文・撮影 | 波田野州平
賭する人――たかしさんの場合
ある日、立川競輪場の近くに住む友人が、良いたこ焼き屋を見つけたと知らせてくれました。
大阪ほどではありませんが、私の生まれ育った鳥取にも「粉もん文化」と呼ばれるものはあって、気軽に立ち寄れるたこ焼き屋やお好み焼き屋がいくつもありました。学校帰りに立ち寄っては、夕飯までのつなぎにたこ焼きかうどんを食べたものです。どの店も学生の微々たる小遣いでも、充分に満足させてくれるだけの量を提供してくれる良いお店でした。
立川で暮らしてずいぶん経ちますが、未だに馴染みの粉もん屋を見つけられないでいます。もう粉もん文化圏とは遠く離れてしまったのだからと、諦めたほうがいいのかもしれませんが、胃袋はそう簡単に言うことを聞いてくれません。まだどこかにあるはずだと一抹の期待を胸に(いや、腹に)今日も徘徊してしまいます。一応、お好み焼屋もうどん屋も近所にあるのですが、お好み焼き屋は1,000円でお釣りが来ないし、うどん屋はどこもコシだけを追い求めた讃岐風のもの一辺倒です。馴染みの店というのは、どこか遠くの街にあるのではいけません。「お好み焼き屋とうどん屋は近所の店が一番うまい」と言い切りたいくらい、味と同等に気軽に行けるということが重要だと思います。
と、粉もんについては思うところがあり過ぎて、つい前置きが長くなってしまいました。ところが先日ひょんなことから、ついに馴染みにしたいたこ焼き屋を見つけることができたのでした。
この酷暑でも競輪場のエアコンが効いた屋内エリアは、たくさんの人で賑わっています。そこで〟社長〝と呼ばれるバングラデシュ人の男性にレース展開を教えていたのが、たかしさんでした。社長は流暢な日本語を話し、たかしさんに次のレースの本命は誰なのか聞いています。そして本命がわかると、その選手を中心に、マークカードに躊躇なくたくさん予想を書き込みます。たくさんのパターンの車券を買えば、もちろんそれだけ当たる確率は高くなります。でもその中のひとつが当たったとしても、配当が高くなければ、注ぎ込んだ金額のほうが多くなり、元が取れないことになります。社長は競輪を始めてまだ3ヶ月ほどだそうで、その数撃ちゃ当たる方式に、選手を覚えたり、並びを覚えたりしないんですか?と聞くと、「詳しくなっちゃうと大穴を買えなくなるでしょ」と飄々と答えて窓口へ向かいました。「すげえ買い方するよな」とたかしさんは呆れた顔で、車券を買う社長の後ろ姿を見ながら呟きます。
たかしさんは競輪を始めて50年以上になるベテランです。始めたきっかけは、家から競輪場が近かったという単純なものでした。20歳から小平にあるブリヂストンで働き始めて、45年間定年まで勤め上げたそうです。当時は週末になると、同僚とよくここに遊びに来たということでした。
ここにいる多くの人と同じく、たかしさんも定年後の自由な時間を競輪で楽しんでいるのかと尋ねると、「いや、今は家の仕事をやってるよ」と思わぬ返事が返ってきました。それも「ここの裏でたこ焼き屋をやってるんだよ」と言うのだから、以前友人から送られてきたお店の外観写真を見せると、そこがたかしさんのお店でした。
後日、改めて友人とそのお店を訪ねると、たかしさんはエプロンを巻き、奥様とふたりカウンターの中に立っていました。
お店はカウンター6席ほどの小さなもので、私たちが訪れた時には満席でした。店内では扇風機が片隅にひとつ、ささやかに首を振っているだけで、その設備だけでは、この酷暑に加えて鉄板が発する熱を解消することは到底不可能です。そんな中、奥様は熱々の鉄板を前に、黙々とたこ焼きを転がしています。
私たちはひとまず飲み物だけを受け取り、向かいの公園で席が空くのを待ちます。しばらくすると家族連れが店から出てきて、公園脇に止めたワゴンに乗って帰って行きました。車のナンバーを見ると「品川」と書かれていました。店内に入って品書きを見ると、「たこ焼き3ケ100円」とあります。焼きそばとお好み焼きは各300円です。まだ何も食べていないのに、それだけでまた来ようという気持ちがふつふつと湧いてきます。
たかしさんに先ほど店から出た家族のことを聞くと、お父さんが昔この近所に住んでいて、中学校の帰りによくたこ焼きを食べに来ていたそうです。同窓会で久しぶりに立川に来たので、その前に寄ってくれたということでした。この心温まる情報に、もうここを馴染みの店にしようという気持ちは固まっていました。
「おまちどう」と出てきたたこ焼き、焼きそば、お好み焼きは、どれもいたって普通の味でした。特別においしいわけではないけれど、それでいい。珍しくもなく、おしゃれでもない、気合の入っていない食べ物の良さというものがあります。同窓会で出される豪華なホテル料理の前に、家で出されたようなこのたこ焼きが忘れられずに食べに来る人がいるのです。
このエリアを散策するのは以前から好きでした。狭い路地、増築された家々から、街の変遷が想像できたからです。「昔はこのへん、軍の払い下げの家が建っててね、みんなこの辺のことを〟シザイショウ〝って呼んでたわよね、たかしくん」そう教えてくれたカウンターのいちばん端に座る女性は、たかしさんの中学校の同級生で、この店の常連さんです。「そう、このへん一帯はみんな4軒長屋だったんだよ、ここは5列目の2棟目だったから、たしか5|2って呼ばれてたかな」。
おふたりの話によれば、戦後すぐにこの一帯の長屋に人々が住み始めたそうです。その経緯は定かではありませんが、勝手に住み始めたんじゃないの?とふたりは言います。「うちの親父なんて、隣の家が空いてるからって、親戚を呼び寄せたらしいから」とたかしさんが言うと、「立川駅前だって、戦後のどさくさに乗じて勝手に家や店を建てた人たちがほとんどでしょ」と常連さんが答えます。「そういえば、このへんで有名な都議会議員だった、ほら本屋さんたくさん持ってるあの議員。今の社長の先代なんだけど、あの人はこのへんじゃ都議会議員じゃなくて、土地買い議員って呼ばれてたわよね」と話はディープに脱線します。
ちなみに〟シザイショウ〝という呼び名は、ここがかつて軍馬を扱う獣医資材廠という場所だったことに由来するそうです。みんなが勝手に住み始めた長屋でしたが、しばらくすると軍から払い下げになり、住み続けるには買い取らなくてはいけなくなったそうです。つまりそれまでは大家もおらず、家賃もかからなかったということでした。そしてたかしさんのご両親は、払い下げになったこの家を買うために、月賦で支払いを続けたそうです。そしてその資金になったのが、今食べている、このたこ焼きでした。
ここのたこ焼きには、黄色いたくあんが入っています。それはたかしさんのお母さんが考え、たかしさんの奥様が引き継いだ、創業以来ずっと続く味です。その一方で、長屋は取り壊され、街の風景は変わりました。皆、思い思いの家を建て始め、そしてすぐそばの空き地に競輪場が建設されました。「だからここは便利な場所でね、南口の場外馬券場にも近いし、競輪場にも近いし、良いんだよね」とたかしさんが言うと、どんなに暑くても黙々とたこ焼きを焼き続けていた奥様が「良いんだか、悪いんだか」と、たった一度だけ口を開きました。
常連の女性は新聞紙に包まれたお好み焼きとたこ焼きを、お土産用に持ち帰ります。「輪ゴムが2本巻いてある方がお好み焼きね」とたかしさん。私たちも満足して店を出ます。そして思わず、「外のほうが涼しい!」と店内にも聞こえるような大きな声を上げてしまいます。そして、あ、そう言えばと振り返り、「またすぐに来ますね、というか通います」とたかしさんに伝えると、「明日から夏休み、この暑さじゃもう無理。次に開けるのは秋になってから」と、滝のような汗を拭きながらたかしさんは答えました。
波田野州平 Shuhei HatanoOfficial Site | Instagram
1980年鳥取生まれ、東京在住。
カメラを携え、各地で出会った未知の歓びを記録し、映画を作っています。
近作に『私はおぼえている』(2021)、『それはとにかくまぶしい』(2023)がある。