誰かと一緒に、まだ見ぬものを
なおDMB PRODUCTIONは、4月8日(金)から10日(日)にかけて「BOUNTY HUNTER」とのポップアップ・ストア「Da Morbid Bounty Hunters」を東京・代々木上原 村世界にて開催。両者のコラボレーションによるソフビやTシャツの販売が予定されています。
取材・文 | 久保田千史 feat. slim_organic | 2022年4月
――まず、DMB PRODUCTIONについてお伺いする前に、Kemmyさんの経歴を少しおさらいさせてください。僕がKemmyさんの存在を知った時点ではDREADEYE / BREAKfASTのギタリストという印象だったのですが、それ以前にもバンドその他で活動していらっしゃったのであれば、教えてください。
「ケミーです。この度はこんな機会をいただき、ありがとうございます。本格的なバンド活動のスタートはDREADEYEです。高校生の頃にもコピー・バンドを組んで、メンバーそれぞれの好きな音楽をやっていたんですけど……BLANKEY JET CITYとSteve VaiとMÖTLEY CRÜE(笑)。学校の近くにあったヤマハのスタジオで練習しました。ただ、ドラムがいないままだったので、ベースの人は高校でもイケてるグループのバンドにも入って学園祭で活躍していましたね。もうひとりは、卒業後にどこかに籠って単身でいきなり30曲以上入ったアルバムを作っていましたけど。ジャケットも自分で絵を描いて。それをLOS APSON?(*1)とかTRASMUNDO(*2)とかに一緒に行って置かせてもらったりしていました(笑)。僕はというと、ギターは持っているけど何もしていなくて。DREADEYEがちょうど結成したくらいのタイミングで、その頃OS3としょっちゅう遊んでいたので、流れで誘ってもらった感じです。バンドやったらモテると思ったんですよね、とんでもなかったですど」
*1 東京・西新宿 | 2015年に高円寺へ移転
*2 東京・下高井戸
――通り名の“Kemmy 3000”、“Kemmy”部分はお名前に由来するものだとわかるのですが、“3000”の由来は?André 3000?DELTRON 3030?どちらも関係ないか……。
「昔からインターネットが好きで、当時はバンドのホームページに必ずBBSがあったので見ていました。思い立って書き込んでみようとしたとき、ハンドルネームがないと書き込んじゃいけないのではないか?と勘違いしまして。それで5分くらい考えて、名前を基に“Kemmy”って付けました。2000年になった時に、なんとなく“Kemmy 2000”っていうハンドルネームにしてたんです。それがY2K問題(*3)を乗り越えた2001年になって、さあどうしよう……1年ごとに数字が増えていくとメールアドレスにもしているから面倒臭いな、ということで千の位をひとつ増やせば3000年までは変えなくていいぞ!というわけで“3000”です。くだらなくてすいません……。PAYBACK BOYSの藤村くんとか、AND BELIEVE / CROCODILE COX AND THE DISASTERの北川さん、she luv itのyoriさん、友達の野宮とか、BBS時代からいまだに付き合いのある人たちも居ますよ(笑)」
*3 2000年問題 | 西暦を扱うプログラムの仕様から、2000年にコンピュータの誤作動が一斉に起こるとされていた事象
――なるほど、どちらかというと“INTEGRITY 2000”的なノリだったんですね(笑)。DREADEYEは、当初から“パワーヴァイオレンス”であることに意識的だったのでしょうか。結成時にイメージしていたバンドなどあれば、具体的に教えてください!
「そもそも、OS3がパワーヴァイオレンスをやるために結成したバンドだったので、パワーヴァイオレンス一辺倒です!ライヴではSLIGHT SLAPPERSとかFUCK ON THE BEACHとかを観ていたし、SPAZZとかも聴いてはいたのですが、DREADEYEに入ってからパワーヴァイオレンスを学びました!当時、ファストコア寄りのパワーヴァイオレンス・バンドばかりだったので、よりブルータルな曲をやりたい、っていう感じだったと思います」
――以前OS3さんともお話させていただいたのですが、パワーヴァイオレンスってスケートやヒップホップ / グラフィティとの親和性の高さがありますよね。anticon.、BTM、DYSTOPIAの関係とか。Kemmyさんのサウスへの傾倒やグラフィティ・ライターとの交流などは、パワーヴァイオレンス由来のものなのでしょうか。それとも、元来それぞれお好きだったものが集結しているのがパワーヴァイオレンスだった?それ以前にハードコア・パンク自体がそう、っていう話もありますけど……。そのあたりは後の“Dirty Mosh Brigade”に繋がる要素だと感じるので、周囲のバンドやseminishukeiの人々等との関係性を含めて、見解をお聞かせいただけたら嬉しいです。
「大学の頃に一緒にライヴに行っていた、けいしゅうくんっていう友達がいるんですけど、彼が“グラフィティってものがある”と教えてくれたんですね。その頃はNYスタイルのバンドのライヴによく行っていて、東京や大阪、名古屋、岐阜とかまで観に行っていたんですけど、バンドの人もやっているらしい!やばい!ってなって、ハマりました。それで、地元の相模原を歩いていたら、すでに無茶苦茶グラフィティがあったという……(笑)。その頃けいしゅうくんも近所に住んでいたので、一緒に近所を歩いていたら、SD JUNKSTAのBRON-K氏と、ライターのKANEくん、JOTAくんにバッタリ会って、そのまま車でドライブしてもらいました。家を出る前にけいしゅうくんとSD JUNKSTAの最初のCD-Rを聴いていたので、びっくりしました(笑)。同じ頃にファストコアとかスラッジのバンドが好きになって、CORRUPTEDのヴォーカルのHevi氏はグラフィティもスケートもすごいらしい!って聞いて、当時Hevi氏がやっていたPROGRESSIVEっていうスケートショップがあるというので、大阪までいきなり行って、ANTIHEROのデッキ買うという……滑れないから、組んでも見ているだけでしたけど(笑)。そのちょっと後に、ANGEL O.D.、LOW VISION、STRUGGLE FOR PRIDEとかseminishukeiのみんなと仲良くなって、ヒップホップもおもしろいのがあるって教えてもらい、そこからタワレコで掘っていたらマイナーGラップに行き着きました。そのタイミングで2TIGHT MUSICっていうところがお店をオープンさせる、しかも町田に!ということでオープン日に行って。練習前だったのでギターを担いで。そうしたらオーナーの村山(修一)さんが“なんでバンドの人がここに?”って気にしてくれて、通っているうちに仲良くしてもらい、今は一緒にいろいろやらせてもらっています。そこでパワーヴァイオレンスを振り返ってみたときに、あれ?パワーヴァイオレンスには僕の好きなグラフィティ、スケート、ハードコア・パンク、全ての要素がある!という感じで、改めて再認識をしたというのが正確です。それぞれ好きになったものを振り返って集約したらパワーヴァイオレンスに戻ってきたというか(笑)。いまだにSPAZZのDan(Bolleri aka DJ Eons One)から当時のベイエリアのグラフィティの話を聞いて、へーって思ったり。ただ、自分の土台にあるのはハードコア・パンクで、“ハードコア・パンクは最新で自由なスタイル”だと教えてくれたのは、間違いなくSTRUGGLE FOR PRIDEや周りの友達のバンドからです。そこがあるから周りをあまり気にせず好きになれるし、そこに突っ込むことができる。少なくとも周りのみんなとは違うことをするというか、“誰かがやっているなら自分はいいか”って思っちゃって。結果、何をやっても常にアウェイ状態になるんですけど(笑)」
――グラフィティ・ライターのみなさんて、普段フツーに生きていたら出会う人のほうが少ないと思うのですが、Kemmyさんはどのようにライターのみなさんと親交を深めたのでしょうか。国内はもとより、海外のライターとも繋がりのあるKemmyさんだけに、気になるところです。もちろん、お答えいただける範囲で構いませんので……。
「日本のライターのかたがたは、遊びに行くイベント会場で友達に紹介してもらうのが多いのかな……それで、たまたま同い歳が多かったりしたので、一気に友達になるとか。海外は全然で、それこそインスタでいきなりDMするとか(笑)。ORFNについても最初、友達のジョージくん(中村譲二)に“こんなおもしろい人がいる”って教えてもらって調べたら、そのタイミングでウェブストアを発見して(笑)。ジンが売っていたから買ったんですけど、そのときにメッセージで“Tシャツデザインして!”ってお願いしたら快くOKしてくれました。その後サンフランシスコに行った際に直接会ったんですけど、“この後ポートランドに行く”って言ったら、“こんな友達がいるよ~”ってCHUEというライターを紹介してくれたり、別のタイミングで家に行ったときには、たまたまそこにいたPEZを紹介してもらいました。ORFNと一緒に物作りをしたことで、他のベイエリアのライターとも仲良くなり易かったです。壁がなくなるというか。と言っても、そんなに知り合いの数は多くないです。今、自分がやっているわけでもないし」
――2007年発表のDREADEYE『This Is For The Newbreed』EP(WDsounds)では、中村譲二さん、373さんや、MOSUさん、SECTUNOさんのピースがフィーチャーされていて、DMB PRODUCTIONとアートとの関係性の原点を感じます。この作品での作家陣とのエピソードや、「WDsounds」からリリースされた経緯などを聞かせてください。
「ちょうど周りのみんなと仲良くなった時期で、とりあえず全ての要素を入れ込んだっていう感じなんですかね(笑)。WDsoundsからのリリースはOS3からマーシーくん(Lil Mercy | PAYBACK BOYS | WDsounds)にお願いしたのかな?マーシーくんが誘ってくれたのかな?WDsoundsのおかげで、いろんな雑誌に取り上げてもらったり、おもしろいことをさせてもらいました。みんなでMOBB DEEPリップオフのTシャツを着て写真を撮ったり(笑)。中ジャケのコラージュのとき、OS3が来なかったのでマーシーくんと好き勝手やった記憶があるんですが、ほんとかな……。DMB PRODUCTIONの原点は間違いなく周りのみなさんとの繋がりです。ジョージくんはいろんなグループ展を企画して誘ってくれたり、ジンの作りかたとかも教えてくれたり。373くんが当時働いてたお店に毎日遊びに行ったりしていました。その人たちを最初に紹介してくれたのはSTRUGGLE FOR PRIDEの今里さんだったし、とにかく毎日遊んでばかりで、どうやって生きていたのかもわからないんですが、そういう遊びかたも今里さんに教えてもらいました。地方も含めていろいろ連れて行ってくださって、無茶苦茶楽しかったです」
――Guilty C.さんとのご関係もこの頃からなのでしょうか。「Planet Mu」からGuilty Connectorのアルバムが出てスゲ~~!ってなっていた時期だったので、WDsounds周辺に現れてびっくりした思い出があります。Kemmyさん的にはMAN IS THE BASTARDのイメージがあったり?
「最初のきっかけは、Sonic(BUTTHEAD SUNGLASS)っていう友達がOS3に紹介したんだと思います。Sonicが西新宿にあったALLMAN(*4)っていうレコード屋で働いていて、OS3と仲良かったから、こーへーくん(中川こうへい as GxC)を紹介したとか?違うのかな?それで一緒に、西新宿にあった頃のD.O.M(*5)にライヴを観に行ったような気がします。それでみんな仲良くなったので、自然に一緒に遊ぶようになりました。当時こーへーくんはアンビエントもやっていて、seminishukeiのイベントに出たりしていましたね。会場が靴を脱いで上がれるところ(*6)だったので、みんなゴロゴロしながら寝ちゃったり(笑)。MAN IS THE BASTARDについては、こーへーくんはその頃にはすでにBASTARD NOISEとスプリットを出していたと思うので、逆に教えてもらう感じだったと思います」
*4 2006年閉店 | 店長はHG Factの佐藤 直氏
*5 ライヴハウス | 現・新大久保 EARTHDOM
*6 東京・西麻布 BULLET’S | 2018年閉店
――翌2008年にWDsounds、seminishukeiとのトリプルネームでリリースされたコンピレーション・アルバム『DMB Capital Punishment』がDMB PRODUCTIONの第1弾作品ということになるんですよね?DMB PRODUCTIONはスタート時、音楽レーベルというイメージだったのでしょうか。それともコレクティヴみたいな感じ?“Dirty Mosh Brigade”成立の過程と、コンピレーションをリリースした経緯をお聞かせください。
「そもそも“DMB PRODUCTION”という名前でレーベルを作ったのはマーシーくんでした。当時なにかにつけ名前を付けてでっち上げる、じゃないですけど、クルーとか作りまくっていて。それで“DMBのプロダクション”っていうことでDMB PRODUCTIONにしたのかな。当時、何かトラブルが起こると、みんなで一致団結して行動するっていうのがあって、その一環だったと思います(笑)。ジップロックに入っていたんですけど、ULTRA-VYBEの事務所でみんなで袋詰めしたの、楽しかったですね!裏ジャケのロゴは+/- Recordsが元ネタというのを改めて確認しました(笑)」
――ミシガン(笑)。僕はコンピレーションのタイトルを見てトロイしか浮かばなかったんですけど(笑)、実際のところは何に由来するタイトルなのでしょうか。もしトロイだとしたら、「Ruffneck Records」の『Capital Punishment』で一番好きな曲を教えてください(笑)。
「元ネタはまさにそれだと思います!でも僕はそのコンピを聴き込んでいないので、好きな曲わからないんですけど、“BURNING HUMAN”というバンド名は好きです(笑)!そのあたりはWDsounds社長と軍神Ngrauderに聞いてみてください!止まらないと思います(笑)」
――“Dirty Mosh Brigade”の頭文字を取って“DMB”というのは実は後付けで、本当は別に意味があるんじゃないかな?と思うときがあるのですが、いかがでしょう?違っていたら超失礼なのでごめんなさい……。
「DMBはもともとモッシュ・クルーで、NYHCやニュースクール・スタイル以外のライヴでいかにウィンドミルをするかということを研究する集団です。OS3が“Dirty Mosh Brigade”って言い出したので、リーダーはOS3です。PAYBACK BOYSはバンド・メンバーがDMBなので、自分たちのライヴではモッシャー不足で盛り上がり難いというのがジレンマだったのではないでしょうか。近年はメンバーの高齢化により影を潜めていますが、たまに軍神が爆発する瞬間がありますね。それからは、DMBを頭文字にした“あいうえお作文”を僕が毎回考えて、それをテーマにアイテムを作っています。ネタ不足なのでお題は募集しています」
――次作のBREAKfASTとDJ Highschoolさんのスプリット(2013)までしばらく間が空きますが、DREADEYEでの活動に注力していらっしゃったということなのでしょうか。SUN BEAM SUNでもギターを弾きつつ、『This Is For The Newbreed』の次がRSRからSu19bとのスプリットという流れ、かっこいいなって思っていました。
「マーシーくんもWDsoundsで忙しいし、DMB PRODUCTIONはコンピのリリース後、何も動いていませんでした。その頃、僕はジンを作ったり、イベントを企画したり、いろいろな活動をしていたんですけど、個人的な活動に名前を付けてまとめたらわかりやすいかな?と思って、マーシーくんに連絡して名前を使わせてもらうという流れでした。受け継いだので、最初にまずTシャツを作りたいと思い、ロゴが欲しかったので高校 / 大学の同級生だったリッキー(Lil Ricky fka Da Mask Baby)に“Gラップのレーベル・ロゴみたいなロゴを作ってくれ”って頼んで出来上がったのが、今も使っているドクロのロゴです。その後BREAKfASTに入って、アルバムを出した後に何かリリースしたいね、なんて話をしていたので、じゃあ自分でやろうかな?と思ってDMB PRODUCTIONからDJ Highschool(OS3)とのスプリットを作りました。自分のバンドと、バンド・メンバーのスプリットなのでスムーズに(笑)。SUN BEAM SUNはANGEL O.D.のライヴにくっついていろんなところに行っていたので、メンバーみんなと仲良くなりました。ギターのきんちゃん(北村直樹)とドラムのしげ(重田浩行)が“DINOSAUR JR.みたいなバンドやるから”って言うので、SHELTER(東京・下北沢)のオーディション・ライヴみたいなのを観に行って。その後、ギターが抜けちゃうからということでメンバーになりました。練習スタジオも近所だったし。DINOSAUR JR.は全く聴いていなかったので、それから聴き始めて勉強……DREADEYEと同じパターンですね(笑)。RSRからのスプリットは、DREADEYEのスタジオのときになぜかSu19bの話をしていて、家に帰ってMySpaceを開いたらSu19bの菊池さん(菊池良平 | FINAL EXIT)から“スプリット出しませんか?”っていうメッセージが来ていてびっくりしました(笑)。タイムリーすぎて即OKしましたね」
――BREAKfAST / DJ Highschoolスプリットは、Paranoidさん、noiseさんの組み合わせと、それぞれ飛距離のあるアートワークがおもしろいと思いました。両者をフィーチャーするにあたってコンセプトなどはあったのでしょうか。
「それも、仲が良かったということもあって、BREAKfASTのツアーのときはParanoidくんが運転でついてきてくれていたので、Bf側はお願いしました。noiseくんはDJ Highschoolのリクエストです。noiseくんはせっかく東京に出てきたのに、仕事ばかりしていたから、絵を描いてもらおう!って感じでお願いしました。最初にParanoidのアートワークが出来上がって、それに合わせてnoiseくんに描いてもらった感じだったと思います」
――以降はANNIHILATION TIME、HOAX、IRON LUNG、THE SHRINEなど、レジェンダリーなバンドの来日公演をDMB PRODUCTIONとして多数手がけていらっしゃいますよね。招聘ってめちゃくちゃ大変なお仕事だと思うのですが、携わるようになったきっかけはあったのでしょうか。ツアー時の思い出深いエピソードなどもあれば併せて教えてください!
「DMB PRODUCTIONでバンドを呼んで来日ツアーをしたのはIRON LUNGだけなんです。他のバンドは、友達が日本ツアーを企画して、その東京編としてイベントを企画していました。出演ラインナップも、なるべく他ではやらないような組み合わせでやりたいと思って、もともと知り合いではなかったバンドとかも誘ったり。IRON LUNGは、最初の日本ツアーを友達の鈴木くん(鈴木さとし | Punk Liberation)が企画して、その東京編をDMBでやったんですけど、その1週間前くらいに東日本大震災があって。IRON LUNGも来るかどうか、計画停電があるからライヴハウスは大丈夫なのか?とか、いろいろとあったんですけど、IRON LUNGのメンバーはそれでも日本に来るって言ってくれて。EARTHDOMもあまり電力使わないようにということで、PAを通さずにフロアライヴでやったり、工夫してなんとか開催できました。そんな時期にライヴをやっていいのかどうか?なんて議論があった頃だったと思うんですが、結果来てくれたお客さんが元気になってくれたり、少しでもそのときの暗い雰囲気を忘れられたようだったので、イベントをやって本当に良かったと思います。その後、IRON LUNGから“また日本ツアーがやりたい”って相談があったので、もちろんやりますよ!ということで組んだツアーが“Deceiving My Brain”ツアーでした。おかげさまで各地大盛況で楽しかったです。改めてありがとうございました。大変でしたけど。ANNIHILATION TIMEはBREAKfASTのUSツアーで一緒にやって、むちゃくちゃカッコよかったので日本に呼びたいと思っていたんですけど、全然進められず……。年月が経ってからBLACK HOLEの小坂くん企画でツアーが実現して、EL PUENTE(神奈川・横浜)で企画をできてよかったなー、と思いました。HOAXのメンバーも楽しかったです!来日時のフレキシは一応DMBからのリリースなんですけど、すぐなくなっちゃったので再発しよう!って言ったきり何も進まなかったですね(笑)。メンバーも楽しい人たちで、ヴォーカルのJesse(Sanes | JH1.FS3)はDMBのロゴTシャツをあげたらすぐ着てくれて嬉しかったな。コロナ禍は相手が感染症なので、震災や原発とはまた状況が違いますけど、その中でも根気強くイベントを続ける場所があるのは素晴らしいですね」
――その後、平塚理沙さんが主宰するキャンドル・ブランド「OLGA-goosecandle-」のエキシビション「9pair Earplugs」(2017)でKemmyさんにお会いしたのが個人的にはけっこう衝撃でした。僕もただ好きで観に行っただけので、なにが衝撃やねん!という感じですが……。平塚さんとはもともと面識があったのでしょうか。「OLGA-goosecandle-」の魅力について、Kemmyさんの観点をお聞かせください!
「そういえば会いましたね(笑)。OLGAのイベントは、理沙ちゃんと一緒にイベントをやっている中嶋祥子さんと僕の妻が仲良くて、それで誘ってもらって遊びに行ったという経緯でした。もちろん理沙ちゃんとも面識があったので、妻と一緒に遊びに行ってみたという感じだったと思います。2020年の朗読会イベントのときにカセットテープを販売したと思うんですけど、そのテープはCARREの鈴木くん(MATERIAL | QUEER NATIONS)の音に合わせて、祥子ちゃんが書いた文章を僕が読み上げるという、かなり実験的な内容でした。恥ずかしいので聞かないでください(笑)。OLGA、世界中で大人気で、すごいですよね!家にもひとつあります。手作りで大変そうですが……。以前オリジナル・キャンドルの制作をお願いしようと思ったのですが、お願いした形状がろうそくには難しかったようで叶わず…。また別の機会にお願いしたいと思っています、勝手に(笑)」
――さらに翌年の2018年、『DMB Capital Punishment』発表から10年目を記念したエキシビションを東京・渋谷 TOKYO CULTUART by BEAMSで開催されたのもびっくりしました。中村さん、noiseさんから鈴木裕之さん、レジェンド・Terry Johnsonさんまで多彩な面々が参加しながらも、フラットに観られる素敵な展示で、これがDMB視点なのかあ~!って思いました。各参加作家とのエピソードや、展示にあたってのご苦労などあれば教えてください。
「『DMB Capital Punishment』のリリースから10年経ったのに、ろくに活動していない期間がほとんどだったので、このままじゃDMB PRODUCTIONが終わってしまうのではないかという危機感から、10年の節目になにかひとつぶちあげようと思って企画しました。これもジョージくんにCULTUARTの小川くん(小川喜之)を紹介してもらって、イベントをやらせてもらいました。スペシャル感とDMBらしさを出そうと思って、とにかく付き合いのあるかたを集めて展示を開催したという感じです。オープニングでTHRASH ZONE(神奈川・横浜)のビールを出してもらったり、SUNDAYS BEST(東京・中目黒)の横瀬(裕貴)くんにはタコスで参加してもらったり、むちゃくちゃですよね(笑)。最初はDJもなしでやろうと思っていたんですけど、今里さんから“DJやらせてください”という連絡があって、それならやるしかないな、ということで……結果、たくさんの人が集まってくれて、とても楽しかったですね。なかなか一箇所に集まらない人たちが一同に会して、全然混ざり合わないという(笑)。高校の頃にバンドをやっていた同級生も来てくれました(笑)。TerryさんはGラップ・シンジケート……というのと、ロゴを作ってくれたのがFlamingo Studioのリッキーということもあって、参加してもらいました。Tシャツのデザインやスケートボードのデザインなど、いろうろとやっていただけ楽しかったです。参加をお願いする経緯もあったんですけど、個人的なところなのでこっそり聞きにきてください(笑)」
――つかぬことをお尋ね致します……。このときに買ったBushmindさんのミックステープは品番が“DMB-004”。BREAKfAST / DJ Highschoolスプリットは“DMB-002”ですが、“DMB-003”は何だったのでしょう。DREADEYEの『Luck, Pride, And The Strife』EPがそうだったのでしょうか……。
「DMB-003はK-TEE『Da Mobb Needs Makin’ Bills Mix』です!謎の2人組によるGラップ・ミックスです。MidNightMeal Recordsとの共同リリースでした。DREADEYEの『Luck, Pride, And The Strife』はリリース番号付けてないかも……どうしたんだっけな……」
――そうだったんですね、大変失礼を致しました……。2019年には、ジャパニーズ・メタルコア meets ポストパンクな謎のバンド、GOUGEのEPを発表します。首謀者のかたと知り合った経緯などをお聞きしたいのですが、お話し辛いですよね……。また失礼なことをお伺い致しますが、めちゃくちゃかっこいい作品にもかかわらず、覆面すぎて売るの難しかったんじゃないでしょうか……。
「あの7″は名作ですね!まだ在庫がたくさんあります(笑)!すごくかっこいいのでぜひみなさま、お近くのレコードショップでお買い求めください!首謀者とは、共通の友達から“今度友達がそっちに行くから遊んであげてよ”って言われて会ったんですけど、いろいろあった直後ですごく落ち込んでいて(笑)。それで、飲みに行こう!ってseminishukeiのKRBTとかと一緒に飲みに行きました。本人はお酒飲んでなかったんですけど、元気になってくれたみたいで、それからもいろいろとやり取りをしていました。その流れで“今度こんなプロジェクトやるんだけど、リリースしてくれない?”ということでリリースしたのがあのEPです。去年Tシャツとスウェットをリリースしたときに動画を作ったんですけど、その音楽も書き下ろしで作ってくれました。数年前にはあるのバンドのメンバーとして東京でライヴをやっていたので、遊びに行きました!」
――『Gouge』のカヴァー・アートは、SALVATION(Youth Attack)とかLATISHIA’S SKULL DRAWING(Iron Lung Records)とかのメンバーでもあるMatthew Adisさんが描いているんですよね。日本ではHOAXの編集盤CDのカヴァーでおなじみだと思うのですが、どういう経緯で描いていただくことになったのでしょうか。
「バンド側の提案でした。僕はMatthew Adisのことをあまり知らなかったんですが、かなりかっこいいアートワークを仕上げてくれて。最初はバンド名が違って、そのヴァージョンのアートワークだったんですけど、ちょっとヒドかったのでお願いしてバンド名を変えてもらいました(笑)」
――同年は、DJ HighschoolさんとTHE TORCHESのミックスをリリースするのみならず、Bun BさんとLe$さんの来日公演にてDREADEYEで共演するというパワーヴァイオレンス的にヤバい状況を作り出したり、「2TIGHT MUSIC」とがっつり組んで『GANGSTA LUV 2』誌での連載やリイシューCDシリーズに携わったり、DMB PRODUCTIONの異色感が増強されたような気がする年だったと思います。DREADEYEが初のフル・アルバム『The World Has Left Us Behind』をIron Lung Recordsからリリースしたのも大きなトピックでしたね。ヴァイナル買えなくて本当に悲しかった~(泣)。ご自身で振り返っても、2019年はターニングポイントだったと感じますか?
「そのあたりの時系列を全然把握していなくて……ありがとうございます(笑)。2019年は楽しかったかもですね~。ライヴをやって、アルバムをLPとCDで出して、ツアーして。ツアー・ファイナルの東京編がコロナで延期になっちゃっているので、そのリヴェンジはしたいと思います!LPは、Iron Lungも売れると思っていなかったから“300枚でいい?”って言われて、こちらも余っても嫌だし、と思って“それでいいよー”なんて言ってたんですけど、思ったよりすぐなくなっちゃったので、慌ててCDを作りました(笑)。“リプレスする?”って言ってくれたんですけど、また流通するのも大変なのでなしにしました。送料払ったら赤字になるっていう……価格設定を間違えました(笑)。Bun BとLe$のイベントは僕の今までの活動のひとつのピークだったと思います。そのとき、渋谷にあった16 (Sixteen) というお店を使わせてもらってポップアップをやって、ミート & グリートなんてイベントもやったんですけど、雨が降りすぎて全然人が来ない(笑)。それなのに楽屋的に使わせていただいて、無理言っちゃってすいませんでした。Tシャツを作るのにCORNER PRINTINGにも協力してもらいましたね、前ちゃん(前田佑輔 | ZENOCIDE)ありがとうございました!アートワークは今売れっ子のWACKWACKさんに作っていただいて、最高な仕上がりでした!イベントはDMF、ILL-TEE、DNCにeternal strifeにTHE TORCHES。まさかの飛び入りでPHOBIA OF THUGのG-CUEさんにも参加してもらって。“MURDER THEY FALL”で観ていた身としてはかなり感慨深い出来事でした。DREADEYEのときにはBun BもLe$も出番前なのに出てきちゃって(笑)。それからLe$は気に入ってくれて、DREADEYEのTシャツとかDMBのTシャツを着てくれて……嬉しいですね。もっとたくさんの人に観てもらいたかったですけどね~、伝説に残る一夜だったと思います。『GANGSTA LUV 2』はその時点でできる環境にあったので、自分がやるしかないと思って。2TIGHT・村山さんの熱意にも負け(笑)……そこでもいろいろゴタゴタがあったんですけど、いまだに2TIGHTのフリーペーパーとしてたまにリリースしてます。いつか書籍化を目論んでいるんですけど、僕のペースが遅すぎて……すいません!DJ HighschoolとTHE TORCHESのスプリット・ミックスは最高ですね!データのみでの販売だったのに、たくさんのかたに購入していただきました。その打ち上げもしたいのに、できないままなので、そろそろやりたいです」
――TRAPPISTジャパン・ツアーでOS3さんの「The Slop Shop」とコラボレートしたのも、極めてパワーヴァイオレンス的でした。Kemmyさんご自身が推しているクラフトビールの銘柄があれば、教えてください!
「TRAPPISTが来るならやるしかないでしょ!ということで。Bun B & Le$のイベントのちょうど1ヶ月前でしたね、よくできたな。The Slop Shopのオープン祝いのイベント・セッティングとしては完璧でした!楽しかったですね~。コロナに入ってから全然飲みに行ってないし、家でもそんなに飲まないので、クラフトビール・シーンからは置いて行かれているんですが、Bellwoods Breweryの『Jerry King』はおいしいですね。パイスー系が好きです。あとYorocco Beerはどれもおいしい。セゾンが好きです。次の日に何もなければTHRASH ZONEに飲みに行きたい」
――2020年から2021年にかけては、様々なアーティストとのコラボレート・アパレルが増えて、“音楽レーベル”という印象を覆したように思います。あえてそうされたのか、今リリースしたいものがアパレルだっただけなのか、この転換の理由を教えてください。パンデミックとも関係があるのでしょうか。
「コロナの影響ですね~。それ以前から、毎月何かしらのリリースなり、イベントなりをしようということでDMB PRODUCTIONは活動していたんですけど、イベントができなくなっちゃったので、それなら、ということでTシャツとかアパレルを作っています。と言っても、合間にカセットのリリースもしているんですけど。あとは単純に自分が出すようなバンドや音源がないというか。BLACK HOLEや他のレーベルがやってくれるなら、そっちでお願いしたいというか(笑)。最新のバンドにも疎いし、すっかりおじさんですね(笑)。アパレルばかりリリースしていると、レコード屋さんとのお付き合いも疎遠になっちゃうし、音源出したときだけ連絡するのもなんか気が引けちゃって」
――Alexis Grossさん + PAYBACK BOYS、Colin Taniguchiさん、「PRILLMAL」、Sam Ryserさん、鈴木裕之さんなど、一見取っ散らかっているようでいて、10thアニヴァーサリーのときにも感じたDMB視点では一貫しているというのがアパレル・ラインの特徴だと思います。DMB PRODUCTIONとしては、コラボレーターをどのようなポイントで選んでいるのでしょうか。
「DMB PRODUCTIONの要素として“グラフィティ”、“ハードコア・パンク”、“ヘタウマ”の3つのカテゴリーを意識してます。例えばORFNは“グラフィティ” + “ヘタウマ”とか。鈴木裕之くんとかanccoちゃんを“ヘタウマ枠に入れてしまっていいのか、失礼だろって言われるかもしれませんが(笑)。単純に自分の好きな人、何かを感じた人にお願いしてます」
――ボディに「G.O.A.T」(株式会社ヤギ)のTシャツや「CUP AND CONE」のキャップを使用したり、東京・千駄ヶ谷「PAJA STUDIO」でのプリント、手ぬぐいの染め抜きなど、ディティールにもこだわりが感じられます。そこに辿り着くまでに、やはり試作や試着を重ねていらっしゃるのでしょうか。各アイテムの細部でお気に入りの点や、制作中の苦労、セレクトしたメーカー / スタジオの注目ポイントなどあれば教えてください!
「それが全然なくて、たまたま出会った人やブランドにお願いして作っているだけでして……G.O.A.T.は別として、なるべくスモール・ビジネスの中でいろいろお願いをすることは意識しています。あとはその人との付き合いとか、イベント的に大きくやらなきゃならない場面だったら、人づてに(笑)お願いしに行ったり。CUP AND CONEもキャップのかたちがすごく良かったので、依田(亮)くんに軽い気持ちでお願いしたらやらせてもらえることになったり、PRILLMALの手ぬぐいも、生産するタイミングに乗っかって色別注というかたちでやらせてもらっていたりなので、周りに素晴らしいものを作っている人が多いから、そこにご相伴させていただいているという感じです(笑)。自分だけで完結するようなものだとすぐに飽きちゃうので、いろいろな人に協力いただいて物作りをするスタンスですね。その中で徐々にできることが増えてきているのでありがたいです。思いつきをかたちにできちゃう環境が整いつつあります。PAJA STUDIOは発注のタイミングにもよりますが、完成がむちゃくちゃ早いときがあってびっくりします。オーダーしたら2日後にできました!って連絡あったり。タグ付けを別のかたに頼んでいるので、ちょっと焦る(笑)。あとは、Mr. Alwayth氏にはいろいろと相談させていただいてます。いつもありがとうございます!最近では刺繍のLAUGH AND SUNNYDAYさんがちょっと普通じゃないレベルですごいです。仕上がりが半端じゃない。忙しいのに納期を無理言っちゃったりして、いつもすいません。CORNER PRINTINGも初台に工場があった時代からどんどん大きくなって、すごいな~と思っています。またよろしくお願いします!基本的なスタンスは、“誰かと一緒に今まで見たことのないものを作りたい”ですかね。だかで、ブランドというよりはプロダクションなんだと思います。1から10まで自分でやれば、コストもかからないし良いんだろうけど、別に専門的に勉強したわけでもないし、自分だけだと絶対に飽きてやらなくなるので(笑)、人にお願いすることで“迷惑かけられない、やらなきゃ!”って自分にプレッシャーをかけています(笑)。それも最近は間に合っていないのでがんばります……」
――いえいえいえ、おひとりでこんなにやっていらっしゃるの、本当にすごいです。あと、DMB PRODUCTIONのアイテムを取り扱っているのも、福岡・今泉「APPLE BUTTER STORE」、大阪・南堀江「DAILY DOSE quality stuff」、東京・町田「DANJIL」、東京・池ノ上「MIN-NANO」、東京・中目黒「SUNDAYS BEST」、東京・原宿「TOXGO」など、個性的なショップばかりです。東京・高円寺「FAITH」でのフリーマーケット出店も印象的でした(UNRUHのTシャツとか、Kemmyさん私物をゲットしました笑)。お店を選ぶ基準や、よく行くお店(アパレルに限らず)などを教えていただけると嬉しいです。
「DMB PRODUCTIONのTシャツを初めて扱っていただいたアパレルのお店がMIN-NANOでした。代々木上原で、オークラくん(大倉有記)の12XUのオープン1周年記念イベント?でBfがライヴをやった打ち上げで、ゴローくん(中津川吾郎 | MIN-NANO, TOXGO)が“お店にTシャツ置きませんか?”って声を掛けてくださって。レーベルTシャツのノリだったので、3,500円とか上代付けちゃって、横並びのブランドさんもあるのにすいません……って感じでした。MIN-NANOで扱ってもらってからアパレル……というのはなんだか慣れないんですけど、そっちの方向でも広がっていってくれました。置いてくださっているお店を選ぶなんておこがましいこと言えないんですが、だいたい勢いでDMを送りつけています。“置かせてください!”って言われることがないので、自分から行くしかない(笑)。有名ブランドでもないので、売れる数だけ作って、お店に迷惑をかけない程度に売れてくれればいいと思っています。でも数を売らないと経費も払えないので、飽きられない程度にちょっとずつ広げていきたいです。よく行くお店はTOXGOですね、ゴローくんとタツオくん(山上達生 | KINSELLA)とナリくんと話しに行きます。あとはstacks bookstore(東京・渋谷)もおもしろい展示をやっていることが多いので顔を出していますね。SUNDAYS BESTもたまに行ってはくだらない話をさせてもらってます。吉祥寺のBEN’S SLOP SHOPもちょこちょこ行ってます。Sniite(東京・世田谷)はもっと近かったら通いたい!CUP AND CONEは移転後まだ伺えておらず、不義理ですいません!」
――ファッションのフィールドで注目を浴びるであろうアイテムが続く中でリリースされた音楽作品が、TEE-$HORTさんのミックスとGxCxおよびBBVGC + PSYWARFAREの作品というのもおもしろかったです。TEE-$HORTさんの作品はColin TaniguchiさんのTシャツと連動したものでしたが、ノイズ2作はなんというか……“ファッション”という単語とは距離がありますよね(笑)。それでもDMB PRODUCTIONのアイテムとして一貫しているのがすごい。そのあたりのバランス感覚はどう捉えていらっしゃるのでしょうか。
「これもコロナのせいなんですかね……閉塞感のある世の中にぶちかましたくてやったっていうのと、これもDMBだからできることかなーって思って。PSYWARFAREは“BBVGCのファンだから嬉しい!”って言ってくれました(笑)。本当はBBVGC / PSYWARFAREのリリース・タイミングでDwid(Hellion)先生(PSYWARFARE | INTEGRITY)デザインのTシャツを作ろうと思っていたんですけど、デザインが間に合わずでした。Dwid先生とはまた改めて何かしたいと思ってます!基本思いつきです(笑)」
――Kemmyさんは、国内においてマゾ山崎さん(MASONNA)に次いでDwid師との交流が長い人物とお見受けしておりますが、Holy Terror Church of Final Judgmentとの関係はどのように始まったのでしょうか。
「(THE INFAMOUS) GEHENNAっていうバンドがすごく好きで、それを辿っていったらINTEGRITYに行き着いたっていう感じだと思います。WDsounds企画で2004年に日本ツアーをやったときも観に行っていたんですけど、そのときは仲良くなる前だったし、曲も知らなかったからそこまで盛り上がらず(笑)。GEHENNA情報を追っているタイミングでHoly Terror掲示板みたいなのができて、登録制だったので試しに登録してみました。そうしたらDwid先生からいきなり“ や のアイテム持ってないか!?”っていうメッセージが来ました(笑)。掲示板にどんなメンバーがいるのか、運営側にはわかるみたいで、日本人だとわかったからメッセージを送ってきたんだと思います。たまたまそのあたりのアイテムがいろいろ手に入ったので送ってあげたら、それとトレードで7.17コンピ(*7)のテストプレスとカラー盤を送ってくれたりして、交流が始まりました。カリフォルニアのポモナっていうところで、車メーカーScion企画のメタル・フェスがあって、それにINTEGRITYとBASTARD NOISEが出るっていうんで遊びに行ったんです。空港までは前述の7.17コンピを作ったJAVがLAの空港まで迎えに来て、ポモナまで車で連れ行ってくれました。その時期のINTEGRITYのメンバーも一緒の車に乗って、仲良くなって。そのときに泊まっていたモーテルまで迎えに来てくれたのがOrganized Crime RecordsのClint(Billington)で、会場に連れて行ってもらいました。イベントの前日の夜には、VVEGAS、SEVEN SISTERS OF SLEEPなんてイベントがあったりして、楽しかったですね~。あと、モーテルの近所にあったタコス屋のタコスと、ドーナツ屋のドーナツがおいしかったなー。ポモナの後にサンフランシスコに観光に行く予定だって伝えたら、“GEHENNAのヴォーカルのマイクがサンフランシスコにいるから、紹介するよ”って言ってくれて、サンフランシスコの最終日に合流、昼間からひたすらバーを巡って泥酔したのも良い思い出です。だから、Dwid先生と全然付き合いが長いわけでもないんですけど、いまだに仲良くさせてもらっています。マーシーくんとかオジキくん(OZK | CREEPOUT)とかのほうが全然付き合い長いですよ!」
*7 『7.17: The Feast Of The Holy Terror Church Of Final Judgement』(2010, Hellfish Family) | GEHENNA、INTEGRITY、UNREAL CITY、VVEGASが参加
――続く2022年最初のアイテムがanccoさんとのコラボレーションというのは驚きでした。僕もanccoさんの絵が大好きということもあって、OLGAの展示でお会いしたときの気持ちがフラッシュバックしました。anccoさんとコラボレートすることになった経緯や、Kemmyさんから見たanccoさん作品の魅力などを聞かせてください。
「anccoちゃんも、もともとは妻が働いていた職場の同じビルで働いているということで知った記憶があるんですけど、会ったときにその話を聞いたんだったか……記憶が定かじゃないんですけど……その後もよく同じ場所にいたりして、何かの打ち上げのときにちょっと話をさせてもらったのがちゃんとした最初の交流かな?ユニオンのパーティーに潜入したときだっけかな?イラストがすごく好きで、失礼なんですけど、勝手に“ヘタウマ”枠ということで、いつか頼みたいなーと思っていたんですけど、自分の中で“ついにタイミングが来た!”っていう感じでお願いしました。メルヘンでかわいい絵柄の中にも毒があって、女性の強さも感じるような作風が好きです。anccoちゃんが大人気だっていうのをよくわかっていない状態で頼んじゃったので、よく引き受けてくれたなー、と改めて感謝しています。今までDMBを知らなかった人たちが、DMBのことを知らないまま買ってくれているんだと思います(笑)」
――anccoさんとのアイテム、さりげない2版刷りや、ミルクグラスというセレクトもめちゃくちゃかわいいです!制作にあたってこだわったこと、anccoさんと相談したことは?ポップアップの開催地として「Sniite」を選んだ理由も教えてください。
「デザインに関しては、anccoちゃんにクマのイラスト描いてもらいたい!って思い立って、こちらから“Dream of Miserable Bear”というテーマを投げただけです。それに対してあのデザインを上げてくれたので、さすがだと思いました。“ケミーさんDJ Screw好きですよね?”って言って、ドクロにスクリューを打ち込んだ絵にしてくれたときは嬉しかったです。ミルクグラスは、たまたまインスタで作れるところを発見したので、やってみようかなーってくらい。“ミルクグラス”っていう名前の響きもかわいいし(笑)。ポップアップは、マグカップを作るならコーヒーにちなんだところがいいよなーっていうことで、Sniiteでやらせてもらいました。ちょうどコロナ感染者が減っていたタイミングだったので、2年ぶりに会う人たちがたくさん来て、すごく楽しかったんですけど、むちゃくちゃ疲れました(笑)。Sniiteのかんべくん(神戸 渉)にも喜んでもらえたので、やってよかったです」
――そして今度は「BOUNTY HUNTER」とのコラボレーション!昨年「Fairly Social Press」のポップアップに参加していらっしゃったので、シームレスな感覚は覚えつつ、やっぱりなんかスゲーとこキタ!って思っちゃいます(笑)。BOUNTY HUNTER / HIKARUさんに対する印象や思い出、コラボレートにあたって考えたことなどを教えてください。
「HIKARUさんのことは『WARP TV』や『HANG OUT』のイメージで昔から見ていたんですけど、今回のポップアップに関してはTAKAさんにお願いして進めさせてもらった感じです。TAKAさんはBun B & Le$の来日のときにDMBのウェブストアでチケットを通販してくれて、やばい!みたいな。それからも展示会に誘ってもらって、遊びに行って話をしているうちにノリが合うというのか……と言うとおこがましい感じになっちゃいますが……そのタイミングでFairly Social Pressのイベントでやらせてもらったんですけど、そのあたりからFairly Social Pressのふみとくんから“DMBは絶対BOUNTYとやったほうがいい”って言われて、背中を押してもらった感じです。それでTAKAさんに連絡したら、ふたつ返事でOKしてもらったので、やるしかない!ということで。それがまさかDMBカラーでソフビまで作らせてもらえるとは……子供の頃、PRO-KedsのHIKARUさんモデルをサイズが小さいのに無理やり履いていた頃の自分に教えてやりたいです(笑)。実は裏原のブランドが大好きだったので、お店のショウケースにアメリカのおもちゃが並んでいるのを見て“どれが売り物なんだろう?”と思ったり、オリジナルのソフビやロゴがフードにプリントされたパーカーを買ったりしてました。BOUNTY HUNTERだとHIKARUさんのポップなイメージがど真ん中にあって、正直そういうものを否定するのがハードコアだろ!と思っていたこともあるんですけど、これまでBOUNTYがやってきたことを見ると、スタンスが一貫していますよね。本当に好きでやり続けているんだというすごさが、ようやくわかりました。そして、直接話したらその純粋さがわかりました。あとは、今回のDMBもそうですけど、昔からブランドや人のフックアップに積極的ですよね。RulerとかPaid In Fullとか、最近だとVERDYくんでしょうか。そのスタンスのおかげでやらせてもらえました。ありがとうございます」
――ここまで振り返ってみても、今後DMB PRODUCTIONどうなっちゃうんだろう?全く予測ができません……。現時点で決定していること、画策していることなどあれば、お話いただける範囲でお知らせください!
「ですよね(笑)。思いつきでやっちゃってるので、自分でもわかりません(笑)。今年は毎月リリース毎にポップアップをやってやろうと思ったんですけど、無計画すぎて1月から断念……。アイテムについては、PEZに続くDFWシリーズ3部作を予定してるんですけど、ポップアップやっちゃったりで自転車操業中なので、もうちょっとしたら第2弾がリリースできたら。まだ作ってないんですけど(笑)。あとは今年の後半でグループ展をやりたい!っていうことだけ決まっています。尻すぼみにならないように、がんばっていきたいと思います!」
■ BOUNTY HUNTER & DMB PRODUCTION presents
Da Morbid Bounty Hunters
2022年4月8日(金)-10日(日)
東京 代々木上原 村世界
〒151-0062 東京都渋谷区元代々木町22-7 村世界1F
13:00-19:00