーは生活のアクセントとなり、魂の活路となった。ここに引き留まるための手綱であり、この場所から旅立つための翼でもあり。

 コーヒーにも紅茶にもカフェインが含まれる。だからその効果の違いはカフェインに由来するのではなさそうだ。調べてみたこともあるのだけれども、コーヒーによる不調の原因が何なのかは結局のところよくわからない。アイスティーのその爽快の理由も。

 最寄り駅前にあるドトールでアイスティーをオーダーする。Lサイズ。たっぷりの氷。ガムシロップをふたつ。結露したトールグラスで濡れた親指を、上へ上へと滑らせる。ディスプレイは鈍くも反応し、情報は連鎖していく。どこまでも続くわたし、わたし、わたし。スマートフォンの中には自分しかいない。ならば他人を探しに出かけなければ。テキストとイメージは環をなし、駅前のロータリーを周回しては、3つの導線へと分岐する。街を抜け、森を抜け、動脈を抜けて。Looking For 他人。自分探しでなく他人探しの旅。サウナ状態の外気。わたしはだんだん他人へと変異していく。気候変動で変質する地球。南極の氷が溶け始め、アイスティーの氷も溶け始める。南極のアイスティー。それはあたらしい魂でもある。電子決済とプラスチックでできたわたしの魂。

 ドトールでアイスティーL。ガムシロはふたつで。

Photo ©コバヤシトシマサ

Photo ©コバヤシトシマサコバヤシトシマサ Toshimasa Kobayashi
Tumblr | Twitter

会社員(システムエンジニア)。