Review | モトーラ世理奈『いかれたBaby』 | SUPER STRUCTURE『1999』


文・撮影 | 久保田千史

| モトーラ世理奈『いかれたBaby』

 職場ではラジオからの音声が聴こえる。FMですね。同じフロアの同僚がPC内蔵スピーカを使用して、たぶんradikoでストリームしているのだけれど、ある大切な作業をするためのマシンが持続的に発するアイドリング中のモーター音やインダストリアルな作動音、近接する鉄道が響かせる窓越しの走行音などにフィルタリングされて、明瞭には聴き取れません。能動的に聴取しようと耳をそばだてているわけではないし、そのくらいで丁度良いのです。定刻の動作が不得手な性格上、普段はラジオやテレビを積極的には利用しないので、とても新鮮。やたらに不安を煽る論調で過払金調査の有用性を30秒に詰め込んだ法律事務所のCM。奔放な発言のメイン・パーソナリティ(多くは男性)と聞き役 / フォローに徹するアシスタント(多くは女性)の関係性。ターゲット・マーケティングが透けて見え過ぎの選曲。1日に何度も耳にする曲があって、これがパワープレイというやつなのか、選出の基準を知りたいものだ、と思ったり。シューゲイジングな音像で耳に入るから楽しめるけれど、クリアだったら疲れちゃって即刻電源を落としにかかっているかも。それでも当然、時にはスルーできない音楽にも出会うのです。複雑なアドヴァタイジングの応酬を縫い、モーターのピンクノイズを纏って届くモトーラ世理奈さんの歌声は、イノセントという表現する以外にない輝きがありました。フィッシュマンズに特別入れ込んだわけではないけれど、「いかれたBaby」は今の家族とかつてよく一緒に聴いていた大好きな曲だから、記憶の曖昧な断片に口ずさむような歌唱がしっくりきたのかも。

 ヴァイナルは、あたりまえかもしれないけど、職場で聴いていたのとは全然違って、柏原 譲さんと茂木欣一さんのリズムセクションが効いたレゲエらしくヘヴィなサウンドメイキングでびっくり。オリジナルの演奏者ならではの説得力があるのかな。柏原さん自身が手がけたヴァージョンも、Bサイドに収められている山本精一さんのリワークも良い。異業種の所謂“歌手デビュー”曲って、安田成美さんの『風の谷のナウシカ』を筆頭に、やっぱ、その瞬間にしか得られないであろう何かがありますよね。ナウシカ同様に細野晴臣さんが手がけた太田莉菜さんの「Puzzle-Riddle」も単独でヴァイナル化してほしいな…。

| SUPER STRUCTURE『1999』

 筆者が知る限り、“ニュースクール・ハードコア”という単語に拒否反応を示す人ってけっこういて、その多くが、どこでタフガイ系と間違えたのか、マッチョで、思慮深くなく、パンク・スピリットに欠けるから嫌だって言うんですよね。CHOKEHOLD、DISEMBODIED、UNBROKEN、UNDERTOWみたいな1990年代の偉大なパンク・スピリットが、ハードコアパンクスとして認識されていないのかと思うと悲しい。認識されないからニュースクールなのか。ところが、“パワーヴァイオレンス”という単語を持ち出すと、近しいサウンドでも急にすべてがOKになる。パワーヴァイオレンスとして括られる中にだってジョックスっぽいバンドはいるんだし、意味がわからない。つまらないレトリックだと思う。今なおそういう状況において、あらゆるサブカテゴリを超越した次元で愛されるFALL SILENTって本当に全方位で特別なバンドなんですよね。80年代のUSハードコア、ひいてはMINOR THREATが持っていた柔軟なユーモアのセンスを継承している点はSPAZZに比肩するけれど、FALL SILENTはどんなにブルータルでテクニカルでデスメタリックでもあの立ち位置なんだから、実はより特別なんじゃないかな。

 バンド名からしてユーモラスなSUPER STRUCTUREは、ポジション的なそこを目指しているわけではないだろうけど、ウォーシッパーだから必然的に柔軟。クロスオーヴァー・スラッシュにおけるSLAYERをMALVOLENT CREATIONに置換したみたいな刻み、MORBID ANGELのスロー・パートとTURMOILを足したみたいなミドルのグルーヴ、絶叫ハイトーン・ヴォイスといったFALL SILENT要素を踏襲しつつ、DISEMBODIEDをドゥームデス解釈したみたいなモッシュ・パートや極悪落とし、バンダナ・スラッシュを思わせるブラスト手前のファスト・パートなど盛りだくさん。メタリックで分厚いけど、すぐ終わっちゃうクイックな聴後感、ロウな質感はUNRUHよりもハードコアパンクで、LEFT FOR DEADよりもニュースクールな丁度良さ。BOWLHEAD Inc.からSAIGAN TERROR『Anatomy Of Saigan』に続いてリリースされるという時系列も、大いに意味ある事実ではないでしょうか。東京らしさが詰まった新たなクラシック(クラシック・ニュースクールっていう意味ではないです)!