Column「思い出すと思い出す」


文・撮影 | 波田野州平

奈落とダイアン

 私が死というものを意識したのはいつだったのだろうかと思い返すと、それは人間の死ではなく、生き物の死がまずあったのではないかと思います。

 母方の祖父母が一室を借りていた長屋の向かいには、土手がありました。登りきると河川敷が広がっていて、川の向こうの部落から、黒毛の牛を20頭ほど引き連れて橋を渡って来る牛飼いの男がいました。牛たちはこちら側の岸に放たれ、草を食みます。やがて夕方になると男は牛を連れて、また橋を渡って帰っていきます。幼い頃、祖父母の家に遊びに行くと、土手の上からその牛たちを眺めるのが好きでした。今から40年ほど前にはそういうのどかな風景が広がっていたのです。

 ある日もいつものように牛を眺めるために土手を登ると、なぜか牛が1頭もいませんでした。祖父母の家に戻って牛がいないと伝えると、祖母が答えました。「昨日子牛が1頭、穴に落ちて死んだ」と。牛が放たれている河川敷の水門には大きな穴がありました。四方を柵で囲まれることなく、歌舞伎の奈落のような黒く四角い穴。「だから今日は牛が来ていないんだ」。そう言うと和裁で生計を立てていた祖母はまた着物を縫い始めました。私は急いで土手を登り切って黒い穴の縁まで行き、恐る恐る身を乗り出して中を覗き込みました。

 そこにあったのは、闇だけでした。

 穴の中に子牛の姿を見つけらないどころか、暗くて底まで見通すことができませんでした。この黒い穴に吸い込まれた黒い牛はどこへ行ってしまったのだろうと思いながら、私はずっとその闇を覗き込んでいました。

 それから数日すると男と牛はまた橋を渡ってやって来て、何事もなかったように牛たちは河川敷に放牧されました。私はその風景を、すぐ側にあるあの穴が、また彼らを飲み込んでしまうのではないかと怯えながら眺めていました。あの闇を覗込んだときから、それは以前のようなのどかな風景ではなくなりました。

 私が中学生になる頃には男も牛もやって来ることはなくなりましたが、あの黒い穴だけは、変わらずそこにありました。

 私が通っていた中学校の近くに、火事で全焼した工場が取り壊されずにそのまま残っていました。本当かどうかわかりませんが、放火されたという噂でした。そこは「ダイアン工場」という名前だったらしく、その黒焦げの廃墟を私たちは「ダイアン」と呼んでいました。前回の「ごんぞう」と同じく、ダイアンという言葉に不穏な響きを感じ取らずにはいられない、悪くない名前だと思います。そこは私の中学校のヤンキーの溜まり場で、放課後になると学生服のまま彼/彼女らはその黒い建物に吸い込まれていきました。あんな不気味なところによく入っていくなと、私は思っていました。

 あるとき友達に、ダイアンの中に入ってみようぜと誘われました。私はヤンキーに遭遇したら何をされてしまうのか恐ろしかったのですが、その誘いに意を決してというよりも、どんな場所で中で何が行われているのか興味があったのでしょう、うん、行ってみようと応じました。

 放課後になり、ヤンキーに見つかりませんようにと祈りながら、私たちはこそこそと焼け跡に足を踏み入れました。すると全てが真っ黒に焦げた広い建物の中には、ただ1枚、ペラペラの布団だけが敷いてありました。その傍らにはエリエールのティッシュペーパーの箱が置いてありました。焼け焦げた工場の黒と、真新しいティッシュペーパーの白のコントラストが今でも目に焼き付いています。未熟で成就されなかった生が、そこにはありました。

Photo ©波田野州平波田野州平 Shuhei Hatano
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1980年鳥取生まれ、東京在住。
カメラを携え、各地で出会った未知の歓びを記録し、映画を作っています。
近作に『私はおぼえている』(2021)、『それはとにかくまぶしい』(2023)がある。